12
いななきが上がり、四頭立ての馬車が車寄せに停車した。予定通りの時刻だ。玄関に近い部屋で待機していたふたりは、さっそく出迎えに行った。執事と数名の下男が迎え待つなか、アズハーは無駄のない身のこなしで颯爽と客車から降り立った。
「お帰りなさいませ、アズハーさま」
執事の傍らにティセを見て、アズハーはまるで学生時代の友人にでも再会したかのように、損得抜きの笑顔を見せた。
「おお! 友よ! よく来てくれたね、歓迎するよ」
「お久しぶりですアズハーさん! すっかりお世話になってます」
それからリュイを見て、ティセにしたよりも穏やかな笑みを向け、
「久しぶりだね…………大人になって……ますますシューナに似てきたね」
「お久しぶりです」
続いて、アズハーの妻と息子のシューナが降りてくる。
「ティセ、お久しぶりね、また会えて嬉しいわ」
息子のシューナは、当時まだよちよち歩きをしていたが、すっかり大きくなっていて、誰の手も借りずにひとりでピョコンと降りてきた。
アズハーは相変わらず堅苦しいのが苦手なのか、黒の洋装を身につけながらタイをせず襟もとをだらしなく緩め、帽子も被らず洋杖も持たない。にも拘わらず、
「さて、着替えて楽になってくるから少し待っていて。茶でも飲もうじゃないか」
そう言って、応接室で待っているように促した。
初日に通された、立派な革張りの椅子のある応接室で旧交を温める。以前と変わらず、無精で伸びたような毛先の揃わない長い直毛を適当に束ね、白シャツの裾を仕舞わずにそよがせて、アズハーは応接室に姿を見せた。
「いやいや、ティセ、きみ、見違えたね。もうひとを騙せないね」
本当は少女だと打ち明けられた際の動揺を念頭にしているのだろう、意味ありげな笑みを浮かべて言う。ティセは少々ばつが悪くなり曖昧に笑んで、
「や、騙したつもりは……ほんとすいません……」
「きみは一年も騙されていたそうじゃないか」
「……はい」
苦笑するリュイに、遠慮なく意見する。
「それはきみもどうかしている。あまりにも鈍い」
冷ややかでどこか気むずかしげに見える面持ちも、抑揚に欠ける言葉つきも、緊張感を孕んだような低い声音も以前のままだ。それとちぐはぐに、まったく気取らない気さくな人柄であるのも毫も変わっていなかった。
薄紫のシュウの女の衣装を上品に纏った妻がチクリと告げる。
「あなただってすっかり誤解していて、あんなに狼狽えていたくせに、どうかしてるなんてよくひとに言えるわ」
すっと吊り上がった切れ長の目に、強気な性格が申し分なく表れている妻の様子も相変わらずだ。
ひとり掛けの椅子にアズハー、硝子の卓子を挟んで向かい合う三人掛けの椅子にそれぞれ、ティセとリュイ、妻とシューナが座る。部屋の入り口辺りには執事と若い女の給仕がふたり控えている。
一人前に洋装を纏ったシューナは小さな紳士然として、さながら異国の人形だ。興味津々といった丸い目をしてふたりをじっと見つめている。ティセはにっこりとしてから妻に、
「あのときはまだ小さかったから、さすがに私たちのこと覚えてませんよね」
「そのようねえ…………今度五歳になるのよ、早いわ」
「それにしても、すごいお屋敷ですね、びっっっくりしました」
正直に所感を述べると、アズハーはおもしろくもなさそうに、
「私の家ではない、父親の家だ。この歳になっても私はまだスネかじりの半人前だ」
自嘲気味にぼやく。いまだ父親への反抗期が続いているようだ。ティセは可笑しく思った。それから、アズハーは茶をひとくち口にして、
「きみたち、いつまでここに滞在できるのかね? 私もできるかぎりきみたちと過ごしていたいんだが、どうしても外せない雑事がいくつかあって、不本意ながら出かけなくてはいけない日もある」
会えるのを楽しみにしていたという執事の話は決して社交辞令などではないと分かる、無念さの滲む口ぶりだ。
「あと二十日間くらいこの町にいる予定です」
「それはいいね。案内したいところがいくつかあるんだ」
