抱擁
ピリカの家にはお風呂が存在しない。
体を綺麗にしたいと思った時は魔法ですべて解決してしまうので、特に必要な物ではないのだ。湯船につかってゆっくり1日の疲れを取りながら体を清めていくという習慣がない。
ピリカに住んで初めてその事実を知らされた時は驚いたし、魔法を使えないリリアはどうするべきか当惑した。しかし、母のサラも魔法が使えないほどの魔力しか持っていないため、体を清める方法がない。どうやって今まで生活していたのか疑問に思っていると、サラが住む家にはお風呂が用意されていたのだ。
サラにほとんど魔力がないことがわかってから祖母が用意したという。幼い頃は母親であるミキが魔法を使ってくれていたが、1人立ちして別の家に住むことになった時、お風呂を用意してくれた。水の調達は噴水からになってしまうと大変だったので、水道も準備してくれた。
サラ専用の家は結婚してからも保存されていたので、戻ってきてもすぐに使えるようになっていた。その家に2人は住んでいるので、特に不便はない。
来た当初の衝撃と、お風呂がある安心感は今でも覚えている。蛇口を捻るとお湯が出てくるのは魔法石のおかげらしい。
アルベルトにもお風呂を勧めたのだが、任務で来ていることを考えてタオルで体を拭く程度ですませると言っていた。お湯とタオルを渡してからリリアだけお風呂に入る。
色々な話を聞けて良かったが、ピリカの魔女たちが手を引いたことで魔術師団が混乱していることを知ると、何もできないリリアでも心に痛みが生まれた。
何とかしてあげたいが、こればかりはピリカと王家の話し合いを待つしかない。
お湯につかって体を温めるとすぐに出た。アルベルトを待たせているのだ。あまり長湯は良くない。
着替えを済ませて戻ると、彼はすでに寝室にいた。
サラもイルスも戻ってこないため、今夜は泊まることが決定のようだ。アルベルトは食事をした部屋で寝ることを主張したが、リリア1人がベッドで寝ては居心地が悪い。サラの部屋を勧めてみたが、伯爵夫人の寝室に入ることを躊躇ったため、リリアの部屋をアルベルトに使ってもらうことにした。本人が許可を出しているのだから問題ない。
その代わりリリアがサラの部屋を使わせてもらうことにした。
自分の寝室に顔を出すと、アルベルトがそわそわしている雰囲気が伝わってきた。
「アルベルト様、何か必要な物はありますか?」
「いや、寝るだけなら問題ない」
声がよそよそしい。
「本当にここを使っていいのか」
「寝るだけですから」
部屋の物色をするような人ではないとわかっている。寝て起きるだけなら問題ない。
「それじゃ、おやすみなさい」
「リリア」
挨拶をしてサラの部屋へと行こうとすると、アルベルトが近づいてきた。
「髪が濡れてる」
「あっ、私は魔法が使えないので自然に乾かすしかなくて」
魔法が使えれば風呂上りで濡れてしまった髪を乾かすこともできるのだが、リリアは浄化師だ。傷を癒したり魔気を浄化することはできても髪は乾かせない。
「こういう繊細なのは意外と難しいんだが」
アルベルトが呟きながらリリアの髪に触れてきた。
するとふわりと頬を温かい風が優しく撫でていったかと思うと、重みを感じていた髪が急に軽くなった。
「え?」
一瞬にして長い髪が渇いてさらさらとアルベルトの手を滑っていく。魔法で乾かしてくれたのだということはすぐにわかった。
リリアの目に優しくこちらを見つめるアルベルトの表情がはっきりと視えた。
魔力がリリアを包み込んだことで、アルベルトの魔力を借りてぼんやりとした視界がはっきりしたのだ。
ほんの僅かな時間ではあったが、大切なものを扱うように穏やかな表情が記憶に残る。
「リリア?」
自分の魔力が影響したことに気が付いていないアルベルトが不思議そうに名前を呼んだ。
髪を乾かしてもらった。あとは部屋を出て寝るだけのはずだった。それなのに、あの優しい顔を見てしまったせいで離れがたくなってしまった。
もう少し一緒にいたい。そんな感情が胸の中を渦巻く。
「あの・・・」
我が儘を言えば困らせてしまう。言葉を飲み込んで葛藤していると、彼の手が優しく頬に触れてきた。
それと同時に額に柔らかく触れる感触がある。
はっとして顔を上げると、吐息がかかるほどすぐ近くに顔があることがわかった。
「おやすみのキスくらいは許してもらえるだろう」
「・・・もう少し」
葛藤していたことを忘れ、心に残った想いが口からこぼれる。すると、最後まで言うことなく口をふさがれた。優しい口づけに目を閉じると、腰に手が回されたのがわかった。
どれくらいそうしていたのかわからない。気が付けば、リリアはアルベルトに抱きかかえられてベッドへと運ばれていた。
寝かされて顔を上げれば再びキスされる。
前にもこんなことがあったなと、冷静な部分が働いた。あの時は兄の乱入で終わってしまったが、今回は誰も邪魔する者がいない。
どうしたらいいのだろう。途端に思考が混乱してしまった。
そんなリリアの考えなどお構いなしに、唇を離したアルベルトがリリアを抱きしめるようにしてベッドに横になったようだった。
「アルベルト様」
この状況にどう対応するべきか慌てるリリアだったが、アルベルトは落ち着いた声で抱きしめている腕を動かして背中を擦ってきた。
「大丈夫。これ以上は何もしないから。ただ、もう少しだけ一緒にいさせてほしい」
規則正しく背中を叩かれる。落ち着いてと言われているようで、彼も同じ気持ちだったのかと思うと慌てていた気持ちが静まっていくのがわかった。
それと同時に急激に眠気が襲ってくる。
安心したせいだとわかっても眠気に勝つことができなかったリリアはそのまま瞼を閉じて眠りの世界へと落ちて行ってしまった。




