第一五話
36
第六十五戦車部隊が全滅したらしいという情報は最優先事項として比較的早く対策本部に届いた。それでも発生から三〇分を要したのは致し方なかったことだろう。それほどに通信状態は悪化していた。リベラライザーがECMを放っているためとも考えられたが、それならば最初からこの状態であって然るべきだった。不調は多分にこの悪天候のためなのだ。情報がもたらされたのは飛行隊の方からだった。作戦を共にしていたAH-1のパイロットが通信の途絶えたのを不審に思い現場に引き返したのだったが、そのときには既に遅く、破壊の限りを尽くされたような街の谷間に、広範囲に散らばった夥しい数の残骸が見られるばかりだったという。彼らは負傷者を確認したが狭い二人乗りの戦闘機体ではライフパックを渡し応急処置を施す以外どうすることもできず、悪天候を前にとうに戦意を失っていたヘリ部隊はそれを終えると何人かのコ・パイと引き替えに負傷者を乗せ、残らず帰投してしまった。落雷のためだったろうか、遂に戻らなかった三機を除いてであった。救助ヘリの離陸には協議が持たれていた。
もう夜の明けかかる時間だったが、厚い黒雲に覆われた東京は時間の経過を覚えさせないまどろんだ悪夢の中に浸っている。一夜にしてこの街を恐怖のどん底に叩き込んだ事件は今や全世界に知られるところとなり、数十億の瞳がことの成り行きを見守っていた。朝霞に置かれた対策本部がその第一通信大隊の面子にかけてありとあらゆる手段により世界中の頭脳に協力を求めようとしたことが、この前触れのないに等しかった事件のニュースがあっという間に広まった一因だった。リベラライザーは世界を揺るがせた。そして今、朝霞の思惑を遥かに越え、事件はまさに世界規模へと成長しようとしていた。
米国首脳陣は逞しいジャーナリズムを前に、アメリカ科学技術庁重力技術研究所の示したこの地球の裏側で起こっている事件に対する恐るべき予見を隠し通すことができなかった。
日本で現物から取り上げた実験データはまだまだ例に乏しく、完全な結論を導き出すことはできない。しかし、その正確さと我々の直感は、たとえ数字が沈黙を求めようとも、この火急の可能性を口外することを科学者の責任と良心をもって命令するのだ。----- この歴史に残る前文で始まった研究所の発表は、そこに居並んだジャーナリストたちを色めき立たせた。
マス・コントロールは地球を破壊する、それこそが発表の本筋だったのだ。このままリベラライザーの走行をゆるせば、既に各地で確認されつつある地球内部で起こっているマントルの対流阻害や異常昇華などの異常現象は加速されおさまるところを失ってしまうだろう。それらの現象とリベラライザーの関係はいささか不明瞭ながらも、確認された時期、というよりも時刻が一致することや、実際のマス・コントロール・デバイスより得られたデータがその理論を裏付ける方向を示していることから我々に直感を与えるものだ。東京で見られている雨のない雷雲はマス・コントロールが大気に対して及ぼしている原子間エネルギーの解放に伴う現象なのだ。諸君、癌細胞を撲滅せねば待っているのは死だけだ。さもなくば、患部は切除されねばならない
全世界が東京を見つめる目の色が変わった。
もはや日本一国だけの問題ではなかった。リベラライザーは地球に芽生えた悪しきキャンサーなのだ。
当のアメリカ大統領を中心とした各国首脳は、喉元に突きつけられた剣の鋭い刃先を前に、苦しい決断を迫られていた。転がった賽の目がどう出るか、それは誰にも分からなかったのだ。分かっているのはその国民のパニックだけだった。
今にもICBMが東京を目指して飛んで来るかもしれない------ 朝霞の対策本部は色を失った。
真っ先にその情報を仕入れた本部で、高田警視監はすぐさま固い報道管制を敷いた。基地に待機したジャーナリストのただの一人も、基地外はおろか、部屋の外に出ることすらゆるされない。電話の通じない今、とりあえず東京周辺地区に対して発表の内容が知られなければ良かった。それ以外の地域は間に合わないかもしれない。警視監の独断に近かったが、彼は迷ってはいなかった。木村一佐を筆頭とする自衛隊の現幹部との話し合いで、住民を退去させるための輸送トラックを東京周辺に集められるだけ集めるよう指揮されることになった。その際に固く口が封じられたことは言うまでもない。時間は残されていなかった。退去の準備ができ次第、順次少しずつ住民を非難させることに話はついた。この状況下、説得はそう難しくないだろう。しかし退去できる環境をつくり出せるかどうかが鍵だった。リベラライザーに対して、その間だけでもバリアーを張らなければならない。彼等を引き付ける何かがあれば良かったのだがリベラライザーは殆ど単機で行動しており、チームプレーは取らない。敵のない悪魔のマシンは思い思いに東京を走り回っているのだ。首都圏を出ることは殆どないようだったが、動きが正確につかめない以上あくまでも憶測の域を出るものではなかった。使われ方が適切でなかったとはいえ、戦車部隊をあっけなく潰された自衛隊に口数は少なかった。
バイクの動きを捉えるのにもっとも有効だったヘリコプターを悪天候に奪われ、その動きを追う術はたとえどんなに通信状態が悪くても随所に派遣された通信兵の無線連絡に頼る以外なかった。リベラライザーが積んでいた無線は随時ランダムに設定される時間に応じてデジタル式に使用バンドの変わるもので、初期状態を知りえない者にはたとえその変動のタイミングを知ったとしても容易には同調することができないようになっていた。その上、無線で流される情報の絶対量が少ない。高峰の指令車、というよりも観戦車が監視を続けている間は常に開かれていた回線も、今では途絶えてしまっていたからだった。
そうして五人のオペレーターが回線を探っている最中、傍らで妙な信号がキャッチされた。すぐに高田警視監が呼ばれる。今や彼が総指揮官であることはそこに居合わせた人間誰の目にも明らかだった。何だ、これは 。警視監は食い入るように押し当てた耳のレシーバーから遠く響いて来る小さな音を感じて尋ねた。
「分かりません。どうも何かが発信しているビーコンのような気がするんですが」
