1ー16 ルシール・デュランザルフ。アレイズを習得した少女
水浴びを済ませ、一行は村長の家の居間で待機させられた。日差しが差し込み室内は柔らかい光で満ちている。良い午後だ。
早速、村長が隣家から患者を連れてくるという。
ルシールはヒール(治癒魔法)は1日10回程度にしてほしいと伝えた。触媒を使ってもライトヒールの魔力消費は結構大きいから、と。両手にライトヒール用の魔法陣手袋をはめ、テーブルの上に各種のハーブを準備する。用いるのはアネモネの花、干したリンゴ。本式の準備で効率の上昇を図る。魔力回復用にレモングラスも出しておく。この山村の近くにも使える触媒はあるだろうから後で補充を頼んでみよう。
村長の孫が興味津々に戸棚の陰から見ている。人見知りして近づいてこない。スィラージが背後に忍び寄り肩を押さえる。
「お前はもう逃げられない」
「うぎゃあ!」
「何見てんだよ坊主、あのお姉さんが気になるのか? あのお姉さんは怖いぞお♪」
「うぎゃあああああああああああ!」
少年がじたばたする。
「そうかそうか、そんなにあのお姉さんが怖いのか」
「何言っちゃってんのよ、まったく」ルシールは淡々と準備を続ける。テーブルに広げた紙にも魔法陣を描いていく。
スィラージが少年の脇をくすぐる。
「うぎゃ? あ、やめはっはははっはははははは」放り上げて遊ぶ。
「まだまだ行くぞ馬鹿野郎」
シフは暇なので家の片隅や窓辺で猫を探す。痕跡があった。
ガボルアは台所で奥さんに酒が無いかと聞いている。
村長が連れてきたのは、左腕を骨折した少年である。最近の負傷なのか顔色が悪い。母親が付き添っている。
「3日前、木から落ちての。折ってしもうた」
ルシールが患部をちらりと見て言う「変なふうにくっついてないなら、骨折くらいならちゃんと治るよ」
「それはありがたい、良かったな小僧」
ルシールは、少年を椅子に座らせて、折れた腕をテーブルに伸ばさせ、魔法陣の上に置く。呪文の詠唱を開始する。魔力を練る。周りに置いたアネモネの花が淡く光る。併せて手袋の魔法陣も光り始めた。
村人も含め周りで8人ほど眺めている。露骨に警戒されている。村長の孫は好奇心全開、目をキラキラさせてかぶりつきで眺めている。あまりに近くてルシールは苦笑い。実はこの程度の怪我なら、強目のライトヒール重ね掛けで完治させられるが、八分ほどの回復で止めるつもりだ。何でもできると思われたら何でもさせられる。
これくらいで良い。これくらいが良い。
慣れた魔法で最適条件を構築してある。大して集中する必要も無いので色々思う。
突然思い出したが、あの本には隠蔽魔法が掛けられていたんだろうなあ。できる人しか見つけられない隠蔽魔法が。
何故か今頃気付いた。
本に魔法を仕掛けた術者はただ貴重な魔法を後世に伝えたかっただけかもしれないが、正直言うと憎い。
この名前でローマ市民権を持っているが、実はルシール・デュランザルフは本名ではない。偽名だ。
本当の名前はヒャルドゥ・バグリストゥガ。彼女はアレクサンドリアの西、アフリカ北岸、ローマ帝国の属州キレナイカの町シャーハット、裕福な穀物商のローマ市民権を持つ家に生まれた。2つ下に妹が、4つ下に弟がいて、10人ほどの奴隷がいた。
幼い頃から魔法に天分を示し、8歳からは師を迎えて基礎全般と治療魔法を主軸に学んだ。本名は忘れたが、ヒャルドゥは師のことをヤンシュフ先生と呼んでいた。ヘブライ語でフクロウのことだ。
