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第一二話




29


その頃、対策本部の置かれた陸上自衛隊朝霞基地では、かねてよりこのリベラライザーに対して追求を進めてきた自衛隊捜査局と、特例として集中強化された警察捜査本部の協力をもって、採取した破壊されたバトルマシンの調査が進められていた。しかし、その所有した研究班の常識を遥かに凌駕した特殊デバイスは大きな壁となってその解明を阻んでいた。思い切った行動をとれないまま二の足を踏んでいた捜査班が問題のギガホーネットに踏み込んだときにはときすでに遅く、質量コントロールというとてつもないデバイスを実用化させ、バイクとしてまとめあげた主任研究員にはこの世の人として対面することかなわなかったのである。自殺か否かは兎に角、大きな足がかりを失ったことは今この日本に居合わせた人々にとって大きな痛手に違いなかった。参画していた研究員たちはあるものは行方を追いきれず、あるものはまた死体となって発見された。マークしきれなかったことに彼らはほぞを噛んだが事件があまりにも急な展開を遂げた点を見れば彼らを一概に責めることはできないだろう。都内の交通網は完全に麻痺しており、それ故東京を幾分離れた朝霞に本部が置かれたのだったが、その機動力は殆ど奪われているというに等しかった。それでもぽつりぽつりと有用な人間が集められつつあるのは薄明ながらも一つの希望といえただろう。

莫大な資金援助を受けた研究者たちは複雑な面持ちで現われる場合が多かった。それは高峰への恩と軽蔑と怒り、そして純粋に科学的な興味の錯綜なのだ。

今、研究班に大きなどよめきが起こっている。たった今到着した、質量コントロールに直接関わった分野の研究員の話が、わだかまった疑問のベールを剥ごうとしていたからだ。そしてその示された数値の示すものを知ったとき、彼らは動揺の声を抑えることができなかったのだ。

それは驚くべき事実だった。リベラライザーが動くとき、質量コントロールは常識の壁を越える。それを視覚的にとらえようとするグラフ上に於て、横軸に取った速度の増加に対して上に大きく凸を描く傾向を持った外界に対する見かけの質量は指数関数的に増大し、そのエンジンが相当に重い筈の車体をいったいどのくらいの速度まで引っ張るのかは想像もつかないが、もしマシンが時速二五〇キロに達するならばその時のエネルギーの大きさは実に六〇ノットで進む水中排水量六、〇〇〇トンクラスの原子力潜水艦にも匹敵するというのだ。二五〇という数字はタイヤメーカーの研究室から高峰に引っ張られた彼が、開発に携わるに当たって最初に最低限度として求められた値だった。

これではどんなに巨大なダンプであってもトレーラーであってもひとたまりもない。しかもそのデバイスの作用はそのパイロットにまで及ぶと言う。デバイスの作用下に於ける彼らは鋼鉄の身体を持つのだ。さまざまな報告がその事実を強力に裏付ける。そうでなければあの気違い沙汰の体当たりを敢行してライダーが無傷でいられる筈がない。彼らは警官の持つ三十八口径など豆鉄砲ほどにも感じていないのだ。自衛隊と警察の協力により講じられた種々の策が徒労に終わるだろうことは容易く想像された。その事実を認めれば、今このとき東京の街を縦横に走り回っているのがいかに恐ろしく危険なものなのか、専門に追求していた筈の捜査員たちですら何も知らなかったのだと言っていいほどだった。そしてその化け物にどう対処したらいいのかを考えるのが彼等に課せられた急務なのだ。

恐ろしい責任だったが、それは同時に自分らの身を護ることにもつながった。ただそこにいた彼らに本当に護るものがなく、人間としての自意識がなかったならば、誰一人として逃げることを選ばなかったものはいないだろう。今この瞬間にも、まさしく化け物という以外にない狂った機械が飛び込んで来るやも知れない。そこはそのターゲットになりうる、いや、なるに違いない場所だったのだから。それを証拠に国家警察と呼ばれた桜田門、幕僚監部のある檜町、市ヶ谷、そして六本木の防衛庁が真っ先に破壊の憂き目にあっている。有事のための専用通信、防衛マイクロ回線として地下に埋め込まれた光ファイバーは切断され、人工衛星を使った通信システムさえも指揮するところを失っているのだ。防衛庁はすでに国防の中枢ではなくなっていた。その意味でも通信大隊を擁したこの朝霞が今や頼みの綱だった。

