最終話 QK
自分も少しは成長したと思っていたけど、身長はあまり伸びていなかったようだ。みぞれは一生懸命背伸びをしながら、壁という壁にポスターを貼っていた。トランプのクイーンとキングが描かれた、QK部の部員勧誘のポスターだ。
二年生となったみぞれは、伊緒菜たちと共に部員集めに動き出していた。今年はまだ部員が四人だが、来年伊緒菜が卒業したら三人に減る。部の存続には最低四人必要だから、今年のうちに一人でも多く部員を増やしておきたい。そのために去年から、体育祭や文化祭で布石を打っておいたのだ。それが活きるといいのだが。
やがて萌葱高校のあらゆる壁に、様々な部活の勧誘ポスターが貼り出された。QK部のポスターもその中の一枚に埋もれてしまった。
「よし、上出来ね」
伊緒菜は満足そうだった。ポスター貼りを手伝っていた津々実が聞く。
「こんなに貼ってあって、宣伝になるんですか?」
「なるわよ。実際みぞれは、これを見てうちに来たわけでしょ?」
そう言われると反論できない。
ポスターを貼り終えると、四人は部室に戻った。それぞれの定位置に座ると、伊緒菜が言った。
「さて、明日からいよいよ仮入部期間が始まるわ。一年生が来たときのために、簡易ルールをおさらいしておきましょう」
「簡易ルールというと」慧はうっすらと一年前を思い出していた。「合成数出しがないルールですか?」
「他にも色々ないわ。ジョーカーもないし、革命もない。あと、偶数を半分に減らすわね」
QKのルールはかなり複雑だ。もちろん今のみぞれ達にとってはなんてことないルールだが、初体験する人がいきなり聞いて全て把握できるようなものではない。だから簡易版のルールで、まずはQKの核だけを体験してもらうのだ。
「いくら簡単にしても」と津々実。「素数って時点で、既にだいぶ難しいんですよね」
「そこはもう、どうしようもないわね」
伊緒菜はあっさり諦めた。
「なんとかできないんでしょうか?」
とみぞれも聞く。
「素数表を見せてあげたらどうですか? 簡単なやつを」
慧が提案した。QK部にある素数表は、どれもだいぶ高度化している。初心者向けの基礎的な素数を書き出した表があれば便利かもしれない。
「良いかもしれないわね。チラシ代わりにもなるし。部室に来てない人でも、それを見てQKに興味を持つかもしれない」
そうと決まれば急がなくては。明日までにその表を作ってプリントしたい。四人は早速、それに載せるべき素数を選ぶことにした。
候補となるのは、簡単なものや覚えやすいものだ。しかしその選定は意外に難しかった。一桁、二桁の素数ならどれも簡単だが、その二種類だけで合計二十五個もある。あまり多すぎるとそれだけで初心者は引いてしまうので、多くても二十個には抑えたい。
「5とか7とか、あまりに簡単なものは逆に載せる必要ないわよね」
「そうですね。それと二桁の素数なら簡単に計算できますから、一部は載せないで計算する楽しみを残した方がいいんじゃないでしょうか?」
「計算する楽しみがあるのは慧だからだと思うけど、頑張って計算して当たれば嬉しいものね。そうしましょう」
そうやって四人が話し合っているときだった。
部室の扉がノックされた。
「あらっ、入部希望者かしら!?」
立ち上がる伊緒菜に、
「いや、さすがに来るの早すぎじゃ」
と津々実が突っ込む。それでも四人はそろって扉に向かった。
「はーい、どちら様でしょうか」
伊緒菜が扉を開けると、気の強そうな少女が立っていた。少し大きめの制服にはシワが全くない。そして胸元の校章の色は、先月まで三年生がつけていたものだ。
つまり、新入生だ。しかし四人とも、少女に見覚えがあった。四人の上級生に見つめられても全く動じないこの胆力は……。
「あなたたしか、石破先生の……」
「はい。孫の古積奈々です!」
文化祭のとき、石破教諭が連れてきた少女だった。あのとき、奈々はQKに興味津々だった。好奇心の強い子だったのだ。伊緒菜がわくわくした声で尋ねた。
「ここに来たってことは、もしかして?」
「はい! QK部に入部します!」
四人は両手を挙げて喜んだ。まさか、あの文化祭が役立つとは!
