45-4 鬼の免罪符
想いは言葉となり、心に届く。
それでも――
乗り越えられぬものがあり、
逃れられぬ哀しみがある。
朝廷と武家。
帝と武家の当主。
心を尽くした先に、
見えるものとは――
帝「これもまた、晴良から聞いたことじゃが――」
帝は、ゆっくりと言葉を置く。
帝「内大臣は、こう申しておったそうじゃな。
『自らは鬼。その鬼の力を、帝の薬とする』と」
一拍。
帝「……内大臣よ……
朝廷は、いや朕は、
その鬼が薬となるか、猛毒となるか――
いかにして見極めればよい」
帝の声は静かであった。
だが、その問いは、重く沈む。
帝「もし、邪なる鬼に宣旨を与えれば、
この国はどうなる。
……無力なる帝に、何ができようか」
■鬼の自覚
頼朝は、わずかに目を伏せたのち、静かに口を開いた。
頼朝「……某は、鬼にございます」
その声に、揺らぎはなかった。
頼朝「そして、この世に、正しき鬼など――
おそらくは、おりませぬ」
一拍。
頼朝「ですが、鬼は強うござる。
多くの罪を背負いながらも、
天下静謐への道筋だけは――
つけることができるやもしれませぬ」
言葉は静かだった。
だが、その奥にあるものは、重かった。
頼朝「そして、その“鬼の力”を――
この時代を生きる、正しき“人”へと渡すこと、
自らが振るうのではなく、
正しき者を見極め、その手に託すこと、
それこそが――」
頼朝は、わずかに息を整える。
頼朝「この古の罪人、鬼たる某が、
この時代へ呼ばれた意味……かと」
■義経
頼朝の声が、わずかに揺らぐ。
頼朝「……我が、愛しき弟・義経は」
一瞬、言葉が止まる。
頼朝「酷き兄を持ったがゆえに、
まことに不憫な弟にございます。
かつての鎌倉の世においては、
天下静謐という大義のもと――
いわば、生贄となり、非業の最期を遂げました」
静寂。
頼朝「そして今、この時代においても――
このわが罪を引き継ぎ、
再び“鬼”となる定めを背負わせております」
わずかに、指先が震える。
頼朝「……それでも」
頼朝は、ゆっくりと顔を上げた。
頼朝「この源頼朝と源義経という、
二人の“鬼の兄弟”は、
ただひたすらに、この日ノ本の静謐のみを目指し続ける、
そして、その罪は――
すべて、この身に引き受ける覚悟にございます」
一拍。
頼朝「……その鬼を」
頼朝の視線が、まっすぐに御簾の奥へ向けられる。
頼朝「万民のための力とできるのは――
帝、お一人にございます。
……どうか」
■帝の祈り
しばし、沈黙。
やがて帝は、ゆっくりと口を開いた。
帝「……内大臣よ」
その声は、変わらず穏やかであった。
帝「朕はな」
帝「この長き戦乱の世を、
ただ見つめ続けてきた」
帝「鬼どころか――
鬼畜と呼ぶべき者たちが、
この日ノ本に満ちる様をな」
一拍。
帝「何もできぬまま、
ただ祈ることしかできぬ存在」
帝「それが、帝というもの」
静かに続ける。
帝「もし、この朝廷が
ただ“免罪符を与えるだけの場”であるならば、
いっそ、無きものとした方が、
この国のためなのかもしれぬな」
その言葉には、重みがあった。
帝「……されど」
帝は、ゆっくりと言葉を重ねる。
帝「それを壊す資格も、
また朕には無い」
帝「二条晴良のように、
今なお必死にこの朝廷を支えようとする者がいる限り、
朕は――
祈り続けるほかない」
■免罪符
帝は、頼朝を見据えた。
帝「……しかし」
わずかに、空気が変わる。
帝「朕の前におる、その“鬼”――
そして、その“鬼の弟”であれば」
一拍。
帝「……免罪符を、与えてみてもよいのかもしれぬ」
静かに、しかし確かに。
