14-3 信濃の誇り、若き力
南信濃・治部坂――武田の名将たちが渾身の力で守るその地に、徳川の精鋭が迫る。
若き頼朝軍は、間に合うのか。
忘れられた武田の誇りと、次代を担う者たちの決断が交差する。
今、信濃で語られる“武田の誇り”、戦の灯は再び燃え上がる――。
■南信濃――激戦の峠
天正十一年(1583年)九月――。
南信濃・治部坂周辺では、頼朝軍・東美濃勢が奮戦していた。
犬村大角隊は退却した後、犬江親兵衛隊と池田輝政隊は、徳川軍の渡辺守綱隊との激戦を制し、これを潰走させる。
一方、吉岡では、武田軍・仁科信盛隊・木曾義正隊あわせて五千八百が本多忠勝隊五千四百と激突。
仁科信盛は武田信玄の五男、勝頼が援軍を出せない今、南信濃防衛の全権を任されていた。仁科信盛隊は武田家一門衆の木曾義昌隊と連携し、辛うじて本田忠勝隊を退ける。
しかし仁科隊、木曾隊ともに満身創痍、前線に踏みとどまる力は残されていなかった。
*(左)仁科信盛と(右)本田忠勝の死闘
その隙を突いて、徳川軍本隊――酒井忠次・水野勝成両隊七千あまり――吉岡を突破し、飯田城へ向け進軍を続ける。飯田城主秋山信友の部隊は頼朝軍の援軍を得て、治部坂峠からの峠道を急ぎ飯田城に退却した。だが、城門を閉ざすのとほぼ同時に徳川軍・酒井隊が城下へ殺到する。飯田城は再び風前の灯火となった。
*(右上)
飯田城に治部坂峠で潰走した秋山信友隊が飯田城への退却を急いでいる。
本田忠勝と死闘後、甲斐に退却している仁科信盛。
*(右中)
吉岡の武田の残党を掃討し、飯田城に向かおうとしている酒井忠次隊と水野勝成隊。
*(中心)
池田輝政隊と犬江親兵衛隊が酒井隊と水野隊との遭遇を警戒しながら吉岡に向かっている。
*(左下)
仁科信盛と死闘後、長篠に退却している本田忠勝隊。
池田隊と犬江隊に突き崩されて、長篠に退却している渡辺守綱隊。
頼朝軍は、酒井隊と水野隊との遭遇に備えて、吉岡方面に進軍していた。しかし敵軍に遭遇する事なく、吉岡まで辿り着き、徳川軍も武田軍もその姿は無かった。
輝政「しまった!徳川はこの吉岡を突破して、すでに飯田城を攻めているかもしれぬ!親兵衛殿、急ぎ飯田城に向かう!」
親兵衛「輝政殿、かしこまりました!」
飯田城に急ぐ池田輝政のもとへ、一騎の伝令が駆け込む。
伝令「申し上げます! 武田軍・馬場信春隊、進軍中にございます!」
輝政「馬場信春殿か、それは力強い!して、兵数は――?」
伝令「およそ、千五百ほどにて……」
輝政「たった千五百……。これでは歯牙にも掛けられぬ。
これが、今の武田軍の力か……!」
落胆の色を隠せぬまま、輝政は伝令に命じる。
輝政「後続の親兵衛殿に伝えよ。
武田の援軍は、もはや戦力にあらず。我らだけで、徳川軍本隊を叩く!」
*(下)吉岡にたどり着いた池田隊と犬江隊は、すでに徳川が飯田城に向かっていることを知り、急いで飯田城に向かう。
*(中)飯田城に攻撃をしかける徳川軍・酒井忠次隊と水野勝成隊。
*(上)深志城より寡兵で援軍に向かっている武田軍・馬場信春隊
その頃、武田の本拠地甲斐では、武田勝頼の居城・躑躅ヶ崎館に攻め寄せてきた徳川軍に対しては、武田軍が自力で何とか撃退したようであった。だが、その代償は大きく、今の武田軍に南信濃へまともな援軍を差し向ける余力は、皆無だったのである。
やがて頼朝軍(池田・犬江)一万二千が、飯田城に攻撃を加えていた徳川本隊(酒井・水野)七千を捕捉する。
輝政「先の南信濃の戦いで、トモミク様の築城部隊が飯田城を改修したと聞いた。そのお陰もあってか、間に合った!」
馬場信春隊と頼朝隊で、別方向から徳川軍の挟撃を狙った。馬場隊は寡兵ながら奮戦した。
池田・犬江両隊は勢いよく徳川軍に自らの部隊をぶつけて行く。士気も高く、数も整った頼朝軍の猛攻に、疲弊しきった徳川軍は次第に崩れ始める。
親兵衛「見たか、徳川の名将とやら! これが、我ら頼朝軍の力よ!」
輝政「徳川の勢いが弱まった……!今じゃ、突撃をかける!」
戦列から抜け出し、犬江親兵衛が馬上より名乗りを上げる。
親兵衛「拙者、頼朝軍・犬江親兵衛なり! いざ尋常に勝負!」
迎え撃つ徳川方、四天王のひとり・酒井忠次が、鼻で笑いながら返す。
忠次「こわっぱが……貴様の名など聞いたこともない。
身をもって“戦”というものを教えてくれようぞ!」
後列からは、水野勝成隊も突撃。徳川精鋭はひとたび崩れかけた陣を立て直し、牙を剥いた。間もなく奮戦を続けていた馬場隊が壊滅し、挟撃態勢は崩れた。
信春「もはやこれまで!この寡兵では何もできぬ……!
