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LP 関特演 異聞  作者: 異不丸
第1章 昭和一六年六月
3/5

1 軍司令部の動揺


満州国、奉天省奉天市、奉天駅


 午後三時前、北支那方面軍第一軍司令部付きの山口五郎少尉と奥田道夫少尉は、満鉄特急列車「あじあ」の最後尾の一等車に乗り込んだ。車掌に案内されて特別室に入る。定員五人に二人だけだからゆったりとしたものだ。椅子の座り心地を試していたら、ボーイがトランクを運んで来た。奥田は法外なチップを与える。明らかにボーイの表情と所作が変わった。左手を外に向けてスイス製の腕時計を見せつける。

「仕事が長引いてね。食堂車はやってるかい」

「はい、もちろんです。よいお席をお取りしましょう」

「頼む。ああ、十五分後に行く」

「承知しました」

 ボーイが出て行くと、五郎はトランクを開き、仕事道具を取り出す。奥田がドアの上の無目と椅子の下を指差した。五郎は頷き、指図どうりに仕掛けを施す。作業が終わると、二人はコーチに深々と座った。

「さて、後は車内で時間をつぶすだけ」

「列車は勝手に走り、時刻どおりに着く」

 五郎は、夏用の三つ揃いのチョッキから金ぴかの懐中時計を取り出して見る。

「僕らの休暇が始まるまで八時間もない」

「いいね」

 奥田も腕時計を確かめる。太原の第一軍司令部を発ったのが昨日の一五〇〇。軍服のまま輸送機に乗り込んだ。北京の方面軍司令部で用意された成金装束に着替え、一九〇〇発の京山線の急行「興亜」で奉天に着いたのが今日の一一二〇だ。軍事行李の任務開始から二十四時間、ここまで異状はない。


 なにしろ、北京を出立してからは軍人と接触してはいけないとの命だ。地方人を装うしかないが、急行特急の一等席だから若いのはおかしい。二人とも小太りの四〇代を装っていた。ただ、役どころの違いはある。奥田は出資を勧誘する仲買の紳士、五郎は言われるままに金を出して当てた田舎者を演じている。

 特別室を出た二人は進行方向に歩き、食堂車に入った。さっきのボーイが満面の笑みで出迎え、席に案内してくれる。すぐに女給がやって来た。エプロンにカチューシャ、絵に描いたような金髪のロシア娘だ。しかも二人。たいした威力だと田舎者は感心する。

「いらっしゃいませ。ようこそ」

「まず、あじあカクテルをもらおうか」

「緑と赤がございますが」

 そこで紳士はさり気なくロシア語で聞く。

「君ならどっちが好い」

「あら。そうですね、私なら赤ですわ」

 女給たちも如才ない。もう一人は緑と答えた。

「では、僕は赤、彼は緑だ」

「まあ。お待ちください」

 二人はあじあカクテルで乾杯し、女給と相談して料理とワインを決める。田舎者は一番高いサンドイッチ、紳士は次に高いハヤシライスにした。食後はロシア式紅茶の飲み方を教えてもらう。列車が四平街駅を過ぎると、チップをふんだんに与えて特別室に戻る。午後五時を過ぎていた。


 部屋に異状はない。五郎は仕掛けを外してトランクに収め、ウオッカの小瓶を二本出す。一本を渡しながら、話しかける。

「何だと思う、中身は」

 一口含んで奥田は答える。

「百号作戦の戦果。新しい情報が入ったんだと思う」

「伯父さんからだね。僕らが知らない」

「対伯工作は参謀長の専権。進展があったのかも」

 五郎は、また一口含む。

「なぜ行李なの。しかも二人で」

「独ソ戦が始まって、電話も電信も大混雑だ」

「そうかな。もの自体に価値があるんじゃ」

「書簡か。約定とか盟約とか」

 奥田はごくごくと二口飲む。

「届け先は関東軍情報部長で、割符に手渡し」

「あらかじめ準備してあった」

「今すぐに必要としないが、この先に入用となる」

「それまで預かる人物と場所が信頼できる」

 二人は目を合わせて笑い合う。

「柳田元三少将は田中隆吉少将と陸士二六期の同期だ」

「支那事変を解決するものに違いない」

「じゃ、届かないと田中閣下は切腹だ」

「僕らも銃殺だけどね」

 二人は大笑いで転げ回る。

「あっはっは」




中華民国、山西省太原市、第一軍司令部


 第一軍司令官の岩松義雄中将は、作戦報告書の草稿を読み終えて机の上に置く。ところどころに朱筆が入れられた改訂版だった。

「戦果はさらに大きかった、とは好い話ではないか」

「はい。しかし、問題も。その戦果の拡大には地方人が関わったところがありまして」

 説明する参謀長の楠山秀吉少将の顔は苦渋に歪む。地方人の介入とは、作戦が計画通りに進まなかったことを意味する。

「退役将校にうちの軍属だ。口外するとは思えん。問題なかろう」

「はっ。そうなのですが」

 百号作戦は、六月二二日に終了した。岩松中将が軍司令官に着任した二日後だ。戦果は当初、国府軍第1戦区軍十八万と中国共産党軍九万とされていた。予想外の大戦果に驚いた楠山は再確認を求めた。その結果、八路軍の損害は二十万人、副軍長の彭徳懐の戦死と総指揮官の朱徳の行方不明も判明した。

