81話 鏡の向こうは楽園なのか
地下聖堂から地上へ戻る時。
そこにまだピスピナがいる可能性を考慮し、俺は最大限の警戒をしていた。
だがやはりと言うべきか。
魔人の姿はすでにそこにはなかった。
目的は達せられたということだろう。
そして、俺ごときには興味はないと。
そのことに歯噛みするが、今はどうすることも出来ない。
銀髪やノルディーと同じく、いずれ必ず殺すリストにピスピナの名を書き加え、俺達はラウニスの執務室へと向かった。
以前訪れた時と代わり映えなく、飾り気のない質素な部屋。
そこに入るなり、唐突にラウニスが土下座をして謝りだした。
「操られていたとはいえ、私はとんでもないことを……っ! 申し訳ありませんリク様っ!」
怒りが向かないわけではない。
だが分かっているのだ。
普通の人間が、上級魔人の魔技に抗うことなど不可能であると。
それに、どんなに謝られようと。
どんなに俺が怒りを撒き散らそうと。
決してあの親友が、戻って来ることはない。
ゆえにラウニスの後頭部を一瞥するに留め、俺はどっかりとソファに腰を下ろした。
「いいから座れ。話すべきことがあるだろう」
その声を聞き、若い男女は安堵した顔で俺の対面へと腰を下ろした。
当のラウニスも、つられるようによろよろと立ち上がる。
もちろん許されたわけではないし、自分自身を許すことも出来てはいない。
そう表情には出ていたが、話をするためにと、ゆっくりとソファへ腰を落ち着けるのであった。
それを確認し、俺は静かに話しを始める。
「スー子がウンディーネだというのは間違いないんだな?」
再三の確認になるが、これが真実だという確信が俺にもあった。
水と癒しを司るという精霊ウンディーネ。
確かにスー子は水の身体であったし、癒しといえる回復能力も持っていた。
そして魔人族に狙われたというのが、なによりの証拠となるだろう。
ただ一つ分からないのは、なぜスー子は俺が住んでいた村の近くにいたのかである。
水の精霊であるならば、そのいるべき場所は水の精霊殿。
そしてそれは、バゼルナッシュリアの南にある湖。
あそこに突如浮き出たという、廃神殿であるべきなのだ。
「枢機卿……いえ、あの魔人が言っておりましたので、間違いないかと」
「あの女は他に何か言っていたか?」
その問いにラウニスはこめかみを押さえつつ、必死に思い出そうとしている。
彼には操られていた時の記憶が残っているのだろう。
しかしそれが、今の彼を苦しめているようである。
顔を苦悶に歪ませ、それでも思い出そうとすることを止めないラウニス。
それは、まるで懺悔のようであった。
「……丁度移り変わる時期だった。……間が悪かった。……今度こそ逃がさない」
口から漏れ出るように、恐らくピスピナが言ったであろう言葉が語られる。
その意味までは分からないが、無理やり解釈するとこうだろうか?
『一度は殺したものの、間が悪く移り変わる時期だったため逃げられた』
ふむ。
そうであれば、ある程度の説明はつくか。
アシェイラの話によれば、水の精霊殿にもリーン四精教の信者が視察に行っている。
それも今回のように、ピスピナに操られた者達なのだろう。
そこでウンディーネを発見して始末させたが、移り変わる時期だったために逃げられた。
その移り変わったというのが、俺の良く知るスー子の身体なのかもしれない。
そうしてなんとか逃げおおせ、俺の村まで辿り着いていたということか。
移り変わるの解釈は無理やりな気もするが、意外と的を射ているかもな。
「私はあの方が水の精霊様だと知っていたのです……。なのに頭の中はピスピナ様に褒めて頂きたい。見て頂きたいと、そんな下劣な思いに捕らわれていて……っ!」
顔を手で覆い、またも嗚咽を漏らし始めたラウニス。
彼が今日のことを忘れることはあるまい。
一生その十字架を背負って生きていかねばならないのだ。
そう考えると怒りは霧散し、同情すら覚えた。
そんなラウニスを横から慰めつつ、今度は若い男が口を開く。
ラウニスを殺そうとしていた俺。
その間に入り、必死に阻んだあの男である。
「アシェイリスの大使リクさんですよね? 僕の自己紹介をしてもよろしいでしょうか?」
隣の女にならば興味があるが、正直男には興味ない。
とはいえこの男が止めなければ、俺は今回の真相に辿り着くことが出来なかっただろう。
スー子の本当の仇。
ピスピナという上級魔人に。
だから、その感謝も込めて先を促させる。
