35話 振り向けば桃源郷
明るい時間には美しいだけだった森も、夜の帳が下りた今では不気味な気配を漂わせている。
湖の側。
焚き火を囲んでいた俺たちの視線が、その森へと注がれた。
――蠢いている。
闇の中で、時折こちらの様子を見ている黒い影が。
猪の骨をしゃぶっていたヴェルティが立ち上がった。
夜目の効く彼女には、魔物の姿が見えているのだろう。
「何がいるか見えるか?」
なので、俺は魔物の正体を尋ねてみる。
口についた食べカスをペロリと舐め、ヴェルティが答えた。
「狼系の魔物がいっぱい。あとは蝙蝠っぽいのが飛んでるニャ」
この辺りで狼系といえばロックウルフだろう。
狼の俊敏さに加え、背中を岩のように硬い毛で覆っている魔物だ。
力も防御力も素早さも。
平均的に高い能力を持った魔物なので、なるべくなら従者に加えたい。
だが蝙蝠っぽいものというのが分からない。
もっと東の方ならブラッディーバットという吸血蝙蝠が棲息しているが、ここは生息域から外れている。
さてどうするかと思案していると、グルルルと唸る声が近付き茂みのすぐ向こうまで迫ってきた。
考え事はここまでのようである。
「ラキュアはロックウルフの捕獲。適度に捕らえて俺のところへ連れて来い。
数が多そうなので、ヴェルティはあぶれた奴の始末だ」
「蝙蝠はどうするニャ?」
「襲ってくるなら迎撃。来ないなら捨て置け」
「りょうかぁい」
二人は頷き、サッと闇の中へと駆けて行く。
こういう細かい指示を出すのに、モン娘というのは非常に便利だ。
通常の魔物では、単純な指示しか聞いてくれないからな。
「私はどうすれば?」
取り残されたアシェイラが剣を構えていた。
モン娘より通常の魔物の方が怖くないらしい。
特に気負うこともなく、堂々と森を睨んでいる。
「そこにいろ。あの二人は優秀だ。お前の出番はないだろうさ」
と褒めてやった側から、ロックウルフが一匹こちらへ抜け出してきた。
「そっちいったニャ!」
「お前明日飯抜き!」
部下の失態を咎めつつ、俺は飛び掛ってくるロックウルフから視線を外さない。
ガフガフと涎を撒き散らし、一直線に俺へと向かってくる。
俺との実力差が分かっていないとは、野性の勘が鈍っているんじゃないのか?
ニヤリと笑う俺に、小馬鹿にされたと感じたのか。
目を血走らせたロックウルフが、俺の首元目掛けて飛び掛ってきた。
その首根っ子を捕まえて服従させようと、俺が手を伸ばし――。
「せやっ!」
横から割り込んだアシェイラの剣撃に邪魔された。
彼女の剣は思っていた通り鈍く、ロックウルフの背中に直撃したもののダメージを与えられていない。
ただ吹き飛ばす程度には力があったようで、体勢を崩されたロックウルフは地面を転がっていた。
「大丈夫ですか? リク様」
「大丈夫もなにも邪魔するなよ」
「……え?」
庇ったつもりなのだろうが、邪魔にしかなってない。
俺の監視兼護衛だから職務に忠実といえばそうなのだろうが。
だが、邪魔と断じられて呆けているアシェイラ。
その背後に凶牙が迫っていた。
――チッ!
