【Night 59】ありがとう
「……はぁ……」
歩みを続けていた足が崩れ、ヨウタは手を地につけた。
「ヨウタ兄、大じょうぶ……?」
「……うん。全然平気だよ」
口では言ったものの、内心では荒れる息に焦りを感じていた。ヒカリがテリカの影に突進して3人だけになった時から、ずっと歩いている。一応ナギとテリカをあてにしているが、あまり期待しない方がいいのだろう。公共交通機関も動いていない中、移動するだけでも困難であるのだから。3人で同じ方向を向いて、視線とは別方向を別の場所に置き換えるということもしたが、数回やってやめた。結局それは、無限分の1を引けるかどうかという話なのだ。さっきの豪運がもう一度来れば……話は別だが。
「これからどうするの…?」
マリが耐えかねたように言った。声が小さかった。隣のトウマも、ヨウタが手をついたからか、路上に座り込んでいる。やはり、ヨウタより年下の2人はヨウタよりも限界のようだった。
どうすれば良いのだろうか。
途方に暮れたその時だった。
「ヨウタ君! おーい!」
不意に、後ろから声がした。聞いたことがある。ずいぶん昔のように感じたけど。
「……え……」
信じられないが、もう一度、「豪運」が発生したのだろうか。
振り向いた。
「ナギさんっ!」
何からも孤立した公園で、ヒカリは叫んだ。頭が痛み始めた。まだこんなにも大きな声が出ることに、ヒカリが一番驚いていた。一番といっても、もうヒカリ自身と、ナギとテリカしかいないが。
「……ありがとう」
全く無表情のナギの顔が、少し動いたような気がした。本当にそんな気がしただけだが、そう思わないとやっていられない。
「……まだ、おれい、いってなかったよね。まえ、ナギさんが、ヨウタさんと、いっしょに、ヒカリを、むかえに、きてくれたこと」
ナギがテリカを振り払おうとしているのがわかった。ナギ自身の手が、力を入れているのか震えていたので。
ヒカリは言いながら思った。いや、そもそも。
「……あと、ヒカリを、つれていってくれて、ありがとう……ナギさんが、いなかったら、ヒカリ、いま、いきてないかも……」
離れないようにナギの首元で組まれていたテリカの両手がほどかれた。当のテリカは、頭をナギの肩にのせている。うつむいているせいで、血がしたたって、ナギの左足あたりにしみを作っていた。
「だから、」
ヒカリはそこで、一歩前に踏み込んだ。ナギがこちらに来ようとしているにも関わらず、だ。足ががくがく震えている。
「こんどは、ヒカリが……ヒカリが、たすけるばん、だよ……ナギさんが、ヒカリを、テリカさん、を、たすけてくれたように……ヒカリも、ナギさんをたす、たすけるから……」
ナギのもがきが大きくなる。押さえ込んでいたはずのテリカも、今はただナギの身体に引っかかっているだけだった。
「だから、だから……もどってきて!」
声が出ているのかどうかすら分からなかったが、とにかく今出せるだけの声を出した。
それを合図と決めていたかのように、テリカの身体がどさりと落ちた。ナギが完全に、テリカの抑止を振り切っていた。そして、ヒカリの方へゆっくりと歩み始めた。
分かっていながらも、ヒカリは後ずさりをしていた。急に顔と身体の痛みと熱がよみがえってきた。しかし後ろはもう道路しかない。何もない。
しかし。
ヒカリのかかとに、こつん、と何か硬いものが当たった。考える前に、拾い上げた。ナギはもうヒカリから7,8メートルほどまでに迫っていた。
それを確認して、驚愕した。
ところどころ黒くてべとべとした何かがついていた「それ」。
なぜ、今、こんなところに。
ナギが迫ってくる。歩くスピードが、心なしか速くなっているような気がする。心臓の鼓動も、出血のせいなのか、急速になりつつある。
その時。
ナギが地面を蹴った。
身体を前に傾けた。
走った。
ほぼ反射的に、ヒカリは「それ」───
───なくしちゃった……。
───でも、あれ、おかーさんの……。
───へっへーん……してやったり!
───落としたはずの、ずっしりと重い懐中電灯のスイッチを入れ、ナギに向けた。落ちかかっているとはいえまだ太陽が出ている中でその行為はあまり意味の無いものだったように見えたかもしれない。
しかし、奇妙な事が起きた。
ナギの身体が、ぴたりと硬直していた。まるで急に、魂を抜かれたような。いや、ここのナギは、元々魂が抜け落ちたような感じだったけれども。
そして、頭の痛みが激しくなる中で、見た。静止した後のナギが、不思議そうにナギ自身の体を見ていた。そこで久しぶりに、ナギの感情というものを感じた。
もう一度ヒカリを見た。
すると突然、ナギが頭に手を伸ばした。何をするつもりだろうとヒカリが思った矢先、頭をめちゃくちゃにかきむしり始めた。完璧まではいかずとも美しく整えられていた髪が、瞬く間に乱されていった。
意味は違えども、よく似ていた。
好奇心旺盛な幼女と、自責を抱えた少女の交わりの場に、今は似ていた。
そしてそれで、少女は多少なりとも救われた。
そうであった。
「また、つれてって……」
言い終わる前に、ヒカリの身体が後ろに倒れかけた。意識はとっくに途切れていた。赤に突っ込んでいく。ヒカリの頭が、引き寄せられるように血しぶきへと落ちていく。
その時。
ナギの足が、動いていた。
地面を蹴って、砂埃をあけだ。
ゆっくり、ゆっくり、後ろに倒れるヒカリの身体を追って、走っている。
そして、まさにその頭が赤いコンクリートに着地しようとしているその瞬間。
ヒカリの身体を、ナギの身体が包んだ。強く、強く抱きしめた。彼みたいに、突き飛ばすまではいかなかったけれど。
ようやく、ようやく、ナギは辿り着いた。
シュンタと同じ、「助ける側」に。




