婚約破棄?
客間で向かい合わせに座ると、エルがお茶を用意して部屋を出ていった。
本当に2人だけになると、向かいに座るアルベルトが緊張している雰囲気が感じられる。
父の同席を提案したが、オルファは客間についてくることはなかった。どうやら2人だけで話をさせてくれるようだ。
オルファの怒りを浴びたことで体がまだ緊張しているのかもしれない。
ここは自分から話を切り出した方がいいだろう。
「公爵様の具合はいかがですか?」
公爵の浄化のことで訪れたことは簡単に想像できる。浄化を行ったときアルベルトは仕事で城へ行っていたので立ち会っていない。詳しい状況を聞きたいと思っているだろう。
「いつもと変わらない。倒れたなんて誰も信じられないほど元気になったよ」
周囲には領地の移動の疲れが出た、賊に襲われて軽いけがをしたなどと理由をつけて仕事を休んだことにしていた。決して魔気に侵食されたという情報が出回ることはない。
「本当にありがとう」
「私は何もしていませんよ。ただ、一緒に付き添ってくれた浄化師が公爵様を診てくれただけです」
たまたま一緒にいただけ。運よく公爵を診察してもらった。それが周知させるべき内容だ。
「と、いうことにしておいてくださいね」
「わかっている」
明るい声で言うと、アルベルトも心得ているというように安心した声で返してきた。
「浄化はリリアが?」
「はい。そこまでケイン様の手を煩わせるわけにはいきませんから」
一緒に公爵邸へ行った浄化師ケインのことを知らない可能性があったので、彼のことを説明しておくことにした。彼は神殿の浄化師としてリリアの力の秘密を知る唯一の人物だ。
「そんな協力者がいたんだな」
「神殿の情報も聞かせてくれるので、私としては助かっています」
リリアが浄化の力を使えると知られないための協力者でもある。神殿は回復魔法や浄化が使える人間を見つけると身分に関係なく神官へと誘う。回復士はある程度の人数がいるが、浄化師はとても少ない。リリアの存在を知ったら、何が何でも神殿へと勧誘するだろう。
目が不自由なことと魔力が視えることを考えると、神殿へは行きたくないのが本音だ。浄化師として以外にも色々と調べられてしまう可能性が大きい。
「魔気の侵食は公爵様の肩のあたりが一番ひどかったです。おそらく賊に襲われた時に何かをぶつけられたと聞いていたので、魔気石だったのでしょうね」
魔気石は魔気を吸い込んだ魔石のことだ。魔術師が魔力を注ぎ込んで作る魔法石と同じように、時間をかけて魔気が侵食した魔石というものも存在する。魔石はどんな力の魔力でも吸収して、その中身によって姿を変える石なのだ。
魔気石はクリステッドの体に触れる寸前で中の魔気を解放させて閉じ込めていた魔気がそのまま体に入り込んでしまったと考えていいだろう。相手に気づかれることなくゆっくりと体の奥へと入り込んだ魔気は時間をかけて体内で力を増幅させていった。それが大きくなることでやがて体に異変を感じたクリステッドが倒れると、魔気が一気に体外へと噴き出していったようだ。
「魔気石をぶつけた犯人は逃がしてしまったが、奴は実行犯であって、指示を出した人間は他にいると思っている。ただ、今のところ証拠がないから、何もできないが」
すでに犯人の目星はついているのかもしれない。
「こんなことをした理由がわかっているのですか?」
「おそらく公爵家同士の問題だろう。兄は国王から信頼をされている分、発言の力が強くなってきているんだ」
政治的なことはわからないが、どうやらウォルスター公爵は政の中心にいることが多くなってきたらしい。貴族内でのパワーバランスが変わってきているようだ。それをよく思わない公爵家から嫌がらせとして今回のことが起こった。命にもかかわる攻撃である。限度を超えていると言っていい。
「魔気が体内に入ればどうなるか、わかると思うのですが」
侵食された体はどんどん弱っていき、魔物のように変異するか、命を落とす可能性が高い。
「その前に浄化師を手配するのはわかっていただろう。犯人としては浄化師の力を借りなければならないほどの状況に追い込まれたという事実が大事だったんだ」
ウォルスター公爵が魔気によって倒れて治療を受けた。その噂を流せれば、後は自由に脚色して噂を変質させることは簡単だろう。それが相手方の狙いだったとアルベルトは考えている。ところがクリステッドは賊に襲われたが軽症ですみ、過労で体調を崩したものの、数日で元気に回復して仕事に戻ることになる。
これでは色々な噂を流したかった貴族としては面白くない。
「兄は明日から仕事に復帰する予定にしてある。仕掛けてきた相手の出方はこれからになるだろうが、首謀者は見つけるつもりだ」
ここからはクリステッドの戦いになる。アルベルトも手伝うことがあるだろうが、基本的に自分の仕事が優先だ。何かあった時、ウォルスター公爵家の一員として動くことになるだろう。