「ビーコンか。該当するようなものはあるか? 」
「今、地図と照らし合わせてますが、どうもないようなんです。NHK局の傍なんで、もしかしたら中継車かなんかが出たのかも知れませんが」
「正確な場所は分かるか」
「五分待って下さい」
「近くにいる警官か、自衛隊に調べさせろ」
言い捨てて彼は本部の方へ踵を返す。つまらないニュースばかりが入って来る。警視監は疲れを覚えた。
傍らの椅子に座ろうとした高田はドドッというような振動を覚えて中腰のまま身をこわばらせた。手狭な室内が水を打ったように静かになっていた。オペレータ席に座った自衛官達の不安を訴える視線が高田の目とかち合い、宙を漂った。虚をついたように木村一佐が無線機に突進して叫んだ。
「どうした!? 何があったか、報告しろ! 」
勿論考えていたことは皆一様だった。高田警視監ですらその応答に注目していた。
急いた気持ちには長い時間に感じられたが、解答は素早かった。そして裏切らなかった。
「来ました! 奴らです、三機、西側の壁を破って侵入っ! 」
木村の顔色がさっと変わった。しかし動揺を部下に知られては指揮に影響する。彼は意識して平静を装った。
「川野陸曹長、聞こえるか! 」
「-- 聞こえます。一佐殿」
「荷物の搬出はどこまで進んでいるか 」
施設部隊の爆弾のことだ。
「後三班が残っていますがどれもすぐ出る予定です。--- はい、倉庫は半分ほどの搬出になります。Cー四を中心に使えということでしたのでそのように」
「三班の作業にどれぐらいかかるか 」
「十五分で出れます」
「急げ!」
「了解」
「滝澤准陸尉! 」
「聞いております! -- 現在展開中、」
滝澤は朝霞の手勢として今さっき到着した普通科中隊を率いていた。頭数を確認したばかりだった。
「よし、来てもらったばかりで悪いが頼む。倒そうとしなくてもいい、本部の護りに四〇、施設班の搬出作業に四〇。二〇で迎え撃て、バイクだと思うな! 」
「了解しました!」
「松島一曹! 」
「はっ! 」
「三人ほど割いて基地内の状況を報告させろ!」
高田はため息を吐いた。どちらかといえば安堵のため息に近かったかもしれなかった。テキパキとした木村の指示はまだ続いていた。自衛隊というのは大きな組織なのだ。勿論総括すれば警視庁だって四万人を越える大組織だったが、組織のあり方が大層違っていた。これで彼らがなんとか打開策を見出してくれればいいんだが、などと彼はどこか呑気なことを考えていた。
「源之内! 左だ、左へ散れ! 」
左手を振った三枝のグーネルニョの脇で対戦車兵器の弾頭が炸裂した。爆風が髪をかき乱そうとするが彼は気にもとめない。ただ基地の広さに攻め方を考えあぐねているに過ぎなかった。あちこちに照明があるので基地内は結構明るい。
派手好きの澤村がマッキンガイアーのコントロール・デバイスを応用して激しいスピンを見せる。夜の中でグランドは抉れ、立ち上る土煙に迷彩色のリベラライザーは姿を消した。三枝は苦笑いする。澤村はあれが大層お気に召しているのだ。ドカン! ---- 音のした方に視線を振ると宿舎らしい建物の一角が崩壊していくところだった。飛び込んだマッキンガイアーが柱を折ったらしい。古びた木造建築だった。連隊だか師団だかの紋章が入り口の脇に描かれていて、三枝はそれが何だか気にいらなかった。トリガーの付いたスティックに手が伸びたが、その獰猛な目はそれよりももっと魅力的なターゲットを認めて作業を中断した。散開する歩兵の姿が目に入ったのだ。三枝はアクセルを捻った。右だ、右に一人、そう判断すると直ちに右の官舎にアタックをかけた。木造の建物はひとたまりもなくバイクの貫通を許すしかない。運悪く柱をへし折られた官舎はそのまま崩れ落ちた。
マシンは奇声を上げる。三枝は右に左に見つけ次第ターゲットを追い続けるが思いを果たせたかどうかはそういう状況では確認が難しかった。それに土煙で視界が悪い。
彼は顔を上げた。いつの間にだろう。視界は数メートルという有様になっていた。必然的にスピードも落ちている。ツンと鼻を突く臭いが混ざっていた。脳裏を何かが走った。
慌てて脱出すべく方向を定めたとき、何かが落ちてきた。ガツンという脳天への衝撃。三枝は吼えた。後ろから首を絞められる。苦しさに天を仰ぐと木々の枝葉がシルエットで見えた。マシンが傾き始めた。倒れればそのまま嬲り殺しだ、畜生!-- 喉ぼとけが折れるような苦しみを体験しながら彼は腰を曲げた。アクセルグリップがこんなに遠いと思ったことはなかった。
ゲッ! --- 異様な音を出して三枝の喉で血が逆流した。グーネルニョは失速寸前だ。ガックリとマシンが切れ込んでいこうとしたとき、周りから迫る腕の気配を感じた。総毛立った一瞬、本
能的に三枝の右手が伸びた。彼自身、その素早さは正しくミラクルだった。グーネルニョは一際腹立たしげな咆哮を上げた。激しくスピンしながら後輪が湿った芝の大地を抉って弧を描いていく。抑え込もうと囲んでいた自衛隊員たちの身体はぼろ屑のように引き千切られた。血煙りを浴びながらグーネルニョは二転三転と激しいスピンを繰り返す。滑りやすいボディの突起の上に乗っていた一等陸士は遂に振り落とされ、デバイスの恩恵からも見放された。三枝は血を吐き、咳き込みながらも難なく彼の腕を振りほどき、グーネルニョはその身体をグシャリと踏み潰した。
「くそったれ! 」
かすれた声でそれでも叫ぶと、三枝は手当たり次弟に体当たりを始めた。澤村、そして源之内の無事を確かめ、互いの位置を確認する指標表示をコックピットに呼び起こした。大方この煙幕でさっきのような不意打ちや、デバイスの効力が緩むことを狙っているんだろうが、甘い甘い。俺も迂闊だった、畜生。それにしても高峰の頭の良さには感服するぜ、状況を仲間に伝えながら彼はそう思った。源之内が弾薬庫を破壊したと云った。OK、それでいい。もう俺達のチームも解散だ。後は勝手気ままに暴れ回れる。痛む喉をさすりながらも三枝は期待に胸を躍らせていた。この仕事を条件に彼はこのグーネルニョを手に入れたのだった。
37
