「ギルベルタ、アドネア、ロッシ」
第三分流塔へ続く山道は、街の喧騒が嘘のように静かだった。切り立った岩壁の間を縫うように造られた一本道。足元には使われなくなった線路が伸び、その脇を龍脈導力管が這うように走っている。エドガーを先頭に、四人は黙々と歩みを進めた。
「この辺りです」
エドガーが立ち止まると、前方に巨大な昇降設備が見えた。坑道から鉱石を地上へ運ぶための大型昇降機。だが、その周囲には誰もいない。
「静かだな——」
ロッシが目を細めて辺りを見回した、その時。
ガァン——!山全体を揺らすような衝撃音が合図の様に、坑道の奥から何かが飛び出してきた。
「退がって下さい!!」
現れたのは四足歩行の大型機械——鉱石を運搬するための機工搬送獣だった。本来なら人に従うはずの導力機械。それが今は、真っ赤な導力光を撒き散らしながら暴走している。
「龍脈……暴走か!」
ロッシが一歩前へ出て剣を抜く。口元はまだ笑っていたが、目だけはすでに獲物を見定める獣のように鋭くなっていた。無骨な大剣に派手な装飾は一切ない。だが、その簡素な姿には、極限まで研ぎ澄まされた剣としての本分がそこにあった。
「ギル! 止められる?!」
「うぅん、これは無理!」
ギルベルタは眉根を寄せ、即座にルミナムを起動する。暴走の原因を探ると——制御核が完全に暴走している。もう核を壊すしかない。
「——了解」
ロッシは一瞬だけこちらを伺うと、口の端を軽く持ち上げてそれだけ短く答えた次の瞬間、ロッシの姿が——消えた。
「え……?」
ギルベルタが目を見開く。
一歩、いや——三歩分ほどの間合いを、瞬きの間に詰めていた。搬送獣の巨大な腕が振り下ろされる。だが、ロッシは半歩だけ身体をずらしてそれを避け、最小限の動きのまま大剣を一閃させる。
キィン!! 火花が散る。
だが——浅い。
「硬ぇな……」
ロッシは不敵に笑う。眉一つ動かさず、むしろ楽しそうに舌なめずりでもしそうな顔で、どう斬るか——その糸口を瞬時に探っていた。
「ロッシ!右脚!!」
アドネアがすぐさま情報を飛ばす。表情は硬く、視線は搬送獣の動きから一瞬も離れない。
「——分かってる!」
搬送獣が突進する。それでも笑みを崩さず、ロッシは正面から迎え撃つ。普通なら絶対に避ける距離だ。
しかし、彼は逃げなかった。ギリギリまで引きつけ、身体を半回転——
ガギン!!
搬送獣の右脚の関節が、補装された機工具ごと音を立てて吹き飛ぶ。同時に、その巨体が大きく傾いだ。
「——今だ!」
ギルベルタがルミナム越しに叫ぶ。頬に汗が伝うのも構わず、片手で右目を押さえるようにして視界を凝らす。
「胸部!中心から左!」
「了ッ解!」
ロッシは笑った。跳び上がり、倒れかけた機械の身体を蹴ってそのまま胸部へ。大剣を逆手に持ち替え、口の端を吊り上げて言い放つ。
「悪いな——機械は嫌いじゃねぇ。でもな——」
銀色の刃が一直線に、鋭く落ちる。
「暴れるなら斬るまでよ」
ズドン!!と大きな音と共に制御核が真っ二つに割れ、暴走していた導力光が一瞬で消える。巨体は静かに沈黙し、辺りに静寂が戻った。
「……終わった」
ギルベルタが肩の力を抜き、息を吐く。強張っていた表情が、ようやく緩んだ。
ロッシは剣を軽く振り、付着した油を払う。涼しい顔で、まるで散歩でもしてきたかのようだった。
「こんなもんだ」
エドガーは口を半開きにしたまま、しばらく言葉が出てこなかった。
「一人で……」
「いや」
ロッシは首を振り、少し照れくさそうに笑った。
「俺一人じゃ無理だった」
ギルベルタを見る。その目には、からかいではなく、素直な感謝の色があった。
「俺には核の位置なんて見えねぇからな」
そしてアドネアへ視線を移す。
「タイミングも教えてもらった。だから勝てた」
アドネアが微笑む。柔らかいが、どこか誇らしげな笑みだった。
「昔からそういう人なのよ」
「え?」
ギルベルタが目を丸くして聞き返す。
「ロッシはね。自分が強いとは絶対に言わない。でも仲間がいると、一番強い」
ロッシは照れ臭そうに頭を掻く。
「そういうの、やめろって。照れる」
ギルベルタは思わず吹き出すように笑った。
数日前、ギルドで会った時は、お調子者だと思っていた。でも違う。この人は、仲間を信じることを知っている冒険者なんだ。
そしてロッシもまた、ギルベルタへ視線を向ける。彼女がいなければ、核の位置は分からなかった。義手も、ルミナムも、どちらも戦うための力ではない。それでも——。
「いいチームになりそうだな」
その言葉に、ギルベルタも自然と頷いていた。頬が少し緩んでいるのが、自分でも分かった。
▼△
