紫耀の瞳の冒険者
世界中が敵に回ったような世界でボロボロになりながら戦うダークエルフ。自分が嫌な人間に思える設定である。
「はわぁ~」
そんな気の抜けた声が響いた。
1人の少女がカウンターに肘をつき、頬杖をついていた。
早朝の最も忙しい時間帯を乗り切ったが故の緩みが出たのだった。
「こら、ダレア!客がいないからって気を抜きすぎだよ!それなりの顔で受付嬢になれたかもしれないけどね、それだけで続けていけるとは思わないことね」
「ひぃっ」
奥で書類を仕分け、整理をしていた先輩の職員から叱声が飛び、
短い悲鳴が響きわたる。
ダレアは1月前に研修を終えて、見習いを卒業して配属となった。
始めのうちは緊張してぎこちなかったのが、
良くも悪くも慣れてきたことが伺える。
「そんなにいつも集中していられないよ~」
ダレアは声に出さずにつぶやく。
先ほどのお叱りで姿勢を正したダレアは視線を入り口の扉へと向ける。
その扉は木製でありながら、非常に重くるしい気配を漂わせており、
一体どんな木から削りだしたんだよ!と突っ込まずにはいられないほどの厚みがあり、その厚みを裏切らない重みがある。
なんでわざわざそんな重厚な扉をつけるかといえば、
表向きはいざというときに閂をかけて立てこもり、籠城できるように。
裏の理由としては、この建物に入る人間の選抜のためである。
なぜわざわざ客を減らすような真似をするのかって?
ふつうの店ならそうだろう。
だがここは
冒険者支援ギルド
なのである。
---ギルドはすべての人間に開かれている。
つまり、冒険者になるのに資格は必要ない、と謳っている。
事実、親のいない孤児やスラムの人間も冒険者になって一旗揚げようとギルドを訪れる。
だが、冒険者となって大成するどころか、すぐに死ぬ者が後を絶たなかった。
それで町や国のお偉いさんは、スラムの縮小として喜ぶかもしれないが
ギルドが割を食うのはごめんである。
冒険者の登録をする職員にとっても迷惑以外の何者でもないのだ。
そこで暗黙の了解として、あの存在自体を疑いたくなる扉を開けられることが冒険者としての条件となっている。
もちろん職員は裏口を使います。
ギルドへの依頼者は別の入り口である。
説明が長くなったが、要するにだ、一向に開く気配を見せない扉を前に集中力を保のは無理だってことだ。
しかし、先輩職員たちは姿勢正しく働いているのでカーストが一番低い見習いがだらけているわけにはいかない。
「掃除してきまーす」
とりあえず体を動かせる方がマシとばかりにカウンターを飛び出そうとしたところでギギギーと音を響かせて入り口が開かれたのである。
「い、いらっしゃいませ~」
ダレアはひきつった声で対応し、それを聴いた先輩職員がダレアに鋭い視線を向けようとしー、表情を曇らせた。
---あの扉を開けられるとは思えない、少女から大人の女性へと変わる時期の女性。
依頼帰りであれば、旅塵にまみれていても仕方がない、とはいえ、目の前の少女はひどい有様だった。
全身にかすり傷を負っているし、服もところどころ擦り切れている。
顔は整っているのかもしれないが、うす汚れた今の姿ではその面影を想像することは難しい。
髪はくすんだ灰色。
全体的に生気というものが感じられない中、紫水晶の瞳だけが煌々と輝いていた。
だがそれですらさほど問題ではない。
薄い褐色の肌にとがった耳---ダークエルフ。
戒律を破ったエルフの成れの果てと言われており、多くの種族から嫌悪されている。
日常でも姿を見ることは殆どなく、奴隷となっているのをたまにみるくらいである。
ギルドで登録している冒険者なんてのはそれこそ世界中で指の数ほどもいないのではないだろうか。
「買い取りをお願いしたい」
外見とは裏腹に、鈴がなるようなきれいな声がして、目の前の女性から紡がれたものだと一瞬気づかなかった。
差し出されたギルドカードによると
名前:リリアンローゼ
性別:女性 年齢:17
ランク:D
賞罰:無し
ということだった。
「それではお売りになられるものをこちらに出してください」
バッグなどは持っていないようだったので牙とか爪をポケットにもっているのだろうと思ったダレアはそう言うと、リリアンローゼという冒険者は困ったような顔をして、
「ちょっと大きいんだが、ここに出していいのか?」
と言った。
ダレアが首を傾げるのを苦笑しつつ、---彼女はどこからともなく一振りのナイフを取り出し---ギルドにいた全員が警戒態勢になる。
彼女はナイフを持った手で大きく円を描くように腕を回すと、
描いた軌跡の周囲の空気が歪んで、黒い円になっていた。
そこに腕を突っ込みなにかを引きずり出すような動作をすると黒い円から一匹の巨大な獣の死体を出す。
彼女が持っていたナイフをどこぞに納めたようでキン!と高い音がすると、黒い円はパッと消えてしまった。
「しょ、晶角狼!?」
男性職員の声が聞こえて目をこらせば、さきほど引きずりだされた狼
は晶角狼というらしい。
トレードマークの角がないので私にはわからない。
「とりあえず別室に運ぶわよ」
別の先輩職員の声が響いて、確かにこのまま放置しておくわけにはいかないと職員全員が正気を取り戻し、仕事に取りかかったのだった。
□◇□◇□◇□◇
「リリアンローゼ、さん?ちょっと伺いたいんですがよろしいですか?」
