カティラス侯爵家の夜会当日ー帰りの馬車の中
長めです。
帰りもロンバルトの家の馬車で送ってもらう。
馬車が動き出すと誰からともなくほっと息をついた。
「無事に終わったな」
「そうね、よかったわ」
兄とアナスタシアはとにかく無事に終わったとほっとしていた。
だがロンバルトは厳しい顔だ。
ヴィクトリアも浮かない表情だ。
どうしたのだろう?
「アナ、一緒に会場に戻ってきたのは誰だったのかしら?」
一瞬ヴィクトリアの質問がわからなかった。
だがすぐにお花摘みから帰ってきた時のことを言っているのだと気づいた。
散々一人にならないように、男と二人きりにならないようにと言われていたから心配をかけてしまったのだろう。
彼とは会場に戻ってすぐに別れた。
ロンバルトが迎えに来ているのが見えたから「大丈夫そうだね」と告げて。
そうでなければたぶん兄かロンバルトのところまで送り届けてくれただろう。
それでも恐らくはロンバルトと合流するまで近くで見守っていてくれたと思う。
妹を想う兄ならそれくらいはするだろう。
彼はアナスタシアに妹を重ねていたようだから。
「ファビアン・カティラス様、カティラス侯爵の次男の方よ」
「前からの知り合いかしら?」
「いえ、初めてお会いしたわ」
兄が何故かアナスタシアを静かな目で見てくる。
首を傾げれば、緩く首を振られる。
一体何なのだろう?
だが、首を振られたということは兄は何も話さないだろう。
アナスタシアは以前会ったことがあったかと記憶を探ろうとした。
だがその前に。
「アナ」
ヴィクトリアが厳しい声で呼びかけられた。
アナスタシアは兄のこともファビアン・カティラス侯爵令息のことも一旦置いておいてヴィクトリアに視線を戻した。
ヴィクトリアは厳しい顔をしている。
「アナ、知らない男性と二人きりになっては駄目だと言っておいたでしょう」
「お花摘みに行って、出てきたら誰もいなかったから一人で会場に戻ろうとしたら会ったのよ」
不可抗力だ。
「何でそうなるのかしら?」
「わからないわ。でもいつまでも突っ立っていたって仕方ないでしょう?」
「それはそうね」
そのところはヴィクトリアも同意見のようでほっとする。
「確かに変な奴に親切心を装って空き部屋に連れ込まれる恐れもあったな」
ロンバルトは腕を組んで理解を示す。
「そうでしょう! だから急いで戻ろうとしたのよ」
アナスタシアは悪くない。
むしろ急いで戻ったほうがいいと判断して会場に戻ろうとした。
きちんと判断して実行したのだ。
ちょっとだけ胸を張る。
「だがカティラス侯爵令息がそのようなことをしないとも言い切れないだろう?」
「あの三男の方のお兄様でもあるものね」
ここでユリウス・カティラス侯爵令息の評判の悪さが天秤を負のほうに傾けている。
ファビアン・カティラス侯爵令息はとても親切だったのだが。
これはカティラス家は大変だとの思いが一瞬だけ頭を過った。
「でもお二方は別の人間だわ。長男の方も真面目な方だったじゃない」
「それはそうだけど」
「そうだが、初対面だったんだろう? 危ないと思わなかったのか?」
ロンバルトの視線は厳しい。
アナスタシアにも言い分はある。
「だって主催者の家の人間よ? 下手なことはしないと思ったのよ。実際、紳士的に会場までエスコートしてくださったわ」
「まあ、余程の短絡者ではない限りは自家の夜会で騒ぎを起こしたりはしないだろうが」
そうでしょう、とアナスタシアも頷く。
だからこそエスコートを断らなかったのだ。
「だからと言ってな」
「じゃあどうすればよかったの?」
あの場でエスコートを断るのも失礼だ。
ロンバルトは腕を組む。
最適な対応を言えないのにアナスタシアだけ責められるのは理不尽だ。
「まあ、エスコートを受けるのは仕方ないか」
「結局そうなんじゃない」
「まあそうなんだが。アナの場合はな。単純に心配なんだ」
それはやはり経験値の低さからだろうか。
兄妹のような幼馴染みだから仕方ないのかもしれない。
「まあとにかく警戒心だけは持て」
「持っていたわ」
腕を組んだままのロンバルトに疑いの目を向けられる。