暴走した搬送獣を止めた四人は、そのまま第三分流塔へ向かって歩き始めた。山道は静かだった。さっきまでの戦闘が嘘のように、風だけが吹いている。
ロッシは大剣を鞘へ納めながら、上機嫌に笑った。
「いいモンだな……」
「——何が?」
ギルベルタが首を傾げる。
「さっきのだよ。『胸から左』って。分かりやすかった」
「そう?」
ギルベルタは少し意外そうな顔をした。
「十分」
ロッシは肩を竦め、片目を細めるようにして続けた。
「——戦ってる最中に長々説明されても困る。短くて正確。それだけで助かる」
ギルベルタは少し照れたように笑い、視線を義手へ落とした。
「じいちゃんに怒られてたから。『機工士は一秒でも早く伝えろ』って」
「なるほど」
ロッシは納得したように、腕を組んで頷く。
「俺も今度から、もっと短く返す」
アドネアが二人のやり取りを、目を細めて見ていた。口元にはわずかな笑み。だがその笑みの奥で、何かを考えている顔でもあった。
「それなら、役割を決めましょう」
二人が同時に振り向く。
「現場では考える時間なんてないもの」
アドネアは真剣な顔で、地面へ小枝で円を描いた。
「ギルは”見る人”。ルミナムで状況を読む」
次に、円の前へ一本線を引く。
「ロッシは”切り開く人”。ギルが見つけた突破口を作る」
最後に、円の外側へ印を付ける。
「私は二人を見て全体を動かす。援護、退路、情報整理。三人とも役割が違う」
ロッシが片眉を上げて笑う。
「つまり頭脳、剣、司令塔ってことか」
「そういうこと」
アドネアも微笑んだ。だが、すぐに表情を引き締めた。
「誰か一人が欠けても駄目」
ギルベルタはその言葉を、じっと地面の円を見つめながら聞いていた。
三人。歯車みたいだ。一つだけ回っても機械は動かない。噛み合って初めて意味がある。それは機械も、人も同じなんだ。
「よし——」
ロッシが不敵な笑みを浮かべ、拳を軽く突き出す。
「改めてよろしくな」
「——今さら?」
ギルベルタが目を丸くして笑う。
「今だからだ」
ロッシは真面目な顔になって続けた。
「数日前はただの知り合い。昨日までは仕事の仲間。でも今日は——命を預ける仲間だ」
ギルベルタは義手をじっと見つめた。少し躊躇うように——だがすぐに、ゆっくり拳を作り、その義手の拳をロッシの拳へ軽く合わせる。
コツン。
「よろしく」
その声は、少し掠れていた。
アドネアも苦笑しながら二人の拳へ自分の手を重ねる。悪戯っぽく片目をつぶって言った。
「はいはい、サブマスターとして命令。二人とも、ちゃんと生きて帰ること」
三人が笑う。その空気はどこか心地よかった。
その時だった。不意に、視界が揺れた。
「……」
ほんの一瞬。景色が二重に——山道、岩壁、ロッシ、アドネア。全部が滲んで色を失っていくような、そんな感覚。
「——ギル?」
アドネアの声で我に返る。
「え?」
「今、立ち止まったけど」
アドネアの眉が微かに寄っていた。
「……あ」
自分でも気付かなかった。
「ごめん。少し目が疲れただけ」
ギルベルタは、努めて何でもないふうに笑ってみせた。ルミナムを解除する。すると違和感は嘘のように消えた。ロッシが心配そうに顔を覗き込む。眉間に皺を寄せて。「大丈夫か?」と——。
「うん。昨日から使いっぱなしだから……少し休めば平気」
そう言って笑ってみせる。だが、アドネアだけは、その笑顔を見つめたまま、表情を崩さなかった。
「……」
何も言わない。けれど、その瞳には小さな不安が宿っている。
イェネファにいた頃から知っている。ギルベルタは夢中になると、自分の限界を忘れる。食事も、睡眠も——怪我でさえ後回しにしてしまう。だからこそ、この旅ではギルベルタ自身が気付く前に、自分が止めよう。アドネアはそう再認識した。
それはサブマスターとしてではなく、一番近くで見守ってきた友人としての役目だと。
その一方で、ギルベルタは気付いていなかった。先ほど景色が揺れた、そのほんの一瞬——ルミナムの奥に映っていたものを。
見えるはずのない、幼い少女の後ろ姿。白い光の中へ消えていく小さな影。次の瞬間には、跡形もなく消えていた。
「……今の、何だったんだろう」
無意識に小さくそう呟いた声は、風にさらわれ、誰の耳にも届くことはなかった。
そして四人は、第三分流塔へと続く山道を再び歩き始める。まだ誰も知らない。ルミナムが”見る”のは龍脈だけではないことを。そして、その力を使うたびに、ギルベルタの心の奥底で失われた記憶が、少しずつ軋み始めていることを。
△▼
第三分流塔は、切り立った岩壁に寄り添うように建っていた。高さは二十メートルほど。灰色の石造りの塔を、幾重もの導力管が螺旋状に取り巻いている。その一本一本が地下深くから龍脈を引き上げ、街中へ導力を送り出すための大動脈だった。
