お茶をともに
ウォルスター公爵の弟とフラクトル伯爵の令嬢との間に婚約という契約が交わされ、表向きは正式な婚約者となった。
2人の間ではまだ仮という気持ちはあるが、中途半端な関係だと知られると、他の貴族が色々な噂を流す可能性があったので、2人とも正式な婚約者としての振舞いを心掛けることにした。
それに、お互いのことを知っていく時間を取らなければいけない。もっとお互いを知りたいという理由も婚約をした1つなのだ。
婚約者となって数日後、アルベルトから訪問したいという連絡が届き、フラクトル家に招くことになった。
「あまり時間を空けると、周りに怪しまれる可能性があるから」
目が悪いリリアのことを考えて、彼が訪問してくれる形を取ってくれた。婚約者になってまだ数日だが、会わない期間が長くなると、周りの貴族から怪しまれることを考えての行動だ。
「そうですよね。私はあまり社交界に出ないですから、そういうことにどうも疎くて」
リリアが困った顔をすると、彼が笑った気配が伝わってくる。
「リリア嬢はいつも通りに過ごしてくれればいいんだ。周りの配慮は俺がしていけばいいだけだから」
やけに砕けた口調になったのは、婚約者になったからというのもあるが、できるだけお互い早く打ち解けるための方法でもあった。そのため、お互いに名前で呼ぶことにもしていた。
「アルベルト様だけに負担をかけるわけにはいきません。私もできることはしていかないと」
まだ慣れないリリアは少し距離のある話し方になってしまう。それでもできるだけ親しみを込めて話すことを心掛けてはいた。
「と、言ってもできることがあまりないのですよね」
目が悪く、屋敷の外にあまり出ないリリアができることなど限りがある。結局はアルベルトに任せる部分が多いだろう。
肩を落とすと、再び笑われた気がした。それが見守るような優しい笑い方であるというのが伝わってくるので不快には思わない。
「今度、一緒に出掛けてみようか」
「え?」
「俺とでは不安だろうか?」
「そ、そんなことありません。でも、出かけると言ってもどこへ行けば」
急な提案に戸惑うことしかできなかった。一緒に出掛けることで親睦を深めようということなのだろうが、街にさえ出かけることが少ないリリアでは、一緒に行く場所など思いつかないのだ。
「とりあえず街を散策するというのはどうだろう。街の中のことも知らないようだし、少しだけ冒険するつもりで」
目が悪いために、買い物は使用人に頼むことが多い。もしくは店側が商品を抱えて屋敷に来てくれるかだ。リリア自身が街に行くのは限られていた。
「私でよろしければ」
冒険という言葉に少しだけ心惹かれた。そんな風に自分に手を差し出してくれた人は初めてだ。
「いつがいいだろう。あまり遅くなると、次の遠征の予定が入ってしまうだろうし」
「どこかへ行く予定があるんですか?」
アルベルトは黒騎士隊の隊長だ。黒騎士隊は第3騎士団に所属し、王都から離れた街などに派遣されることが多い。その最も多い理由は魔物討伐だ。
各街にも傭兵団がいて、彼らが魔物から街を護ってくれているが、中には傭兵だけでは倒せない厄介な魔物がいたり、傭兵を雇えないほど小さな村などもある。そんなときは、街や村を治める領主から国王に騎士団を貸してほしいという要請が来るのだ。
東方の魔物討伐は第3騎士団が派遣されることになっている。その時には必ず黒騎士隊が加えられる。彼らは少数の部隊ではあるが実力揃いだ。
「まだ決まってはいないが、魔物の動きが活発な地域から、要請がかかっている。近いうちに遠征に行くことにはなりそうだ」
遠征となれば最低でも1か月は戻ってこられない。移動だけでも数日かかるような遠くへ行くことになる。
書類上正式な婚約者となって初めての顔合わせで、すぐに会えなくなるというのは、少し寂しいと思ってしまった。お互いのことを知っていくための時間のはずなのに、1か月も会えなくなっては、何も知ることができなくなってしまう。