「本当よ?」
「まあそういうことにしておいてやる」
「本当なのに」
油断なんてしなかった。
確かにファビアン・カティラス侯爵令息の前では途中で緊張感は抜けてしまっていたけれど。
彼はアナスタシアに妹を重ねていたので大丈夫だろう。
会話を交わしているうちに気が緩んでしまった。
それは言わなくてもいい。
……言えばまた怒られるだろうし。
ただ、彼のことは信用できる、と何故か思えている。
どうしてそう思えるのか説明できないから言わないけど。
「でも、アナ、今回はよかったけど、本当に気をつけてね。親切の仮面をつけて騙そうとする人間はどこにでもいるのよ」
ヴィクトリアの言葉には神妙に頷いた。
「ファビアン・カティラス侯爵令息にも同じように言われたわね」
「……やっぱり危なっかしく見えたんだろうな」
「きっと一人で歩いていたからね」
「それもあるでしょうね」
ヴィクトリアがアナスタシアに同意してくれる。
ただ含みのある言い方だった。
「きっとまだまだ社交慣れしていない様子を見て注意してくださったのよ」
妹と重ねて見ていたようだとは言わなくていいことだろう。
タイプが違い過ぎるからきっと信じないだろうし。
アナスタシアだって人伝てに聞いたら信じなかっただろう。
「そうかもな」
溜め息混じりだ。
何故そんな態度かわからない。
自分の心配が伝わっていないとでも思ったのだろうか?
そんなことはない。
しっかりと伝わっている。
アナスタシアにだけ注意していても埒が明かないと思ったのか、ロンバルトの視線が兄に向く。
「セスランもあれだけ注意していたのに何故彼については注意しないんだ」
ロンバルトの叱責が兄にも飛んだ。
言われれば兄はファビアン・カティラス侯爵令息に対しては警戒していないように見える。
それは確かに不思議なことだとアナスタシアも気づく。
問題なく過ごせたことでほっとしていて今まで気づかなかった。
アナスタシアたち三人の視線が兄に集まる。
「彼は、大丈夫だ。アナの害にはならない」
何故か兄はきっぱりと言う。
三人できょとんとしてしまう。
何故そこまできっぱりと言い切れるのだろう?
考えられるとするならば。
「お兄様はお知り合いですか?」
「知人、とは呼べるほどではないがそれなりに面識はある」
「家としての付き合いはないのにか?」
ロンバルトは不思議に思ったようだ。
個人的なものなら学園か職場かでできるかもしれないのに。
ファビアン・カティラス侯爵令息が学園に通う時期が重なっていたかは知らないが。
そもそも彼が何歳なのかも知らない。
「彼は王城の図書館に勤めているからな。話す機会もあるということだ」
なるほどとアナスタシアは納得した。
だが、ロンバルトは訝しげな顔だ。
兄はロンバルトに軽く首を傾げてみせた。
ロンバルトははぁと溜め息をつく。
「それでアナはファビアン・カティラス様とどのような話をしたの?」
ヴィクトリアに訊かれ、アナスタシアの意識はヴィクトリアとの話に移る。
ヴィクトリアがうまくアナスタシアの意識をそらしている間にセスランはこそりとロンバルトに囁く。
「彼は古参の"会"のメンバーだ」
「あー、なるほどな」
頷いたロンバルトは遠い目になる。
気づいたアナスタシアがロンバルトに声をかける。
「どうかした?」
じっとロンバルトがアナスタシアを見てくる。
「な、何よ?」
口を開きかけたロンバルトだったが、すぐに緩く首を振る。
「いや」
そんな態度は逆に気になる。
じとっとした目で見てもロンバルトは頑として口を開かない。
むむっとしたアナスタシアを止めたのはヴィクトリアだ。
「アナ、殿方には殿方の秘密の話というのがあるのよ。詮索するものではないわ」
いつものあれだ。
マティスとロンバルトがやっているやつ。
アナスタシアが入れないもの。
それを今回は兄とロンバルトがやっているだけの話だ。
それをいくら寂しく思ったとしてもどうにもならない。
今回はヴィクトリアという仲間がいるだけましだ。
「そうね」
アナスタシアは物わかりいいふりをして頷いた。
読んでいただき、ありがとうございました。