達也は夢中で黒いバイクを走らせた。散々アタックを繰り返した上、何度も倒れたり弾丸を浴びたりしたので、ボディは所々塗装が剥れ落ち、ひどいところでは金属の地肌がのぞいていた。装甲も歪み、ウインドシールドは外側の方が半分消失し内側の二枚目にも亀裂が入っている。細かいアライメントなどは分からないが、それでも強いシャーシは走行に何の不安も感じさせるものではなかった。多様なデータを知らせてくれる筈のコックピットのメカもその意味を知らなければ宝のなんとやらだ。それに、津々木は絶好調のエミリオを知らないから曖昧な判断でしかないが、幸運なことにエンジンは快調そのもののようだった。マリリオンに比べ回転の軽やかさはなかったかもしれない。しかし全域で盛り上がる太いトルクはどんな状況下でもアクセル一つで巨大な車体に鋭いダッシュを与えた。そしてそこから更に引っ張るときの伸びがまた素晴らしかったのだ。その回転域でエミリオの上げるサウンドといったら腹の底に響き返るようで、頭を悩ます事柄を追い出して走ることだけに集中しようとしている達也をどんなに力付けたことか知れない。
高峰本人が言ったように、いわばアタックのスペシャリストだったマリリオンは、いわゆる普通の人間が乗った場合の常用域で短い距離、時間をもってスピードの乗りを得やすい特性に仕上げられていた。たとえばコースの設定の仕方によってはエミリオよりも良いタイムをマークしたかもしれない。比べて、乗りこなすのにはそれなりのテクニックを要求したが、郁弥のエミリオはより高次元の速度域でのアタックに重点を置き、それ以下の状況に於てはいたずらに車体を痛めつけるよりも弾薬などの装備で対応するのが良いという考え方に則ってつくられていた。そしてその豪快な走りは今の達也にはまさにうってつけだったのだ。
多少なら自らの走りに酔いしれてもかまわないのがリベラライザーの奢りだ。コーナーをオーバーランしてもエミリオは障害物を叩き潰して突き進む。路面状況もなにもない。渋谷に進路を取る達也のペースはどんどん上がっていった。
目と鼻の先の距離だ。見覚えのある筈だった明治通りはすっかり様相を変えていたので達也は見当をつけながら、凍りついたように握り続けた右手のアクセルをやっと戻した。光点が点滅する方位計に目を落とす。
右だ。
達也はマシンを振り回すようにして向きを修正した。マシンの大きさは気にならなかった。どうでもかまわなかったのだ。そんなことは。マシンはただ一秒でも速ければ良かった。ここからどれだけの距離離れているのか分からない不安が達也を急かせた。苦しみを訴え、助けを求める翔子の涙にまみれた白い顔が瞼を過ぎった。
そして郁弥の顔が。
郁弥は笑いながら叫んでいた。
「馬鹿野郎 …… 笑ってる場合じゃねぇよ、」そう呟くと達也はダミーのタンクにへばりつくように身を伏せてスピードをのせた。大きなアタック用のフェアリングに護られたエミリオでは、抵抗を軽減するために身を低くする必要は全然なかったのだが、そうせずにはおれなかったのだ。割れたシールドの間を流れる空気のヒューヒューいう甲高い音が耳に障った。
方位計に気を取られていた達也は気がつかなかった。背後から真っ直ぐに突進して来るものがあった。息遣いが聞こえるほどの距離になってようやっと達也はバックモニターに映る影を認めた。ことによると目標を行き過ぎてしまうのではないかと心なしかアクセルを控えめにしていたのでこんなにも早く追いつかれてしまったのだった。達也は首をねじ曲げて確認した。
パールに輝く白の比較的小さめなカウルに、グリーンとピンクのストライプをあしらったリベラライザーだった。様子を窺うようだが、敵意はあからさまだ。彼らにとってエミリオは初めからターゲットとして絞り込まれた一台だったのだから迷いはないのだ。
達也は舌打ちした。ここは逃げに限る。フルスロットルを与えながらギアを次々にかき上げていく。タコメーターの針は随所で実に八万回転を示してストレスを覚えなかった。明らかにオーバーレブだったがパワーの落ち込みは殆ど感じられない。エンジン音に多少ヒステリックな響きが混じるので達也は少し回転を抑える。立ち塞がる車や建物の残骸を弾き飛ばす度にタイヤにかかる負荷が変わるのでその針が行ったり来たりした。白いリベラライザー、パッシング・ファーは負けず劣らず素晴らしい加速で追随する。
三〇〇キロマシンであるエミリオを突つかんばかりのそのリベラライザーは、高速巡航をもっとも得意とする、グランツーリスモとでもいうべき特性を持ったマシンだった。比較的ウエイト・コントロールを抑えた設定のビッグエンジンを積み、その屈強な心臓の生み出す強大なパワーで超高速アタックに重点を置いた縦に長い車体を旗艦マッハスコルピオをも凌駕する速度域まで引っ張る。前面投影面積を小さくするために大きさを控えられたカウルはこのマシンのそうした特徴を主張する部分なのだ。そのかわりスペシャルマシンとして放棄された部分も大きい。ウエイト的にはデバイスのお陰で目立った損失はなかったが、整流効果をねらって引き伸ばされたテール部が、局率の小さいコーナーを曲がる際に風を受けてエアブレーキのかかったような状態になり、特にリア周りの接地性を大きく損なうほどの不穏な挙動を示すことがあったのだ。テールカウルの形状をもっと、ウイングのような形にまで削り込んでしまえばある程度解消されることは分かっていたが、それでは直進時の整流効果が犠牲になる。高峰は妥協をゆるさなかった。最初からスペシャリティ・カーとして造られた車は自らの舞台で遺憾なく実力を発揮できればそれでいいのだ。
だが街に出たパッシング・ファーの独壇上となる場所はそんなにあるわけではなかった。オーバーニ〇〇キロで走るバイクにとって空気は目の前に立ちはだかる分厚い壁だ。コックピットに光る赤い光点を追ってエミリオがカーブを切る度にマシンは激しいアンダーステアに苦しんだ。無理に車体を起こして前輪のグリップを生かそうとすれば丁度トレーラーのジャックナイフのような状態になる。そこからハイサイドを併発した折りには、いかにタフなリベラライザーといえどもひとたまりもない。