「もともと、今年度の目標は共産党軍の殲滅。二十万といえば全滅ではないか。何が問題なのか」

「実は、参謀本部から介入があって、百号作戦の目標が共産軍から国府軍へと重点が変更された経緯があります」

「国府軍も大分を殲滅した。第1戦区は崩壊だろう。問題ない。次の段階へ進むべきだ」

「はっ。そうですが」

 岩松司令官は立ち上がり、参謀長の手を取る。

「華北における共産党軍の壊滅は戦略的な快挙だ。方面軍司令官にはわしから建議したい。一つ、勇ましいのを頼む」

「はっ。週末に参謀長会同がありますが」

 岩松は楠山の目を覗き込み、しばらく考える。

「正しく報告してくれ。それで各軍の参謀長がどう反応するか・・」

 司令官の荒い鼻息を浴びて、参謀長は声を上げる。

「しかと観察してきます!」

「しかとな」


 参謀長室に戻った楠山は作戦参謀と情報参謀を呼ぶ。

「と、いう訳だ。述べよ」

 作戦参謀の北原鉄男中佐が一歩前に出る。

「戦果の再確認は伯父貴よりと明かされましたか」

「そんなもん。いまから飛んで行くと言いかねん」

 北原は、情報参謀の矢部謙二少佐を振り返る。対伯工作はまだ出すなということだ。

「司令官は着任されたばかりですが、戦略的な一挙と看破されました。情勢を明確に建議して、方面軍司令官の決心を誘うような方向ではいかがでしょうか」

 楠山は、北原の軍官僚的な言い回しを解釈する。

「戦力配置の地図でも付けるのか」

「はい。上から見ても下から見ても、洛陽を指すような」

「おもしろい」

 矢部も一歩前に出る。

「製図には一日ください。方面軍司令官閣下にお見せするのです」

「違う、総司令官閣下だ」

 楠山はちらりと暦を見る。

「書面作成は来週でよい。明日の夕方に作戦案を三つほどほしい」

「三つ」

「参謀長会同で各軍の反応を見たいのだ」

「作戦案には第一一軍と第一三軍の動きも入れよと」

 北原が問うと、楠山は不適に笑う。

「助勢と助攻をな。頼んだぞ」

「了解しました」

 作戦室に戻ると、矢部は北原を隅に誘う。

「何かありましたか」

「ここではまずい。外に出よう」

「え」

 北原は立ち上がり、室内を振り返る。

「太田准尉、二人必要だ。他は帰ってよし」

「自分と和田兵長が残ります」

「飯に行ってくれ。俺たちも出て出る。二時間後に再開」

「ありがたくあります」

 北原中佐も丸くなったものだと、矢部は思う。



 おたふくに入ると、例によって、女給たちが集まって来る。が、北原は手を振る。

「すまん。仕事で密議だ。彦さん、部屋を頼む」

「へぇ、中佐どの。こちらへ」

 北原は手酌ではじめた。

「洛陽作戦は中止になる。長安、漢中どころではない」

「なんですって。重慶作戦を延期するのですか」

「再興の機会はもうないかもしれんな。事変は解決しない」

 矢部は大丈夫かと見回すが、聞き耳を立てそうな二人は満州に追いやった。一週間は帰ってこない。続きをどうぞと、酌をする。

「関特演が始まる」

「これまでもありましたが」

「実は北への侵攻で、南に行く前に北を片付けるらしい」

「え」

 矢部の知っている関東軍特種演習とは違うようだが、それはいい。問題は、南の前の北というところだ。南は確定なのか。英米蘭と開戦なのか。

「そのとおりだ」

「もしかして、独ソ戦の影響ですか」

「他にあるまい」

 北原は言い捨てて、手酌で呷る。

「うーん」

 矢部は唸った。どうしてそうなるのか。対ソ侵攻は分かる。西の防衛に必死のソ連を東から撃つ。ドイツは同盟国だし。だが、今の関東軍の陣容は攻勢に不足だろう。動員するにしても、冬の前の決着に間に合うのか。

「だから、支那から抜くのだ」

「あっ」







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