ヤンシュフ先生は40代の気難しい男だったが、ヒャルドゥの才能を認め「これは将来有望だな。ちょいと属性が偏っているが」と熱心に教えてくれた。ほとんど笑わない男だったが、たまに見せてくれる優しい顔が好きだった。口癖は「物事はバランスが大切だ」。趣味は絵を描くこと。下手くそというか、訳のわからない絵だった。
教育は順調に進み、やがて『治療魔法を生業とする街の裕福な魔法使い』になるのだろうと、本人も家族も思っていたが、転機は予想より早くに訪れた。
ヒャルドゥが14歳の夏。母親が血を吐いて倒れたのだ。ヤンシュフ先生の魔法をもってしても効かなかった。治療魔法には回復魔法と浄化魔法の凡そ2系統ある。自己治癒力を瞬間強化するヒール系と、体内の異物・汚れを浄化するプリフィティカーオ系だ。病気に対してはプリフィティカーオ系が有効なことが多いが、どちらも駄目だった。
医者に診せても薬師の投薬もほとんど効果が無く、母親はやせ細り容体は悪化するのみ。もう冬まで持たないだろう、と母親自身も諦めた。「ごめんね」母親は優しく笑った。父親は極力自分で看病にあたり、残された時間の共有に努めた。
ヤンシュフ先生は「人はいつか死ぬし、魔法は決して万能ではない」と何度か言ったが、ヒャルドゥはどうしても諦めることができなかった。
「お母さん、諦めちゃ駄目。お父さんも。絶対に治すから」
ヒャルドゥはさらなる高位魔法に可能性を求め、ついには古代エジプト王家に存在したという伝説的な魔法にまで手を伸ばした。高度な完全回復魔法や、王家の墓所に徘徊するミイラ男の伝承が民間でも知られていた。彼女は行動力がある。わざわざ東のアレクサンドリアまで赴き、帝立図書館に入り浸っては古代エジプト魔法を調べた。
そして本棚の片隅に、誰からも忘れ去られたその魔術書を見つけたのである。装丁はボロボロで、筆者も不明。管理用の印も無い。パピルスではなく羊皮紙で作られ、エジプトの象形文字ではなく変わった楔形文字で書かれ、とにかく古かった。
ヒャルドゥは古代文字の判読は諦めて魔法陣の絵図をチェックしながらページをめくった。古代エジプト魔法とは異なる体系のようだった。魔法陣を見ればある程度は内容を理解できる。そのページにも複雑に入り組んで難解な魔法陣が描かれていた。
そして。
ヒャルドゥの指先がその絵図をなぞった瞬間、心身に衝撃が走った。魔法式と理論が怒涛の勢いで頭の中に入り込んできて気絶するかと思った。そういう魔法がかけられていたのだ。真に適正を有する者が触れれば発動する習得魔法が。
それが全ての始まりだった。
ヒャルドゥが習得した魔法はエリクサーアレイズ。死者蘇生すら叶える、神の奇跡と言われた伝説の治癒魔法だ。
そして実際は続きがあった。
効果は完全なる蘇生、浄化、再生、回復。母親の病を治すこともできる。それは間違いない。
しかし、その必須触媒、この場合は対価となるか…………それはあろうことか人間。つまり他者の生命力なのだ。
ヒャルドゥは早馬で帰路に就く。馬術に長じた家僕の背中にしがみつき強行軍だ。馬宿で何度か馬を替えてもらい数日で家に着いた。興奮で全く疲れを感じなかった。
彼女はヤンシュフ先生と父親に相談した。先生があれほど動揺したのを見たのはこの時だけだ「エリクサーアレイズ!? まさか、肉片からでも死者蘇生できるあの最強の回復魔法を?」
「はい」
「助けられるのか、母さんを助けることができるのか?」父親が必死の形相で聞く。
「うん。できる」
ヤンシュフ先生が1歩引いた「ふう、少し落ち着こう。よく考えるんだ」
ヒャルドