指示
王位継承の裏には、さまざまな事情がある。例えばケルアでは完全に血筋による継承とされ、王が引退を宣言すれば必然的にその子どもに継承される。一方アクサネスやミルシアでは王位継承者を決める方法が定着しており、血筋や家柄は関係がない。どちらの継承の形も、国の在り方に合わせたものと言える。
マルフィーが記憶する限り、トラピア国はケルア同様血筋による継承の国だ。イニアがケルアに嫁いできた頃は、イニアの兄が王位継承者として王に仕える形で仕事をしていたはずである。イニアの父はまだ引退するほど高齢ではなかったはずだ。
「……地図を広げてくれ。」
従者たちが地図をテーブルに広げる。デドロンよりずっと南方、東の海に面した広大な港町のすぐ近くの土地に、トラピア国はある。立地としては海風は届くが海はなく、山に囲まれてはいるが山は範囲にないという、とても微妙なものだ。トラピアの産物は茶葉であり、イニアがケルアに嫁いでからというものデドロンでもトラピアティーはよく見かけるようになった。
その、トラピア国周辺の国をマルフィーはぐるりと見た。
「ペルカ……サーテ……ユダ……移民の国か……。」
トラピアを囲むように存在する港町以外の三つの国。それはどれも、ケルアで保護されている移民たちの祖国である。ペルカは以前一度だけ視察に出向いたこともあったが、決して余裕のある土地には見えなかった。サーテとユダに関しては、マルフィーが生まれる少し前にトラピアの領地に下ったはずだ。
そこまで思考して、マルフィーは立ち上がった。
「アクサネスに要請を。木医アリスの助力を得たい。」
マルフィーの指示に、数名の従者が難色を示す。古いやり方が濃く残るデドロンにおいて、他国の人間を何度も頼ることはあまり良しとされていない。特に、アリスは女性である。男女で仕事の内容がしっかりと分かれているデドロンでは、女性ながらに権威を持つアリスのような存在は異質にも見えるのだろう。
たとえ王の指示だとしても、他国の者に義理を作ることは余程のことでもない限りすんなりと通りはしない。国と国の交流とは力関係を自国に有利に置くことが美徳とされるから、デドロンの「他国に義理は売っても、義理は買わない」というやり方は決して間違いではなかった。ただ、マルフィーにしてみれば余計な会議が増えるだけで時間を無駄に浪費しているとしか見えないが。
「異論があるならば、木医アリスを下す知識を持つ者を探せ。」
仕方なく、マルフィーは指示を足した。従者たちが顔を見合わせ、一人が部屋を出ていく。果たして誰が呼ばれるのかは分からないが、アクサネスにて樹木に関する分野の権威とされる彼女以上の知識を持つ者がこのデドロンに居るのならば是非紹介してほしいものである。
マルフィーにとってこのデドロンは守るべき自国であるが、このように一つのことをするだけでも会議や審議にかけ、結果として会議のための会議のような、結局は無駄でしかない時間と紙と人間の浪費を繰り返すやり方だけは変えたいと願う部分であった。民意を問う形だとしても、ちょっと、やりすぎってもんである。
「失礼します、新たに届いた文書をお持ちしました。」
「……そこに置いてくれ。」
たった一つの案件を少し進める間に、大量の書類がまた追加される。いつだったか、ケルアでは会議は基本的に週に一度しか行われず、普段はイーティスとイニア、そしてそれぞれが抱える各部門の大臣たちとで情報を共有しつつ独自に進めていく形をとっていると聞いたことがあった。当時は先進的な考えだと感心したが、この書類の数を見ればそれくらいの勢いで取り組まねば執務室が書類で埋め尽くされるのもあっという間だと分かる。国交上の問題が殆ど起きたことのないデドロンの文官たちは、先日から大荒れだ。
「一度休憩を挟む。一時間後に仕事を再開する。」
実質ワンオペでこれらの書類を回しているマルフィーは、人生で初めて現実逃避という名の休憩を申し出た。
古い国には、古い国の良さもある。




