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ハリユ王国物語  作者: ねむのき新月
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1章の3 王弟の悩み

 王宮の奥、後宮の王太后の私室は、基本的に男子禁制とはなっていない。


 中庭からの風も涼やかなその部屋は、様々な花の絵で壁が飾られていた。

 落ち着いた色合いの異国の絨毯が敷かれ、銀の卓には艶やかに磨かれた銀の水差し、控える侍女は慎ましやかに面を伏せて侍っている。


 そしてその日、その部屋の王太后の前には、困った風情の少年がひとりいた。


 成長過程にありがちな細身だが、弱々しさはない。

 肩の辺りで切られた黒髪が縁取るのは、眼前の女性によく似た整った面差しだ。


 しかし特筆すべきは、この国には珍しい、青い双眸を持っていることだった。


「ほら、ラシード。イスヴァ様がわざわざ持ってきてくださったのよ。あなたもそろそろ身を固めてもいい年頃ですもの」


 王太后セフィアは姿絵を何枚も並べて、目の前の少年にうきうきと示す。


 少年――ラシードはそれを恐れるかのように、ほんのわずかに身をよけた。

 図書室で読書に勤しんでいたところを呼び出されて、何かと思えば、待っていたのはこんな話だ。


「母上。ぼくはまだ十七ですよ。兄上だって結婚したのは二十歳過ぎでしょう」

「結婚はね。でも婚約するのには遅いくらいだわ」

「それにしても、そういうことは兄上に相談してください」

「あなたの結婚相手の話をしているのよ、ラシード?」

「わかっています。ですから、兄上に相談してください。ぼくは兄上の言いつけに従います」


 この次男坊は長男坊をどれほど心酔しているのか――たぶんこの世の何よりもだろうが――とにかく兄の意向を優先しようとする。


「実はもう、サヒードには言ったのよ。そうしたら、サヒードはサヒードで、ラシード本人の意志を尊重しますって」

「……兄上……」


 ラシードはひそかに肩を落とした。

 できれば兄に防波堤になってもらい、この手の話は避けたいところだったのだ。それに実際、兄の言いつけに従うつもりでもいた。


 打ち合わせが必要だと思いつつ、この場を上手く切り抜ける方法を考える。

 一、まだ結婚の意思はない――事実だとしても、婚約でいいだろうと切り替えされるのがおちだ。

 二、結局は与えられた中から選ぶのであれば、相手など誰でもいい――角の立つ言い分に、あちこちから陰口が聞こえてきそうである。

 三、好きな相手がいる――嘘だとすぐにばれること請け合いだ。

 四、やっぱり兄に防波堤になってもらう――情けないが、これが一番無難だろう。


 そう穏やかな表情を装いつつ結論を下した頃、ふふと小さな笑い声が場を打った。


「本当に、サヒード陛下とラシード様は、仲の良いご兄弟ですのね」


 王太后の脇にくつろいで座っていたのは、すでに亡き先王弟ジャリルの第一夫人イスヴァである。

 五十歳半ばとは思えない艶やかな黒髪は結い上げて、数本の金の簪でまとめてあった。指輪はないが、両手首に幅のある金の腕輪が嵌めてある。耳には大きな耳飾りが揺れ重そうだが、本人は気にしていないのだろう。まとう絹の装束も色鮮やかで豪奢なものだ。


 対するセフィアは四十七歳、年相応に見えた。

 絹ではあるものの裾や袖口に細かな刺繍の施されただけの、おとなしい衣を着こなしている。髪には真珠の櫛がひとつ、腕輪はなく指輪が両手合わせて三つといった、質素とも言える装いだった。


 王太后セフィアが贅沢を好まない女性であるため、後宮全体がそれに従う向きがあるが、外に住居を構えているイスヴァには関係がないのだろう。


 堂々たる体格を持つ華やかなイスヴァと、小柄で気の弱そうな佇まいのセフィアが並ぶと、知らぬ者はどちらが王太后か迷うかもしれない。


「ラシード、聞いているの?」


 はっとラシードは母を見た。その眼差しが、息子を少々責めている。


「すみません、なんです?」

「心に決めた娘さんでもいるのかと、イスヴァ様が」


 ほんの一瞬、ひとりの女の子の記憶がよぎったが、ラシードは首を振った。


「いいえ。ええと、ぼくのことより、イクレムの結婚のほうが先なのでは?」


 ラシードが視線を向けると、イスヴァはさりげなく目線をずらし、口元に笑みを作る。


「わたくしの息子のご心配ありがとうございます。ええ、イクレムもせっついている最中ですわ。ですけど、ラシード様とて王家の一員。早々に良き伴侶を得ることは、大切だと思いますのよ」