いや――若き力に負けたか!」
馬場信春は奥歯を強くかみしめながら、飯田城に退却した。
*(左)水野勝成 (右)馬場信春
だが次の瞬間、池田輝政隊が立て直した水野隊に対し、退路も顧みず正面から猛突撃を敢行する。火矢と槍の応酬の中、幾人もの将兵が倒れるも、輝政は叫んだ。
輝政「ここで退けば、全てが水泡と化す!全軍、抜かずの覚悟で進め!」
その気迫に呼応した兵たちが渾身の力で水野隊を押し戻し、やがて戦列を突き崩した。
*'(左)池田輝政 (右)水野勝成
頼朝軍は残る酒井隊に一斉攻撃をしかけ、ついに酒井隊は総崩れとなった。
天正十一年(1583年)九月――。
煙と血にまみれた戦場に、頼朝軍の勝鬨が響く。
当初は武田軍・頼朝軍が総勢二万四千、対する徳川軍は総勢一万八千。
徳川軍は、臨機応変な進軍と鋭い刃で、兵数に劣りながらも頼朝軍を幾度も追い詰めた。
武田軍の寡兵ながらの意地の奮戦には目を見張るものがあったが、全ての部隊は壊滅した。頼朝軍の損害も多く、出陣した時は総勢一万五千、吉岡を抜けた際は一万二千、徳川を追い払ったのち残ったのは八千あまりであった。
飯田城の城門が再び開かれ、傷ついた勝利者たちの帰還を待っていた――。
■それぞれ凱旋
南信濃――飯田城。
池田輝政隊と犬江親兵衛隊は、城へと入城し、帰還のための兵糧と馬の補給を行っていた。
城門にて出迎えたのは、城主・秋山信友。そして、辛くも生き延びた老将・馬場信春である。
信友の体には、矢傷や刀傷が無数に刻まれていた。
信友「幾たびも、貴殿らのお力添えを賜り……面目次第もござらぬ……!」
深く頭を垂れる信友。
輝政「秋山殿、ご無事で何よりにございます!」
輝政は即座に応じた。
輝政「我らは、武田の友軍にございます。
今後、いかなる苦境が訪れようとも、東美濃より馳せ参じましょうぞ」
信友「……心強きお言葉……重ねて、礼を申す……」
その姿には、かつて猛将として戦場を駆けた武田の将の、威風と、そして無念が滲んでいた。
秋山信友と馬場信春――戦国最強と謳われた武田軍を支えた名将が、今、頼朝軍の若き東美濃衆に深々と頭を垂れている。
その光景は、時代の移ろいを否応なく物語っていた。
*左から:秋山信友、馬場信春、池田輝政
補給を終えた池田隊と犬江隊は、飯田城を後にし、東美濃への帰路に就いた。
馬上、池田輝政が隣を並走する犬江親兵衛に、静かに声を落とした。
輝政「……親兵衛殿。先ほどの秋山殿、そして馬場殿といえば、わしが幼き頃その名を天下に轟かせた、武田の猛将であったのだ。
信玄公ありし頃、武田の旗が翻れば、周辺諸国は震え上がったものよ。信長公ですら、信玄公を恐れていた。
……その御家中にあった秋山殿や馬場殿が、今や我らのような若輩に、かくも深々と頭を下げる……なんとも、遣る瀬ないことだ」
親兵衛「ほう……秋山様、馬場様とは、そのようなお方でしたか!
しかし、今回の徳川も、我らの手にかかれば、大したことはございませんでしたな! はっはっは!」
池田輝政は眉を顰めた。
輝政「…親兵衛殿よ、そうやって油断したことを申しておる間は、我らは永遠に後詰めの役回りぞ。
よいか、徳川を侮ってはならぬ」
親兵衛がきょとんとした顔を浮かべる中、輝政は続けた。
輝政「……戦の最中、我らが酒井隊・水野隊と戦っていた後方には、徳川家康本人の万を超える大軍が控えていたのだ」
親兵衛「な、なんと! 全く気づきませなんだ……!」
輝政「もし、家康が機を見て我らの背後に回っていたら――赤子の手をひねるよりたやすく、我らを壊滅させていたことであろう。
……だが、家康は動かなかった。それは、那加城に頼朝様が控えている、その一事が、徳川の動きを縛ったのだ」
親兵衛は、ようやくその意味を呑み込み、真顔になって頷いた。
親兵衛「……池田様のご慧眼、まことに恐れ入りました。以後、心して参ります!」
任務を果たしたとはいえ、池田輝政は浮かない表情で治部坂峠を越えて東美濃に帰還していった。
信玄亡き武田家――最後の猛将たちが矜持を燃やした。
救援に駆けつけた東美濃衆は、かつての名将たちの信頼をも背負い、勝利をつかむ。
だが、徳川家康は動かなかった――それが意味するものとは。
次章、伊勢路に再び火の手が上がる。「赤井輝子」の刃が突き進む。




