戦争準備編 2
大聖堂府からの檄文に触発されて、国境はにわかに騒がしくなる。
実際に軍勢が迫りくるわけではないが、その前段階の動きが徐々に現れていた。
国境を挟んだ先、教会からの檄文に応じる形で、各国の王が領主たちに触れ書きが出していた。既に、各領内では兵役可能な年齢の男達が集められ、簡単な行軍、訓練が始まり、家々から荷馬や農耕馬の徴発が行われていた。
これらの動きは、出来る限り秘密裏に行われていたが、たちどころに王国騎士団長リョーダンが配下で潜む者たちの知るところとなった。
王国騎士団長、かつてのドラムの副官を務めた男リョーダンは最前線になる北の砦にて、騎士団を鍛え上げる傍ら、独自に各国の情報を日々集めていた。
それは例えば、国を渡り歩く行商人や特定の国を行きかう旅商人、または立ち寄る冒険者、傭兵からの何気ない噂話、町の様子、相場や市場の空気など一見すれば、無関係に思える事であってもリョーダンは聞き逃すことなくそれらを集める。
また、時には、実際に信頼できる部下を潜入させて、話の整合性や信憑性を確かめたり、噂の出所などを調べさせたりとリョーダンは何よりも情報を大切にした。
北の砦にて
「本当に、間違いないのか?」
「はい、何度も確認をしました。完全に黒です。大規模な出兵用意と思われます。」
「まさか…、今、動き出すとは、とにかく情報を集めて、」
「大変です。南でも不穏な動きが!」
「なんだと…、南?帝国が動いているのか?」
「いえ、詳細は未だに、今、鳩をつかって子細な連絡を待っております。」
「団長!急報にて、失礼します。」
「またか、一体、何が起きているのだ?」
「団長、一大事です!」
「今度は何だ?西か東か?」
「いえ、北にいる間者より、未確認ですが、どうやら大聖堂府が裏で動いているとのことで、」
「大聖堂府?教会が動いた?いや、それより、教会…、それが大事か?」
「い、いえ、それだけではありません。教皇の名で檄文が飛ばされていると、今、その内容を確認しております。」
「げ、檄文だと?」
「はい、王国を名指しで出されていると、」
「どうして…、いや、今はすぐにそれらの動きを王都に報告せよ!判断を仰ぐ!国境の各砦には警戒態勢をとること伝えろ!檄文の写しは何としても手に入れろ!」
「は、はい、直ちに!」
「皆に伝えてまいります!」
「…、いったい何が起こっているのだ?」
リョーダンは定例の会議を行う部屋に次々と慌てて入る部下からの報告に、目眩を覚えながらそれぞれ指示を下す。ドラムの下で鍛えられた鋼のごとき不動の精神は、この状況、いかな不利な状況にあっても、顔色を隠してくれたし、声に動揺の色が現れなかった。
迫る軍靴の音に恐怖と混乱の状態に陥る部下たちを僅かばかりでも落ち着かせる効果があった。上官であるリョーダンの態度に、己の職分を全うせんと部下たちは再び慌ただしく部屋を後にした。
誰もいない部屋の中で、リョーダンは地形図を睨みつけて、小さく、聞かせないように呟いた。
リョーダンが恐れていることは、大聖堂府からの檄文に応える形で王国に対しての包囲網が敷かれることである。
仮に、大聖堂府からの檄文が真実であるとすれば、間違いなく四方に存在する国々は王国に対して攻め込む大義を得ることになる。四方から迫るものがすべて敵になるかもしれないという王国最大の危機に直面してリョーダンは頭を抱えてしまいたかったが、立場上、それは出来なかった。
王国は大陸中央部に位置し、東西南北四方を全て潜在的な敵に囲まれていた。そんな中であっても、王国が存在できたのは一万騎の騎士で構成される王国騎士団の存在であった。
かつて、その広大な領土から王国に20から30万といわれる大軍を率いて進行した帝国に対して、王国の騎士団は数の不利をひっくり返したことがある。これはこの王国の騎士団全てを投入し、最大の転機となる野戦にて勝ちを得た結果であった。
王国は常に四方に敵を持ちその敵を相手にして強国の地位を得てきた。これは、先人たちの少なからぬ血とその流した血以上の戦果が生んだ結果である。もともと、王都周辺を治める小さな地方領主であった王家の祖は戦乱にくれ、疲弊した大陸中央で一気に領土を拡大し、現在の版図を手にした。
時に武力で、時には交渉で、初代の王は支配地を広げ、そのあとを受け継いだ王たちも懸命にその責を果たした。
王国の力の要因は、過去何人もの神子と呼ばれた人間を手厚く保護し、その知恵を政治、組織体勢に取り入れたことであった。
なぜ王国だけがこういったことができたのか?