男は謝礼を述べてから背筋を伸ばし、そして名乗った。
聞いてしまったら引き返せなくなる、その名前を。
「僕の名はガーゼルト・ディックス。ここイェト国の第一王子です」
「なんだと? しかし王子は失踪しているのではなかったか?」
顔を伏せて泣き続けるラウニスを睨みつけ、俺は疑問を投げかけた。
彼はあの時言っていた筈だ。
王子が行方不明なので、イェト王との謁見は難しいと。
あぁそういえばこうも言っていたな。
どうやら駆け落ちのようだと。
ならば隣にいる美女が、そのお相手なのだろう。
「失踪していますよ。先日父上にだけは書簡を送りましたが、僕の扱いは変わらず失踪ということになっている筈です」
「なぜ隠れ続けているのだ?」
「書簡にも記しましたが、僕が姿を現すと非常に困った立場に追いやられるんですよ。この国は」
謁見した時のイェト王の顔が思い浮かぶ。
病的ともいえるほどにやつれ、深く思い悩んでいたイェト王。
その原因は戦争で疲弊した国を憂いてもあるだろうが、この王子が送った書簡。
その内容にこそあるのではないだろうかと、俺は感じた。
そして次の王子の言葉で、俺までもが非常に困った立場に追いやられてしまったのだ。
「リクさん。僕と彼女を、貴方の国へ連れていってくれませんか?」
「なにゆえだ?」
「亡命です」
……。
翌日の早朝。
日の出るよりも早く、俺達はイェト国を出発していた。
俺達というのは、俺と若い男女。
それにラウニスまで合わせて合計四人である。
ラウニスのことは良い。
水の精霊を殺したということで、彼は教団内での立場を失った筈だ。
いやそればかりか、このままでは異端審問にかけられて殺されかねない。
彼は是非もなしと言っていたが、俺は無理やりにでもラウニスを連れて行くことにした。
だが若い男女。
こちらは亡命と穏やかではない。
それはアシェイリスに火種を持ち込むことにしかならないし、初めは拒否するつもりであった。
しかし話を聞くうちに、実に面白いことが判明したのだ。
その内容は確かにイェト王を悩ませるだろうし、ひいては北方連合。
それ自体を瓦解させかねない内容だったのである。
かくして俺達は一路アシェイリスへ向けて走り出したのだが、ノーグ大森林の目前で手鏡が反応した。
瞬間的に、俺の身体が硬くなる。
前回これが反応した時は、アシェイラからの凶報であった。
それを思い出し、恐る恐る俺は懐に手を伸ばす。
「こちらはリクだ。何かあったのか?」
「リク様! ご無事でしたか!」
応じたのはアシェイラだった。
どうやらベラルーの見込み通りに快方したようで、まずは安心する。
「心配したぞアシェイラ。もう良いんだな?」
「はい。おかげ様で起き上がることが出来るようになりました。ご心配をお掛け致しました」
そう答える声には嬉しさが滲んでいたが、すぐにまた固さを取り戻す。
「それで、そちらはどうなのですか? スー子様は」
「……間に合わなかった」
ハッと息を飲む音が聞こえた。
だから、スー子を目の前で攫われた不甲斐なさ。
果たすことの出来なかった責任を感じ、アシェイラは自分を責めるだろう。
そう思って、俺は彼女を慰める言葉を探す。
だが、返ってきた言葉は予想外のものだった。
「やはりそうですか。ではきっと――は――なのでしょう」
「すまないアシェイラ。少し聞き取れなかったのでもう一度言ってくれるか?」
「あ、はい。初めはどういうことなのか分からなかったのですが、――はきっと――ということなのかもしれません」
やはり聞き取れない。
これは距離があるからとかではなく、恐らくこの手鏡の性質。
事実しか伝えられないということが原因だと思い当たった。
だがアシェイラが嘘をつこうとしているわけではないだろう。
ただ彼女が俺に伝えようとしている考えは、事実とは異なっているのだ。
だから俺は、彼女に見えているものをそのまま言葉にしろと伝えた。
「分かりました。えぇとですね……。年端もいかない小さな女の子の身体を、ラキュア様のツタがまさぐっております」
「なにッ!?」
「ラキュア様はニヤニヤと笑みを浮かべ、少女はくすぐったそうに。時に顔を赤らめてツタを受け入れています」
「どういう状況だッ!?」
さっぱり分からんっ!!
だがただごとではない。
鏡の向こうで繰り広げられている酒池肉――異常事態。
早くその現場を確かめねばと、俺はケルピーを飛ばすのであった。




