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【Night 56】最後の1人





…………ん…………ちゃん…………

誰かに呼ばれているのがわかる。

それに応えるように、ヒカリは目をゆっくりと開いた。

ぼやけた視界の中に、誰かがいる。よく目をこらすと、長い黒髪に、ボロボロになった、大きめのコート。

その少女は、間違いなく、テリカだった。

「テリカ……さん……」

「大丈夫、です、かぁ?」

彼女を少しずつ認識していくヒカリに対して、テリカはゆっくりと口を開いた。なぜか所々つまらせていたが、特に違和感はなかった。いつものテリカだ。後ろの該当が青白く光り、テリカの頭の上半分を照らしている。

ヒカリは何も言わなかった。ただゆっくりと、テリカに手を伸ばした。そして、力強く、抱いた。本物のテリカは、ずっとずっと温かかった。テリカも何も言わずに、ヒカリの抱擁ほうようにこたえた。温かかった。人間の体温とかそういったものを全部なしにしても、きっと同じだろう。

「あのっ、……ナギさん、と、ヨウタ、さん、は?」

「ヨウタさんはたすけたよ。でも、ナギさんはわからない……」

「そう、ですか」

今度はテリカの方から力を入れてきた。幼児であるヒカリにとっては少し痛いくらいであったが、その痛みも嬉しかった。何もかもが嬉しかった。

「テリカさん……」

テリカは目を閉じていた。噛みしめるような、祈るような感じに見えた。ヒカリもそれにならうように目をそっと閉ざした。周囲の情報が遮断されると、自分が1人の人間ではないような気がした。テリカはもちろん、あらゆる人々が一つの生命であり、なおかつそれぞれの人々が独立しているような。それだと矛盾するか。

「……ヒカリ、ちゃん」

テリカの声でヒカリは目覚めた。叩き起こされたというわけではなく、どちらかというと朝の小鳥のさえずりで心地よく起床したような。そしてテリカが自分ではない方を向いていたので、そちらに目をやった。途端、目を見開いた。

『……え?』

「え?」

塗り絵を黒いクレヨンで塗りつぶしたように真っ黒な身体に、不気味なほど際だって浮かぶ白い目。見覚えのあるシルエット。

ナギの影が、佇んでいた。

あり得なかった。ヨウタを救出した後も、ナギとテリカの影に出くわしたのだ。視界を逸らすとその場所が置き換わるこの世界でそれ自体が起こるのも、天文学的確率といってもよかった。それが2回連続で起こるのだから、もうわけがわからない。ひょっとして、誰かが操作したりしているのか?

『……なんで』

影が言った。先程会った時のような余裕はもう消えていた。おそらく影も分かっている。こんなこと起きるはずがない、と。しかし起こってしまったのだからどうしようもない。

「ナギ、さん……」

テリカがぼそっと呟いた。それを聞いてヒカリは、はっとテリカの方を向いた。テリカが立ち上がろうとしていた。それすなわち、取り戻そうとしていた、ということだろう。

「テリカさん」

ヒカリが言った。テリカが顔を向けた。

ヒカリが小さな右手で、テリカの手を取った。震えていた。これは誰のものなのだろう? そしてこれは、どういったものなのだろう? 恐怖か、それとも?

「ヒカリたち……ううん、みんなのナギさんを、とりかえしにいくよ」

ナギの影が、踵を返した。

ヒカリの右手が、力を込めた。

前の1人と、後ろの2人。合わせて3人が、一斉に走り始めた。

距離はない。だが届かない。手を伸ばせばすぐにでも届きそうに見えるのに、叶わない。差は開きつつある。まずい。追いつけない。せっかく、見つけたのに……!

その時。

「しっかり、握ってて、ください」

隣で声がした。するとヒカリの右手首にテリカの手がまとわり、力が込められた。

そして次の瞬間、腕が張った。ちぎれそうなほど痛んだが、顔は前を向いていた。テリカが走るペースを上げていた。テリカの走るペースに追いつけなくて、足が引きずられそうになる。そのうち宙に浮いてしまうのではとさえ感じた。

しかしとにかく、2人は影にみるみる迫っていた。影がこちらを向いた。驚愕に満ちた目だった。目が合ったヒカリは、それをどこか他人行儀に見ていた。

2人の身体と、影が衝突した。




もうすっかりおなじみになってきた、このふわふわとした感覚。目が覚めてから意識が覚醒するのにも、時間はさほどかからなかった。

視界には空が広がっていた。夏空のように青々としているのではなく、その夏空に黒とオレンジが若干混じったような色だった。まさしく、ヒカリが公園で遊んでいるときに、母親が、もう帰るよ、と柔らかな声をかけてきた時のような、そんな優しい、しかし少し哀しい色だった。

ヒカリは身体を起こした。まず目に入ったのは、ヒカリが遊んでいた公園にあるものと同じような鉄棒だった。それでヒカリは一瞬、近所の公園なのかと思った。

公園の出口の道路までが見えていた。それ以降はぼかされていて見えなかった。そして奇妙なことに、出口の道路には一点だけ、赤が広がっている箇所があった。ちょうど出口から足を道路に踏みだしたあたりに広がっている。赤い絵の具が入ったバケツをそこでひっくり返したように、しぶきが飛び散っている。

「……ん」

少しして、テリカが目を覚ました。隣で倒れていたらしい。

「テリカさん!」

「ヒカリ、ちゃん……」

ゆっくりと口を開くテリカ。

「こういうこと、ですよね……?」

「え?」

ヒカリが訊き返したその時。

「2人とも、だれ?」

後ろで声がした。

少し高かったけれど、そして本来の彼女の物とは全然違う喋り方だったけど、分かった。他に誰がいるというのか。

2人は一斉に振り返った。

2人の視線の先には、茶色い髪をした、ヒカリより少し大きいくらいの少女が、立っていた。

そしてその頬には、先程道路で見た物と全く同じ明度、彩度の、赤がべっとりとついていた。

「どうしたの?」

少女が2人を交互に見た。

ヒカリが、つばをごくりと飲み込んだ。

最後の1人だ。

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