「いったい何が狙いなのだ 」高田警視監は吼えた。そのいかつい表情には苦しみ苛やまされた影が色濃く刻まれている。いまだに何の声明もなかった。上司である警視総監の到着は既に望み薄となり、警視庁警視副総監として、居合わせた中でもっとも権威のあった高田は今や事実上この対策本部の総指揮官だった。勿論自衛隊とはあくまでも協力関係にあるのであって命令のできる立場ではなかったが、警察庁、そして防衛庁の間で一貫した対策を講じる協力態勢が既に認じられた状況下にあって、日本で警視総監に次ぐ第二位の要職、警視副総監にある彼の決裁を拒めるものは一駐屯地に過ぎない朝霞にはいなかったのだ。彼は呷いていた。これ以上の虐殺をくい止めるためなら、どんな無理な要求でも通すよう全力で努力する覚悟だった。重責は望むところだったが、今の状況は最悪だった。いたぶられる苦しみは最高潮に達していた。

そこに並んだものに誰一人として彼を宥めようとするものはいなかった。それは多かれ少なかれ誰もが感じていた苛立ちだったのだ。警視監はじっとして居られぬというように落ち着きなくテーブルの周りを歩き回っていた。

自衛官が一人入って来た。作戦内容を確認したいという陸曹長たちの要望だった。特務士官は外へ出ている。やむを得ず木村一等陸佐が自ら席を立った。出ていきながら彼はうろうろしている高田に視線を投げる。不運が重なったのだ。木村はかぶりを振りながら階段を降りていった。今ここにいて自衛隊の筆頭として指揮をとる筈だった桂陸将は、どうやら待つだけ無駄になってしまったようだった。常任している筈の田野倉陸将補は折悪しく視察に出かけていて不在だった。防衛庁は既に朝霞に向かっていた陸将が到着できないことになるなどとは考えもしなかったようだ。気がついたときにはもう遅かったのかもしれない。木村は自衛隊指揮官としての正式な任命を受けていない。常識では受けられる筈もなかった。田野倉陸将補から委任されている以上、彼は今この朝霞の指揮官だったが、それ以上の権限はまったく持ち合わせるものではなかった。歯痒いことにそれは突然現れた警察官に対して肩を並べて発言することがかなり難しいことを教えている。これまで順調に出世階段を上ってきた木村はその地位相応の年齢であり、個人的にはその警視監に従うことに違和感はなかったが、そうして今彼が従うことは自衛隊が警察の権限下に含まれてしまうことを意味していた。反対に事態はどんどんエスカレートし、警察の仕事というよりも自衛隊の範疇に移りつつある。こうなることを想定しての共同作戦なのだろうが、そうなれば自衛隊側の指揮権の方が本来より重要視されるべきだった。当然の帰結だ。対策本部に陣取る自衛官たちにもその不具合は不満となって表れ始めていた。警視監もそれをよく承知しているために、見方によっては横柄とも取れる、自衛隊を暗に代表した彼の態度を許容しもしているのだ。彼は尊敬できる人だ。木村はそう思う。だが警察の人間にとっての警視副総監という人間は、ただそれだけで片付けられるものではなかった。彼は常に無礼だと言わんばかりの警官たちの視線を感じていた。しかし、それにしても、この忙しさは何だ! 木村はとても警視監に助言を与えるどころではない事態にまた苛立ちを覚えている。一等陸佐という地位で同時に自衛隊を率いねばならない指揮官であるなら無理もないことだった。

対策本部室の空気はずっしりと重みを増していた。忙しさにもそれが紛れない。もうどんなにか被害の報告が届けられていたか分からないほどだった。ここまで辿り着いた報告は実際に起こったその数の十分の一にも満たないだろうことはこの部屋にいる誰の目にも明白だった。時間あたりに届く件数ががっくりと減っているのは被害が減ったからではなく、交通、通信施設の被害がますます著しくなったからだ。覆工板作戦はやはり功を奏さなかったのだ。その無効ははっきりしていた。自衛隊の進行も遅れている。事態は深刻を極めていた。道路はリベラライザーにとって航空機の空のようなものだ。制空権を握った次にすることは言わずと知れていたのだった。

思いあまったように警視監は部屋を出て行った。階下では今し方飛び込んできたギガホーネットの技師によりまた新たな解明の糸口が議論されている筈だった。肝心の作戦は遅れが滞っていたが、兎に角自衛隊は既に動き始めている。東京はじりじりと包囲の網に落ち込んで行くだろう。だがしかし、その網の中に時速二〇〇キロのスピードで飛び回っている小さい獲物が上手く引っかかるかどうかは疑問だった。これまで想定したこともない敵に対して自衛隊の装備はどれも中途半端であるような気がする。万一引っかかったとして、はたしてどうやったら処理できるのか。彼らの言うようにそれが潜水艦だったとしたら、たとえタンクがあったとしても止められる保障はどこにもなかった。現に二年前の福島で、比較的装備薄だったとはいえ自衛隊は壊滅的な打撃を被っているではないか、それもたった一台のあれに。彼は伸し掛かる責任に胃がきりきりと痛むのを感じた。情報が欲しかった。被害の情報ではなく、勝つためのそれでなくとも良いと思った。これ以上被害を大きくしたくない。そのための情報が欲しかった。

