10-2 破られた挟撃
大垣城を包囲せんとした頼朝軍。だが、織田軍はすでに待ち構えていた――。
挟撃は崩れ、太田道灌の騎馬隊が罠に嵌る。
待ち構えるのは、伊吹の伏兵と養老の鉄砲。挟撃の構図は逆転する。
頼朝軍、激戦の序章が始まる。
■死線:太田隊の突撃
織田軍が大垣城に着陣する前に包囲したかった頼朝軍であったが、頼朝軍が大垣城にさしかかった刹那、目に入って来たのは、兵を集結させ、万全の迎撃態勢を整えていた織田軍であった。
さらに、背後に立つ土煙、近江、伊勢方面から、続々と後続の織田軍が、大垣城目指して行軍してくるのが目に入る。
頼朝「…秀長。織田信長とは、底の知れぬ、優れた人物じゃ。こちらの思うようには、決して事を運ばせてくれぬ」
頼朝は、眼前に広がる織田の大軍勢を睨みつけながら、苦々しげに呟いた。
秀長「はっ、誠に……。巣から湧き出てきた蟻のような大軍を追い払わねば、城に辿り着くことすらできませぬな……」
秀長の声にも、焦りの色が浮かぶ。
頼朝「……秀長よ」
その声音には、沈痛な響きがこもっていた。
頼朝「そなたが最も恐れていた事態に、我らは今、足を踏み入れようとしておる。まだ退くこともできよう。……それでも、進むか?」
秀長「……頼朝様も、お人が悪い」
秀長は、ふっと息を吐くと、決然とした表情で答えた。
秀長「もはや、覚悟は決まっております。
ここで大垣城を落とせなければ、我らが織田に抗う術は、さらに限られましょう。大垣城を落とせるか否か、我が軍団の死活問題と、心得ておりまする」
頼朝「…そうか。秀長の覚悟、しかと聞いた」
頼朝は頷いた。
頼朝「よし! 北のトモミク隊、そして東の我ら(頼朝隊)と太田道灌隊とで、挟撃の態勢を崩さず、これより、断続的に織田軍へ攻撃を加える! 各隊へ伝令を!」
秀長「はっ! ただちに!」
トモミク隊、頼朝隊が、大垣城を守る織田の軍勢に対し、異なる方面から苛烈な鉄砲射撃を浴びせかける。敵の先鋒部隊の陣形が崩れた瞬間を突き、太田道灌率いる騎馬隊が、怒涛の如く突撃を敢行した。
幸先良く、太田隊は、ねね(豊臣秀吉の正室)隊や複数の織田軍の先鋒数隊を瞬く間に壊滅させた。
鉄砲隊で敵を崩し、騎馬隊で敵を追い返す、ここまでは、頼朝軍の描いた作戦通りの展開であった。
だが……
その直後、予想だにしなかった事態が、太田道灌隊を襲う。
織田軍は、頼朝軍の騎馬突撃を予測し、巧妙な罠を仕掛けていた。
太田隊が、先鋒部隊を蹴散らし、勢いに乗って追撃した、次の瞬間――
伊吹山の尾根影、さらに養老の谷あい――
そこから黒煙のように伏兵が噴き出した。左右同時、太田隊の側面へ刃が殺到する。
同時に、北からのトモミク隊の前進を食い止めるべく、さらに別の部隊が立ちはだかり、頼朝軍が得意とする挟撃の態勢をも、巧みに崩す。
完全に挟撃を受けた太田隊。その勢いは一瞬にして削がれ、騎馬隊特有の突破力も、機動力も、この地形では意味を成さなかった。槍の林と火縄の閃光が、馬上の武者たちを無情に穿つ。
太田道灌は、懸命に陣形を立て直そうとするが、騎馬武者ゆえ退路も狭く、馬の足元で槍と火縄銃が待ち伏せていた。馬が悲鳴を上げる。
道灌「な、何という体たらくじゃ! 深追いしたのが裏目に出たか! 敵の罠に気づかぬとは!」
太田道灌は、己の油断を呪った。
道灌「退けぇ! 全軍退却! 生きている者は、今はただ、ここから逃れることだけを考えよ!」
織田軍を追い払うどころか、このままでは太田隊は全滅しかねない。まさに、絶体絶命の危機であった。
歴戦の名将・太田道灌も、もはや、生き残っている兵たちを、一人でも多く戦場から離脱させることに、必死になるしかなかった。
新たに太田隊の副将となったばかりの坂田金時も、自ら先頭に立ち、鬼神の如く奮戦し、一人でも多くの味方を守ろうとしていた。
金時「織田の雑兵どもが!この金時を討って手柄とせよ!」
金時は自らに敵の矛先を引き付け、部下たちを逃がそうとしていた。
そこに太田道灌が割って入った。
道灌「坂田殿! そなたも退くのだ! ここは危ない!」
太田道灌が叫ぶ。
金時「いや! しかし、まだ残っている兵たちが!」
道灌「わしも気持ちは同じじゃ!だが、今は退くしかない!一刻も早く、ここを離脱し、態勢を立て直すのだ!
