トレンチ30 解呪の先に
ユエの視線の先に立っていたのは、黒いローブを身にまといフードを目深にかぶり、髑髏モチーフの杖を手にしているといういかにも黒魔導士然としたホウトウの姿なのであった。そのホウトウは、フードの奥で目を光らせた。
「なんじゃあ、お前たち、何をごちゃごちゃやっておるのだ」
「それはこっちのセリフ。じいちゃん、何しに来たの?」
「あいさつな奴っちゃ。わしの作った距離測定器の様子を見にきてやったんだぞ」
良平は頭を下げた。
「その節は本当に」
ギで見た距離測定器は、魔法使いが閃光魔法を放ち、それを鏡で反射してやることによって距離を算出するというものだった。しかし、このやり方は熟練した魔法使いが必要になってしまい、そのほとんどが戦争に駆り出されてしまっているショクには向かない。そんなギの測定器に魔法使いを不要にしたのがあのホウトウだ。ボタンを押すだけで、測定器から閃光魔法が飛び出して鏡にぶつかるという現実世界にある測定器とあまり変わらないものを作ってきた。
頭を下げる良平を一瞥して、ホウトウはふんと鼻を鳴らした。
「で、何をしておるのじゃ」
「そ、それが」
「む? なんじゃこの瘴気は」
顔をしかめたホウトウは、老人とは思えない軽い身のこなしで発掘現場まで降り立った。そして、髑髏の杖を振り回しながら良平たちの目の前の扉にまで近づいてきた。
「おやおや、これはまあなんとも」
「ご存じなんですか、この扉」
「開けんでよかったな、若造。コイツはとてつもない禁呪法だぞ」
「禁呪、ですか? どういった類の」
「そうさなあ……」まじまじとマンホールのような扉を眺めながらホウトウは楽しげに頬をゆがめる。「ここから半径百キュビットの生きとし生けるものをすべて冥府に引きずり込むくらいの力はあるぞい」
「え……。嘘ですよね」
「嘘ついてどうする」
さっきまで緩んでいたホウトウの顔には緊張感が滲んでいる。
良平はホウトウに聞く。
「この扉を開けたいんですけど、手はないでしょうか」
「半径百キュビットあまりを死の大地にすれば開くんではないかな」
「いや、そうしないで開く方法です」
「なくはない、かのう」
「あるんですか? 教えてください」
「どうしようかのう……?」
いやらしく笑みを浮かべるホウトウ。この瞬間良平は悟った。この爺さん、値踏みモードに入ってやがる……、と。しかし、値踏みも何もこちらにはあまり金はないし交渉しようにもこの爺さん自身が狷介過ぎてどうしようも……。そう戸惑っていると、バショクが前に進み出た。
「ご老人」
「ホウトウじゃ」
「ではホウトウさん、この禁呪は死の魔法ですよね」
「ああ。そうだが? なぜわかった」
「体質でわかるんです。残留魔力で」
「正確にはそれは残留魔力ではなく、漏出魔力だろうよ。しかし、便利な体質じゃな」
「そうでしょうか」
「ああ。なるほど……、禁呪の扉を開けずに済んだのはこの男のおかげということか……」
ホウトウはしばし腕を組んで空を見上げていた。しかし、思うところがあったのか、ホウトウはくくと笑って禁呪の扉の前にどっかりと腰を下ろした。
「おい、若造、見ておけ」
「え?」
困惑するバショク。けれどホウトウはそんなバショクを尻目に、禁呪の扉に手を伸ばした。そしてそのまま扉を開くかと思いきや、魔法力で指先を白く光らせて表面を何度か撫でる。すると、扉から一条の光が上がり、まるでパソコンのウィンドウのような四角い光が立ち現われた。
「解呪とは、結局は罠の解除と同じことよ。しかし、普通の罠と違うのが、物理的な機構に頼っているのではなく、その機構のいくつかを魔法で代用しているだけのこと。すなわち、解呪とはその罠を作った人間を理解することであり、またその人間との知恵比べでもある。それを心得べし」
「こ、心得べしと言われても」
と、ホウトウの前に立ち現われた光のウインドウには様々な文字が並んだ。これはまるで現実世界のC言語のようだ。こちらの世界の言葉を翻訳できるはずなのに、良平がそれを見てもさっぱり理解できない。それはきっと、普通の語学ではどうしようもないまったく別の語学がそこにあるということだろう。そのウィンドウをなぞるホウトウは、指先でその表面を何度も叩いている。その操作はスマホを扱う仕草によく似ている。
「何、難しいことではないさ。が、コツがいる」
「コツ?」
「おうとも。仲間をむざむざ殺したくないと願うこと。それだけよ」
「それだけ?」
「ああ。技術などいくらでも身につくわい。むしろ、解呪に必要なのはそれ以前のこと。どこかに危険が潜んでいるかもしれないと疑い続ける精神なのだよ」
「そ、それは……」
まるでエンジニアのブラインドタッチのごとく目の前のウインドウに指をかざすホウトウ。そのたびに画面が更新されていき、文字が上から下へと流れていく。そうして格闘すること暫くして、ぴー、という間抜けた音が辺りに響いた。
「さて、と。これで終わりじゃ」