足下を確かめるようにしながら階段を降りて行くと、思った通り研究班の仕事場はまるで戦場さながらの有様だった。

血の臭いがしないだけいい、と警視監は思った。

分解されたリベラライザーのパートごとに別れた中で最も重要視されていたのは、やはりマスをコントロールしているというデバイスの部分だった。それさえなければ、リベラライザーは本来走ることさえままならない鉄屑なのだ。

彼らの話していることは高田警視監には殆ど理解の範疇を超えるばかりだったが、その話しぶりから彼らがそれなりに興奮しながらも肝心の点の解明があまり進んでいないことが窺われた。彼は無論その議論に参加しようとはしなかった。壁際に立って途切れ途切れに入って来る理解できる言葉を何かのきっかけにしようと気を静めているようにみえる。あるいは少しでも前進していると思い込むことによって落ち着きを取り戻そうとしていたのかもしれなかったが、彼はそんな夢想家ではなかった。



ゴオォォォォーン 。

遠くで雷が鳴った。目を開けた翔子が空を見上げると、いつの間にか黒い雲が一面に低く垂れ込めていた。雲の合間を稲妻が走った。

痛みは大分おさまっていた。耳鳴りもしない。リッキが打ったモルヒネが効いていたようだ。

彼女はもう一度目をしっかりと閉じ、今度は力を込めて瞼を開いた。

運転しているのは郁弥ではなかった。

翔子はヘルメットの奥からリッキの表情を盗み見ようとした。フルフェイスのヘッドギアは視界が狭かった。リッキは気付いて、意識してつくった輝くような微笑みで翔子の視線に応えた。コックピットから投げかけられる光に彩られ夢のような輝きを放つリッキの瞳は天使そのものだ。翔子は頬を染めた。

「おはよう」

リッキはおどけたようににこやかにそう言った。腕の間で翔子が目を伏せるのを意識して、視線を前方に戻しながら彼は楽しげに口を開く。

「朝霞までもうすぐだよ」

「よかった。… ありがとう」翔子は安心したようだった。

「朝霞に何の用事があるんだい? こんな夜にわざわざ行かなきゃならないようなことなの? 」

「こんな夜だから行かなきゃならないのよ 」

リッキは分からないというように頭を振った。

「こんな夜だから? 」

「そうよ。… あたしね、… あれの正体を知ってるの」

リッキの頬がぴくりと震えた。しかし、不安を押し隠したいという意識の働きからか、話したくてしようがなかった翔子には一瞬見せた彼の暗い顔になど気付ける筈もなかった。

「あれの正体…? 」

「そう、狂いのように恐ろしい、オートバイの形をした殺人兵器… 」

リッキは舌打ちした。これからというところなのに、前方に築かれたバリケードに気付いたのだ。裏道に逃げればスピードが落ちる。通常ならばどこであっても、これまでに駆け抜けてきたようにリッキは愛機をこれ以上の速度を維持したまま傍若無人、いや 傍若無全 に操っただろうが、翔子を載せているだけに狭い路地でマッハスコルピオの実力を発揮することはできなかった。今彼女に死なれたくはない。

ここまでだ。リッキは見切りをつけた。何のことはない。アプローチを変えねばならないだけだ。ここは彼女に開眼させるのを覚悟で蹴散らそう。

彼は腕に力を入れて脇を締め、彼女を押えつけながらシフトダウンした。翔子は抵抗しなかった。タコメーターが跳ね上がる。あの程度ならこのままのスピードでも突破は容易いと値踏みしたが、女にもっと恐怖を植え付けることが狙いだった。ワンテンポ置いてから上のギアに叩き込む。マシンは一瞬の溜めの後、爆風に吹き飛ばされるような加速を開始した。

翔子の悲鳴は本物に変わった。胸に押しつけられるグラスファイバーのヘルメットの固さを感じながらリッキは狼のような笑いを浮かべていた。

エンジンがそれこそ気違いのように吼え狂っている。

翔子は自分の置かれた場所を知ったのだ。

マッハスコルピオはバリケードにされた交機の装甲パトカーを難なく真っ二つにした。

切っ先が突き破ったその先に、黒い影が立ち塞がっていた。

勿論リベラライザーは突っ込んだ。

------------ッ!!!!

