白い仮面
リリアの部屋に入るのは初めてだった。
事件のあとに彼女の見舞いで顔を出したが、その時も客間に通されてソファに座る彼女と話をした。ケインの治療によって怪我は治っていたため、身体を動かしても問題なかったのだ。精神的に堪えたはずの事件ではあったが、リリアはこちらが心配していたよりも元気にしていて寝込むこともなかったと聞いた。
そのため彼女の部屋への見舞いとはならなかった。
婚約者になってから、いつも別の部屋や中庭でのお茶を楽しんでいたため、リリアの部屋は見たことがない。
イグナスの提案でリリアは仮面を取りに行くことになった。1人で行こうとしたところを、直接見に行けばいいとイグナスに促されてアルベルトも彼女の部屋に行くことになった。
客間にはイグナスが残って2人だけで部屋に来た。
初めての部屋に緊張しながら招かれると、入った瞬間に落ち着いた香りが鼻をくすぐった。
「この匂いは?」
「ラベンダーです。事件のあと落ち着けるようにと家族が用意してくれたんです」
ラベンダーの匂いには安眠効果や精神を落ち着かせる効果があると言われている。少しでも娘が安心して過ごせるようにと両親が香油や匂い袋、生花なども用意してくれた。
「そうか。今度の手土産はラベンダーにしよう」
「これ以上あっても効果は変わらないと思いますよ。もうずっとラベンダーばかりで少し飽きていたところなんです」
少し困った顔をしてリリアが答える。家族は心配のあまり真剣にラベンダー一色を集めてきたようだ。他の花などでも不安を取り除いたり、精神を落ち着かせてくれる物はあるだろう。帰ったら調べてそれを今度の手土産にした方が良さそうだ。
「椅子が1つありますから、そちらで待っていてください」
部屋にはベッドが1つ。その近くに小さなテーブルと椅子が1つだけ。壁際に身だしなみを整えるためのドレッサーと小物が置かれている棚があるだけのシンプルなものだった。
周りに物がたくさんあると目が不自由なリリアがぶつかったり転んだりする可能性が高くなる。それを考慮して物を少なめにシンプルな部屋になっていた。屋敷内も廊下に調度品が置かれていない。他の人から見ると殺風景な屋敷内だが、すべてはリリアへの配慮なのだ。
勧められた椅子に座ると、ドレッサーに近づいたリリアが引き出しから白い物を取り出した。同じ白い紐が付いていて、それを顔へと近づけていく。
アルベルトが見守っていると、紐を後頭部で結んで彼女が振り返った。
なんの感情も表していない真っ白な仮面がこちらを見る。
仮面をつけたリリアを見るのはこれが2度目だ。最初はアルベルトが魔気に侵食されて倒れ、浄化をするために駆け付けた時だ。あの時は朦朧とした意識の中ではあったが、白い仮面のことは覚えている。
「これはイグナスおじ様が私のために作ってくれた特別な仮面です」
説明しながら近づいてきた彼女は、アルベルトの前で止まると顔を覗き込むように体を倒してきた。
そこで気が付いた。
仮面の奥にあるリリアの目がはっきりとアルベルトの視線と絡んでいることに。
「リリア」
名を呼ぶとフッと笑みが零れる。
「・・・見えて、いるのか?」
視線を合わせたまま問いかけると、小さく頷くのがわかった。
「この仮面は魔力を宿しています。仕組みまでは私にもわかりませんが、仮面を通すことで魔力によって周囲を視ることが可能になります」
ただ顔を隠すためのものではない。魔力を宿した仮面はリリアに観ることを提供していた。
朦朧とした意識の中彼女が柔らかく笑ったのを覚えていたが、一瞬目が合ったような気がしていた。あの女性がリリアだと気が付いた時に、視線が合ったのは気のせいだったと片付けてしまったが本当に視線が合っていたのだ。
「いつか、話をしなければと思っていたんですが、なかなか言い出せるタイミングが出来なくて」
近くにあるベッドに腰掛けると、寂しそうな雰囲気が伝わってきた。視線が合うようになったとはいえ、仮面をつけていては今度は表情がわからない。わずかに見える口元だけが頼りになる。
「今回の事件がこれで終わりとは限らないのであれば、いつまでも隠し事をしているわけにはいかないと思ったんです」
ウォルスター公爵家に関りのある人間が狙われる。リリアもその対象に含まれた以上、隠し事を減らしたいと打ち明ける決意をしてくれたのだ。
「1つ聞かせてほしい」
意を決したように言うリリアに、アルベルトは疑問に思っていたことを口にした。
「リリアが犯人から逃げた時、監禁小屋から俺が見つけた場所までの距離が遠いように思っていたんだ。もしかして、あの時は視ながら逃げたのか」
「・・・はい」
リックスが疑問に思っていたことを、アルベルトも気にはしていた。それでもたまたま逃げることに成功したと思うことにしておいた。逃げた距離を詮索するよりも事件解決の方が重要だった。
「そうか。今は俺の顔が視えているんだね」
「はい。はっきりと」
椅子から立ち上がり、リリアの前まで行くと膝をついて視線を合わせた。
近い距離にリリアがそっと手を伸ばしてくる。恐る恐るといった感じで頬に触れてきた。
「アルベルト様の顔をちゃんと見たのはこれが初めてですね」
「俺の浄化をしてくれた時に視ているだろう」
「あの時はこんなにゆっくり視ていられませんでしたから」
口元が緩み、微笑んだのがわかった。
アルベルトはさらに近づこうとして悩んだ。
「う~ん」
「アルベルト様?」