「も、もう!?」
「覚えておけ、若造」ホウトウはバショクを睨むように見据えた。「呪法は外から設定するものだ。たとえば封の為された本であれば、その外側から魔力をかけてやることになる。扉の呪法も同じこと。錠をかけて密室にしてから、その密室の外でかけるものなのだ。ということは、どこかしらに呪法を解くカギがある。その気配を捉えることが肝要」
「は、はあ……」
「わからぬなら、これを貸す。覚えるがいい」
ホウトウは懐から新書サイズの本を取り出し、無造作にバショクに投げ渡した。その本の背はすっかり垢じみており、その縁にはところどころ亀裂が走っている。そんな小汚い背表紙には、『呪法 その起源と格闘』というタイトルが書かれている。
「うはは、ではな」
なぜか嬉しそうに笑うホウトウは、発掘現場を後にしていった。
「まるで嵐みたいな人ですよね」
良平がそう言えば、
「ああまったくだ」
と呆れ気味にユエが返す。
しかしバショクだけは、肩を震わせていた。どうしたんです? そう聞くと、バショクは興奮気味に鼻を鳴らした。
「あの方は一体……? 私も多少解呪はできますが、あんなに速くできる人を知らない」
ユエが答える。
「ああ、あれはホウトウ。いや、“フェニックスの雛”と言ったほうが通りがいいか」
「え? “フェニックスの雛”? あの方が、あの伝説の!?」
バショクの反応が明らかに変わった。目を白黒させて顎をがこんと開き、しかも震わせている。
「え? ホウトウさんってそんな有名な人なんですか」
「そ、そりゃもう!」
さっきまで事情を知らなかったバショクが言うには――。
かつてブレインガルドには、スイキョウという人相見の名人がいたという。ブレインガルド内を国境の別なく歩き回り、これはと思う人物に声をかけ、“君はこれに向いているからこういう道に進むとよい、どこどこにこの道に優れた○○先生という方がいるから、興味があれば門を叩いてみるといい、きっと君の道が大きく開ける”と進路指導をして去っていく。この人の凄いところは、まるで物乞い同然の青年にも等しく声をかけ、しかるべき道へと誘っているところだというが――。そのスイキョウは、権力者への推挙というものを好まなかった。のちの歴史家が言うところによれば『スイキョウは権力を嫌う』ということらしいが実際のところはわからない。しかしそんなスイキョウも、この戦乱の時代に権力と無関係ではいられなかったようだ。ある日、ショクの王様に呼び出され、有為の人物はおらぬものかと伺候された。その際、スイキョウが答えたのが――。
「『ショクに“フェニックスの雛”あり。また、“世に隠れたるドラゴン”が現れることでしょう』とお述べになったそうです」
「もしかして、そのスイキョウさんが推したのが」
「そう、“フェニックスの雛”であるところのホウトウ氏です」
熱っぽく語るバショクをよそに、ユエは苦々しくため息をついた。
「なのだが、あの性格だろう? 宮仕えなど到底できなくてな。確かに魔法の才覚自体はショク随一だが、いかにせんあの人をうまく操縦できる人間がおらなんだ。そんなわけですぐに首になって今では隠遁生活だ」
「で、もう一人の……“世に隠れたるドラゴン”というのは?」
「それがわからんのだ」ユエは物憂げにため息をついた。「スイキョウは決して怪力乱神を語る人間ではなかったそうだ。しかし、この“世に隠れたるドラゴン”についてはずっと奇妙なことを言い続けた」
「ええ、スイキョウ曰く、『この人物は未来に現れ、必ずやショクを導いてくれることでしょう』とのことです。けれど、未だに現れません」
「ま、王様に呼ばれて窮したスイキョウの出まかせという見方もあるからな。……話が長くなったな。問題は――」
ユエは、ある一点に視線を集中させた。
もちろん、それはさきほどまで呪法によって守られていたマンホール型の扉だ。こう、あくまで印象の話にはなってしまうけれど、先ほどまで渦巻いていた禍々しい空気が消えている気がする。
「確かに、残留魔力の気配が消えてます」
バショクもそう言い切った。
でも、この扉を開くのがとてつもなく怖い。確かにホウトウが解呪したのだろうけれど、もしかしたら開けた瞬間にホウトウが外しそこなっていた魔法が襲ってくる可能性だってあり得るのだ。視線でユエやバショクに扉を開くように言っても、二人とも目を伏せてしまう。これはもう良平が頑張って開くしか手がないらしい。
なんで僕だけこんな貧乏くじを……。
くそう。ユエとバショクの『早く開けろよ』という視線を背中に感じる。だったらお前らが開けろよ、とばかりに視線を向けると、向こうはその視線から目を外してしまう。そんなことを何度か繰り返し、結局信じられるのはおのれだけということを再確認するに至り、良平はええいままよとばかりにマンホールの手すりに手をかけて、思い切り引いた。
がこん、という重苦しい音が辺りに響いたかと思うと、冷気がその隙間から漏れ出し始めた。
 




