北の森
「北の森に張られた結界が消えて、魔物が森に出現している」
頭を抱えるようにして報告するイグナスはろくに眠っていないのか、目の下に濃い隈が出来ていた。ただでさえ人手不足の魔術師団だ。そこへ新しい悪い報告は気力をどん底へと突き落としていく。
アルベルトがピリカから戻ると城の中は前以上に騒々しくなっていた。魔術師だけでなく騎士たちもバタバタと走っていることが増え、城の中の雰囲気はピリピリしていた。
リリアに会えたことで心が軽くなって帰ってきたアルベルトとしては、目の前の現状に自分の浮かれ具合が不釣り合いで、気持ちをしっかり切り替えないといけないことを確認する。
ピリカとの交渉ができることはイグナスがすでに報告してくれていた。それ以外のことでアルベルトから報告をしようと思っていたが、それよりも先に北の森の結界が消えたという報告が優先された。
結界が消えてしまえば森の奥に閉じ込めていた魔物が森の外に出てきてしまう。そうなれば一番近い王都へと向かってくる可能性が大きい。王都以外にも魔物が散らばった場合、周辺の町や小さな村にも被害が出る。
結界の存在は知っていたが、それがピリカに依頼して施されていたことは今初めて知った。ピリカとの契約破棄によって結界の維持はされなくなった。すぐに消えてしまうのかと思っていたが、残っていた魔力によって数日は持っていたという。そのためすぐに報告されることなく魔術師団も注視していた。それが昨日になって突然消えてしまい、魔物が数体森から出てくるのが目撃された。
森には第2騎士団の駐留所があり、そこに詰めている騎士たちが魔物を倒してくれているので、今のところ森の外へと魔物が飛び出してきているという報告はない。
「とはいえ、森は広い。駐留所の近くは留めることができても、それ以外の場所から出てきていては騎士だけでは人手が足りない。魔術師団からも魔術師を派遣することにしているが、揃えられる数には限度があるぞ」
「第2騎士団からもさらに騎士の派遣をします」
「必要なら第3騎士団からも派遣しよう」
だが、第2騎士団長の表情は冴えない。今は騎士団の騎士で食い止めているが、森の中の状況など誰にもわからないのだ。急激に魔物が増えてきたら手に負えなくなる。
グレックももしもを考えて協力することを宣言している。
「どうにかして契約前にピリカに協力を要請できればいいんだが」
王家との話し合いに応じてくれることになったピリカなら、すぐに連絡を取ることはできるかもしれない。しかし、契約を結び依頼を受けて結界を張っていた立場として、契約もなしに依頼だけを受けるとは思えない。
「魔術師団で独自に依頼をするのはどうだろう」
会議に参加してたクリステッドが意見を言うと、イグナスは首を横に振った。
「魔術師団との親交もそれなりにあるが、あくまでも王家との契約を通しての協力だった。それを破棄した以上、魔術師団の声を聞いてくれるとは思えない。それに、森の結界が消えたことはピリカもわかっている。魔物が出てくることも予想しているはずだ。それを放置しているということは、ピリカとしては関わらないと決めたのだろう」
ピリカは完全な傍観を決め込んでいる。それはアルベルトも同意見だ。
それに、話し合いが始まる前にピリカが手を出せば、契約なしに何とかしてくれると思われる。それはピリカにとって不本意になるだろう。
アルベルトがリリアと会えたのも、向こうの都合でしかない。
「今ここにある戦力で森の魔物討伐を行うのが現実的だな」
重い空気の中、それまで黙って話を聞いていた王太子が口を開いた。
「陛下には私から報告しておく。さすがに私1人の権限で動かしていい案件ではない」
ここに皆が集合したのはピリカとの話し合いを相談するためだった。それがイグナスの報告で北の森の魔物討伐へと切り替わってしまった。
王都を攻められるかもしれない国にとって重大な局面を王太子だけの判断で決めるわけにはいかない。