首を傾げるリリアの表情がわからない。なんだか寂しい気持ちになってしまう。視てもらうためには仕方がないことなのに、我が儘は十分理解したうえで彼女に手を伸ばした。
「え?」
顔の横を通り過ぎて後頭部へと手が伸びる。
「今は邪魔だな」
そう言って縛っていた紐を解いてしまう。仮面が外れた途端覗いたリリアの顔が驚きと戸惑いを浮かべていた。視線は当然合わない。それを気にすることなく彼女の唇に自分のそれを重ねた。
「仮面が邪魔でキスできないだろう」
唇を離すと何度も瞬きをしているリリアが頬を赤らめた。
「えっと、あの・・・その」
何を言ったらいいのかわからないのだろう。ぼんやりとしてしまった視界ではアルベルトの視線と絡むこともない。
そっと頬に触れると、ピクリと体が反応したのがわかった。
「秘密を話せなかったことは理解できる。話せばこちらがどんな反応をするのか怖かっただろう。躊躇う気持ちがあることを否定するつもりはないよ」
浄化の力があることがばれた時もリリアは動揺していた。もしかすると利用されるかもしれない。怯える彼女にアルベルトは否定するように本当の婚約者になろうと言った。
今回は隠していた秘密を自分の口から打ち明けたが、それでもどうなるのか予想が出来なくて怖かったはずだ。
「話してくれてありがとう。俺はこれからもリリアの側にいられる許可をもらったと判断するけど、いいね」
確認を込めて問いかける。
すると、アルベルトの言葉を聞いたリリアがベッドから腰を浮かせるとそのままの勢いで抱きついてきた。
足と腰に力を込めて飛び込んできた体を受け止める。
「ありがとう」
肩に顔を埋めるようにしてリリアが呟く。くぐもった声ではあったが、はっきりと聞き取ることができた。そっと背中を撫でてやるとゆっくりと顔が上げてこちらを見た。
泣きそうなのを堪えているようで目が潤んでいる。それでもリリアは笑顔を見せた。
「ありがとう」
もう一度同じ言葉が紡がれる。
アルベルトはもう一度リリアにキスをした。
今度はゆっくりと長く。相手に自分の気持ちが届くように。
体を離すとリリアはどこも見ていないように呆然としていた。体の力が抜けたのかバランスを崩しそうになって支えてやる。
少しやり過ぎたかなと思いながら視界にベッドが入った。
「・・・・・」
今は昼だ。もうすぐ昼食の時間だろう。だがリリアをこのままにしておけない。
葛藤すること数秒。アルベルトはリリアをベッドに横たえることにした。
「アルベルト様」
自分を呼ぶ声に少しだけ理性が揺らぐ。
「大丈夫。ここにいるから」
頭を撫でてやると嬉しそうに微笑まれてしまった。おそらく彼女は何の意図も持たずに反応しているだけだろう。それがわかるだけにこれ以上手を出してはいけないと自分に言い聞かせておいた。
「話すべきことはこれで終わり?」
これ以上隠していることがあったら驚くよりも呆れてしまいそうな気がする。
「私の秘密は2つだけです」
浄化の力と魔力が視える目。目が不自由でなければ隠す必要もなかっただろう。リリアの生まれつきの体質によって隠さなければいけなくなった秘密ごと。
その秘密にアルベルトも含んでもらえたことは嬉しく思う。これからはリリアの秘密を共有しながら一緒に歩んでいくことになるだろう。
そっと頬に触れると、リリアがこちらを見上げてきた。
さっき自分に言い聞かせたはずなのに、もう我慢が出来ない自分に内心苦笑しながら、そっと顔を近づけていった。
「リリちゃん、サプライズでお見舞いに来たわよぉ」
唇が触れ合う寸前、突然扉が開かれて白いローブに身を包んだ浄化師ケインが元気な声を上げて入ってきた。
『・・・・・』
全員が無言になる。
ベッドに横たわるリリアと、彼女に被さるようにして顔を近づけているアルベルト。驚いた2人がケインを振り返ると、彼は数回瞬きをして両手で口元を押さえた。
「あら嫌だわ。お邪魔しちゃったみたいね。ごめんなさい。もうすぐお昼だからお見舞いついでに呼びに来たんだけど、もう少し掛かりそうならサラに伝えておくわね」
そう言って引き返そうとする。
「ちょ、ちょっと待って」
慌てたようにリリアが飛び起きて部屋を出ていったケインを追いかけた。目が不自由でも自分の屋敷内は平気なのだろう。どこかにぶつかる様子もなく走って行ってしまう。
「ケイン様、今のはその、大事な話をしていて」
「婚約者なんですから気にすることないわよ。でも日も高い時間からあまり激しいことはしちゃ駄目よ」
「ち、違います。別にやましいことは何も」
「オルファとレイルには内緒にいておくわ。知ったら、2人の邪魔ばっかりしそうだもの」
「だから、アルベルト様とは何もなくて」
廊下に響く声がここまで聞こえてくる。
何もなかったと言うのは苦しすぎる言い訳に思える。現に先ほどキスをしていたのだから。やましい気持ちはリリアにはなかっただろうが、アルベルトは少し持ってしまったので反論のしようがない。
「というより、この屋敷は邪魔が入るのが当たり前になっているな」
前はレイルの介入だったが、今は仕事で城に行っている。その代わりのように別の人間が介入してきた。
そう言えばイグナスを客間に置いてきたままだったことを思い出した。
廊下からはまだリリアとケインが何事かを言い合っているようだったが、アルベルトはため息を零しながら窓から見える青空をしばらく眺めて現実逃避をするのだった。