「リリアには感謝している。勝手なお願いをしたにも拘わらず、協力をしてくれたんだから」
「私は自分にできることをしただけです」
リリアに浄化を頼むことに葛藤があったのは話をしていて感じ取っていた。それでも簡単にわかりましたと言うことはできない。ずっと隠して来てくれて人たちのことを考えると当然だ。
リリア自身も公にしたいと思っていない。
隠したまま自分にできることをしたまでだ。
「それで・・・あの時のレイル殿が言っていたことなんだけど・・・」
急に声のトーンが下がった。
「お兄様が言っていたこと?」
レイルはなにか言っていただろうか。乱入してきた時のことを思い出してみた。部屋に入ってくるなりアルベルトに掴みかかったとエルが言っていた。動揺している間に兄に連れられて部屋から出てしまったが、あの時何か言っていたような。
「伯爵に婚約の破棄を進言すると言っていたが、覚えていないか?」
「あ、そういえばそんなことを言っていましたね」
なんとなく思い出してきた。捨て台詞のように言っていたが、その後兄と廊下で話をしていてすっかり忘れていた。
あの後レイルは父に婚約破棄を進言したのだろうか。リリアはウォルスター公爵を助ける考えがあると言って話はそこで終わってしまっていた。
「お父様からは何も聞いていませんけど」
仕事に行く前も、戻ってきてからもアルベルトとの婚約に関する話は一切聞いていなかった。
「たぶん、お兄様は何も言っていないんじゃないかしら」
兄が仕事から戻ってくると、リリアはウォルスター公爵家へケインと一緒に行った経緯を説明しておいた。表向きはすべてケインがしたことになっている。浄化はリリアがしたのだが、そのことはすべて伏せられた。話を聞いていたレイルは、ほっとしたような、どこかもどかしそうな複雑な表情をしていたものの、一応今回の件は納得してくれていた。
「それじゃ、婚約破棄の話は」
「元からなかったと思います」
この先父や兄の考えが変わらなければ、婚約は継続されていく。
「もしかして、破棄したかったですか?」
「とんでもない!」
ガタンと大きな音が聞こえた。黒い影が大きく伸びたことから立ち上がったのだろう。
その慌てぶりに自然と笑みが零れた。
アルベルトはまだリリアとの婚約を望んでくれている。その事実が嬉しかった。
「すまない大声を出して」
気が付いたアルベルトが弱い声で言うとソファに座り直したのがわかった。リリアは首を振って静かに立ち上がると、アルベルトの隣に移動した。
「リリア?」
「私から婚約破棄をしたいということはないですよ」
リリアの目が原因で今までの縁談が駄目になっていた。結婚などできないだろうと諦めていた時に、アルベルトは目のことも浄化の力のことも関係なく、リリア=フラクトルを認めてくれて好きになってくれた。そんな彼をリリアも好きになったのだ。自分からその手を放すようなことはしたくない。
「ここで婚約破棄されたら、私はきっと一生独身ですね」
また縁談が来ても、ありのままのリリアを受け入れてくれる人はいないだろう。そして、リリアも心を開ける自信がない。隣にいてほしいのはアルベルト=ウォルスターであってほしい。
「一生独身なんて、そんなことはさせない」
包み込むようにアルベルトに抱きしめられたと気づいた時には、そっと唇に触れるものがあった。
「アルベルト様」
キスをされたと理解すると同時に頬が急激に熱くなる。
「俺からも婚約破棄なんて言わない。これからは周りからも言われないようにリリアのことをちゃんと考えて行動する」
様々な葛藤の末、今回は兄のレイルを怒らせてしまった。間違った判断をしたと反省している。もうそれだけでリリアには十分だった。
寄り添うように体を預けると、優しく受け止めてくれる。
「リリア」
名を呼ばれて顔を上げると、すぐ近くに彼の息遣いを感じた。そっと目を閉じればさらにアルベルトが近づいてくるのがわかった。
キスされる。そう思った瞬間、ばたんと大きな音が聞こえ反射的に2人の距離が開いた。
音の方を向くと、そこは扉がある位置だった。誰かが扉を勢いよく開いたらしい。
「アルベルト=ウォルスター、婚約破棄を免れたからと言って、ここで妹といちゃついていいなどと許可した覚えはないぞ」
地を這うような低い声が兄のレイルだとわかると、前にも同じようなことがあったなと呑気に思い出してしまった。
「リリア、父さんが許したからと言って、こんな遅い時間に男と2人で会うのは駄目だよ」
近くまで来たレイルがリリアを立たせると、アルベルトと距離を取るように向かいのソファへと座らせて、自分も隣に当然のように座った。
「話があるならこのまま続けなさい」
「・・・・・」
リリアが困っていると、アルベルトからも困惑している雰囲気が伝わってきた。
しばらく無言の時間が続いたが、話は結論が出ていたので、アルベルトが屋敷を辞することで終わりとなるのだった。




