遠征から戻ってきたら
紅茶を一口飲んでテーブルに戻すと、リリアは雲一つない青空を見上げた。薄い雲はぼんやりとした視界では見分けがつかないが、今のところはっきりと雲だとわかる存在は見当たらない。
「今日は本当に天気がいいですね」
「こんな日は屋敷の中より外でお茶をした方が気持ちがいいわ」
返答から、とりあえず晴天だということは確認できた。
視線を前に戻すと、青いドレスのメリーナが優雅にお茶を飲んでいた。視線が合わないように彼女の肩に視線を彷徨わせる。
メリーナは高い魔力を持っているようで、常に自分の体にうっすらと魔力を纏わせて魔力を放出している。そのため、リリアの目ははっきりと公爵夫人を捉えることができた。
他の物はぼんやりとしか見えない世界に、ぽつんとはっきりしたものが視えると訓練をしているとはいえ、少し違和感がある。相手に気取られることなく視線をずらして、見えていないことを意識しながらの会話を続けた。
「アルベルトが遠征に行って10日くらい経つかしら」
「そうですね。遠征先を聞いていないので、どこまで行ったのかわかりませんが、怪我をしていなければいいんですけど」
「そこは大丈夫よ。あれでも黒騎士よ。そう簡単にやられたりしないわ」
黒騎士は少数精鋭部隊だと聞いている。1人1人の剣の腕もすごいが、必ず魔法も使えなければ入れない。黒騎士は魔法騎士でもあるのだ。
「それよりも帰ってきた時のことを考えたほうがいいわ」
「帰ってきてからですか?」
無事に戻ってくることを前提にメリーナが話を続ける。
「アルベルトが王都にいる時間は意外と少ないのよ。だから、王都にいる間はできるだけ出かけたりお茶をしたりして、一緒にいる時間を作らないと駄目よ」
婚約したというのに、相手がほとんど王都にいないのでは会える時間も限られてくる。会うことが減っていると周りから不仲なのではと変な勘繰りをされる可能性もあるのだ。そうならないためにも、アルベルトの仕事の合間にできるだけ会えるようにするべきなのだ。
「どこか行きたいところはないの?一緒にやってみたいこととか」
「そうですね」
リリアが外に出かけるとなると、周りの協力が常に必要になる。頼めば家族も使用人も手伝ってくれるのだが、彼らにも仕事ややるべきことがある。あまり何度も出かけたいというのは申し訳なく感じてしまうため、本当に出かけたい時だけに声をかけるようになってしまっていた。
その習慣が抜けないため、いざ出かけたいところや、やりたいことを聞かれてもすぐには思いつかなかった。
「最近の流行りもわかりませんし、少し調べてみないと駄目ですね」
「私も教えてあげられるけど、最近行った観劇は・・・駄目よね。見るものはリリアさんには向かないわね」
ぼんやりとしか見えないリリアでは、流行りの観劇を見に行っても声と周りの雰囲気を感じ取るだけになってしまう。それに気が付いたメリーナが残念そうな顔をした。申し訳なく思うが、全員が魔力を纏わせた役者でもない限り、観劇は無理だろう。それにリリアの目のことを知らない人からすれば、劇場にいること自体おかしいと思われてしまう。
「劇は無理ですけど、音楽鑑賞ならできます」
耳で聞くだけなら、音楽や歌は目の不自由なリリアでも楽しめる。
「それじゃ、アルベルトが戻ってきたら演奏会に出かけるのがいいわ」
扇を広げ口元を隠して、うふふとメリーナが楽しそうに笑う。この瞬間、演奏会へ出かけることは決定事項になった。
「そうと決まれば、討伐なんてさっさと終わらせて、とっとと帰って来てもらわないと」
どこまで遠征に行っているのかわからないが、そう簡単に戻ってこられるものではないだろう。リリアは苦笑しながら再び青空を見上げた。
遠征に出かけると聞いて怪我がないようにと、自分が持っていたペンダントを彼に託した。あれは祖母からもらったものだと言ったが、実は自分で作った特殊なものなのだ。
浄化の力を注ぎこんだ魔石を使っているのだが、発動しない限り何の変哲もない宝石が付いたペンダントにしか見えない。
預かったアルベルトも気が付いていなかったようで、ただのお守りだと思ってくれているだろう。
無事に早く戻ってきてほしいと願っている。その自分の新しい感情に戸惑うよりも嬉しさを感じているのが意外だった。
婚約者という立場ではあるが、今はまだお互いを知るための仮の期間だ。ここまでアルベルトのことを気にするようになるとは思っていなかった。
不思議な感覚だが、決して嫌だとは思わない。
「本当に、無事に戻ってきてほしいですね」
空を見上げたままのリリアの呟きに、メリーナが扇で口を隠しながら優しく見守っていたことに気が付くことはなかった。