本来であれば、一定の周期で蒼い光が脈打ち、心臓の鼓動のように穏やかな律動を刻んでいるはずだ。しかし今、その光は不規則だった。明滅を繰り返し、ときおり赤黒い光が混じる。
「……おかしい」
ギルベルタは目を細め、小さく呟いた。
ルミナムを起動する。右目の視界が淡い蒼色へ染まり、塔の内部構造が透けて見え始める。導力の流れ。圧力。回転する歯車。それらが幾重にも重なり、まるで人体の血管のように浮かび上がった。
「どうだ?」
ロッシが声を潜め、真剣な顔で塔を見上げる。
「設備は壊れてない」
ギルベルタは眉を寄せた。
「全部、正常に動いてる」
「でも……」
「でも?」
ロッシが先を促すように、少し身を乗り出した。
「正常すぎる」
アドネアが怪訝な顔で首を傾げる。
「正常すぎる?」
「うん」
ギルベルタは塔を見上げたまま、指先で顎に触れながら続ける。
「機械ってね、使えば必ず癖が出るの。歯車なら摩耗する場所があるし、軸にもわずかな遊びができる。人が調整すれば、その人の癖も残る」
義手で壁へ触れる。冷たい鉄板の感触が伝わる。
「でも、この塔にはそれがない」
ロッシが眉をひそめた。
「新品みたいってことか?」
「違う」
ギルベルタは静かに首を振り、表情を険しくした。
「新品でも、こんな動き方はしない。誰かが……」
その言葉は最後まで続かなかった。
カタン。
小さな音。
ギルベルタは反射的に振り向く。誰もいない。岩陰には風が吹いているだけだった。
「ギル?」
「……今」
ギルベルタは目を見開いたまま、声を落とした。
「誰かいた気がした」
ロッシは即座に表情を引き締め、剣へ手を添える。空気が張り詰める。だが気配はない。
エドガーが緊張した面持ちで周囲を見回す。
「鉱夫たちは全員避難しています。ここには誰も……」
「違う」
ギルベルタは小さく呟く。
「人じゃない」
その瞬間だった。
ルミナムの視界だけに、何かが映る。塔の壁際。小さな子どもの後ろ姿。白い服。肩まで伸びた髪。こちらを振り返ることなく、塔の中へ歩いていく。
「待って!」
思わず声が出た。駆け出そうとした肩を、ロッシが強く掴む。
「ギル!!」
ハッと我に返る。
「……え?」
目の前には誰もいない。岩壁だけがある。アドネアが青ざめた顔で心配そうに近寄る。
「誰がいたの?」
「女の子が……」
言いかけて、口を閉じた。
違う。いたはずなのに——もう思い出せない。どんな顔だった? 何歳くらいだった? 思い出そうとすると、頭の奥が鈍く痛む。ギルベルタは眉間を軽く押さえた。
「……ごめん」
「見間違いだった」
そう答えるしかなかった。声には、自分でも隠しきれない戸惑いが滲んでいた。アドネアは納得していない顔だったが、それ以上は追及しなかった。
一方、ロッシだけは黙ってギルベルタを見ていた。眉間には皺が寄り、探るような視線だった。さっきの目。冗談を言う時の目じゃなかった。本当に何かを見た人間の目だった。だが今は聞かない。もし本人にも分からないなら、問い詰める意味はない。
「中へ入ろう」
ロッシが空気を変えるように、あえて軽い口調で言った。
「原因を探すのが先だ」
「——うん」
ギルベルタは小さく頷いた。まだ少し強張った表情のまま。
塔の重い扉を押し開く。ギィ、と軋んだ音が響き、ひんやりとした空気が流れ出てきた。内部は薄暗く、中央には巨大な導力炉が鎮座している。幾重もの歯車が噛み合い、無数の導力管が天井へ伸びていた。
その光景を見た瞬間、ギルベルタの表情が変わる。
「……違う」
「どうした?」
ロッシが眉をひそめ、隣へ並ぶ。
ギルベルタは導力炉を指差した。指先がわずかに震えていた。
「故障じゃない——誰かが、わざと流れを変えてる」
その言葉に、その場の空気が一変した。
エドガーが顔色を変え、息を呑む。
「そんなことが……」
「できる」
ギルベルタは険しい表情のまま、静かに答える。
「機工士なら」
義手を導力炉へ添える。冷たい鉄の感触。その奥から伝わってくる、かすかな違和感。誰かがここへ触れた。ほんの数日前に。
その手つきは荒くない。むしろ———
「……上手すぎる」
思わず漏れた一言に、アドネアが眉を寄せて顔を上げる。
ギルベルタは苦い表情を浮かべた。
「この細工をした人……じいちゃんと同じくらい、機工が上手いの」
その言葉は、四人の胸に重く沈んだ。ロッシもエドガーも、言葉を失ったように顔を見合わせる。
ジル亡き今、その技術に匹敵する機工士がいる。それは偶然なのか、それとも——。
静まり返った塔の奥で、歯車だけが規則正しく回り続けていた。