「できるだけ早くに街に行きましょう」
正式に遠征が決まったわけではなかったが、彼と一緒に出掛けられることが楽しみなのだ。
「日程の確認が取れ次第連絡する。リリア嬢の都合が悪い日を教えてくれれば、俺もできるだけ早く出かけられる日を考えられるが」
「それなら心配ありません。私はほとんど出かけませんから」
屋敷内で家族とお茶をしたり、料理をしたり、たまに本を読んで過ごすのがリリアの日課になっている。
出かけない代わりにリリアを尋ねてくる人はいるが、それも数人だけだ。ここ数日、訪問の予定は入っていなかった。
「・・・そうか」
いつも通りの日常を振り返って答えたつもりだったが、なぜかアルベルトは戸惑った返事をしてきた。
「どうかしました?」
「いや、どこにも出かけないことを堂々と言われたものだから、少し戸惑ってしまっただけだよ」
そう言われて自分が引きこもり宣言をしていることに気が付いた。世間から見れば、あまり好感が持てる発言ではない。
「ごめんなさい。これが私にとっての普通だったので」
目のことは彼も理解している。それに甘えて外に出ないことを堂々と言うのはどうなのだろう。
だからといって、都合の悪い日が突然出てくるわけもなく、やはりいつ出かけても問題ないことを再確認するだけとなった。
複雑な心境を抱えながらのお茶会が進んでいく。
「今日はクッキーを焼いてみたんです」
彼が帰ることになり玄関まで見送りに行くと、持っていた紙袋を渡した。
今日のためにリリアが焼いたクッキーだ。先ほどのお茶の時にも出していたのだが、それとは違う味の物をお土産に用意してみた。
「このまま寮に帰るのでしょう。寮の方と一緒に食べられるように多めに入れておきましたから」
彼は黒騎士として、城が所有する独身者のための騎士寮に在籍していた。公爵家には寄らずにそのまま寮に戻るようだったので、一緒に暮らしている騎士仲間と食べられるように多めの量を袋に詰めていた。
「前にもらったカップケーキも美味しかったから、今日のクッキーも期待できるな」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
料理長からの高評価ももらっているので、味の心配はない。喜んでもらえていることに嬉しくなって素直に気持ちを口にすると、アルベルトが息を飲むのがわかった。
「どうかしました?」
首を傾げると、彼は咳払いをした。
「なんでもない。それじゃまた連絡する」
そっと手を持ち上げられると、彼の吐息が指先にかかった。触れるかどうかのキスにどきどきしてしまう。離れた右手を左手で覆っていると、彼は迎えの馬車に乗り込んで屋敷を後にした。
「これが、婚約者がいるということなのね」
馬車が去っていった門を眺めながら呟くと、隣に控えていたエルが微笑む気配がした。
「お嬢様は笑っているのが一番です」
「どういう意味?」
突然のことに首を傾げると、エルは屋敷に入るように促しながら言葉を続けた。
「先ほどのウォルスター様、お菓子を褒められて笑ったお嬢様のお顔に見惚れていましたよ」
「え?」
確かにお菓子を褒められて嬉しくなって笑顔を向けたが、彼が一瞬息を飲んだのはわかった。それが見惚れていたとは想像もしていなかった。
「エルの見間違いじゃないの?」
自分の笑顔に見惚れるなんて、そんなことあるとは思えない。
それなのに、エルは隣で笑っている。
「今度のお出かけが楽しみですね。いつでも出かけられるように準備をしておきます」
話をはぐらかされたが、出かける約束をしたことを思い出し、リリアも今からわくわくしてしまう。婚約者ができただけではなく、一緒に出掛けることもできるのだ。まだ日程は決まっていないが、それでもリリアの心は今から弾んでいた。