「来てくれてありがとう、歓迎するわ!」
「よくこっちに来たね。石ちゃんって将棋部も見てるでしょ」
「正直どっちにするか悩んだんですけど、こっちの方がナゾくて面白そうだったんで選びました」
やはり好奇心の強い子だった。奈々はあの文化祭で、初めてQKを見た。そして、その奇異さに興味を持ってくれたのだ。みぞれが部員集めをしたときはQKの知名度の低さに苦しめられたが、今回はそれが逆に功を奏していた。
伊緒菜が奈々を招き入れた。教室の後方から新たに椅子を持ってきて、そこに座らせる。五人で車座のように座ると、伊緒菜は眼鏡を押し上げた。
「改めて、ようこそQK部へ。私は部長の宝崎伊緒菜。三年生よ。で、こっちが」
「二年の倉藤津々実です。と言ってもあたしは幽霊部員なんだけど。ちゃんと活動してるのはこっちの二人」
「えっと、二年の剣持慧です」
慧はどう自己紹介すべきか悩んだ。
「理系クラスで、数学やってます」
結局、自分を一番端的に表すのはそれだと判断した。
「わたしは二年の古井丸みぞれ。同じ理系クラスだよ」
みぞれも同じように自己紹介した。
「やっぱりみんな理系なんですか?」
「そんなことないわ。私は文系だし」
「あたしは文理」
伊緒菜たちが答えると、奈々は意外そうに伊緒菜を見た。
「宝崎先輩、文系なんですか?」
「そうだけど。理系だと思ってたの?」
「ここで一番強いのは宝崎先輩だって話でしたから、てっきり」
数を使うゲームだから、そう思うのも無理はなかった。
「去年までは私は一番強かったけど、今じゃわからないわよ。こっちの二人も強いから」伊緒菜は楽しそうに紹介した。「慧は計算が速いし、みぞれは暗記が強いわ」
津々実が小さく手を挙げる。
「伊緒菜先輩が一番強いなんて、誰から聞いたの?」と津々実。「先輩が文化祭で自慢したとか?」
「そんなことしてないわよ」
伊緒菜はわざとらしく膨れてみせた。
「聞いたんじゃなくて、読んだんです。文化祭のあと、ネットでQKについて調べてて。そしたら、ここの宝崎先輩が優勝したって記事が出てきて」
「伊緒菜先輩、記事になってたんですか!?」
全く知らされていなかった二年生たちが、驚きの声を上げた。
「そりゃそうでしょ、優勝したんだから」
「インタビューとか受けてたんですか!?」
「一言二言、喋ったわ」
「今から読んでもいいですか?」
「別にいいけど……」
さすがの伊緒菜も、少し恥ずかしそうだった。奈々はその様子を見て、心配になった。
「先輩、あたし余計なこと言いましたか」
「そんなことないわ。誰でも読める状態で公開されてるんだから、読まれても文句はないわよ」
しかし検索をかけたみぞれ達は、首を傾げた。
「なんか、公開期間終了って書いてある」とみぞれ。
「有料限定記事になってるね」と慧。
「伊緒菜先輩、インタビュー部分だけでいいですから、思い出して再現してくれませんか」と津々実。
「嫌に決まってんでしょっ!」
部員たちは、からからと笑った。
奈々は、伊緒菜、慧と同じ方向の電車だった。高校の最寄駅で、みぞれと津々実は三人と別れた。
「まさか伊緒菜先輩が恥ずかしがるなんてねー」
ちょうどやってきた電車に乗って、津々実は笑った。
「むしろ自慢しそうなのに」
「伊緒菜先輩って、意外と自慢話しないよね」
みぞれがドアに背を預けながら言った。
「やっぱり恥ずかしいのかな」
「意外だ」
二人してくすくす笑う。
「意外と言えば、慧が数学やってるって自己紹介してたね。こっちは隠さなくなったんだ」
「うん。理系クラスに行ったからかな?」
