【Night 12】抵抗
「………」
ヨウタは黙り込んでしまった。
『……そうだ。抵抗しないで。すぐに終わる。君も弟や妹と同じ道を辿る』
ヨウタにそっくりな影はそんなヨウタを文字通り白い目で見下ろす。
『……僕たちには、君たちの代わりになる義務があるのだから』
すると、影がヨウタに手を伸ばし始めた。その腕はみるみる長くなり、ヨウタに達しそうになる。
(これが、ナギさんがいってた……)
ヒカリにはもはやどうすることもできなかった。ただ黙ってその成り行きを見ていることしかできなかった。さっきみたいに勇気を出そうとしても、その一歩がなかなか踏み出せない。別に何かを言おうとしているわけではないが、喉のあたりで何かが溜まり、うごめいているような感じだった。
街灯に照らされたヨウタはもう何も見ていないようだった。下を向いている。どうやら諦めているようだ。
(なにか、なにかやらないと。ヒカリしかいないのに……)
そう思案していた時。
影の顔あたりから、何か半透明の物が飛んできた。それは暗闇を走り、突き抜け、ヨウタの左肩あたりに見事命中した。
「……何だこれ……」
ヨウタはようやく何かに注目した。
その物体はヒカリにも見えた。そのガサガサと鳴る物体は、何かの袋のようだった。
そして、ヒカリはすぐに思い出した。
(あれ……ナギさんがもってた……)
あのテリカの食料が入ったレジ袋だった。
(っ……!)
しかし、ヒカリはそれに対してプラスの感情を抱かなかった。むしろ、背筋を冷たい物が走った。
(あのばけものからでたってことは……ナギさんは……)
最悪な展開が、ヒカリには予想できた。そして次に、怒りや悲しみといったものがごちゃ混ぜになって彼女を襲った。どういう表情をしているのかも、彼女には理解できなかった。
その時。
そんなヒカリの感情を破ったのは、意外な声だった。
「ヨウタぁぁぁっ!」
影から、あの声がした。
禍々しい低温ではない、慣れ親しんだあの声。
正確に言えば、影の後ろから。
「諦めんじゃねぇ!」
「ナギさん!」
紛れもなく、ナギの声だった。
「……なんで……」
「お前、このまま終わる気なのか? さっき言ってた弟とか妹とかは知らないけどよ、お前、何もせずに終わって良いのかよ!?」
ヨウタは下を向き、街灯に照らされた小さなコンクリート片を見ていた。いや、実際にはただぼーっとしているだけだろう。
「あなたの目的は何ですか? その目的を達成しなくていいんですか!?」
すると、テリカの声も聞こえてきた。ヨウタそっくりの影に隠れて見えないが、おそらく後ろにいるのだろう。ヒカリは体温の上昇を感じた。ヒカリもまた、勇気づけられてきたのだ。
『……そんな茶番なんてやめなよ。見てるだけで……』
「……僕は」
すると、ついにヨウタが口を開いた。
やった、とヒカリは思った。ついにナギの熱弁が、ヨウタに響いたのだと。
だが、ヨウタの口からは、思わぬ言葉が出てきた。
「……目的なんて、何も無い。だから、これも運命だ」
同時に、レジ袋が乾いたコンクリートの道路にどさりと落ちた。完全に抵抗を諦めた証拠だった。
『……後ろの2人と比べて物わかりが良くて助かるよ』
ヨウタそっくりの影は、再び手を伸ばす。もうダメだった。間に合うわけがなかった。
しかし、2人は諦めなかった。
その努力が身を結ぶことを信じて。
「目的なんかなくったっていい!」
「そうですよ! 私たちとまた探しましょう!」
「……もういいんだよ」
すると、ヨウタが髪をかき分けた。黄色い街灯は、その左目を容赦なく照らした。
優しく細められた目だった。まるで、「僕にはかまうな」と言いたいように。
「ヨウタさん……」
「……僕のことはもういい。3人とも、行ってくれ」
すると、影の手が、ついにヨウタを捉えた。ヨウタの身体は拘束され、影の身体に向かっていく。
「ヨウタさんっ!」
ヒカリは叫んだ。意味があったわけじゃない。
ただ、死んでほしくなかった。
それだけだった。
会ったばかりだけど、やり方は好ましくなかったけれど───それでも、それでも、自分のことを思ってくれていたんだ。
だから、生きていてほしかった。
こんな終わり方なんて……。
───オレたちはもう仲間だろ? 気兼ねなく話せよな。
───!
「ヨウタさんっ!」
ヒカリは再び叫んだ。今度は意味が違った。
そうだ。もう仲間なんだ。
「いきてっ!」
死んでほしくない。生きてほしい。
そう思うなら、言わないといけない。
言わないと伝わらない。抵抗してくれない。
「ヒカリは、ヒカリはっ……ヨウタさんがしぬなんていやだよっ!」
叫び終えると、ヒカリは膝をついて倒れた。めまいがする。息が苦しい。はぁ、はぁ、と自分の息づかいが聞こえてくる。
どうなった? どうなった───。
ヒカリは急いで前を向いた。
ヨウタに対する、自分の抵抗が効いたかどうか。
「……あ」
ヨウタは、影の手首あたりを殴った。かと思うと、影の手は雲散霧消していた。
「うおおおお! お前、やるじゃねぇか!」
「凄いですっ! 凄いですよ、ヨウタさん!」
ナギとテリカは、いつの間にか影の後ろから移動し、ヒカリの斜め前20メートルほどの場所にいた。
『……は? お前……!』
影は先程の雰囲気とは一変、ひどく狼狽していた。白い目には変化がなかったが、口遣いでわかった。
地面にきれいに着地して、影にこう言った。
「……確かに僕には目的はない」
『……じゃあなんで』
「……でも、誰かに願われたら、守らないといけないんだ。それが、弟、妹との約束」
何かを察したのか、影はそれ以上詮索することはなかった。
「ざまぁねぇな。とっとと帰れ!」
ナギの挑発をきっかけに───いや、もう前から決めていたのかもしれないが───影は、踵を返した。
『……調子に乗るなよ。いずれ君たちは、僕たちと〈入れ替わる〉運命だ』
「入れ替わる……って、あなた何者ですかぁ?」
影はテリカの質問に答える前に、消えた。
そのかわり、こう聞こえてきた。
『……そうだな、〈ゲッタ〉とでも呼んでもらおうかな……』
影は消えた。
声も消えた。
全てが風の中に。
ヨウタは立ち尽くしていた。何をしたのかわからないような表情をしながら、風に吹かれていた。
そして、3人に駆け寄られ、思い思いに勢いよく言葉を投げかけられたのは、言うまでもない。
「お前~! もうダメかと思ったぞ!」
「そうですよぉ!」
「……ありがとう。そして、ヒカリ」
「え?」
ヨウタはヒカリの方を向いた。髪で隠れた目がどんな形になっているのかは、もう想像できた。
「……ありがとう。僕に、『いきて』って言ってくれて」
そう言うと、またヒカリに背を向けた。
「え、えっと…」
こちらこそ、とヒカリが言おうとした時だった。
ヨウタは、風に服をたなびかせながら、静かに告げた。
「そして、君たちに伝えなきゃいけなおことがある……僕の、昨日までの仲間のこと」
その時のヨウタには、弟、妹という小さい仲間が見えていた。