1 天使の依頼
すっかり明るくなった、千年闇の森。
遙か上空から降りてきた天使が、僕たちに声をかけてきた。
「この地に縛られていた魂を解放したのは、あなたたち——」
途中で言葉が止まり、天使っぽい人が動かなくなったんだけど……。見つめているのは僕? 僕が何か、悪いことでもしたのかな?
アラベスとマイヤーに視線を送ってみたけど、二人とも、事態が飲み込めてないようだ。呆然とした表情で、首を小さく横に振るだけだった。
こんな時、フォルデンさんは……泣いてる⁉
両膝を地面について、胸の前で手を合わせた姿勢で、見てる方が心配になるほど大量の涙を流している。
天使の人も見届け役の人も、どっちも放置して帰りたい気分だけど……。どうしよう?
誰も動かない状況に飽きたのかな?
ぼんやり対策を考えていると、僕に抱っこされたまま、ルビィが尻尾を伸ばして首筋をくすぐってきた。
「ふにゃあぁぁ……」
お礼に背中を撫でてやると、白猫が大きなあくびをした。
……目の前に天使が居ても緊張しないんだね。ルビィは。
「あっ、あのっ‼ 一つ、お尋ねしたいことがあるのですが……。そちらの白猫とあなたは、どのような関係ですか?」
「えっ? 僕とルビィの関係ですか……?」
ようやく動きを取り戻した天使が、浮いたまま近づいてくる。
……ずっと見つめてたのは、僕じゃなくてルビィだった?
「ルビィさん……。白猫の名前はルビィさんというのですね。できれば、最初の出会いからお聞きしたいのですが……。宜しいでしょうか?」
「それは……。えーっと……」
ルビィを造った時の話は、まだアラベスにもしてないはず。
アラベスやマイヤーなら話しても良いと思うけど、すぐ側にフォルデンさんも居るし、ここは、話を曖昧にしておいた方が良いかな?
「綺麗なお姉さんが夢に出てきて、趣味の話で盛り上がって……。気が付いた時には、ルビィが一緒に居て……。そんな感じです」
「夢に綺麗なお姉さんが? それは、つまり……。もしかして……」
美青年天使に至近距離から見つめられて、何故か緊張してしまう。
間違った説明はしてないつもりだけど……。もう、正直に全部話した方が良いのかも。どうしよう……?
「……少しだけ、そこで待っててもらえますか? 本当にすぐですから。お願いします!」
「あっ、はい。わかりました」
僕に声をかけて、天使はすーっと離れていった。
五メートルほど離れたところでタキシードのポケットから何かを出して、それに向けて話しかけている。
「あれって、携帯用の通信水晶だよね?」
アラベスやユーニスが使っているのを見たことがある。
離れた場所に声でメッセージを送れる、便利な魔術具だ。
「私にもそう見えますが……。天使も通信水晶を使うんですね」
僕の疑問に答えてくれたのは、アラベスだった。
「……もしかして、天使って珍しいの?」
「天使は誰もが知っている存在ですが……。私は初めて見ました」
「祖母から聞いた話ですが、女神が大地を去った時、天使族も一緒にこの地を去ったそうです。それ以降、天使を見ることは滅多になくなった、と……」
マイヤーも会話に加わってきた。
フォルデンさんは……。ずっと泣きっぱなしみたいだけど、大丈夫?
「そんなに珍しい天使が、どうしてここに来たのかわからないけど……。とりあえず、いつでも帰れるように支度しようか」
「……そうですね」
「わかりました」
軽く様子をうかがってみたが、何度もやりとりが続いているようで、天使がこっちに戻ってくる気配は感じられない。
ぼんやり待ってても仕方がないし……。まだお昼前だし、急いでルハンナの街に行けば、今日中に屋敷まで帰れるんじゃないかな?
伯爵への報告はフォルデンさんに任せて……。駄目かな?
オニキスに手伝ってもらって、アイアンゴーレムの腕をバッグに入れる。
勾玉に戻ったオニキスを首に掛ける。
泣いているフォルデンさんに、声をかけて……。普通に声をかけても反応がなかったので、マイヤーの魔法で正気に戻してもらった。
……生気が失われた顔になってるけど、大丈夫かな?