頼朝様も、我ら騎馬隊なくしては、織田の大軍を追い払えぬ!
これ以上、ここに留まっては、我ら自身も危うい!」
金時「……くっ!了解した、道灌殿!」
金時は、悔しさに顔を歪めながらも、道灌に従った。
■頼朝隊決死の救援
頼朝と秀長も、眼前の恐るべき光景を、呆然と見つめていた。太田道灌隊の咆哮は、断末魔の叫びへと変わり、代わりに織田軍勢の咆哮が大きくなっていた。
頼朝「まさか……我が軍の騎馬突撃を完全に見越した上で、このような罠を仕掛けて待ち構えていたとは……!
湿地が多く、馬が足を取られやすいこの地形……。その弱みを突いて、織田方は伏兵を配置していたか!
織田信長……!同じ手が二度も通じる相手ではなかったか!」
頼朝は歯噛みした。
頼朝「これより、我が隊は全軍で前に出る! 太田隊の戦線離脱を、何としても援護するのだ!」
壊走を始めた太田隊に対し、織田軍は勢いづき、追撃し、包囲を狭める。
これまで、適切な距離を保ちながら援護射撃を行っていた頼朝隊も、もはや敵の攻撃射程内へと踏み込み、接近戦を挑まざるを得なかった。頼朝隊の前衛が、矢玉に斃れ、地に崩れていく。さらに、敵の槍隊、騎馬隊も勢いを増して頼朝隊にも迫ってくる。
頼朝「まだ引くな! 持ちこたえよ! 太田隊が、完全に離脱するまでは、何としても、ここで踏みとどまるのだ!」
頼朝隊副将の里見伏も、頼朝の本陣前面に立ち、鬼気迫る表情で、敵兵の突入を食い止めている。
(義経……!もし、このような時に、義経がいてくれたならば……!
そなたなら、この絶望的な状況を、いかにして切り抜けたであろうか……!)
頼朝の脳裏に、弟の姿が浮かぶ。
指揮の声が上ずりそうになるが、剣の柄を握りしめ、力の限り部隊に指示を出し続けた。
頼朝隊の必死の援護も虚しく、太田隊の残存兵力は、次々と織田軍の追撃に飲み込まれ、包囲の輪は、刻一刻と狭まっていく。太田隊の騎馬の悲鳴も徐々に小さくなってくる。
その時。頼朝は、活路を見出した。
頼朝「今だ! 太田隊の退路を塞いでおる、あの織田の一団に、鉄砲を集中させよ!」
味方の太田隊に誤射せぬよう、敵兵のみを狙い撃つ。それは、組織的な一斉射撃とはならず、戦況はますます不利になっていた。
だが、太田隊が包囲されたことで、皮肉にも、太田隊周囲を取り囲む織田兵が頼朝隊からの鉄砲に対する「盾」となったのだ。
太田隊を取り囲む織田の一団に向け、頼朝隊の鉄砲が火を噴いた。集中砲火を浴び、敵の包囲網に、一瞬、綻びが生じる。
道灌「この機を逃すな! 全軍、頼朝隊の後方へ向け、退却する!」
太田道灌は、力の限りに声を張り上げ、己の馬にも、力いっぱい鞭を入れた。
銃撃を受けて一瞬動きが止まった織田軍であったが、すぐに態勢を立て直し、退却する太田隊を追撃、そのまま頼朝隊本体にも肉薄してきた。
頼朝隊先鋒の盾列が、さらに崩れ落ちる。退却する太田隊の兵士と、追撃してくる織田軍の兵士とが入り乱れ、頼朝隊の損害も、大きくなるばかりであった。
織田信長の読みは鋭かった。頼朝軍の挟撃策を逆手に取り、太田隊を壊滅寸前まで追い詰める。
援護に駆けつけた頼朝隊も、織田の猛攻に晒される。
次章『烈火の湿地』――命を懸けた撤退戦が、美濃の空を血に染める。