「第2騎士団は魔物討伐の準備をしてくれ。第3騎士団も要請に応じてすぐに動けるようにしてほしい。魔術師団は急いで討伐の魔術師選定を。第1騎士団には被害が出る可能性は低いだろうが、警備の強化を頼んでおく」
第1騎士団長は出席していないので、王太子から連絡することになった。
「神殿からも回復士と浄化師を派遣してもらわないといけませんね」
クリステッドの言葉にマリウスの表情が一瞬曇ったのを見逃さなかった。
「神殿も今聖女の再選定で忙しいだろう。魔物討伐にどれだけ人員を割いてくれるか」
「もともとは聖女がピリカを怒らせたことが原因です。その責任は取ってもらいましょう」
悩むマリウスとは対照的にクリステッドははっきりと神殿への派遣要請を突き付ける気があるようだった。その迫力に隣に座っていたマリウスも驚いている。
「ピリカの存在を見下したことでこのような事態になったのです。貴族の間でもピリカの力の必要性を疑う者がいました。どれだけピリカが貢献していたのか、肌で感じ取っていることでしょう」
場の空気が凍り付いたのがわかった。会議室には他にも貴族たちが集まっている。最初の会議でピリカの力は必要ないのではと言っていた貴族たちの顔色が悪い。ここまでの大ごとになったことで彼らも自分たちの発言に後悔しているのだろう。
事態が大きくなるにつれてクリステッドが明らかに怒っているのがわかる。それは言葉だけではなく醸し出す空気からも気が付ける。ここまで苛ついている兄を見るのは初めてだ。
そんなことを考えている間に会議は終了となった。王太子殿下が先に部屋を出て行くと、騎士団長はお互いの戦力の報告をし始めた。
イグナスは疲れた顔のまま部屋を出て行こうとしたが、それをクリステッドに止められた。
「魔術師団の魔術師不足に協力したいのだが」
「公爵は魔術師ではないはずですが、領地から派遣していただけるのですか」
ウォルスター公爵領にも魔術師団は存在する。数名であれば派遣も可能だろうが、王都に来るまで数日はかかる距離だ。それでは討伐には間に合わない。何を考えているのだろうとアルベルトが近づいていくと、クリステッドは口角を上げた。
「1人すぐに協力できる魔女がいる。彼女の許可も取ってあるから、師団長さえ受け入れてくれればすぐにでも動けるよ」
1人の魔女と言われてイグナスが何かを思いついたような顔をした後に驚きの表情へと変わった。
「もしや」
「我が妻は強い魔力と魔法を使える。きっと役に立つ」
「公爵夫人が協力してくれるというのですか」
あまりの驚きに声が大きくなっていた。会議室に残っていた者たちにも聞こえてしまい、一斉にイグナスに視線が集中する。
「国の大事だ。協力は惜しまないそうだ。その代わり討伐隊には入れられない。王都を護る役目にしてほしい」
「あの方の魔力が強いのは知っています。それなら、王都の結界の維持に協力していただきたい。それだけで、結界維持に割いていた魔術師を討伐に回せます」
驚きと喜びが混ざった何とも言えない顔になったイグナスはすぐに魔術師団に戻ると言って部屋を出ていってしまった。討伐の魔術師を選び直す必要があるのだろう。
「アルベルトの報告はなしになってしまったな」
残されたクリステッドは近くにいたアルベルトに声をかけてきた。ピリカに残ったアルベルトからの報告はどこかへ行ってしまった。
「特に重要な報告はなかったので、これでよかったかと」
「なんだ、リリア嬢と会えたのだろう。感動の再会を聞かせてもらえると思っていたのだが」
完全に揶揄っている声音だ。先ほどの苛立ちはどこへ行ったのか。こんな時にも余裕を見せられるクリステッドだからこそ国王からの信頼も厚いのだろう。
「そうですね。薬草はサラダとして食べられることを教わりました」
「なんだそれは?」
リリアとの夕食を思い出して言えば、兄は首を傾げるだけだ。
「ゆっくり話せる時間が取れたら、リリアと一緒に詳しい話を聞かせますよ」
それはすべてが片付いてからの未来を示唆する言い方。これだけで兄には十分に伝わったようだ。静かに頷くと笑顔を見せてくれた。