パイロットは業を煮やした。典型的な直上型のライダー、赤間 猛にしてはよくもった方だろう。赤間はコーナーの曲がりを無視した。ガードレールをぶち破って歩道の植樹帯を踏み潰すと角地に建ったブティックのショーウインドウに突っ込んだのだ。一瞬にしてガラスは無数の細かな星になり飛び散った。
達也は鋭い風切り音に混じったその破壊音に気付いて仰天した。ビルの太い柱にぶち当たったパッシング・ファーはそれをへし折り、埋め込まれた鋼線を引き千切って飛び出してきたのだ。当然スピードは落ちたが、それが達也に与えた脅威は凄じかった。一際激しく耳朶を打つ稲妻が空を駆け巡った。
38
苦しげな泣き声が静まり返った暗い路地の壁に消え入ろうとしていた。嗚咽のようでもあり、悲鳴のようでもあった。あとからあとから湧き上がって来てどこまでも際限がないようだ。小さな助けを求める声だったが、彼の鋭い聴覚は喚き散らす雷の合間にそれをキャッチして逃さなかった。男はそれが子供の、それも女の子の呻き声だと知って身を震わせた。足音を立てないように訓練された歩調が速くなる。どこかであのモンスターの上げる雄叫びがこだましていた。
男は手にした六十四式アサルトライフルの銃把を握り直した。無線により指示された場所はこの辺りの筈だった。直接場所を聞いた無線技師はもういない。残っていた民間人を線路伝いに誘導退避させる最中にリベラライザーに轢き殺されてしまった。ただでさえ人手の足りなかった状況で、彼は一人でここまで来なければならなかったのだ。歩きながらも妙な気分だった。七十四式戦車部隊が全滅したらしいという情報が届いていたせいもある。自衛隊の幹部連中はいったい何を考えていたのだろう。おおかた戦車で威圧すると同時に道を塞いで袋の鼠にしてしまおうとでも思っていたのだろうが、それにしても浅はかなことだ。あんなスピードで動き回るターゲットに対して一〇五ミリ砲が一体何の役に立つと言うのか。おそらくAPDS弾はバイクの頭上を飛び去り、遥か後方でそのエネルギーを撒き散らして街を破壊したのだろう。リベラライザーの凄まじいアタックを何度も目の当たりにした彼にはその時の隊員たちのパニックの様子が容易に想像できた。もはやライダー自身が止めようとしない限り、あれを止めることはできないのだ。タンクを一〇台並べたって、奴等は平気でぶち抜いて行くだろう。そうだ、奴等自身が止めようとしない限り。
世界が割れるような物凄い音に顔を上へ向けると、ビルの谷間から見上げる空にぞっとするほど青白い火花が気の狂ったように飛び交っていた。彼は唇を咬み絞めた。ヘリさえ飛べれば、こんなことにはならなかったのだ。彼は報告をまるでまともに取り上げていなかったのではないかと上層部に対して不信を抱く一方、対応策を練るに至らなかった自分らの働きの腑甲斐なさに酷く腹を立てた。彼は自衛隊が独自に設けていた捜査局のメンバーの一人だった。
入り組んだ路地を耳を澄ませてどのくらい進んだだろうか。男は曲がりのところで足を止めた。涙に混じった悲鳴はその向こうだった。衣擦れの音と交錯する荒い息遣いが耳に障った。力のない嗚咽が途絶えようとしていた。そこで何が行われているか悟った彼は巻き起こった激しい怒りに判断の猶予を与えなかった。
一瞬視線を投げてから男は飛び出した。
飛び出しながら叫んだ。
「動くなっ! 」
手には冷たく光をはね返す突撃銃がある。
だがビクリと震えたのは銃の切っ先を向けられた相手だけではなかった。
彼はどこかでこの夜の狂気に染まっていたのかもしれない。今この街で力を行使することは自然なことのように認可される気がしたのだ。まして彼がこの場で撃ち殺そうとした相手は憎むべき犯罪者の筈だった。
トリガーに掛った指に一瞬入った力で銃身が振れた途端、その指をそのまま力任せに固定せざるを得なくなった。ターゲットが少女の身体を盾に取ったからだ。
そこに見た巨大な影に威圧されたのか、身体の反応が一歩出遅れたのが相手の行動をゆるす隙になってしまった。男は激しく舌打ちした。稲妻のフラッシュを受けて透き通るように輝くアメジスト色のボディをいからせて、そこに山のように大きなソニック・リベラライザーが停まっていた。
彼は銃を上げたまま足を止めずにゆっくりバイクの方に近付いて行った。
リベラライザーの上にいたのは小さな、まだ年端も行かないような少年と、その腰の上で息も絶え絶えになったか細い少女だった。少女はのけぞらせた頭をこちらに向けてぐったりしている。その裸の肌の白さは異様な程だった。
「止まりな」
冷たい氷のような声だった。彼は大きなバイクの上でいよいよ小さく見える少年の突然発した警告に心臓が裏返るような恐怖を覚えた。知らず知らずにそこで足が止まってしまう。しかし勿論退く意志はなかった。
彼はライフルを肩の位置で構え直した。
「降りるんだ。女の子を放せ。さもないとこのまま射殺する」
また空を雷光が覆った。鋭く飛び込んで来た光に照らし出された少年の顔が眼底に深い像を結んだ。男はその美しさに息を呑む。ビル風に長い金色の髪が舞い上がり、真っ白なその表情は湖の底の妖精のようでさえあった。
少年は動じなかった。
「撃ってみな。この女がどうなるかはあんた次第だ」
彼は呷いた。挑発に動かされたというより、その容姿と放つ言葉のギャップに精神の安定を狂わされていた。普段の彼ならこんな数メーターの距離など密着しているに等しかった。ましてや抱えているのは突撃銃とはいえライフルだ。しかし指の震えを覚えていた彼にはそうはいかなかった。
「どうした、撃たないか?… 」
「そんなに死に急ぎたいんなら殺してやる… 」
彼は下ろしかけた銃身を再びかかげて少年の金髪の間に狙いを付けた。
その動きがはったりでないと感じ取ったリッキは少女のからだの影に身を落とした。
轟音がとどろいた。
男はそのままの姿勢で黙っていた。
リッキは身体を上げなかった。
緊張が二人の身体を金縛りにしたようだ。男は引き金を絞れなかった。折悪しく響きわたった雷の音を自らの銃声と誤認したのかもしれなかった。撃たなくて良かった、内心そう思いながら彼は重い銃を抱えていた。