帝「その鬼が、この朝廷を滅ぼすことになったとしても――
その責めは……すべて、この朕が負うこととしよう」
さらに、静かに続ける。
帝「……譲位は
その鬼たちに、“免罪符”を与えてからにするとしよう」
頼朝軍によって新造された清涼殿に、
秋を知らせる柔らかな風が吹き抜ける。
かつては威を示すための場所であったその空間は、
今は、二人の言葉を静かに受け止めていた。
■覚悟
帝「内大臣よ」
帝の声が、静かに響く。
帝「そなたも、覚悟を決めるがよい。
晴良が申しておったであろう、
この日ノ本を真に安んずるためには、
圧倒的な領土――力が要ると」
一拍。
帝「それこそが、そなたが“鬼”である証。
……不本意であろうが」
頼朝は、深く頭を下げた。
頼朝「……この頼朝は――」
声が、わずかに震える。
頼朝「主上の御心に触れることができ、
まことに、まことに……恐悦至極にございました。
主上が、一日も早く、
心より安らぎ、穏やかなる日々を過ごされますよう――
この頼朝、微力ながら……
この命の限り、励む覚悟にございます」
一拍。
頼朝「この命――
ここに使い尽くす所存にございます」
帝の言葉の一つ一つが、
頼朝の胸に深く沁みていた。
指先が、かすかに震える。
目頭に込み上げるものを、
必死に押し留めながら――
深く、深く頭を下げる。
そして。
万感の思いを胸に、
頼朝は静かに清涼殿を退出した。
■静かなる清涼殿
しばらくして、二条晴良が清涼殿へ参上した。
晴良「主上。内大臣とのご対面、いかがでございましたか」
帝「……あの内大臣の、心の内にあるものは」
一拍。
帝「朕よりも、遥かに深い悲しみやもしれぬな」
静かに続ける。
帝「己にも、この世にも、
もはや何の望みも持っておらぬようにも見えた――
そのようにも見えたが……
そなたはどう思うた、関白よ」
晴良は、わずかに目を伏せた。
晴良「……内大臣殿は、長くはございますまい」
静かに答える。
晴良「こうして主上に謁見できたこと自体、
幸運であったのやもしれませぬ」
帝「……そうか」
帝は、小さく頷いた。
帝「“弟の鬼”が、天下静謐を成す――と申しておったな。
……覚悟は、できておるのであろう」
一拍。
帝「関白よ」
帝の声が、わずかに強まる。
帝「朕は、今しばらく譲位はせぬこととした」
帝「まずは、あの鬼たちに――
“免罪符”、いや、惣無事令を用意せねばなるまい」
帝「……よいな」
晴良「ははっ。この晴良、謹んで御心に従いまする」
帝「……それとな、関白よ」
ふと、思い出したように言う。
帝「内裏や、この清涼殿が見事に改められたこと――
まことに嬉しゅう思うておる」
帝は、穏やかに続けた。
帝「話に夢中となり、
その礼を内大臣に伝え損ねてしもうた……
そなたから、よしなに伝えておいてくれ」
晴良「……主上は、この清涼殿をお気に召されましたか」
帝は、わずかに微笑んだ。
帝「そなたの話を聞き、
そして今日、内大臣と語り――
ますます、気に入った」
晴良「かしこまりました」
深く一礼する。
晴良は清涼殿を辞し、
新たに整えられた内裏の廊下を歩く。
その足取りには、安堵と、
そして言い知れぬ哀しみが、静かに入り混じっていた。
ふと、振り返る。
秋の光に包まれた清涼殿が、
静かにそこに在る。
秋の気配が、
廊下の奥へと流れていった。
お読みいただきありがとうございました。
帝と頼朝、それぞれの覚悟が交わる一幕となりました。
静かに語る者と、
戦場で刃を振るう者。
それぞれの想いが、やがて一つの流れへと繋がっていきます。
この後の展開も、お付き合いいただけましたら幸いです。




