縁談後
まさかこんなことになるとは。
ほっとしているような気持ちを隠したままフラクトル伯爵家を後にしたアルベルトは、帰りの馬車に揺られていた。
彼女と会うまでは縁談を断るつもりでいた。縁談を申し込んだのは兄なのだが、贈り物をしていた伯爵からすれば、縁を結ぶ絶好のチャンスだと思われていると思っていた。渡された時は下心はないように言っていたが、やはりという気持ちがあった。
だが、いざリリア=フラクトルと会って、自分の考えが浅はかであったことを痛感させられた。
彼女は侍女に手を引かれて部屋に入ってきた。そのあとも母親が気遣うようにソファに座らせ、アルベルトの正面にいるはずなのに、決して視線が合わなかった。それで彼女の目が不自由なのだと気づかされた。
「失礼ですが、リリア嬢は目が悪いのですか?」
「はい。あまり見えていません」
確認のために質問すると、はっきりとした答えが返ってきた。そのことにアルベルトは戸惑った。ここまではっきりと自分の目のことを晒す令嬢がいるとは思わなかった。
リリアが何かを察したように人払いをすると、アルベルトはさらに質問をしてみた。
「先日の夜会の時も、あまり見えない状態で参加していたのか」
少し砕けた口調にしたのは警戒されないためだ。
話によると、彼女の兄がリリアに会わせたい人がいたため、あの夜会に参加したという。1人になったのは、兄がダンスをしている1曲の間だけのつもりだったらしい。
「あの時は助かりました」
そう言う彼女は本当に助かったと心から思っているようだった。
そんな彼女を見ていると、自分が最初に考えていたことが間違いだと気づかされる。
「欲がないんだな」
このまま婚約したいと彼女は考えていないようだった。結びつきを得るためにケーキという贈り物をしたのだと思っていたが、本当に礼のつもりだけだったのだろう。
純粋すぎて、逆に興味を惹かれた。だからこそ、婚約という形を提案した。もっと彼女のことを知ってみたいと思ったのだ。
リリアは戸惑いながらも受け入れてくれた。
屋敷に戻ればすぐに兄に報告しなければいけない。ウォルスター公爵とフラクトル伯爵に正式な婚約の書類を交わしてもらう必要がある。
「婚約者か」
帰り際、侍女に手を引かれて玄関まで見送りに来たリリアとはやはり視線が合わなかった。それは仕方のないことではあったが、いつかまっすぐに自分を見てほしいと思ってしまう。目が悪いとはいえ、どこに自分がいるのかはわかっているようだし、ぼんやりとした視界の中でアルベルトの存在を認識できている。できることなら視線も合わせてみたいと思った。
「少し、騒がしくなるかもしれないな」
婚約者ができたとなれば、貴族の間ですぐに噂になるだろう。
アルベルト自身、今までにいくつかの縁談が舞い込んできていた。それらをすべて拒絶していたにも拘わらず、婚約者が出来たことになる。しかも、社交界で噂も名前さえ上がったことのない令嬢との縁談が成立したのだ。どんな相手なのか探りを入れてくる貴族は少なくないだろう。
リリアの目が悪いことはすぐに知られることになると予想しなければいけない。そうなれば彼女を卑下する貴族は必ず現れる。アルベルトは彼女を護らなければならなくなった。
彼女の心から笑った顔はまだ見たことがない。まだ戸惑いが大きいだろうが、いつかリリアの笑顔を見てみたいと思っている。その隣に胸を張って立てるようにアルベルトも努力しなければいけないだろう。
馬車に揺られながら、屋敷に到着するまでこの先のことを考えているのだった。