俺転生
教会の奥深く。
高い天井を支える石柱の間に、淡い光が差し込んでいた。
祭壇の前では、一人の女性が跪いている。
胸の前で両手を組み、瞼を閉じ、ただ静かに祈りを捧げていた。
その姿に乱れはない。
何度も、何度も繰り返してきた祈り。
彼女にとってそれは、朝の訪れと同じほど当たり前の営みだった。
しかし――
突如として、世界が揺らいだ。
視界が歪み、頭の奥で何かが弾ける。
「……っ!」
息を呑む間もなかった。
脳裏に、見知らぬ光景が浮かび上がる。
一つ、また一つ。
数え切れないほどの光景が、奔流となって意識の中へ押し寄せてくる。
見たことのない景色。知らない人々。理解の及ばない出来事。
それらはまるで濁流のように押し寄せ、彼女の意識へと容赦なく叩き込まれていった。
頭を押さえ、荒い息を吐き出す。
何度か深く呼吸を繰り返すも、頭の奥に残る鈍い痛みは消えない。
ふらつく身体を支えながら、ゆっくりと立ち上がる。
見慣れない景色。
見慣れない教会の内装。
周囲を見回すうちに、胸の奥で拭いきれない違和感が膨らんでいく。
────いや。
『俺』は、この光景を知っている……。
そう思った瞬間、身じろぎに合わせて長く金色の髪が揺れた。
頬を撫でる柔らかな感触。
ふわりと漂う、清廉で甘い香り。
そして、胸元に感じる不自然な重み。
「……え?」
思考が止まった。
まさか。
そんなはずはない。
慌てて自分の身体を見下ろし、周囲を見回す。
誰もいないことを確かめると、祭壇の脇に置かれた鏡へ向かって駆け出した。
足がもつれそうになりながらも、鏡の前へとたどり着く。
そして、そこに映し出された姿を見た瞬間。
「…………は?」
言葉が、喉の奥で凍りついた。
鏡に映し出されていたのは、『ルナ=セレスティア』という名の聖女の姿だった。
その現実を突きつけられ、混乱は一気に加速していく。
待て……俺は男のはずだ。
どうして……?いったい何が起こっている――?
荒ぶる思考を巡らせるうち、点と点が繋がり、残酷な答えへと辿り着いた。
そうだった……。
俺は、死んだんだ。
そこからの理解は、皮肉なほどに早かった。
どうやらここは異世界であり、転生した先はこの聖女ルナ=セレスティアの肉体らしい。
すべてを理解した瞬間、さらなる底知れぬ絶望が押し寄せ、彼はたまらず床に両手を突いた。
(なんで……よりにもよって、ルナ=セレスティアなんだよ……ッ!)
そう、俺は知っている。
この女が辿る、あまりにも悲惨な『末路』を――。
ルナ=セレスティア――それは、かつて俺がやり込んだ成人向けゲーム『ロスト・セイント』に登場する悪役ヒロインだった。
聖女として名を馳せ、誰もが羨む美貌と清らかな姿を持ちながら、とある事件を境に、その運命を大きく狂わせる。
外道な貴族に売り飛ばされて非道の限りを尽くされた末、尊厳を踏みにじられ、深い絶望の中で闇へと堕ちていく。
やがて闇に染まった彼女は、幾度となく主人公たちの前に立ちはだかった。
その瞳に宿るのは、かつての聖女の面影と、世界そのものに対する憎悪。
そして最後には、世界への恨みを吐き出しながら、主人公たちの手によって命を落とす。
それが、ルナ=セレスティアというキャラクターの結末だった。
────だが。
俺は、彼女が好きだった。
周囲がどう思おうと、俺はこの悪役ヒロインを誰よりも愛していたんだ。
聖女の衣を纏った気高い美貌と、その裏に隠された残虐さ。
主人公を前に見せる妖艶なギャップ。
そのすべてが俺の心を捉えて離さなかった。
その時、脳裏をよぎった最悪の予感に駆られ、俺は慌てて聖堂の暦へと駆け寄る。
日付を確認した瞬間、脱力するような安堵の息が漏れ、俺は震える自らの身体を強く抱き締めた。
(よかった……まだだ。この身体は、まだ誰にも汚されていない……!)
破滅の事件は、まだ起きていない。
ならば、未来は変えられる。変えてみせる。
彼女を誰にも陵辱なんてさせないし、あんな悲惨な結末で殺させたりもしない……!
「……大丈夫だ。俺がついている。この身体には、もう指一本触れさせない」
口をついて出た声は、自分でも驚くほど力強く、決意に満ちていた。
二度と、彼女の尊厳を奪わせない。
俺は、もう一度自分の身体を抱き締めた。
そして、鏡に映る姿を見つめる。
金色の髪。
紅い瞳。
聖女としての清らかな容姿。
それは、俺がずっと好きだったキャラクター。
そして今は、俺自身の身体でもある。
俺は、ここで誓った。
どんな運命が待っていようと。
どれほど世界が敵に回ろうと。
この身体は、俺が守る。
そう固く心に誓ったその時、静寂を切り裂くように扉を叩く音が響いた。




