21話 不穏な気配
何言ってくれちゃってんだこの馬鹿猫はッ!
空気読めよッ!
室内に満たされた緊張感がイスリアから放たれた殺気だと思い、俺はヴェルティの不用意な発言を咎めようとした。
――だが違った。
「この気配は?」
先に気付いたのはイスリアだった。
その言葉に俺も感覚を研ぎ澄ませる。
異様な気配。
まるで自分の心臓を鷲掴みにされているような、そんな息苦しさを感じた。
その出所は……。
「ソボ火山の方からだな。しかし、なんだこの感じは」
空気がドロリと重い。
まるで水中にいるようだ。
だが正体不明のプレッシャーを感じている俺やイスリアとは対照的に、ヴェルティとラキュアは平然としている。
いや、むしろ元気になっているくらいである。
「分かるか?」
なんとなく、ラキュアなら何か知っているんじゃないかと思って聞いてみた。
未だ全裸の妖女は、目を細めて窓の外を見つめている。
「近付いた……いえ、薄くなったのかしらねぇ」
「なにがだ?」
その問いには答えてくれない。
変わらずにソボ火山を見つめ続ける瞳に、薄っすらと喜びが見て取れる。
やはり彼女は何か知っている。いや気付いている。
しかしはっきりとは分からないし、俺に言うつもりもない。
そういうことなのだろう。
数分後。
場を覆っていた気持ちの悪さは、スーッと何事もなかったかのように掻き消えていた。
ようやく人心地ついたかのように、イスリアが細い息を吐き出す。
「今のはいったいなんだったのかしら……」
言いながら、彼女の瞳は戸惑いに揺れていた。
もはや抱くだの抱かれるだの、そういった雰囲気とはかけ離れてしまった室内。
マイサンも縮こまってしまっているので今日のところは諦めるかと、そう俺が思い始めた時だった。
イスリアが浴衣の上に薄手のプレートを装着し、剣を手に持ったのは。
何をしているんだと俺が問いかける前に、イスリアはスッと立ち上がった。
「町の様子を見に行くわ」
「今のがなんだったのか、イスリアは分かるのか?」
彼女は口を引き結んで頭を振る。
もうすっかり乾いた髪が、サラサラと揺れた。
「でも良くないものなのは間違いないわ。何か異変が起こっているかもしれないから、私行かなきゃ」
そう言って部屋を飛び出そうとする手を、俺は慌てて掴んだ。
「俺も行く。何が起こるか分からないなら、人は多いほうが良いだろう?」
もちろん方便である。
今日イスリアを抱くことは諦めたが、今一人で彼女を行かせてしまったらもう会えないかもしれないのだ。
せめて連絡先を聞くまでは、イスリアから離れるつもりはないぞ?
もっとも、本当に危険があるかもしれないと思っているのも事実。
その気遣いを視線から感じたのか、イスリアは硬くなっていた表情を僅かに緩めた。
「ありがとう。心強いわ」
向けられた信頼にコクリと頷く。
「では準備してくるから少し待っててくれ。イスリアも、もう少しちゃんとした準備をしたほうがいい」
何が起きたのかは不明だが、その発生源はソボ火山だと俺は当たりをつけていたのだ。
すでに暗くなった山道を行くのに、浴衣からプレートを付けただけというのは心もとない。
そう指摘すると、イスリアも同意したのだった。
一度自室に戻ると、引き戸を開いた瞬間ムワッとアンモニアの臭いが漂った。
「おいヴェルティ。掃除したんじゃなかったのか?」
「したニャ。でも臭いまでは……」
やれやれと頭を掻く。
そう言えば、臭いを感じるという事はその分子が自分の鼻腔に入ってきているからだと聞いたことがあるな。
つまり今、俺はヴェルティのおしっこを鼻から注入されているようなものだ。
とんだマニアックプレイである。
さすがに前世でもそんな変態行為に及んだことはない。
いや、スライムと合体するなんてことも前世では経験ないか。
今生の俺の変態度は、今や天井知らずだ。
さすが俺である。
まぁいいかと気を取り直し、着替えながら二人に聞くべきことを思い出した。
そうだ、聞かねばならない。
俺が大人の階段を登り損ねた理由を。
「枕投げはまぁ許してやる。この町に着いてから、なんか浮かれてたのは知ってたしな」
俺が彼女達を外に出していた理由は二つだ。
一つは、情報収集をするのに手分けをしたほうが良いという当たり前の判断。
そしてもう一つは、モン娘という異質の存在が町にいることを知らしめることで、グジャ軍。ひいては銀髪が出てくるのではないかと期待したからである。
だがその思惑はどっちも外れてしまい、二人を遊ばせるだけの結果となってしまった。
解き放たれた瞬間、まずは温泉地の雰囲気に感動し、次に浴衣を買いに走る。
その後も、情報収集そっちのけで観光し、最後には旅行の代名詞とも言える枕投げに興じていたという訳である。
今更そのことを咎めるつもりは毛頭ない。
普段からこき使っている二人だ。
良い上司である俺は、たまには羽を伸ばさせてやるくらいの器量はあるのだ。
だがそれとこれとは別だろう。
コイツらが出てこれるのは、ヴェルティ曰く『力の強まる時間帯』だけ。
ようするに真夜中過ぎくらいに限定されていた筈なのである。
それが気ままに出てこれるとなれば、俺としても色々警戒しなければならない。
なので、それだけはどうしても確認する必要があるのだ。
「どうやって出てきた? それとも最初からいつでも出られたのに、俺を騙していたのか?」
その可能性は薄いと思っている。
そうでなければ、当初のラキュアは遠慮せずに俺を服従させようとしていた筈だし、出てこれるかとヴェルティで試した時の、彼女の態度が演技だったとは思えない。
そんな器用なことが出来る奴でもないしな。
だがあえてそう聞くことで、お前達を疑っているぞというポーズを見せるのだ。
付き合いも長くなりある程度信頼関係を築いている今であれば、彼女達はその疑いを晴らすために真実を口にする筈だ。
その思惑を読み取ったのか、ピンク色に見えるため息を吐き出しラキュアが答える。
彼女の瞳には、少し悲しさが宿っている気がした。
「私達にも分からないわぁ。ただ急に力が湧いた気がして、試してみたら出られたってだけよ」
横にいたヴェルティも頷いて同意を示す。
スー子を見れば、こちらは何も感じていなそうだ。
ということは、モン娘だけに影響のある何かがあった……?
先ほどの、正体不明の気持ち悪さを思い出した。
関係があるのだろうか?
タイミング的にも、その性質的にも、無関係ではない気がする。
イスリアを見失わないためだけに、面倒だと思いつつも同道することにした原因の調査。
ひょっとしたら、俺にとっても重要なことになるかもしれない。
気を引き締めなおし、腰に剣を差す。
「行くか」
そう言って俺達は部屋を出発した。
枕で破壊され、風通しの良くなった部屋からはすでに真っ暗な夜空。
その中で、不気味に赤く光るソボ火山が見えていた。