晶角狼はランクBのモンスターで額の角を核として魔法と同じ効果を現象として起こすことができる厄介な性質を持つ。生息地によって角の色は変化し、緋色の角を持つものは炎を、蒼色の角を持つものは水を操るといった具合である。
ともかくランクBのようなモンスターがうろついていたような事態をギルドとしては把握しておかなければならない。生活圏に関わるようなら討伐依頼を出すことも考えなければ被害が大きくなることが考えられるからだ。
「この町から東の、隣国アーカイムとの国境沿いで襲われた。不意打ちで足に怪我を負い、逃げ切れないと判断したため、やむを得ず撃退した」
一切の熱量を感じられない冷ややかな光を放ちながら坦々と説明口調で話しているところに、
晶角狼の解体・見積もりをしていた先輩職員の一人がやってきて、尋ねる。
「リリアンローゼさん、晶角狼の角と牙が見当たりませんがお持ちではありませんか?」
晶角狼の角など、一部のモンスター素材は魔力を流すことで様々な現象を起こすことが出来る。
魔道具などに使われる希少素材で高額でやりとりされる。
晶角狼の牙は特殊な効果はないが鋭く丈夫でそれなりの需要がある。
ギルドとしては聞かざるを得ない。
「リリアムでいい。牙と角は倒す際に厄介だったので破壊した」
職員達の顔は洩れなく”どうして破壊してしまったのか”と咎めるような視線であったが冒険者達からすれば命がけなのだ、口には出せない。
「アーカイムとの国境沿いって依頼書の奴じゃないですか?」
まだ年季の浅いダレアは空気を読まずに呟いた。
結果的に周囲の空気が和らいだのだった。
「まだ未受理ですよね」
国境沿いの晶角狼の討伐 ランクB GP:2000 報奨金:30000G
アーカイムとの国境沿いで晶角狼がみられるようになった。
アーカイムと行き来をする商人が行商を行えないため、
速やかなる討伐を求める。
尚、角の色は「蒼」であり、
現段階では単体での出没が見られるのみに留まっている。
「リリアムさんの場合、後受けになりますのでGPは無しになりますね」
ギルドでの依頼を受ける方法は幾つかある。
・通常依頼 掲示板に張り出された依頼を受ける依頼
・指名依頼 依頼者が受注者を直接指定する依頼
・緊急依頼 ギルドが未曾有の危機に際し冒険者に命じる依頼
これらが一般的な依頼方法になる。
特殊な場合としての一つとして後受け依頼がある。
これは緊急事態などで、依頼を受けていないモンスターを討伐した際に報告の義務がある。
依頼やモンスターの把握のためである。
後受けの場合、GPは与えられない。
GPは冒険者のランクを上げるために必要な数値で、GPが多く蓄積されていればそれだけ多くの修羅場を潜ってきた者とされるわけだ。
当然ランクが上がればより上位の依頼も受けられるし、様々な特権を受けられるし、身分が高い者たちからの覚えもよくなる。
話を戻すが、後受けは緊急措置であり、これが普通に行われるようになると管理に困るため、後受けではGPは得られないことになっている。
「リリアムさん、お待たせしました。晶角狼の皮及び爪、肉らを買い取ります。ギルドでの解体費用を引いた額に報奨金を加えまして58000Gになります」
ダレアが精算が済んだ金額を伝える。
角や牙はないが十分に高額である。
「待てっ!」
リリアムが受け取ろうとしたところで鋭い声が響いた。
「マスター!」
職員全員が声を上げながら視線を向ける。当ギルドの統括者なのだろう。
身なりはよく、割と整った顔つきだが、目つきはどこか嫌らしい男であった。
「晶角狼の討伐については私が馴染みの冒険者に打診していた。遠方に赴いていたため集合が遅れているが、依頼を出していたことには変わりない。後受けの褒章は認められない」
リリアムに手渡そうとしていた金貨の詰まった袋をひったくると中身を荒々しく取り出すと、
随分少なくなった袋をリリアムに投げつけるように渡す。
「マスター!」
ダレアがあの態度はあんまりだ、とばかりに声を上げるが、
リリアムは文句を言いもせず、背を向け出口を目指す。
「幾ら後受けだからってあの態度はあんまりです!道中あんなのに襲われたらしかたないじゃないですか!むしろ討伐できただけ優秀な冒険者ですよ!」
相手が上司だということも忘れてダレアは叫んでいた。
しかしギルドマスターがダレアをキッと睨み返すとダレアはそれ以上何も言えなくなる。
「奴は確信犯にして常習犯だ。地味にランクを上げることを厭い、後受けで高ランクモンスターを狩るギルドの仕事の妨害者だ。これまでに同様のことを24件行っており、ギルドで回状を廻し合っているブラックリストのランカー。ましてや、相手は薄汚ないダークエルフだ。素材の買取をしてやっただけでも感謝されてもいいくらいだ、忌々しい。」
思わぬ事実を聞かされ、誰もが驚きを隠せず静まり返ったギルド内に粗野な声が響いた。
「なぁ、お嬢ちゃんよ。ダークエルフなんてどこでも蔑まれて生きづらいんだろ?俺の女になるんならそれなりの待遇で飼ってやるぞ」
厭らしい顔をした男はギルドの出入り口からリリアムへと近づき、身体へと手を伸ばす。
しかし、リリアムは速度を落とすことも無く足早に男に近づくと、
急激に大きく一歩を踏み出し、相手の足を引っ掛け払うと同時に、
いつの間にか掴んでいた男の頭部を押さえつけるようにすると、男は空中で身体を回転させられ、地面にそのまま打ち据えられた。わずかに速度を落としたくらいで、動きを止めることなくリリアムはギルドを後にしていた。