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50-5 武田の血

勝頼は武田家臣に対して、梓を武田の姫としてではなく、頼朝軍の使者として対応することを強く求める。

しかし、梓は武田の血を引くものとして声を荒げる。


「……これが、今の武田家か。

信玄公に誇れるのか!」


武田信豊が刀を抜き、父勝頼も梓に刃を向ける……。

着替えを終えた梓は、火の傍に座していた。

冷え切っていた身体に、ようやく温もりが戻りつつある。


陣幕の入り口から、昌景が現れた。


昌景「こちらへ、姫……」


梓は昌景に続いて、陣幕の中に入る。

中央には勝頼が座し、見知った顔の重臣たちが、梓を囲むように立っていた。


勝頼は、梓が近づくところを、じっと見ていた。

一瞬、その目に、幼き頃の娘の面影を見た。


──しかし。

勝頼は、ふと目線を外した。

大きく息を吸い込み、目を閉じて、息を吐く。

その息は、父の心を、武田の当主の心へと切り替える儀式のようであった。


挿絵(By みてみん)


再び目を開いた時――

梓に向けた眼差しは、すでに父親のものではなかった。



勝頼「……皆の者。

目の前にいる女武者は、我が娘ではない。

頼朝軍の使者である。


そのように心得よ」


低く、静かでありながら、その場にいる家臣たちの耳に響く声であった。

武田家臣たちは、勝頼に一礼をし、姿勢を正す。


勝頼「さて、ご説明を願いたい。


一言もなく、我らの旧領への出陣。

しかも、再三の書にも返答が無い。


我らとのよしみを、頼朝殿はどのように考えておるのか」


かつての姫との再会を喜ぶ空気は、すでに消えていた。


山縣昌景は、複雑な眼差しで梓を見つめていた。

武田信豊は、明らかな敵意を込めて、梓を睨んでいた。

秋山信友は、痛みを堪えるような表情で目を伏せていた。

仁科盛信だけが、梓を真っ直ぐに見つめていた。


挿絵(By みてみん)


梓は膝をつき、頭を下げる。


梓「予想以上の苦戦を強いられたため、書への返答が遅れました。

心よりお詫び申し上げる。

わたくしが直接出向いたことで、ご理解賜りたく」


しかし、再び立ち上がり、勝頼を見据える。


梓「しかしながら、よしみをどう考える、とは……。

甚だ不本意な言われようと存じます」


その場の空気が変わる。


梓「我らは、これまで武田家のために力を尽くして参りました。

これからも、それは一切変わりませぬ」


勝頼は昌景に顔を向けた。


勝頼「昌景、遠慮はいらぬ。

申すが良い」


昌景「は!」


頼朝軍への憤慨と、主君の姫への愛情との間で、老将は戸惑っていた。


昌景「姫、僭越ながら申し上げる。

ご存知のように、蒲原と駿府は、信玄公存命の頃より武田家が多くの血を流しながら手にした地。

しかしながら、貴軍を助けるために出陣した結果、彼の地を失うこととなった」


言葉を紡ぎながら、武田家を思う老将・昌景の心も動き出す。


昌景「それを知りながら、こそこそと奪い取るとは……不信に思うのは当然のこと。

さらに我が軍に鉄砲を撃ちかけるとは、いかなる所存か」


一拍の沈黙が落ちた。


梓は、静かに昌景に顔を向けた。

そして、ふっと笑みを浮かべる。


梓「……爺も、耄碌したか」


陣幕の中の空気が、凍りついた。

武田の重臣たちは、すぐには梓の言葉を鵜呑みにできず、一瞬の沈黙があった。


しかし、すぐに梓の叔父・武田信豊が立ち上がる。


信豊「なんという言い草!

梓といえども、愚弄する発言は許さぬ」


梓「叔父上、誠のことを申したまで。

頼朝軍の使者である前に、武田の血を引く者として、情けない限り」


挿絵(By みてみん)


勝頼「控えよ、梓!

我が娘だから、皆が遠慮しておる。

わきまえよ!」


しかし、梓は再び笑った。

そして、昌景と信豊に近づく。


梓「武田とは、こんなものか。


奪われた地であれば、なぜ自ら奪い返さぬ。

しかも、奪われたことを、他人のせいにするとは。


……これが、今の武田家か。

信玄公に誇れるのか!」


信豊「それ以上は……許さぬ!」


信豊が刀を抜く。


そこに、仁科盛信が立ち塞がる。


盛信「兄上! 

見苦しいですぞ。

悔しいが、梓の申す通りじゃ!」


信豊「何を! この臆病者め!」


勝頼「やめよ!」


一喝する勝頼に、信豊も渋々後ろに下がった。

しかし、勝頼の顔も紅潮していた。


勝頼「よくぞ申した。

しかし、武田を離れた者に、何がわかる……!」


梓は再び跪く。

しかし、下を向いたまま、勝頼に言葉を向ける。


梓「耳にした言葉は、我らに押し付ける“筋”。

武田とは、自らの力で難局を切り開くもの。

そのように心得ておりました」


再び、顔を上げ、父に顔を向ける。


梓「違いますか……父上」


昌景と信豊に顔を向ける。


梓「蒲原と駿府を失ったのは、誠に我が軍のせいか?」


立ち上がり、ゆっくりと、足を前に出す。


梓「徳川が我が軍に進軍している隙に、岡崎を攻めたからではないのか。

無理に岡崎を落とし、引き返してきた徳川の全軍に包囲され、多くの兵を損ねたからであろう」


さらに、昌景と信豊に詰め寄る。


梓「我らが頼んだのは、国境までの出陣。

その先は、そなたらの失策。


それを我が軍のせいにするとは、呆れてものが言えぬ!」


勝頼「いい加減にせぬか、梓!

それ以上は許さぬ!」


勝頼が、刀の柄に手をかけた。

一瞬、その手が震える。


──しかし。


勝頼は、刀を抜いた。

武田家の当主として、もはや退路はなかった。


梓が来ている着物は、勝頼の父としての思いやりから与えられたもの。

刀はない。

その梓に刀を向ける。


しかし、梓は父の刀の前に足を進める。


梓「私を斬りますか?

頼朝軍と、戦う覚悟はございますか?」


父の刀の切っ先が、梓の胸の前に止まる。

切っ先と、梓の胸の間には、わずかな空間しかない。


梓は、それ以上、足を進めなかった。

しかし、退きもしなかった。


その空間に、父と娘の、声なき呼吸が通っていた。


挿絵(By みてみん)

お読みいただきありがとうございました。


梓の覚悟とは、いったい……。

そして、父は――娘の覚悟の先に、何を見るのか。


この後の展開も、お付き合いいただけたら幸いです。




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