リッキにしても心穏やかだったわけではなかった。マッハスコルピオにはさまざまなトラップがあったが相手はそれが使える位置にいなかった。ここはなんとかやり過ごして時を待つ以外なかったのだ。翔子の身体に夢中になりすぎた。悔やまれることだが、その身体がある限りことは有利に展開するだろう。見たところ相手は一人のようだった。伏兵はいないかとリッキは辺りに気を配っている。
戦闘服を着た男は銃口を向けたまま牙を鳴らしてつっ立っている。リッキの方から動いてやらなければならなかった。リッキは上体が倒れないように脇の辺りで支えた翔子の身体をゆっくり持ち上げた。これでようやっとちゃんと腰を据えることができるようになる。持ち上げながらリッキは自分の肩の辺りにできた引っ掻き傷を、笑うような表情で舐めた。
男は怒りに震えながらつっ立っているよりなかった。放心状態にある少女の身体をこれ以上少しでも傷つけたくなかった。
リッキはバイクの上で彼を見据えながら悠々と身繕いを済ませると、もう一度少女の裸身に両手を掛けた。翔子にはもう意志がないようだった。ぐったりした彼女を抱きすくめるようにして素早く相手の方に向き返させる。その方が威嚇の効果が大きいという計算からだった。翔子の短い黒髪を透かしてリッキの深い色合いの眼が悪魔のように光った。
もう夜とは言えなかったが世界は闇に包まれていた。点った街灯の白けた光と、時折劈く空間の電荷のフラッシュがその白い薔薇のような身体を浮き上がらせた。生温かい風と不機嫌なにおいの渦巻くこんなビルの谷間に晒されるべきものではなかった。その肌の強烈な白さのところどころに染みのように映る点があるのにふと彼は気付く。そのとき、少女の俯いた額を覆い隠す髪の間を何かが伝い落ち、… 白い肌に落ちたそれは新たな染みになった。ほんのりとふくらんだ乳房の間を静かに流れて行く。
男は唸りを上げた。それは血なのだ。彼女の額を滑り落ちる鮮血だ。なんという凶行。彼は怒りのあまり空気を震わすほどの言葉にならない吼え声を上げた。腹の底からの怒りだった。何に対する怒りかと訊かれれば彼はこう答えただろう。人間になりそこなった獣に世界を陵辱されたことに対する怒りだと。それはリベラライザーのしていることそのものだった。
リッキは怒りを誘うことはむしろ望むところだと思っていた。最後の判断を失わない程度の感情の乱れは隙をつくる。マッハスコルピオさえ起動できればそれでいいのだった。もう少しだと彼は踏んだ。
リッキは少女の髪をつかんで後ろへ引いた。十二分に怒りを挑発する仕草だった。髪が流れて少女の顔が露になる。愛らしい面はあざに腫れ上がり、血に染まっていたがそれでもなお魅力的だと彼は思った。
男はそれを見ていかなる言葉をも口にすることができなくなった。見開かれた眼はその少女の顔立ちに釘付けになって離れなかった。感情は遂に彼の理性を粉々に砕いてしまった。もともと感情的に脆かったわけではない。リッキの誤算というには偶然だった。暫しというにはあまりにも短く表情を失った後、彼は黙って銃をぴたりと構え直した。ついさっきまで迸るようだった殺意は嘘のように消え失せていた。
銃口を向けられたリッキの心臓は逆に縮み上がった。動くことができなかった。そして狙いすました銃身はピクリとも動かなかった。トリガーを引き絞る指が機械のように動いた。
リッキはライフルが火を吹くのと同時に太腿に焼けつくような痛みを感じて飛び上がった。翔子の足の間を縫ってリッキの太腿を貫通した弾丸はマッハスコルピオのボディに食い込んだのだ。リッキは恐怖にあがいた。
男は今度はリッキの腕に狙いを付けて引き金を引いた。
翔子のからだが崩れるように地面に落ちた。
ターゲットは無防備になった。
リッキはその冷静に見つめる瞳に身の毛のよだつ恐怖を感じた。服を着たままプールに飛び込んだ後のように身体中を冷たい汗が滴っていた。リッキはいまにも悲鳴を上げそうだった。引き金に掛けた男の指が薬室に送り込まれた銃弾の重みを確かめるようにゆっくりと銃床に近付いて行くのがはっきりと見えた。
男はじわじわとリッキを嬲り殺す気だったに違いない。銃口が狙っていたのは心臓でも頭でもなかった。
彼の名は濱野といった。
39
達也は胃がせり上がるような焦りを覚えていた。方位計の指し示す方向がさっきから目まぐるしく変わる。何度も曲がるべきポイントを逸しているに違いないのだ。エミリオは苦しんでいる翔子の周りをぐるぐる回っている。しかしそれは同時に目標が近いことを教えていた。後ろではいかなる障害をも蹴散らして自由に選んだ走行ラインを突進して来るパッシング・ファーがいよいよアタックに入る構えを見せ始めている。達也の背中を冷たいものが流れた。
絶壁の上を綱渡りしているような気分だった。スピードは彼の限界をとうに超えていたかもしれない。経験したことがないんだから何とも言えないさ、達也はそう自分に言い聞かせて度胸に任せて走ってきたのだ。目的意識が恐怖と戦う武器になっていた。
郁弥のエミリオは激しく達也を叱咤激励し続けていたが、パッシング・ファーの執拗なデモンストレーションと時間の経過が、彼の呼吸を揺るがせ始めているのは否めなかった。達也自身にもそれはよく分かっていた。腹の下のエミリオがいつしか彼の意志を少しずつ離れ、勝手に走り続けているのだ。
達也は身体を確かめるように一本一本、緊張した筋肉をほぐして手足を動かした。これ以上ねばるのは無理だった。方位計を見る度に焦りに心臓が早鐘を打ち鳴らす。転換期だった。決断するとかえって気持ちが楽になったような気がした。
この命、郁弥に託す。そう言った達也はマシンの上で手足をできる限り引き寄せて深い前傾姿勢を取った。顎を完全にタンクの上に載せてしまう。前方視界はヘッドライトの間に埋め込まれたカメラから得られる画面だけに頼る。レンズ下側で灯っているフォグランプの光が画面に入っていた。達也はバックモニターに視線を走らせる。白いリベラライザーの光が少し後ろに下がっていた。どうやら動く気配を感じ取ってアタックをもう少し控えることにしたらしい。憎らしい余裕だ。こんなマシンに乗って喜んでいるような奴には多かれ少なかれ高峰に近い血が流れているに違いないと思う。
