第31話『彼の名』
「――失礼します」
低い靴音と共に、医務室の重い扉が開いた。
入ってきたのは、制服の襟元を厳しく正した鷹宮少佐だった。その表情はいつもの無表情を装っていたが、カプセルの向こうの響の姿を捉えた瞬間、彼の身体が微かに強張る。
鷹宮はゆっくりと、規律正しくカプセルの前まで歩み進めると、直立不動の姿勢のまま、白手袋の手を額へと跳ね上げ、完璧な敬礼を捧げた。
「鷹宮准尉……いや、今は少佐だったな。ずいぶんと出世したじゃないか、司」
響はカプセルの向こうから、昔と変わらない穏やかな声で呼びかけた。その懐かしい声を聞いた瞬間、鷹宮の跳ね上げた右手が、そして張り詰めた仮面のような表情が、微かに、しかし激しく震えた。
「……剣谷大尉。5年前、私は……私は貴方を引き留められなかった。軍の規律を、手続きの正当性を並べるばかりで、単身ヴァイスマンの元へ向かおうとする貴方の背中を、ただ見送ることしかできなかっただけでなく…貴方を追っていった柊少尉…冴子さんまで……!」
鷹宮は敬礼を崩さぬまま、絞り出すような声で頭を垂れた。
「私の弱さが、私の無能が、大尉をこれほどまでの地獄へ追いやった……。本当に、申し訳ありませんでした……!」
白手袋の奥で、血がにじむほど左拳が強く握りしめられている。
響はそんな元部下の姿を、穏やかな眼差しで見つめていた。
「顔を上げろ、鷹宮少佐。……お前はあの時、軍人として正しく職務を全うしただけだ。責められるべきは、私の独断専行の方だよ。それに……私はもう五年前に行方不明になった身だ。公式には、とっくに死んだことになっているだろう。2階級特進にも興味はない。もう私は軍人ではなく……ただの、壊れかけの男さ。司、その堅苦しい階級での呼び方は、もうやめてくれ」
「……しかし、私にとって貴方は、生涯唯一の――」
「なら、昔のように呼んでくれ。私はお前の、ただの先輩でいたい」
響の静かで、しかし拒絶を許さない温かな言葉に、鷹宮はゆっくりと顔を上げた。その瞳には、いつもの冷徹さはなく、一人の人間としての感情が揺れていた。
鷹宮はゆっくりと右手を下ろすと、直立の姿勢を緩め、カプセルへと一歩歩み寄った。
「……分かりました。……響さん」
その呼び名を発した瞬間、鷹宮の張り詰めていた肩の力が、微かに抜けたように見えた。
「私は、二度と貴方を見失うつもりはありません。五條さんの指示に従い、まずは身体を休めてください。そして……生きて、私に次の背中を見せてください、響さん」
「フッ……了解した、鷹宮少佐。死なないと約束しよう」