すると意外にも、部屋の隅から執事が口を挟んだ。
「アズハーさま。お言葉ですが、健全な青少年にふさわしからぬ遊びをお教えになってはいけません」
ティセは、そしてリュイも思わず小さく失笑してしまう。いまでも執事は不良息子のお目付役を兼ねているようだ。アズハーは忌々しそうに執事を睨み、
「どこへ連れて行くともまだ言ってない。よからぬ想像を勝手にするな」
ふうと溜め息をついた。小さく咳払いをして場を持ち直し、
「それで、ここを出たらどこへ向かうつもり?」
「ランタリアに行くつもりです」
「ほお……」
「アズハーさん、行ったことありますか?」
「もちろんあるが…………別荘と茶畑ばかりで、別段おもしろいところでもないと思うがね…………」
ティセはリュイに目配せをして、
「さっそく聞いてみようか」
服の内側に身につけている例の首飾りを外した。
「じつはですね……こんな手紙が隠してあるのを見つけたんですよ」
ティセは席を立って、首飾りの細密画と秘密の手紙をよく見えるようにして、アズハーの手元へ持って行った。
受け取ると、アズハーは眉根に皺を寄せ、気むずかしそうな顔をいっそう難しくさせて、その小さなものをじいっと凝視した。
しばらくして、驚きの目を瞠ってティセを見た。唖然としたように、
「…………もしや、この宝物を探しに行くのかい…………」
にっこり肯定すれば、アズハーはさも可笑しそうに、そのうえどうにもうらやましげに笑って言う。
「はははは、いや、いいねいいね、きみたちは……。すばらしい、なんて自由なんだ!」
そして、ほらほら、と自ら妻の手元へ回してやる。
「それで、アズハーさんにぜひ尋ねてみたかったんですけど、この手紙に書いてある名前とか絵の女性に心当たりありませんか? たぶん、一五〇年くらい前のお金持ちのひとだと思うんですけど……」
「…………」
アズハーは脚を組み直して、暫し、斜め上辺りに目線を遣って黙していた。ひととおり目を通した妻がアズハーにそれらを返すと、もういちど手紙をじっと見た。やがて、顔を上げ、慎重な言葉つきで述べた。
「…………肖像の女とアヌラ・ヴィヤティッサは心当たりがない。しかし…………ハルジイ・プラサードはどこかで聞いたことがあるような気がする」
「えええええ――――っ!」
ティセはつい大きな声を上げ、リュイは若干目を見開いた。
「だ、誰なんですか、それ」
興奮気味のティセに、アズハーは覚束ない調子で答える。
「いや、それがはっきりと思い出せない……。遠い昔にどこかで…………」
首をひねったまま、黙って考え込んでいる。やがて、
「どうにか思い出してみるから、しばらく時間をくれたまえ」
「はいっ。待ってます!」
アズハーは妻を見遣り、
「きみ、心当たりある?」
妻は首飾りを再度手にする。人差し指を口元にしばらく当てて、
「……うーん……ないわねえ。けれど……この女性に似ているお方をなにかの絵で見たことがあるようにも思うわ……どこで見たかしら」
「えええええ――――っ! ほんとですかっ!?」
アズハーは疑わしげに眉を寄せ、
「本当か? こんな小さな絵で、似てるか似てないか分かるか?」
「小さくても精巧だわ。似てるのは確かなのよ、でもどこで見たか…………ああ、思い出せないわ……」
妻は顔を上げ、申し訳なさそうにティセに言う。
「私もよく考えてみるから、少し時間をちょうだいね」
「待ってます、待ってます!」
具体的なことはまだなにも明らかではないが、ほぼ初めての手応えだ。ティセは黒々と輝く瞳をリュイに向け、
「ほらほら、来た来たっ! すご――――いっ!」
秘密の手紙を発見したあのときのように、感極まって意味不明なことを口走る。リュイは可笑しそうに口角を上げる。無作法な声を上げるティセを、アズハーはじつにおもしろい生きものを見るかのように眺めてニヤニヤと笑っている。形式ばらず打ち解けた雰囲気であることが、やはり彼のもっとも好むことなのだった。
その晩は、お抱えの料理人が腕を振るった西の国の料理で再会を祝った。アズハーは、リュイの笛がいまだ単音しか奏でないのを知り、