達也は方位計に目を落とした。勘が示したとおり、光点は左寄り斜め前方を指していた。
彼はそのまま方位計の示す方向にマシンをホールドした。十字でも切りたいと思ったが両腕は脇を締めてグリップをしっかり握っていなければならない。できる限りスピードを乗せるのだ。エミリオの逞しく脈打つ心臓がそう言っている。それは郁弥の言葉だった。生臭いまでに赤く染まった宿命を乗せたこの黒いスーパー・ソニック・リベラライザーの選んだ進路に道は存在しなかった。
迷いに身体が動く間がなかったのは幸いだっただろうか、それとも不幸だっただろうか。所詮は移動目標である車や細い電柱、あるいはときおり引っ掛けたりぶち抜いたりする街なみなどではなく巨大な固定物に正面からかけるアタックはわけが違った。エミリオは実に瞬間時速二六〇キロというスピードで歩道を斜めに突っ切り、道に沿って建ち並んだ小ぶりなビルの最中に、真正面から激突した。達也の耳の後ろでウインドウが砕け散り、身体を支えた両腕を激しい衝撃が襲う。
達也は歯を食いしばって痛みと恐怖に耐えた。スピードがどこまで続くかが命の分かれ目だ。翔子のために失ってはならない命だった。郁弥が絶対に護ってくれる。達也はそう信じてアクセルグリップを握り続けた。家財や機械、棚や壁や支柱、雑多なものを絶える間もなく蹴散らしてリベラライザーはひたすら前を見据える。薙ぎ倒した何かを踏み越えて時折マシンが一瞬の間宙を泳ぎ、空転したタイヤにエンジンが唸りを上げた。圧倒的なプレッシャーが頭の上を、腕の数ミリ先を、耳の脇を雪崩のように通り過ぎていく。一瞬の空隙。そのまま達也を乗せたマシンは再びその先の壁に挑み掛っていく。判断の間はなかった。達也は肺を押し潰されるような悲鳴を上げた。
達也は自分が死んだのではないかと思った。いつまでたっても終点がない。自分は既に死んでいて、地獄に堕ちながらなおもアタックを続けているのではないかと思えたのだ。吸い込んだ粉塵に胸が焼けつくように痛んだ。腕の骨は今にもへし折れるようだった。
だがそれも行き着くときが来た。マシンのスピードが確実に落ち、戦闘力の低下は如実に表れようとしていた。必死のアクセルワークがなかったならばエミリオは崩れ落ちる土砂の下に骸を晒していたかもしれない。エミリオは辛うじて最後の壁を押し破った。タフでトルキーな心臓が示した奇跡に近い所業だった。
-------------------------------ッ!!
一気に世界が開けた。
…通り抜けたのだ。
躍り出た巨大な黒いマシンは崩壊の轟音を背後に、満身創痍の身を震わせて雄叫びを上げた。ブレーキレバーを握り締めることをやっと許された達也は尽きるところを知らぬかのように襲って来る土煙の中で顔を上げた。大きく咳き込む。エミリオは幅六メーター程の舗装路の反対側だったビルの白い汚れた壁に頭を突っ込んでいた。
達也は目をしばたたかせながらコックピットの中の小さな方位計を見た。全ての行動のコンパスにしてきた小さな円盤だった。
彼は何度も目を擦るようにした。開いたままの口がその時の茫然自失とした体をよく表していた。そこにあった筈の紅点は光を失っていた。
方位計は壊れたのだ。
達也は指針を失った。彼は腹立たしげにギアをバックに叩き込んだ。
濱野の太い指だった。いつの日か翔子が見つめたことのある指だ。それが今宿敵リッキを死の淵に一歩一歩追いやろうとしていた。リッキは喚かなかった。度胸があったというより歯の根もあわなかったからだ。翔子を失った彼にはバイクの反対側へ逃げることぐらいしかできることはないのだったが、それすら思い及ばない程リッキは震え上がっていた。何よりも濱野のその無表情な目が彼を束縛して放さなかった。純粋な殺意というものがあるとすれば、それはむしろこういうものかもしれなかった。
濱野は再びその指に力を込めようとしていた。
空を一瞬覆い尽くした程の電気の響きにも彼は動じなかった。そして一瞬のときをも待たずに横合いの壁を突き破って飛び出して来た黒い影にも …………。
濱野の姿は瞬く間も与えず轟音とともに土砂の雪崩の中に消えた。渦を巻きあげる爆風の中に見えた閃きは、もしかしたら彼が放った最後の銃火かもしれなかった… 。
呆然としていたリッキが身震いしたのはそれから数分も経ってからのことだった。
40
無造作にアクセルを捻るとガバッと音を立ててエミリオのヘッドは壁から抜けた。ヘッドライトを覆うルーバーが陥没して折れ、その奥に押し込まれた二、三のランプのレンズに亀裂が走っている。完全に頭が抜けたところで黄色いナトリウムランプの一つが耐えきれないというようにガシャリと割れて落ちた。止まる寸前に突っ込んだのだから無理もなかろう。達也は見もせずにため息を吐くと、テールを流すことなしにマシンの向きを道なりに変えた。時間がなかったのだ。
道幅はどれも五、六メートルというところだった。碁盤目状のその道路の間に細い道が入り組み、迷路のような様相を呈している。敷地ぎりぎりに立ち並ぶ古びた鉄筋の建物はどれもその壁にかび臭い匂いをしみ込ませていた。蔦の絡まったようなビルもある。店舗は殆どなかった。達也は街の裏側を見るような気になった。
先へ進むべきかそれとも戻るべきか、一〇メーターほど離れて見えていた交差路にぶつかったところで達也は迷った。先へ行こう、ここはともかく進むのだ。彼がマシンを右に向けようとしたとき、視界の片隅を光点の点滅が過ぎった。車体をまわそうとした腕の動きが息を呑むように止まる。方位計が戻れと云っていた。
「…OK、郁弥」
呟いた達也はあらためてエミリオの進路を修正した。
こちらなら大した距離ではない筈だ。達也は慎重にアクセルを調節する。幾分激しさを増したような雷の音にカムフラージュされる程度の音量だった。
空が激しく光った。
地表に黒々とシルエットを灼き付け、達也は立ち止まる。
そこに何かの影を認めたからだった。
41