彼女を突き飛ばす。
瞬間、俺の右腕にロックウルフの牙が突きたてられた。
「な……ッ!?」
急に押されて踏鞴を踏んだアシェイラ。
その瞳は、俺に噛み付いたロックウルフを見て驚愕していた。
青冷めていると言ってもいいほどに。
だから
「心配すんな」
そう言って、俺は噛み付かれた右腕に力を込める。
するとギュッと筋細胞が収縮し、ロックウルフがもがき始めた。
牙が抜けなくなったのである。
「よしよし、頑張ったな。もう死ね」
そのままロックウルフごと右腕を振り上げ、思いっきり地面へと叩きつけた。
口が開けば断末魔の一つもあげたのかもしれないが、実際はそんなこともなく、ただグシャッと狼の体が爆ぜた。
腕についていた顔面だけは無事だったが、首から下が潰したトマトのようになったロックウルフ。
それを見て、アシェイラは呆然としていた。
「てわけだ。だから俺の後ろにいろ」
そう言いながら狼の頭を腕から外す俺を見て、アシェイラはコクコクと頷いていた。
森を見れば、二人はまだ戻ってこない。
戦闘の音も継続していることから、思っていたより数が多いようだ。
すると、ツタに雁字搦めにされたロックウルフが数匹。
スルスルとこちらに向かってくる。
ラキュアの仕業だろう。
動けなくしたから服従させろということだ。
俺は一匹ずつ近付いては、その首元に剣をあてる。
そしてペンダントを取り出し、選択を迫った。
「服従か死か。選べ」
いつもの動作である。
それで、ほとんどのロックウルフは無事ペンダントへと収納されていった。
煙のように立ち消える狼の群れを見て、アシェイラが訊ねてくる。
「それは何をしているのですか?」
あらかたロックウルフを収納し終え、森へと戻っていくツタを見ながら、俺はアシェイラに答えた。
「知ってるだろ? 俺は魔物使いだからな。
こうやって、使えそうな魔物を配下にしてるんだ」
なるほどと頷いている彼女は、あまり魔物使いという職に詳しくないのだろう。
本来なら捕まえた後で調教が必要だし、こんなに何匹も同時に捕まえたりはしない。
まぁそんなことは言わなくても良いことだ。
彼女は見たこと聞いたことを上層部に報告するだろうし、余計な情報まで喋る必要はない。
次々に送られてくるロックウルフ。
それを片っ端からペンダントに放り込み、それが二十匹を超えたころだろうか。
ラキュアのツタがロックウルフを送ってこなくなったのは。
「そろそろ片付け終わったか」
戦闘の音もしなくなっている。
ヴェルティの方も、あぶれた獲物を始末し終えたのだろう。
――しかし。
一向に二人が戻ってくる様子がない。
まさかやられたとも思えないが、どうしたというのか。
もう少し待って戻ってこないようなら『ハウス』しようと、そう思い始めた時。
森の中から一斉に蝙蝠が飛び立った。
かなりの大群である。
一瞬俺とアシェイラは警戒の色を強めたが、蝙蝠達は襲ってこない。
たまに一匹二匹が向かってきたが、手で払うだけであっけなく死んだ。
戦闘力は皆無のようである。
「いったいなんなんだよ」
周りを取り囲むような蝙蝠の群れ。
視界いっぱいが黒に染まり、困惑する俺。
だが更に困惑させる言葉を、背後のアシェイラが言った。
「リク様……ご慈悲を頂けませんか?」
「は?」
場違いな台詞に耳を疑い、振り返った先。
アシェイラは防具を外し、その下の衣服に手を伸ばしながら、蕩けた視線でこちらを見ていた。
頂けませんかと言われたならば、差し上げるのが世の情けである。
というか、断れる男など存在しない!
そう断じられるほど、半裸になってしなを作る彼女は魅力的だ。
その指が艶かしく下着の肩紐を外し、形の良い乳房が露になった。
そして酩酊しているようにフラフラと近付いてくる。
身長に差があるため、抱きしめられると俺の顔は美乳に埋もれた。
ふよんという感触。
それだけで天へと昇れそうだ。
圧倒的至福である。
「リク様……」
頭上から暖かな吐息が降ってきた。
俺は目線を合わせようと、アシェイラの肩を掴んで屈ませる。
「アシェイラ」
蕩けきった視線とぶつかった。
普段は凛とした武人である彼女。
それをこういう状態にするのは、男の醍醐味というものだ。
――俺の手でこういう状態にしたのならば、だがな!
ゴツンッ!
顔の位置が同じになった瞬間、俺の頭突きがアシェイラに見舞われる。
グルンと彼女の瞳が裏返り、そのままクタっともたれ掛かってきた。
「据え膳とはいえ、お前を傷物にするわけにはいかん。舌を噛んで死なれては困るからな。くそっ!」
そのまま地面に寝かせ、俺は振り返る。
先ほどまでいた大量の蝙蝠は姿を消し、代わりに背中から蝙蝠の羽を生やした美女の集団がそこにはいた。
必要以上に色気を振りまいたそれらが、俺を舐めまわすように見つめている。
その中に、ラキュアとヴェルティの姿も視認。
あいつ等も精神を惑わされてしまったようである。
「半裸の美女に誘われたのに抱けない苦しみ……。お前達にぶつけさせてもらうぞっ!」
桃源郷のような景色の中。
戦闘態勢を整えたマイサンを猛らせ、俺は衣服を脱ぎ捨てた。