一説には、初代の王、王家の祖たる人物がそういった神子の能力を有していたともいわれる。また、そういった能力を持っているといわれた人物を他国より厚遇し、かき集めていたとも伝わる。とにかく、諸侯が乱立し群雄割拠の時代に先んじて神子の能力者を重用し、それが成功したのが大きい。
神子からの知識は法制度、一部発明など様々存在するが、特にそれまで整備されていなかった軍体制の整備によって生まれた王国騎士団という存在が近隣の国に与えた影響は大きかった。
それまでの戦争は王からの触書に各貴族の私兵を率いて参加し、前金と高い報酬を約束されて雇われた傭兵が加わってくるというものであった。これは異常なほど打たれ弱く、僅かな綻びから全体が背走した。
しかし、神子からの提言をもとにして王国は、それまでの私兵、傭兵を主体とした軍とは異なる、装備、訓練を一新し、整えられた常設の国王直下の騎士団を作り出した。
この戦うことを専門とする騎士団という集団は、これまでであれば崩壊した不利な状況であっても戦いを続け、敵国に大きく印象付けた。また農閑期、農繁期に関係なく、他国の情勢、動向に影響を受けずに組織されるそれは敵対するには非常に厄介な存在となった。
この騎士団を形だけでも、多くの国が採り入れて大失敗を起こす。領内の私兵を全て取り上げるような仕組みは、その国の貴族の反対で頓挫、最悪は内乱となり、国力を大きく落とすという王国とは違う結果となった。
他国では、この例だけではないが、他の仕組みを動揺に提案した神子たちが僅かな失敗であっても処罰された。これは、既存の勢力が神子の台頭に恐れて行ったもので、糾弾し、追放し、最悪はその場にて処刑された。
そして、皮肉にも、その現状が知られると神子を厚遇する王国の噂が大きくなり、他国で生まれた神子の多くが王国へ流れる結果となった。
こういったことの積み重ねが王国の躍進を支え、今日の王国の礎となっている。
今日まで続く王国の繁栄支えた先人たちを思う
リョーダンは両眼をつむり、最悪に備えて策を練り上げる。しかし、包囲網が敷かれるとすれば、数の不利を覆すのは難しい。
王国自慢の騎士団を各拠点に配置しても、わずかな時間を稼ぐ程度の効果しか期待できない。いっそ、野戦を仕掛けたほうが、いや、どうであろうか?
野戦で勝ちを得ても、いや、仮に100戦して99勝しても、たった一か所敗れれば、そこから王国は敗北する。そもそも、100戦して100勝しても次の戦いに立てるであろうか?
そうだ、大聖堂府が裏にいるのだ。最悪、下手をすれば、檄文に感化された王国の民が大聖堂府からの要請に応えて蠢動するかもしれない。そうなれば、
リョーダンが思い描く王国の未来は暗い。暗澹たる気持ちに浸りながら、また部屋の外から足音が近づく、リョーダンは王国騎士団長としての顔を作り、不安を表に出さないようにする。
「団長、王国からパンの注文が入りました。」
部屋に顔を出してきたのは、リョーダンの副官を務める男で、一度も日に焼けたことがないのではないかと思えるほど病的に青白く、騎士団にいることが不思議な容貌をしていた。
男は前もって決めている暗号の符丁通りリョーダンに話しかける。それは、先ほどまでの報告とは違う、リョーダンがドラムと面会した後、王都を、ドラム様を、ハイビィッシャー侯爵の動向を探らせていたものからの定時連絡であった。
「ああ、今、確認する。パン屋は何と?」
「大盛況で、困っているらしいです。酔っ払いの喧嘩があって、お客さんが屋敷に連れていかれたとのこと」
王都の混乱は落ち着かず、酔っ払いの喧嘩、中規模な騒動…、ドラム様が動いたのか?屋敷はハイビッシャーのことを表している。では、お客さんとは?
「それは大変だ。お客さんは怪我されたのか?どちらの人なのかな?」
「それが、教会の騎士さんが酔っ払いに絡んだらしい」
「な、」
「屋敷から教会に手紙が出されたらしいですが、」
リョーダンは言葉を失った。
檄文を各国に飛ばした大聖堂府に悪魔の噂をドラム様に吹き込んだハイビィッシャー家が繋がった。
「て、手紙は、手紙には何とあったのだ?い、いつ、出した?」
「え、えっと、内容までは、喧嘩の後すぐと聞いてますので手紙は6、7日前では?」
頭の中で計算する。ぎりぎり、間に合う。
ハイビッシャーが大聖堂府と、教会とつながり王国を売る理由はなんだ?
娘が第三王子と結婚するはずなのに?
待て、第一王子は未だに後継に指名されていない。
これだけの騒動の後、誰が責任を取る?
現王は執務の大半をサダーク様に任されている。サダーク様が責任を取らされる?
後継は誰だ?
第2王子は外国にいる。メラク様しかいない。
不満を口にする貴族はどうする?
今、王都には大貴族の当主が集まる彼らを人質に交渉すれば?
それでも不満を口にする者は、手懐けたドラム様の武名で黙らせてしまえば?
「団長?」
副官は不思議そうな顔をで黙り込むリョーダンを見る。
リョーダンの頭の中で全てのことが繋がる。
「これほどの事を考えていたのか、ハイビッシャー!」
北の砦、王国最前線の砦で騎士団長は勘違いを叫んだ。