世界平和のために、我々は敢えて正式要請なしに介入する。----------- 大統領の勅命が下った。腕を鳴らしていた厚木、横田、そして横須賀に駐留した超大国が遂に動き出したのだ。それは自国の国民を守るための出撃だった。それとも世界のリーダーシップが実動を容認したのだろうか。不気味な唸りを上げる黒い空に、解放された雄叫びを上げて次々に機影が舞い上がって行く。大気を震わせるジェットの響きは天と地の間でどこまでも共鳴した。その膨大な力はとどまるところを知らない。生きとし生けるもの全ての鼓膜を叩き割らんとする際限のないかのようなエネルギーの爆発だ。しかし激しい電気エネルギーの踊り狂う空は高度五〇〇〇メートルの高みから、徐々に関東全域に広がろうとしていた。
頭上を物凄い爆音が飛び去った。中貝は驚いてそれを見上げた。ビルの向こうへ消えて行ったのは超低空で編隊飛行する三機のトムキャットの黒く巨大な影だった。中貝は仰天した。彼にしてもそこまでことが大きくなるとは考えもしなかったのだった。リベラライザーは横須賀をも襲ったのかもしれなかった。フェアリングの外で整流効果を失った空気の渦が耳元で軋んだ。フルスロットルの振動に震えながら中貝はいっそのことこのまま東京を逃げようかと思った。
マッド・ボンバーはまさにその名のとおりの化け物だった。確かにリベラライザーとしてはもっとも初期につくられたものに違いなかったが、その分開発思想が高峰の最初に抱いていたイメージに忠実でそれこそが真のソニック・リベラライザーの姿だといえたかもしれなかった。荒削りなマシンは二輪車としての動的性能という点では、今敵対する中貝のオクサナや津々木達也の乗るエミリオに遠く及ばないものだった。しかし、こと強大なアタックのその破壊力を見るとき、マッド・ボンバーはアタックのスペシャルマシン、マリリオンを遥かに凌いだ。それはエンジン内部のフリクション・ロス低減や熱対策、耐摩耗策などを図ってデバイスを働きかけ、出力と耐久性を稼ぐその作用状態をコントロールする技術の完成度が今一つだったために実際のベースエンジンのパワーにある程度頼らざるをえなかった時代を象徴する、他のリベラライザーに比する際の絶対質量の大きさと屈強な装甲が引き出すパフォーマンスだった。つまりクレイジー・ボンバーはデバイスの働かないそのままでも肉弾戦が可能な装甲二輪だったのだ。二年前に初めて門外に出たXV3.と呼ばれたマシンがあれだけの戦果を上げた実績もあった。
高峰の最も愛したこのマッドマシンは今大幅なモデファイを重ねてXV6.へと進化していた。絶対質量を減じることなしに、足周りに独自の工夫を取り入れ、そのポテンシャルはある意味で二輪車の枠を越えた動きを実現する。直線路で突然横滑りにスライドアタックをかけてきたときには、その走りを知っていた筈の中貝でさえ心臓の飛び出そうな思いをした。引っ掛けられたが最後、マッド・ボムの半分ほどの大きさでしかないオクサナの真っ赤なボディはか細い女の子の身体のようにへし折られてしまったことだろう。
そして驚くべきことにそうした側面にも関わらずこの六型はスピードでもけっしてオクサナに劣らなかった。五・二リッターのV8が奏でるサウンドは、もはやバイクのものではない、リベラライザーのものでもない、フェラーリ・ミュージックそのものだった。逞しいプランシングホースはろくにデバイスの助けも借りずに、強引に重い車体をオーバー三〇〇キロの領域へ引っ張る。それはこのマッド・ボンバーが唯一見せる芸術的な側面だった。中貝のオクサナには手に負いかねる獲物だったかも知れない。
視線を空から地表に戻した中貝は自分の迂闊を呪うことになった。彼は高峰を見失っていた。相手を見失ったときは自分も機位を変えろ、それが空中戦の鉄則だ。中貝はオクサナのラインを一本ずらした。キレのいいマシンの動きだった。
途端に彼はぶんと唸りを上げる気迫のプレッシャーを耳元に聞いた。
動いたのは正解だった。
斜め後方の死角から飛び出した高峰の装甲が今までオクサナの占めていた空間に陣取って空気の速い流れに震えていた。手を伸ばせば届く距離だ。そのままでいたらもろに食らっているところだった。真近に見るその大きさに中貝はごくりと生唾を呑み込む。
一瞬並走した二台は間の空間を満たした大気を引き裂くばかりの勢いで左右に別れた。すぐさまマッドボンバーが加速度を復活して横様に体当たりをしかけて来る。オクサナは一瞬アクセルを戻すと同時にブレーキを軽く使って減速し、これをやり過ごした。何と言っても動力性能ではオクサナの方が遥かに優れているのだ。マッドボムが同じ真似をすればスピードを回復する一瞬に隙が生まれる。ましてや限界付近でのマシンコントロールのし易さともなるとこれはもう問題にならなかった。それを誰よりもよく知っている高峰はクレイジー・ボンバーに何よりもトリッキーな走行ポテンシャルを与えたのだ。
当たり前ならすぐさまアタックをかけるに絶好のポジションにターゲットを捉えていた。しかし中貝はためらいなく別の道を選んだ。立ち上がったスティックに飛んだ左手の指はそのままトリガーを引いた。ウインドシールドの内側がヘッドアップ・ディスプレイになり、ガンサイトを確認する必要はなかった。もともと下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる式の速射砲なのだ。狙うより引き金を引くのが正しい。
耐G性能を高めるのを主な目的としてデバイスの手の入れられたマシンから射出される弾頭径七・九ミリの被甲弾を弾き返しながらクレイジーボンバーは突然身を翻した。
前後のホイールをそれぞれに異なったスタンスだけステアさせ、同位相に振ったのだ。より大きな舵角を与えられた後輪側がフロント周りを巻き込むようなかたちで車体の姿勢を変える。ボディの振られ角に応じて前輪が追随して行きバランスする。勿論そんな解析をしている余裕のある動作ではない。感性の把握しにくい動きは、予めその変化量を設定されてでもいたかのように一瞬の隙もなく流れた。クレイジー・ボンバーの大きな灼鉄色の影はオクサナを回って泳いだ。
あっという間にバックを取られた中貝は血の気の引くのを覚えるのもおぼつかない。
複雑に車体を動かす間も後輪に伝えられるパワーの状態が殆ど変わらないので、スピードのロスが、抵抗の増加によるもの以外事実上ないに等しいのだ。中貝はそのアタックから逃れようと必死にオクサナを右に左に振る。高峰は先ほどと同じ手を食うのを警戒してなかなか前へ出て来ず、冷静な殺意を発散させながらそのポジションをキープしていた。