帰ろうとする気配を察したのか、大鷲サイズのトパーズが飛んできて、僕のすぐ横にふわりと着地した。
「ピーゥピーゥ……?」
つぶらな瞳で『大きくなった方が良い?』と聞いてくるトパーズが可愛い。
「もうちょっと待っててもらえる? あの人が、話があるみたいだから」
優しく頭を撫でてやると、大鷲がコロコロと喉を鳴らした。
ようやく、通信水晶を使ったやりとりが終わったようだ。
翼を広げた美青年天使が、すーっと飛んできた。
「お待たせして申し訳ありません。上司に報告した結果、あなたと会って話をしたいと言われまして」
「上司って……?」
「こう見えても、私は天使でして。つまり、女神の使いなのです」
「あっ、はい。そうじゃないかと思っていました、けど……。つまり、女神が僕と話をしたいと……?」
女神と聞いて思い出したのは、夢の世界で会った綺麗なお姉さんだ。
……いや、あそこは夢の世界じゃなくて、お姉さんの秘密基地だっけ。内緒にするって約束したから、誰にも言えないけど。
「そうなんです。それで……急な話になって申し訳ないのですが、上司の元へとお連れしますので、これから、一緒に来ていただけないでしょうか?」
「これから⁉ それって、僕だけですか?」
「上司から許可が出たのは、あなただけです」
「……ちょっと、みんなで話をしても良いですか?」
「はい、どうぞ。話がまとまりましたら声をかけて下さい」
気を利かせてくれたのだろう。
天使がすっと、僕たちから距離をとった。
話を聞いてたアラベスは……なんだか怒ってる?
マイヤーはいつもと変わらない表情のままだ。
フォルデンさんは……元気なさそうだけど、大丈夫だよね?
「どうすれば良いと思う?」
「ご一緒できないのは残念ですが……。私はここで、ソウタ殿のお帰りをお待ちしております」
「どうぞ、ソウタ様のお好きなようになさって下さい。……フォルデン様の面倒もお任せください」
……感情が顔に出てたかな? 『女神に会いたい』って思ったのが、アラベスとマイヤーには丸わかりだったようだ。
「話をするだけなら、そんなに時間はかからないですよね?」
「はい。たぶん、すぐ帰れると思いますよ」
少し大きい声を出して、天使に質問してみた。
緊張してる感じもないし……大丈夫じゃないかな?
ここは、根拠のない直感を信じよう。
「……わかりました。僕を、女神の元に送ってください」
「ありがとうございます。それでは……コネクトスペース!」
呪文を唱えるのと同時に、イケメン天使がすっと腕を振った。
落ち葉が積もった地面に、鮮やかに輝く魔方陣が浮かび上がる。
……これって、人や物を転送するための魔方陣かな?
ゲートだけじゃなくて、こんな魔法もこの世界にはあるんだな。
この呪文をリンドウに覚えてもらえば、もっと移動が楽に……。って、そんなことを考えてる場合じゃないか。
「どうぞ、魔方陣に乗ってください」
「これに乗るんですか……? うわっ、すごいな……」
魔方陣に足を乗せて、おそるおそる体重をかけていく。
ガラスのテーブルに乗ったような感覚。
地面が透けて見える魔方陣の上に、僕は立っていた。
「ピィ! ピピピピピ」
成り行きを見守っていたトパーズが、勝手に小鳥サイズに変化して、僕の肩へと止まった。うんうん。そのサイズのトパーズも可愛いよ。
「トパーズも一緒に行って、良いですか?」
「……どうぞ、そのままお連れください」
天使の顔が微妙に引きつってるように見えるけど……。気のせいかな?
「それじゃあ、できるだけ早く帰ってくるから……。アラベスとマイヤーはこの辺りで待ってて。二人なら大丈夫だと思うけど、安全に気を付けてね」
「了解しました」
「お待ちしております」
魔方陣の上へと天使が飛んできて、再び呪文を唱えた。
「トランスポート!」