 イスヴァの言葉に、セフィアは顔を綻ばせている。


 ラシードは生まれてすぐに、セフィアとともに王宮を離れることを余儀なくされた。そんな息子が、王家の一員として気にかけてもらえることが、何より嬉しいのだ。


 母の気持ちもわからないではないが、ラシードとしてはこのまま話を進められるのは不本意だった。

 いずれは結婚しなくてはいけないにしても、その際に自分の意見など通らないとしても、いま話を決めるつもりはない。


 心の準備の問題だ――と娘のような結論に達したことに苦笑しつつ、話を逸らすことに全力を注ぐ。


「ぼくはあとで構いません。それにハリクも生まれましたからね。イスヴァ様は、ハリクの顔はご覧になりましたか? みな、ミシカ義姉上に似ていると言うんですよ」

「残念ながら、わたくしはまだハリク様のお顔を拝見しておりませんの。ミシカ様やハリク様のご負担になってはいけないと思いまして」


 贈り物はさせていただきましたけれど、との言葉に、セフィアが手を合わせた。


「ええ、素敵な食器が届いていました。ミシカ妃も大変喜んでいましたわ。もう落ち着いておりますから、ぜひ顔を見にいらして。良い日を選んで、話を通しておきますわ」

「ありがとうございます。ではその際に、どちらに似ておいでかゆっくりお話したいと思います」


 話題が逸れつつあることにラシードは内心でほくそ笑む。


「母上は昨日、ハリクに会いに行ったんでしょう? ご機嫌はどうでした?」


 甥は生後三ヶ月がたったいまも、注目の的である――もっとも、王の第一子であるのだから、一生涯注目され続けることになるだろう。


 それはともかく、初孫となる母にしてみれば、それこそ目の中に入れても痛くはないらしい。


「昨日はぐずりもせずに起きていましたよ。お乳もよく飲んで、わたくしの顔を見て、にこにこと笑っておりました」

「ハリク様は健やかに成長しているようで、何よりです」

「ええ。赤ん坊の成長を見るのは楽しいものです――となると、やはりイクレム様を優先なさるべきですわ、イスヴァ様」


 急にそう訴えはじめたセフィアを、イスヴァは困惑したように見やる。


「え、ええ?」

「孫はやはり可愛いくてよ。イクレム様に御子がおできになられれば、イスヴァ様にとっても素敵じゃありません? ラシードの言うように、イクレム様のほうが年上ですし――サヒードより年長なんですもの、順番でいけばやはりそうですわ。ラシードはまた、イスヴァ様のお手がすいたときにでも」


 母の言葉に、息子がほっと息を吐いたときだった。


「王太后様。おくつろぎのところ失礼いたします」


 そう侍女のひとりが言伝を取り次いでくる。


「陛下がラシード様をお呼びとのことでございます。大至急、執務室へと」


 セフィアは、聞くやいなやいそいそと立ち上がった息子を見上げ、伝えてきた侍女を見やる。王からの使者

は王太后の間の控え室にでもいるのだろう。


「それほど急ぎの用件なのかしら?」


 うかがって参ります、と踵を返しかけた侍女を、ラシードが止める。


「それには及ばないよ。すぐに行くから。母上、たいした用件もなしに、兄上がここまで使者を寄越すはずがありません」

「まぁ、それもそうでしょうけど。……そうね、では、仕方がないわね」

「はい。母上、イスヴァ様、これで失礼いたします」


 そうしてラシードは部屋を後にし、平然と数歩進んでから、深く深く息を吐いた。


「もう少し早くても良かった……」

「は? 何か?」

「いや、なんでもないよ」


 控え室にいた使者を従えて、ラシードは後宮から王の執務室に向かう。


 王太后の部屋、正妃の部屋、まだ使われてはいないが第二妃以下の部屋、そしてそれぞれの子のため部屋といった、住居が密集している後宮を抜ける。

 そして太い柱に支えられた渡り廊下を行けば、広大な中庭が望める。


 かすかな風に揺れる椰子の葉を見ながら、ラシードはあの場を抜け出せたことに改めて感謝した。

 女性ふたりに挟まれての結婚話など、居心地が悪いことこの上ない。


 しかし間の良い呼び出しではあったものの、兄が何の用件だろうと、首を捻る。

 母に告げた言葉は本心で、よほどのことでもなければ執務室へ火急の呼び出しなどあるはずもないのだ。


 誰かが悪意のある噂でも囁いたか――兄が動じるとは思えない。

 王の代理としての視察か――大臣たちがラシードに務めさせるわけがない。


 あれこれと考えていたものの、まさか場所と面子が変わっただけで同じような状況になるとは思いもしなかった。


 サヒードの執務室についたラシードは、いきなり兄の乳兄弟アイディに詰め寄られたのだ。


「本当に、ザフラの行き先に心当たりはないんですね?」

「ない。第一、ザフラは兄上の侍女じゃないか。一度か二度、話したことがあるだけだよ」


 さすがに三度目の問いとなると、ラシードにも笑って許す余裕がなくなってくる。常日頃から笑み以外は浮かべないように努力しているものの、いい加減、顔がひきつりそうだった。


 侍女のザフラがいなくなった、とアイディは開口一番そう言った。


 ラシードにしてみれば、まず名と顔を一致させるのがひと苦労、といった程度の顔見知りだ。行き先などわかるはずがない。


「そもそも、大抵の侍女は、ぼくを怖がって近寄ってこないからね」


 自嘲混じりにそう告げて、説明を求めるように執務用の机の向こう側にいる兄を見やれば、サヒードは随分渋い表情でアイディを向いている。


「ラシードへの疑いは晴れたか?」


 一応は、とアイディは無理矢理自分を納得させたように首肯した。


「やはりもっとも疑わしいのは、イクレム様ですか……」

「ああ。だがイクレムには、いまのような聞き方はしてくれるなよ」

「兄上?」


 サヒードは、ようやくラシードに微笑んだが、それは随分疲れたものだった。


「一体何があったんですか、兄上」

「壺がなくなったんだ」

「壺?」


 王宮には様々な壺がいくつもある。ひとつふたつなくなったところで、それほど大騒ぎするほどのものとも思えない。


「サヒード様。ラシード様はずっとアビアドにいらしたので、ご存知ないかもしれません」

「あ、ああ、そうか。すまない」


 わけがわからず説明を待っているラシードに、サヒードが補足する。


「なくなったのは、魔法の壺だ」

やっぱりあんまり進んでないですが。

次は水曜日になります。

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