「厳しい笛だ…………だが、私はあの調べをもういちど耳にする日を、いつまででも気長に待っているよ」
無念さを滲ませつつ、穏やかに微笑んだ。
広大な庭の植物園には、見たことのないめずらしい木々や花々がいくつもあった。温室もあり、ランやベゴニア、サボテンなどが育っている。なかでも園のあちこちに植えられた椰子の木は、まるで異なる形状をしたさまざまな種類があった。ナルジャ辺りでは見られないその樹木がなんとも興味深く、ティセはいちいち見上げてしまう。
「つくづく変な木だよねえ。あのでっかい実が頭に落ちたら死ぬかも」
傍らの東屋で読書をしているリュイは、本から目を上げずに、
「僕もそう思う。あんな木は北部では見られない」
「この植物園はアズハーさんのお父さんの趣味なのかなあ……どれだけお金かけて集めたんだろう……」
ふいに思い至ったように、リュイは目を上げた。
「そういえば、ご両親の姿が見えないね」
「そういやそうだね。こんだけ家が広いと偶然会ったりしないものなのかな」
噂をすれば影が差す、玄関につながる小道のほうからアズハーの低声が聞こえた。
「偶然会ったりしないように生活圏を分けて暮らしているんだ。お互いの精神衛生のためにね」
どきりとした。振り返れば、アズハーが苦笑しながら歩いてくるのが見えた。たったいま出先から帰宅したのか、めずらしく洋装をきちんと身につけている。
「きみたち昼はまだだろう?」
「はい」
「この近くに新しく、東の国の料理店ができたんだ。この町でも初めてだそうだ、試してみないか」
言いながら、アズハーは東屋に入り、リュイの向かいに腰かけた。料理全般に興味を持つティセは、途端に活き活きとする。
「東の国!? どんな料理なのか、見たこともないっ……!」
すると、アズハーはなにやら右の手指を複雑に動かして、
「右手でもなく、匙や肉叉でもなく、こう、二本の棒でつまんで食べる料理だ」
少しも想像が及ばず、ティセはきょとんとアズハーを見た。そしてリュイを向き、
「…………おまえ、分かった?」
「……いや、よく分からない……」
わずかに首を傾げた。そんなふたりに、アズハーはにやりと笑みを向け、
「ものは試しだ。行ってみよう」
それから、リュイが椅子の上へ伏せた本に目を向けた。
「相変わらず読書家だね、なにを読んでいるんだい」
「小説です、だいぶ前の」
ほお、どんな…………と言いかけて、アズハーははっとしたように動きを止めた。若干目を見開き、けれど落ち着きのある声で、
「――――思い出した」
立ったままでいるティセの顔を見上げる。
「思い出したよ、ハルジイ・プラサード」
「えええええ――――っ!」
頓狂な声が植物園に響く。
「同一人物かどうかは分からないが……私が聞いたことのあるハルジイ・プラサードは、確か作家だ。かなり昔の小説家だ」
ティセは瞬間的に沸騰し、
「すごいすごいっ!」
リュイの肩をぺしぺし叩きながらくり返す。
「すごいっ! ほとんど初めての手がかりですっ!」
いやいや……と、アズハーはうっすら笑みを過らせ、
「同姓同名の別人かもしれないからね、参考程度に聞いてくれたまえ」
「でもリュイ、前にさ、この手紙の文章は、小説のなかで読むようなのと似てるって話したじゃん。文章が得意なひとが書いたんじゃないかって。参考どころか、めちゃめちゃ真実味のある話だよね!」
「そういえば、そんな話を前にしたね…………ん、真実味はある」
「すごい――――っ!」
アズハーは「ふむ……」と暫し間を置いたのち、
「ちょうどいい。きみたちを案内したいと思っていたところがあるんだが……そこに友人を呼ぼう。文学好きでね、彼なら私よりずっとハルジイ・プラサードを知っているはずだ。ちょうど彼の行きつけでもあるし……。昼食へ出る前に電報を打とう。都合がよければ今晩にも出かけよう」
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