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本編4


「ジャンヌ、君に求婚者が来たんだ。ジュベール伯爵なんだけど、いつ彼と知り合ったんだい?」


「え、……ええ?」


 父に呼び出され書斎を訪れた途端言われた言葉に、ジャンヌは長い睫毛で縁取られた金色の瞳を、数度瞬かせた。


(球根? いえ、違いますわね、きゅうこん、求婚……? あの方が、わたくしに?)


 ふわふわ揺れる蜂蜜色の髪。青空をそのまま切り取ったかのように澄んだ瞳。優しさが滲む垂れた眦に、こちらを気遣ってハンカチ一枚に隔たれた、大きくて暖かい手。ジャンヌを、護ってくれた手。見上げるほど上背のあった青年の顔を、表情を思い出して、顔が燃えてしまうかのように、熱を持つ。あの不可思議な出来事から一週間は経過しているハズなのに、ジャンヌの胸は恐怖とは別の鼓動をトクリと刻む。

 思わず両手で頬を抑えるが、白磁の肌は耳や首まで真っ赤に染まっているせいで、なんの意味もなかった。そんなジャンヌの反応に眦を下げた公爵は、うん、と一つ頷く。王太子と婚約していた時には見られなかった娘の表情に、それはもう満足そうに。


「受けても問題なさそうだね」


「っ! お、お父様……!?」


「一目惚れかあ。いやいや、これも天命ってやつかな。彼なら君を護る剣としても盾としても申し分ない。代わりにジュベール伯爵家は君と言う豪運を得る。世の中上手く出来てるもんだよねえ。はあ、これで僕も安心して領地に引きこもれるよ。次はどんな政策をしようかなあ。あ、彼、応接室で待ってるから」


「お父様!?」


 サラリと告げられたとんでもない一言に、悲鳴のような声を上げてしまった。客人を待たせるなど以っての外であるのに、なぜ父はこうものんびりニコニコしているのか。ジャンヌにはほとほと理解出来なかったが、しかし許可なく目の前を辞すのも気が引ける。

 普段の毅然とした彼女からは信じられない挙動だが、あわあわと意味もなく手を上下に動かし、しきりに父と扉に視線を移すジャンヌの姿に「あはは」と今まで聞いたこともないような笑い声をあげ、あからさまに狼狽える娘を引き連れ、シュヴァリエ公爵は応接室へ向かった。




「やあやあ。待たせて済まなかったね、ジュベール伯爵。あ、座ったままで構わないよ」


「ひえっ! あ、いや、いえ、全然、待っておりません、ので!」


「そうかい? ああ。先ほど申し入れられた婚約の話だけれどね、娘としても否やはないようだ。僕としても異存はないよ。ただまあ、君の口から直接求婚に至った経緯を説明して、それでも娘が頷くのなら、だけれどねえ」


「……まあ」


 ――本当にいらっしゃる……。

 応接室に入って目にした蜂蜜色の髪を見て、ジャンヌは率直にそう思った。ガチガチに緊張した面持ちで、シュヴァリエ公爵が部屋に入った瞬間立ち上がろうとした彼はしかし片手で制され、大きな身体がソファの上で縮こまっている姿が可愛らしいと思ってしまうのは、どう言った感情なのだろうと、自分で自分に首を傾げる。


「じゃ、僕は少し席を外すよ。お互いきちんと納得したら、僕の書斎に来なさい」


「こ、公爵閣下!?」


「あ、もちろん扉は開けておくけれどね。なあに、君ならあの馬鹿王太子と違って、僕の娘に変なことはしないと信頼してのことさ」


「もちろんです。この名に誓って、決してそのようなことは」


「うん、うん。じゃあ、ジャンヌ。伯爵の話をちゃんと聞いて、君が決めるんだよ。いいね?」


「……本当に、よろしいのでしょうか。わたくしが決めてしまって」


 胸の前できゅっと手を握りしめ、父を見上げる。不安そうに揺れる金色の瞳に、彼女の父はただ優しく微笑んだ。


「もちろんだとも。相応しくない相手なら、そもそも僕が突き返してる。王家との婚約を白紙撤回した件は、もう一部の貴族の間では噂になってる。であるのに、何ヶ月も君の婚約者が決まらなかったのは何故だと思う? まあ、王家との賭けの件も多少はあるけど、シュヴァリエにとって毒にも薬にもならない有象無象は、ぜーんぶ僕が断ったからだ。この意味が解るね?」


 あとはまあ、あんな無能に君を七年も縛り付けてしまった事への、せめてものお詫びだよ。そう言ってジャンヌの頭を優しく撫でた公爵が応接室を出た後に待っていたのは、何とも言えない沈黙だった。


 テーブルを挟んで向かい同士に腰かけ、お互い目が合うと、顔を赤くして逸らすのを何度か繰り返し、数度目でジャンヌはある事を思い出す。


「あ、あの……!」


「は、はいっ!」


 自分から男性に声を掛けることの、なんと勇気のいることか!

 先日助けられた時とは、状況も心持もなにもかもが違う。バクバクと五月蠅く脈打つ心臓の音が耳元で鳴っている気がするのは、きっと錯覚などではない。

 ドレスの上から手のひらをあてて数度深呼吸を繰り返し、ジャンヌは真っ直ぐに目の前の男――ヨシュア・ジュベールの顔を見て、ずっと持ち歩いていたハンカチを、ドレスの隠しから取り出し、目の前の恩人へと差し出した。


「返すのが遅くなってしまい、本当に申し訳ございませんでした。あの時助けて頂いたことは、心より感謝しております。それで、あの……あの。求婚の、お返事でございますが……」


「――ま、待って! 待ってください! 先に、あの、俺の話を聞いて欲しくて!」


「まあ……」


 ジャンヌの言葉を聞いた途端、急に立ち上がってテーブルに手を付いて身を乗り出して来たヨシュアの勢いに、ぱちくりと目を瞬く。

 あまりの勢いに驚き過ぎて、先ほどとは違う意味で心臓がバクバクしていた。


「っ!? も、ももっ申し訳ございませんシュヴァリエ公爵令嬢……!」


「あ、いえ。わたくしは、その、少し驚いてしまっただけですので大丈夫ですわ。それでその、ジュベール様のお話をお伺いしてもよろしいでしょうか? それと、わたくしのことはどうぞジャンヌとお呼びくださいませ」


「あ。俺も、よ、ヨシュアで良いです……。どうぞ、俺の事はヨシュアと。それで、その」


 すぐさま我に返ったのか、ざっと顔を青褪めさせたヨシュアが後退り、ソファにふくらはぎを打ちつけそのまま尻餅をつくようにソファへ戻り、ジャンヌの言葉にぎゅっと自身の両手を握りしめ、瞳を閉じ一度大きく深呼吸をする。

 すう、と開かれた青空色の瞳は、もう動揺を浮かべてはいなかった。



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