リッキは不気味な音を聞いた。

それはプレッシャーに自由を求めて液体が跳ね上がった衝撃波だった。霧散する中で激しい熱源だったバイクのまわりに火花が飛んだ。

爆発した。

鼓膜が灼き切れそうな熱風が渦を巻いて殴りかかって来る。

リッキは自分が爆発したのではないかと思った。

火柱が夜空に高く吹き上がった。


肘の先で風がヒュッと唸りを上げた。

 …危なかった。リッキは脇の下がうっすらと濡れたような気がする。パトカーの反対側にガスかケロシンかなんかの詰まったドラム缶が並べてあったようだった。もしのろのろと突っ込んでいたら火だるまだったかもしれない。リッキとてそこまでマシンのデバイスがライダーを護ってくれるかどうか自信がなかった。彼は生唾を呑み込みながら抱きかかえた翔子を見下ろす。あそこまでやばいトラップにはこのいい加減長く楽しい夜の間にもお目にかかったことがなかった。おそらくあれで近隣の家屋は一撃のもとに全壊したことだろう。彼らもようやっと本気になったのだ。

リッキはぞくぞくするような笑みを浮かべた。

そうなるとこの少女が何を知っているのか、ますます興味が持たれてくるではないか。

リッキは無理やり翔子のヘルメットを剥ぎ取った。片手で十分用が足りた。小さな少女は身体をこわばらせ、歯の根も合わないほど震えていた。



30


牙を剥き出しにした虎のようなエキゾーストノートが背後で渦を巻いていた。ソニックブームでも起こるのではないかというようなスピードでビルの谷間を二台のリベラライザーがすっ飛んで行く。高層ビルに残っている窓という窓が小刻みに震えた。

郁弥の目の前で揺れる速度計の針は瞬間的に時速二四〇キロを指していた。いかにサバを読んでいたとしても二〇〇キロは超えている筈だと彼は思った。まだ新宿の街から出ていない。狭い間隙を縫って叩きあげてきた数字としてはドラッグレーサーでさえ震え上がるだろう。

後ろについた津々木は離れなかった。バックモニターで捉えるリベラライザーのボディはエミリオ同様完全にライダーを覆い隠し、彼が乗っているのかどうかさえ怪しませる。マリリオンの排気音は郁弥のマシンに比べいくらか甲高い金属的な響きを聴かせるようだった。どんなからくりを持っているのか知らないが前後スイングアーム、両輪ステアリングのような基本構成は変わらないように見える。

郁弥は耳が千切れるような爆音を聞き分けながら素早くシフトダウンをすませ、握り込んだブレーキレバーを引き摺ったままマシンを深くバンクさせた。曲げるだけだったならばエミリオの高い回頭性はそこまでのバンク角を要求しなかったが、潰れたダンプの陰にラインを塞いで転がっていた太いヒューム管を避けたのだった。脇をすり抜けながら再びマシンを起こして後輪にパワーを託す。オーバー二〇〇キロで並の車にできる芸当ではない。タイヤをあまり痛めつけないように注意してアクセルを開けながらバックモニターを覗くと、津々木がヒューム管を突き破り、飛び散る破片の中を突進して来るところだった。

ああいうのが正しいリベラライザーの使い方かもしれないな、と郁弥は卑下したんだか舌を巻いたんだか分からない苦笑を浮かべて身を伏せた。マリリオンの方が速くコーナーを回ったことだけは確かなようだった。


次の曲がり角を郁弥はもう一度折れた。新宿から出ない方がいいと思ったのだ。少なくとも銃弾から身を護ってくれる車の骸が周りにあった方が良い。彼らがこうしてジムカーナをしている第一の理由がそれだった。津々木はまだ撃ってはこなかったが。そして後ろを取られたからといって待っている必要もなかったが、郁弥に先に後方射撃のトリガーが引ける筈もなかった。

しかしマリリオンの輝く赤いボディは強引な走りっぷりで息のかかるところまで迫ってきていた。芸術的な走りを気取っていたのでは逃げ切れなかった。何しろ自ら泥沼のような街の中に戻ったのだから。街全体に異臭が漂っていた。郁弥はビルの合間に切り取られた空に、死神の笑うのを見たような気がする。いつしか空は暗い雲に覆われていた。今の郁弥の心に相応しい空だった。

稲妻が走った。激しい風切り音の中でもその雷鳴は鼓膜を震わせた。こんなところで落雷の心配はない、と言い聞かせながら郁弥は雷で一瞬のうちに死ねるならそんな有り難いことはないとも思った。安楽死は人類の永遠の夢だ、なあ津々木 、郁弥は唇を咬みながら首をちょっと曲げて後ろを見る。津々木はアタックの体勢にあった。

「結構じゃないか。」郁弥はざっと血が音を立てるのを感じながらも挑発的に言った。実際、かつての親友がトラップを使わずに捨て身の攻撃で自分を屠ろうとするなら、これ以上望ましい舞台揃ろえはないと思った。


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