急な訪問
「リリア!」
母のこんな慌てた声を聞くのは久しぶりな気がして、部屋で寛いでいたリリアはどうしたのだろうと首を傾げた。バタバタと走ってくる足音とノックもなしに扉が勢いよく開かれる。
「お母様?」
今日は水色のドレスを着ているはずのサラは、部屋に入ってくるなりずんずんとリリアに近づいてきて肩を掴んだ。
「リリア、すぐに出かける準備をしなさい」
「今日は出かける予定はなかったはずよ。急にどうしたの?」
不思議に思いながらも、サラの様子に嫌な予感がする。
「何かあったの?」
「いろいろと立て込む事情が出来てしまってね。姉さんとリリアにはピリカの森に来てもらうことになったよ」
突然扉の方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。視線を向ければ黒のローブに赤い髪の女性がはっきり視えた。
「セイ叔母様」
「久しぶり。ずっと会いに来られなくて悪かったね」
「私もなかなか会いに行けなくてごめんなさい」
サラの妹であるセイはピリカの森に住む魔女だ。数日前にアルベルトが城の中で会ったと言っていたが、フラクトル家に来る気配がなかった。用事だけ済ませて森に帰ってしまったのだと残念に思っていたのだが、まだ王都に滞在していたらしい。
叔母が訪ねてきて、母が急に出かけると言い出した。しかもセイが言うにはピリカの森に行かなければいけない。
「もしかして、お祖母様に何かあったの」
2人の様子から嫌な予感がどんどん広がっていく。
「お祖母様は大丈夫よ。それとは別に森に行くことになったの」
リリアの祖母はサラやセイにとっては母親になる。何かあったからセイが呼びに来たのだと思ったのだが、予想とは違う理由で森へ行かなければならないようだ。
予想が外れたことにほっとしていると、セイが近づいてきてリリアの頭を撫でた。
「余計な心配をさせてしまったようだね。長はピンピンしているから心配しなくていい。それよりも別件でピリカの魔女は一度森に戻ることになった」
「それは私も含まれているんですか?」
リリアは魔女ではなく浄化師だ。母も魔力が弱くて魔女になれなかった。そんな2人も森に行くということに首を傾げる。
「王都にいる魔女たちはみんな森に戻っている。リリアや姉さんは魔女ではないけれど、長の血筋だからね。どうしても一緒に行く必要が出てきた」
「私の力が必要ということ?」
「あまりここでゆっくり説明している時間がないんだよ。詳しいことは森に戻ってから話すから、今は出かける準備をしてくれないかい」
わからないことだらけだが、サラもセイも急いでいることだけは伝わった。
「お兄様は?」
兄のレイルもピリカの血筋だ。しかも、周りには公表していないだけで、彼は魔力を十分に持っている。魔術師を名乗っていないだけで、魔術師としての力は強い。
「あれはまた別の事情があるから、来る来ないは本人に任せることになった」
レイルは選択制で、リリアは強制だという。この違いが何なのかわからないが、とりあえず支度をすることにした。
「荷物はどうしたらいいかしら」
「とりあえずすぐ必要な物だけ用意して、後は森に戻って必要に応じて送ってもらいましょう」
そうなると少ない荷物で移動できる。
必要になりそうなものを頭に浮かべていると、サラが心配そうにセイに話しかけていた。
「本当に必要な行動なのよね」
「仕方ない。今は退くのが一番だよ。その後のことは相手の出方次第にはなるけれど、こちらとしてはしばらく様子見を考えているところ」
何の話だろうと思った時、セイは予想もしていなかったことを言った。
「王家との契約書は古いからね。今時に合わせた新しい契約を交わす予定があったんだ。今回のもめ事をきっかけに一度破棄するのも悪くないと思うよ」
「契約の破棄・・・」
胸の奥がざわつくのを感じた。王家との契約とはピリカの魔女が敵国を退けた時に、王家から感謝されるのと同時に、今後も王都を護るための約束をした。その代わり王家はピリカの森に干渉しないことを約束したのだ。その後200年、敵国がその後攻めてくることはなかったが、ピリカは王都の西側を守護するように存在し続けている。
