倫理遠退の一発
ガラッ。
教室の扉が開いた瞬間、空気がふっと整った。
入ってきたのは、五十代後半くらいの男性。
背筋がすっと伸びていて、スーツもきっちりしている。
一目でちゃんとしてる人って分かるタイプ。
それなのに――
「おはようございます」
にこやかに笑った。
柔らかい声、穏やかな目元。
一気に空気が和らぐ。
(……あ、この人は普通だ)
なんとなく、そう思った。
「担任を務めます、青木です。よろしくお願いします」
丁寧で、無駄がない。
でも堅すぎない。
ちゃんと人としての余裕がある感じ。
「今日から一年間、皆さんと関われることを楽しみにしています」
クラスの何人かが、ほっとしたように姿勢を緩める。
(うん、いい先生そう)
さっきまでの変な空気が少しだけ薄れる。
そのとき。
「……ああ、そうだ」
青木先生がふと後ろを振り返った。
「もう一人、紹介しておきますね」
その一言で、なんとなく嫌な予感がした。
視線が後ろに向く。
――いつの間にか。
教室の一番後ろに、一人立っていた。
「副担任の大井史です」
気配がなかった。
本当に。
さっきまで誰もいなかった場所に、“最初からいました”みたいな顔で立っている。
「よろしく」
低い声。
表情はほとんど動かない。
(……え、なに今の)
違和感が、肌に張りつく。
でも――
「はい、ということで。
何かあれば気軽に頼ってくださいね」
青木先生は、いつも通り穏やかに笑っている。
まるで、何もおかしなことは起きていないみたいに。
「では、ひとまず休み時間にしましょうか」
その一言で、教室の空気がまた動き出した。
さっきの違和感を、なかったことにするみたいに。
「音色、ほんとに大丈夫?」
フンペチが机に身を乗り出してくる。
「まあ……一応生きてる」
「一応って何」
苦笑いされる。
でも正直、さっきからずっと変な感じだ。
翔馬のこともそうだし、今の副担任もそう。
なんかこう、“普通じゃないもの”が混ざってる感じ。
「てかさ――」
話そうとした、そのとき。
「おい」
低い声。
顔を上げると、教室の入り口付近に数人の男子が立っていた。
制服は同じ、でも雰囲気が違う。
一番前にいるやつ――たぶんリーダーっぽいやつが、こっちを見ている。
「俺山愚痴、君ら可愛いね」
(あ、これめんどくさいやつだ)
直感で分かる。
「連絡先、交換しよーぜ」
軽い口調、でも断れる空気じゃない。
「いや、いいです」
フンペチが即答した。
はや。
「は?」
空気が変わる。
「なんでだよ」
「なんでも」
フンペチの声は落ち着いてる、でも引いてない。
(強いな……)
「感じ悪ぃな」
男――山愚痴が、一歩前に出る。
距離が縮まる。
ちょっと、まずいかも。
「……別に交換する理由ないでしょ、貴方達のこと何も知らないし」
私も口を開いた。
すると山愚痴は少しだけ笑った。
「へぇ」
その目、完全に“面白がってる”やつ。
「じゃあ理由作ってやるよ」
空気がピリッと張り詰める。
やばい、これ普通にケンカになる――
そのとき。
ガラッ。
教室の扉が、また開いた。
「失礼しまーす」
軽い声。
場の空気を全く気にしていないような、間の抜けたトーン。
全員の視線がそっちに向く。
入ってきたのは三人組。
男が二人と女が一人。
制服は同じだけどどこか浮いている。
「ゲーミング部でーす。勧誘に来ましたー」
(なにそれ)
空気読めてなさすぎる。
いや、逆に読んでて無視してる?
その中の一人、
真ん中にいる男がゆっくりと山愚痴の方を見る。
「あれ、邪魔しちゃったかな?」
軽い口調。
でも目が笑ってない。
「引っ込んでろ陰キャが」
山愚痴が睨み返す。
その瞬間。
「そっか」
パンッ!
乾いた音が教室に響いた。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
――次の瞬間。
山愚痴の体がぐらりと揺れる。
胸のあたりが赤く染まっていく。
「……え?」
誰かが呟いた。
遅れて理解する。
撃たれた。
今、目の前で。
山愚痴が崩れ落ちる。
教室が凍りつく。
悲鳴も出ない。
時間だけが止まったみたいに。
「はい、静かになったね」
撃った男――YOU diedが、にこっと笑う。
その手には銃。
当たり前みたいに、持っている。
「改めまして、ゲーミング部でーす」
明るい声。
さっきと同じテンション。
でも、足元には――
動かなくなった人。
「うちの部、楽しいよ?」
誰も答えない。
当たり前だ。
「まあ興味あったら来てねー」
それだけ言って、くるっと背を向ける。
そして、そのまま教室を出ていく。
残った二人が無言で山愚痴の体を持ち上げた。
重そうなのに何事もないみたいに。
そのまま、引きずるようにして外へ。
ガラッ。
扉が閉まる。
静寂。
誰も動かない。
誰も、何も言わない。
(……なに、ここ)
さっきまでの空気が、嘘みたいに消えている。
心臓の音だけが、やけに大きい。
「……音色」
隣でフンペチが、小さく呼ぶ。
声が少し震えてる。
私も――たぶん、同じ顔してる。
ちらっと横を見る。
翔馬は、何も言わずに前を見ていた。
表情は、変わらない。
でも。
その目だけが――
ほんの少しだけ、冷たくなっていた気がした。