恐怖に縮み上がった中貝の心臓は脳の介入を許さない勢いで右腕に更なる増速を命じた。タコメーターの示す数字は五万回転。オクサナのエンジンにはまだまだ余力がある筈だった。
排気音はいよいよ絹を引き裂くような金切り声に変わっていった。垂れ込めた黒い雲を突き破るような悲鳴に近い雄叫びだった。大地に轟くフェラーリ・エンジンの咆哮がそれを追う。中貝はコーナリング・ポテンシャルの差で叩きのめすつもりだった。
だが、だ。高峰がその基本性能の低さを十分知りながらもクレイジー・ボンバーに固執したのは単に理想に近かったからというだけではなかった。それなりに勝算があったからだ。
クレイジー・マシンは中貝の思惑にはまって時速二六〇キロのスピードで交差路に飛び込み、軽いテールスライド状態から一気にドリフトを起こすと、向かいの建物のレンガの壁に凄まじい勢いでボディを埋め込んだ。いかな優秀なデバイスがバランスを保つと言っても、それは単純にマシンと路面の関係を見たときのそれであり、いかに曲がるかというのとはちょっと話が異なる。マシンを曲げて行くには乗り手のコントロールが不可欠なのだ。クレイジー・ボンバーはその辺の状況認知、そして微妙なアクセルワーク、体重移動による車体操作に難があった。高峰は両輪のドリフトをストップさせることができずにコースを飛び出してしまったのだった。
その様子を窺っていた中貝は、これで終わったと思った。少なくとも決定的なポイントをつかんだ筈だった。これならコーナーに飛び込むごとに生じるスピードの乗りの差は、マシンのアタック能力の差を補ってあまりある筈だったからだ。
もう一度繰り返さねばならない。「だが、」だ。中貝が確信した勝利は一瞬のうちに幻と消えた。
中貝の開いた口が塞がらない世界がそこにあった。
クレイジー・ボンバーは確かにコーナーを曲がりきれなかった。しかしそれは設定されたコース上でのことだ。たとえどんな障害があってもそこをコースと認めるならどうだ、高峰の戦いは終わってはいないではないか。
中貝は前を振り返って慌ててアクセルを握り直さなければならなかった。
クレイジー・ボンバーはスピードを失っていなかった。いや、失っていたには違いないだろうが、それは計算された損失の一部に過ぎなかった。ブレーキングのようなものだ。その言葉どおり高峰は壁を引き抉った激しいアタックを減速のための要素として取り入れていたのかもしれなかった。そこには自滅の恐怖と引き替えるだけの利点があったからだ。進入時のブレーキングで優位に立てることにより、そこでアタックをかけることが可能になる。そしてコーナリングのライン取りの幅が広がり、コーナーの中で微妙なバランスを保っている相手に対して更にアタックをかけることのできるポイントが得られる。そのうえ他のリベラライザーほど回す必要のないエンジンは、一直線に近い状態で立ち上がる街中でのコーナー後半で、瓦礫を弾き飛ばした後思う存分パワーを叩きつけることができるのだ。壁へのアタックを上手くやりさえすれば、たとえそのコーナーでしかけなかったとしてもそんなに遅れを取るようなことはない計算だった。
高峰は実際の場で初めて使ったこの理想のコーナリングを無難にこなして気分の高揚を覚えていた。しかも中貝は目の前にいるではないか。高峰がにんまりしたとしても不思議ではない。彼は今彼自身が育てたその狂いマシンに一〇〇パーセントの信頼を預けていた。ウエイト・コントロールの影響下においてさえ腰が持って行かれるような加速を感じさせるエンジン音は頼もしい限りだった。
中貝は次第に追いつめられていった。クレイジー・ボンバーはどこでもかまわず、本当にあらゆる場所で背筋の凍りつくようなアタックをかけてきた。それがまともに決まらないのは自分が上手く逃れているのではなく、高峰の故意だと分かるだけにその恐ろしさはじわじわと首を絞め付けるように彼を苦しめていったのだ。中貝にはもう殆ど何も耳に入らなかった。ただ感じるのは背後から、右から、左から、幻のように近付いてはふっと消えるクレイジー・マシンの恐ろしい牙の音だけだ。中貝の長い腕はガクガクと震えていた。
緩いコーナーでオクサナはテールの安定を失う。徐々に受けた障害が表れ始めていた。リア・サスユニットのリンク部の噛み合いが悪くなり全体の動きがスムーズさを欠くようになっていたところへ、大きな曲率にまかせて高いスピードで飛び込んだコーナリング・エネルギーがかかったので、正規の位置を逸していたサスペンション・ユニットが路面をホールドすることを拒んだのだった。
修正しようとする中貝のスロットル操作はラフすぎた。
ハイ・サイド!
一瞬グリップを失って滑った後輪が再度路面を掴み、そのエネルギーにリアサスペンションが弾けて車体を突き上げる。
オクサナはテールを跳ね上げた。
中貝は一瞬のうちに身体が支えを失って宙に浮くのに顔をひきつらせた。グリップを握り締めた手は離さない。どんな状況で転倒してもすぐにマシンから離れてはいけない。その大原則を身体が覚えていた。
渋っていたコイル・スプリングの動きが幸いした。あるいはウエイト・デバイスのエマージェンシー・プログラムが有効に働いたのかもしれない。マシンは完全なハイサイドにはならず、リアタイヤが妙な角度で接地してダンピングを繰り返す。しかし中貝にはそのバランスを取るどころではなかった。完全なマシンまかせだ。ステップの遥か上を泳いだ足がマシンを飛び越えてしまいそうになる。頭をフェアリングにぶつけて星を見た。
何度も身体を打ちつけたタンクまわりのカウルに足が引っかかった。彼は夢中でしがみついた。マシンはラインを今や遥かに外れ、街路に沿って並ぶ建物に向かって暴れながら特攻をかけようとしていた。それに気がついた中貝の顔は恐怖に色を失う。スピードが足らなかった。
咄嗟に身体をボディの陰にしようとしたのはそれだけマシンが安定を回復しようとしていた証になるだろう。激突の音は数メガトンの爆弾のようだった。