津々実は胸がちくりと痛んだ。慧だけじゃない、みぞれも理系クラスへ進んでしまった。
「……クラス、別れちゃったね」
「……うん」
クラスの話をするのは、進級してから初めてだった。なんとなく切り出しにくい話題だった。
いま話さないと、ずっと気まずいままになってしまう。津々実はそう直感して、切り込んだ。
「理系クラスって、どう?」
「まだ授業はほとんどやってないけど……でも楽しそうだよ。慧ちゃんのお友達もいてね。結城ちゃんって言うんだけど、陸上部で」
みぞれはその結城という子のことや、クラスのことを話した。その様子は楽しそうで、津々実は安心すると同時に、嫉妬のようなものを覚えた。
知り合ってからずっと身近にいたみぞれが、少し離れてしまった。いや、QK部に入ったときから、離れ始めていたのだ。
「つーちゃんのクラスは?」
「うん? 普通だよ。去年から知ってる人も結構いるし、家庭科部員もいるし」
人気者の津々実は顔が広い。新しいクラスに馴染めないといった悩みは、津々実とは無縁だった。
話しているうちに、気まずさはなくなってきた。これが予定調和だったという気すらしてくる。そもそもクラスが離れたからって、なんだというのだ。家も近いし、いつだって通話もできるのだから……。
家の最寄駅で電車を降りた。駅舎を出ると、日が沈みかけていた。どちらからともなく手を繋ぎ、夕日の中を歩く。
帰り道で手を繋ぐのは久しぶりだった。いつもは帰る時間が違うからだ。みぞれの手は相変わらず小さかったけど、心なしか、頼りなさはなくなっていた。
「新しいクラスは普通だけど、みぞれがいないのはやっぱり、落ち着かないね」
津々実は正直に言った。さっきは隠した感情だった。
するとみぞれも、遠慮していた言葉を紡いだ。
「わたしも、つーちゃんがいないと、ちょっと寂しい」
みぞれはもう、一人で立派に立っていられる。だけど、それと寂しさは、別の問題だ。
「自分のためにつーちゃんと別れて、QK部に入って、理系に進んだけど……本当は、ちょっとつらい」
みぞれは津々実の目を見上げた。
「わたし、やっぱり、つーちゃんのそばにいたい」
繋ぐ手がじわりと汗ばむ。
「みぞれはわがままだね」
「だめ?」
「だめじゃない」
これこそがみぞれだと、津々実は思った。みぞれは最初からずっと、わがままだった。自分の欲を叶えるために、全力で足掻いていた。そしてこの一年で、大きく成長した。
それに比べて、自分はどうだろう。この一年で、何か変わっただろうか。思えばずっと、みぞれに振り回されてばかりだった気がする。
みぞれはとっくに、津々実に追いついている。このままではすぐに、津々実を追い抜くだろう。
津々実だって、みぞれのそばにいたい。そのためにできることは、ひとつしかない。
「あたし、QK部の幽霊やめるよ」
「え?」
「ちゃんと活動する。大会にも出て、成績残すよ」
「え、でも、家庭科部は?」
「そっちもやる。そのくらいしないと、みぞれに追い抜かれそうだからね」
みぞれは背も低いし、手も小さい。見た目はか弱そうだ。だけど本当はとても強かで気丈なことを、この一年で散々教えられた。少しだって油断はできない。
「でもQKではとっくに追い抜かれてるんだよね。全国三位か。まずはそこを目指さないとね」
みぞれの顔に、喜びが広がった。
「うん、待ってる」
それは今まで見た中で、一番の笑顔だった。二人の目標が一致して、みぞれと津々実は、ようやく隣に立てたのだ。
そのときちょうど、家に着いた。みぞれの家に。12丁目13番地に。
END




