第十四話:『勇者』の証明
ミナトの活躍により、王都周辺の脅威は一掃され、人々は束の間の平和を謳歌していた。
だが、その均衡は、王城にもたらされた一つの凶報によって破られる。
「――南部のカイルネス峡谷が、『影の魔豹』によって封鎖された!」
玉座の間。国王アルトリウスの前に膝をついた伝令の騎士は、顔面蒼白だった。
「カイルネス峡谷は、王都と南の穀倉地帯を繋ぐ唯一の交易路です。至急、討伐隊を派遣しましたが……魔豹の速度と、影を用いた奇襲の前に、騎士団は半壊。撤退を余儀なくされました……!」
その報告に、並み居る重鎮たちが息を呑む。
騎士団長が、苦々しい表情で進み出た。
「陛下。恐れながら、あれは通常の魔物ではありませぬ。Aランク……いえ、災害級(Sランク)に指定すべき、高度な知能と魔力を持った魔獣。並の部隊では、被害が拡大するばかりでございましょう」
「なんと……。では、どうすれば……」
国王が玉座でこぶしを握りしめた、その時。
「――私が行きます」
静かだが、絶対的な自信に満ちた声が響いた。
国王の隣に控えていたミナトが、いつの間にか、彼のためにあつらえられた白銀の軽鎧をまとい、静かに立っていた。
「ミナト殿……! しかし、相手は騎士団を退けた魔獣。いくら貴殿でも、一人では……」
「陛下」
ミナトは、国王の不安を遮った。
「騎士団の精鋭をお借りします。ですが、彼らには後方支援と、万が一の際の避難路確保をお願いしたい」
その瞳は、もはや国王の庇護下にある少年ではなく、王国最強の守護者のものだった。
「奴との戦いは、おそらく常人では目で追うことすら叶わないでしょう。足手まといになるだけです」
その言葉は傲慢にも聞こえたが、これまでのミナトの実績が、それを揺るぎない事実として裏付けていた。
国王は、ゴクリと唾を飲み込み、深く頷いた。
「……わかった。ミナト殿、いや、『勇者』ミナト。この国の生命線、貴殿に託す!」
カイルネス峡谷は、切り立った崖が続く、薄暗い岩場だった。
ミナトは、騎士団を後方に待機させ、単身、峡谷の最深部へと足を踏み入れた。
(……空気が重い)
『鑑定(真)』スキルが、周囲に満ちる濃密な魔力を警告している。
風が止まった。
静寂。その中で、ミナトはゆっくりと剣を抜いた。
「――グルルルル」
低い唸り声。
ミナトの背後、岩肌の影が、まるで生き物のように蠢き、一つの形を成した。
それは、馬ほどもある巨大な黒豹。体は実体を持たず、揺らめく影そのもので構成され、両目だけが紅蓮の炎のように不気味に輝いていた。
『影の魔豹』。
「KiiiiAAAAA!!」
甲高い咆哮と共に、魔豹が動いた。
いや、「動いた」と認識した時には、すでにミナトの眼前に迫っていた。
(速い……!)
オーガやグリフォンとは比較にならない、音を置き去りにするほどの神速。
鋭い爪が、ミナトの首筋を狙う。
ガギィィィン!!
ミナトは、反応できなかった。だが、スキル『身体能力超強化』と『超速成長』によって研ぎ澄まされた肉体が、彼の意識よりも早く、剣を振るってそれを受け止めていた。
凄まじい衝撃。ミナトの体は数メートル後方まで吹き飛ばされ、岩壁に叩きつけられた。
「ミナト様!」
遠くで待機していた騎士たちが、悲鳴に近い声を上げる。
「来るな!」
ミナトは叫び、瓦礫の中から即座に立ち上がった。
魔豹は、獲物が最初の一撃を凌いだことに驚いたように、わずかに距離を取る。
「……なるほど。確かに、これは騎士団じゃ無理だ」
ミナトは、初めて覚える高揚感に、口の端を吊り上げた。
「――次は、こっちから行く」
ミナトの足が、地面を爆発するように蹴った。
『身体能力超強化』を、脚力に全集中。
その速度は、魔豹の神速すら上回った。
「なっ!?」
魔豹が、初めて驚愕の声を上げる。
ミナトの白銀の剣が、魔豹の胴体を捉える。だが、
(――手応えがない!?)
剣は、影でできた体を、空を切るようにすり抜けた。
「無駄だ、ニンゲン! 我が体は、影。物理攻撃は効かぬ!」
魔豹が嘲笑い、影でできた無数の触手をミナトに放つ。
「『聖なる光』!」
ミナトは即座に上級光魔法を詠唱破棄で発動。光の奔流が触手を焼き払い、魔豹を後退させる。
「チィッ! 光魔法の使い手か!」
影の体を持つがゆえに物理が効かず、光魔法でしか決定打を与えられない。
しかし、光魔法の発動には、どれだけ短くともコンマ数秒の魔力集中が必要。
魔豹は、そのコンマ数秒の隙を見逃す神速を持っている。
(……詰み、か。普通の魔術師なら)
「面白い」
ミナトは、剣を鞘に納めた。
「え? ミナト様、武器を!?」
騎士たちが動揺する。
「物理が効かないなら、物理でなければいい」
ミナトは、右手に魔力を集中させる。
「光魔法が遅いなら、光を纏えばいい」
ミナトの右手が、太陽のように眩い光を放ち始めた。
スキル『全属性魔法適性(最上級)』の応用。
聖なる光を、属性魔法のように、自らの肉体に直接エンチャント(付与)する。
「『聖拳』」
「小賢しい真似を!」
魔豹が、ミナトの魔力充填を妨害しようと、再び神速で突進する。
「――遅い」
ミナトの姿が、かき消えた。
魔豹の背後に回り込み、光り輝く拳を、その影の胴体に叩き込む。
ドゴォォォン!!!
光の爆発。聖なる力が、影の魔力を中和し、霧散させる。
「GAAAAAAAAAHHHH!!!」
魔豹は、初めて実体のあるダメージを受け、峡谷の岩壁に叩きつけられた。
「……まだだ」
魔豹は、体の一部を失いながらも、残った影を再結集させ、最後の突進を仕掛けてきた。
「これで、終わりだ」
ミナトは、再び剣を抜いた。
そして、今度はその白銀の剣に、ありったけの光魔力を注ぎ込む。
剣は、まばゆい光の刃と化し、元の数倍の長さに伸び上がった。
「『光刃』」
神速で迫る影と、光速で迎え撃つ勇者。
二つの軌跡が、峡谷の真ん中で交錯した。
一瞬の静寂。
やがて、ミナトの背後で、影の魔豹が、一筋の光の線に沿って、ゆっくりと二つに割れた。
「バ……カナ……」
断末魔の叫びと共に、その体は聖なる光に浄化され、影も残さず完全に消滅した。
ミナトは、光の刃を解き、静かに剣を鞘に納めた。
後方で、その一部始終を見ていた騎士団長と騎士たちは、誰もがその場に膝をついていた。
それは、恐怖や疲労からではなかった。
人知を超えた、まさに「英雄」の戦いを目の当たりにした、絶対的な畏敬の念からだった。
この日、勇者ミナトの名は、単なる「強い戦士」から、「王国を護る、唯一無二の救世主」として、不動のものとなった。