魔女たちとしては王都を護ったというより自分たちの領域を護ったという意識が強いのだが、それでも敵国から国が護られたことは間違いない。王家はピリカの魔女たちを特別視してくれている。
その契約が交わされてから、契約の見直しは一度もされたことがなかった。その契約を破棄することになったとセイは言っているようだ。
「どうしてそんなことになったの?」
急な展開に戸惑いながらリリアが質問すると、セイは難しそうな顔をした。
「大まかにいえば神殿と揉めてね。あたしたちのことを侮辱してきたから、この際神殿を管轄している王家にも責任を取ってもらって、契約の破棄を宣言してきた」
大雑把な説明ではあったが、契約を破棄しようと思う程の侮辱があったのは確かだろう。そうでなければ長代理のセイが破棄するなどと口にするとは思えない。
その衝撃にふらついたリリアは椅子に座り直して深呼吸を繰り返した。
「リリア、大丈夫?」
サラが心配して寄り添ってくれる。
「あたしたちは一度森に戻って、神殿や王家、できることならピリカを見下している貴族たちも深く反省してくれるのを待つつもりでいるんだよ。その後のことはまだ決まっていないけど、交渉が必要ならそれに対応するつもりはあるよ」
ピリカの魔女たちも侮辱されて森に帰ることにしたが、一生王家と関わらないつもりでいるわけではない。状況を見極めて交渉することは考えてくれていた。
「そういうわけで、姉さんとリリアは魔女ではないけど、長の血筋だからね。ここに残しておくと人質みたいな状態になりかねない。一度森に来てほしいと考えたんだ」
フラクトル伯爵夫人がピリカ出身だということはある程度知られている。オルファが結婚する時に王家にも知らされていたはずなので、王家としては魔女たちとの交渉にサラを利用したいと思うかもしれない。その時のサラの立場が危険にならないように森に戻ることが提案された。それはリリアも同じで、2人は急いでここを離れる必要があった。
「お兄様は?」
サラの息子であるレイルもピリカの血筋だ。一緒に戻るべきだろうが、先ほどセイは選択させると言っていた。
「あの子はピリカの血筋だけど、フラクトル家の跡取りだ。どちらを選ぶかは自分で選ばせるべきだろう。ここに残ることを選んだ場合は王家に利用されないように細心の注意を払ってもらうしかないが、危険だと思った時は強制的に森に連れて行くことも考えているよ」
レイルは拘束されることがあっても自分で逃げる術を持っている。立場は悪くなるだろうが、自力で森まで戻ることもできるだろう。セイは後のことも考えているようだった。
「それじゃ、急いで森に行く準備をしてくれるかな。あまり時間がないからね」
急かすセイに対して、リリアはもう一つ気になることがあった。
「あの、私には婚約者がいるんですけど。アルベルト様に事情を説明する時間はないかしら」
婚約したことはセイも知っている。城で会ったとも言っていたので、アルベルトとの初対面は済ませている。彼に森に行くことを説明しておかないと心配するだろう。複雑な事情に戻ってくるのに時間がかかる可能性もある。
会って話しておきたいと思ったのだが、セイは黙ってしまうと目を泳がせた。
「叔母様?」
「婚約者に関しては、彼は王家に忠誠を誓う騎士だろう。契約を破棄して国から離れた我々としては、彼も国の一部と考えるしかない」
「それって」
「彼と会うことを許可することはできない。ついでに言うなら、婚約も白紙に戻ると考えておいた方がいい」
衝撃しかなかった。呼吸をすることさえ忘れて目を見開いた。どれだけそうしてもセイ以外はぼんやりと見えるだけで、サラがどんな表情をしているのかわからなかった。
「そんなの、あんまりじゃ」
やっと漏れた言葉はそれだけだった。セイがこちらに視線を向けると近づいてきて左手を顔の前にかざした。
「ごめんね」
その呟きを最後にリリアは急激な睡魔に襲われて意識を手放すことになった。
意識が途切れる寸前、婚約者の名を呼んだが、それは声になることなく心の中だけで終わってしまった。




