9女般若
やはりここには窓がない。そして、階段もない。
寝かされていた部屋の正面にあたる位置まで来ていた。ここに来るまで階段は見かけなかったが、その代わりと言えるのか、手すりからいくつかの梯子がぶら下がっている。
ウィズは手すりをよじ登るとすぐそこの梯子に手をかけ、すいすいと降りていってしまった。
「リアンーいいよー」
「……」
何がいいよー、なのだ。そう思いつつも後に続く。
ここは一階ごとの天井が高く、次の階までの間隔が長い。三階といっても、下の訓練場からの高さはなかなかある。つまり今、足を踏み外しでもしたら……大変なことになる。降りる時は足を掻けるために下を見ざるを得ない。
なんて人に優しくない建物なんだとうっすら汗をかきながらも無事に降りて、二階の廊下へと足をついた。
ウィズがいない。呆れながらも、ひとまず正面にある他より少し大きめの扉へ手をかけた。
「……うっわぁ」
感嘆の声が漏れた。扉を開けた瞬間、人の笑い声、怒鳴り声、机を叩く音、手を叩く音、人を殴る音(?)、何よりお腹一杯にさせる食事のいい香り。リアンはさっきまでとは違う空間に包み込まれ、圧倒された。広い空間を埋め尽くす何十人もの人。カールに多いとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。壁には防音効果があるのだろう、廊下の静寂が嘘のようだ。
「はーい、みんなちゅーもーく」
叫んでいたのはウィズだった。酒のケースの上に立って呼び掛けている。
「今度はなんだー?」
「またジルが何かやらかしたか」
「そこー!今はそんな話じゃないー」
どこからか声が聞こえ、不思議と皆の視線が集まる。話し声もだんだんと小さくなった。それを見てウィズはにっこりと笑い、リアンの元へ駆け寄ってきたかと思うと、腕を引っ張っていく。
「え、ちょっ……」
なされるがままに台の上に立たされた。焦ってウィズを見るも、お構いなしだ。
「新しい家族になるかもしれないリアン君でーす。ちなみに契約者。はい、皆拍手ー」
「?、!?……いきなり何……」
そんなことを突然言って、なんて反応されるか……顔を上げると、たくさんの目が自分に集まっていた。ここにいる全員がが自分を見ている。生まれて初めての体験で、耐えられずに俯く。
暑くもないのにだらだらと汗が流れてくる。完全にパニックになって思考が止まっているリアンだったが……
「「「うぇーい、かんぱーい!!」」」
「……え?」
そう声が降りかかり顔を上げると、さっきまで怒鳴っていた者も皆が笑い、リアンに向かってジョッキやコップを掲げていた。
「よろしくなーリアン」
「あ、はい……」
「なるかもしれないってことはまだ決めてないのか?」
「まぁ……」
「今度俺と戦しうぜー」
「いやいや、こんなのじゃなくて俺とやろう!」
「エレメント見せてくれやぁ!」
「お前はそのまま殺られろ」
「あ、リアン。戦ってのはねー……」
ウィズが戦とやらの説明をしてくれていたようだが、リアンの耳には入らなかった。目の前の光景に釘付けになっていたのだ。
どう言っていいのか分からない感情が沸き上がる。皆が皆陽気に話し、怒り、笑い、ウィズの話に耳を傾け、リアンに気軽に声をかける。
リアンは自分を孤独と感じたことはない。しかし孤独だった。この感じを知らないことが孤独と言える。だから戸惑いがある。引け目もある。しかし確かに感じていた。これが、さっきウィズが言っていた、仲間で、家族なのかと。
「りーあんっ」
はっとして隣を見ると、ウィズが下から覗きこんでいた。リアンの表情を見て、嬉しそうににっこり笑う。思わず目を逸らした。
ウィズはリアンが照れているのが分かっていたため、ケラケラと皆と一緒になって笑った。
賑やかな雰囲気が続いていたが突然、何のきっかけもなしにその空間が静かになった。驚いて目を向けると、誰もかれもが口をつぐんで俯いている。俯くといより、何かから視線を逸らしているような……
「うぃーーーずぅーーー?」
その呼びかけに、隣でウィズが肩をびくっと震わせた。見ると、あはーっと誤魔化すように口を開いて笑っている。
どうしたのかと聞こうとした直前、ぽんっと。ウィズとリアンの肩に手が伸びてきた。そっと、しかしがっちりと置かれた手に異様な空気を感じ、そーっと振り返り、
そして目を奪われた。
病気かと思うくらい白い肌、しかし二人の肩を掴む腕にはしっかりと筋肉がついている。毛先が赤く染められた長い金髪を後ろで括り、首に触れないよう上げている。きりっとした眉に、切れ長の目の女性だった。
眉間にシワがなく、後ろに般若が見えていなければ誰もが心奪われる美人だろう。
「おいウィズ」
一段と低くなった声で名前を呼ばれ、ウィズは満面の笑みで返事をする。
「はーい、お帰りなさい。僕お腹すいちゃっ……」
「こいつは誰だ?」
その目ががっちりとリアンを捕らえた。あまりの迫力にリアンがぱっと目を逸らしたのを見て、再びウィズを睨む。ウィズは笑顔をひたすら貼り付けるよう努めていた。
「家族になるかもしれないリアン君です。エレメント持ちで……」
「そうか。それで?」
ギリギリギリギリ
リアンは女の手に力が入った気がしてそっと視線を向けると、ウィズの肩に女の指が食い込んでいるのが見えた。それはもうめり込んでいる。ウィズの首筋を伝う汗を見て、ギコギコと機械が動くようにぎこちなく首を前に戻した。
「ウィズ。俺の性格は知ってるよな?」
「……『俺』……」
「あぁん?」
「すいません」
リアンは普通に女の人と接する機会などあまり持たなかったが、美人かどうかなんて本能でわかる。そして素直に美人だと思う人が自分のことを『俺』と言ってるのに違和感を感じて素直に反応してしまっただけなのだ。特に深い意味はなかったのだ。こんな睨まれるとも思わなかった。
リアンは深めのダメージを受けた。
そんなことも全くお構いなしで女はウィズを睨む。
「ウィズ。」
「はい」
「今すぐこいつの体を洗って新しい服やって髪切ってこい。飯が食いたいなら、今すぐ!」
「「はい!!」」
二人は早足で食堂を出た。
「いやー、ごめんごめん。テンション上がっちゃってアイリークの性格忘れてたよー」
捕まれた、というより握りしめられた肩を揉みながら、さすがのウィズも顔をひきつらせていた。
「汚いものというか、だらしないのが嫌いなんだよねー」
汚いとかだらしないとか、傷つくじゃないか。しかし確かに文句は言えない。それくらいリアンはボロボロだったのだ。今までは気にもしなかったが、大勢で暮らすとなるとそれなりのマナーも守らなければならない。
「あの人がここの料理長だよ。というかあの人しかいないんだけど」
「一人で!?」
「うん。実力は最高だよ。あの性格さえなければねー……」
そうは言っても、ウィズは楽しそうに笑っていた。きっと悪い人ではないのだろう。ウィズの表情メーターでそう感じ、歩きながらさっきの女性のことを思い出していた。
「あんなに美人なのにもったいない」
「ぷふーっ」
独り言のように呟くリアンだったが、笑いをかみ殺すように腹を抱えて肩を震わせているウィズに少しムッとした。
「……なに?」
「うん、そうだねー。あれは誰が見ても美人だよ。いやぁ、美男子、美男子ー」
「………………」
は?