幕間 ニックの一日 夜
バァシュッ、バァシュッ、バァシュッ、…、畑のある元グラウンドの片隅、人目を避けるような場所で、これから戦争にでも駆けつけるような全身フルプレートの男が拳を突き出す。
その鎧の主はニック。かつての大英雄ニック・ノーキンが休むことなく拳を突き出し続ける。
疲れることのない魂だけが存在するその鎧が突き出す拳は一晩で1万回を数え、その突き出された拳の先にある場所からは虫の音も、鳥の声も聞こえない。
拳の先は光り輝き始め、まるで夜空に流れ落ちる星のような輝きを持ちはじめた。
ニックは悩んでいた。
ノイエの事、ギクリの事、これからの事、この先の事、かつてその類いまれなる力でいかなる問題も、敵も、文字通り粉砕してきた男が悩んでいた。
生きていたころは、何も考えずとも敵を、悪い奴を倒しに向かうだけでよかった。
人を困らせるから、世界を混乱させるから、竜だって悪魔だってとにかく倒す。
あまりに横暴な権力者を懲らしめ、あまりに哀れな奴隷を救う。自分が思うように生きて、思うままに死んでいった。
満足した一生であった。
しかし、一つ気がかりだった。
ノイエの事だけがどうしても気になった。
たった一人の孫娘。
この子のことがどうしても、気がかりで気がつけば、ノイエの傍から離れられなくなった。
全てを見てたわけではない。
死んでしまうと生きている時と時間の流れる感覚、いや、概念が違うのか場面、場面を断片的にノイエのそばで体験した。
ノイエの感情が高ぶるような出来事をすぐそばで経験する。
日々のわずかな変化、成長、悲しいこと、それ以上に幸せに満ちたノイエの人生を垣間見てニックは安堵し、あと少しでこの世の未練が消えていくはずであった。
だが、事態が急変する。
それまでの光に満ちたノイエの人生が真っ暗になった。
そして、気づくとノイエが自分の墓の前に立って手首に短剣をあて、一気にそれを動かす場面へと移っていた。
そこからは、自分でも何が何だかノイエの為と選んだ道を進み、妹の教会が壊れ、研究所が爆発し、大所帯でかつての旅の仲間の屋敷に厄介になり、いつの間にギクリと夫婦の約束を結んでいた。
話がだいぶそれてしまったが、ニックが悩む最大の原因は、ヒノクの教会でかつての友リョーエンに勝つことができなかった事、これであった。
自分の持っている力に絶対の自信があったから、ニックはどんな敵であろうと立ち向かえた。そして、戦った相手を倒してきた。
これこそがニックの大きな自信であった。
しかし、リョーエンとの戦いは全くそうでなかった。
生きていたころのように、相手を見据えてこぶしを握り、両方の足で大地を掴んで、全力持って殴りかかる。
竜や悪魔のよな人ならざる者以外で、この必殺パターンが通じなかったことはなかった。
だが、リョーエンにはそれが通じなかった。
それは、リョーエンの成長やかつての技に対する過度な信頼が原因だったかもしれないが、ニックはその原因を自身の中にあると考える。
この体を用意した悪魔に聞けば、この体は決して生きていた頃のものそのものではない。
生死をかける戦いの中での僅かな違い、大いなる分岐点、この体に慣れなくてはならない。
幸いなことに、この体は疲労を感じることがない。そして、本来、守るべき急所も存在しない。
鎧の重さを、技の鋭さをそのまま相手にぶつける事だけを意識すればいいのだ。
攻撃に全てを傾ける。
このことをニックは言葉の通り魂に刻み込んでいた。
やがて、こぶしを突き出す音が変わる。
ドンっと何か大きな壁に一撃を加える音が聞こえる。
ニックの勘がいよいよ掴んだ。
拳を天に向ける。
突き上げるように空に向かい拳を上げる。
空を覆う雲に穴が開いた。
それは錯覚かもしれない。たまたま偶然な出来事だったかもしれない。
しかし、ニックはその結果に満足する。
そして次は、反対の腕を突き出す。
それが終われば、足を、頭を、全身がいかなる状態でも攻撃できるようになるために、ニックは動く。
体のない英雄の魂はいよいよ手が付けられない。




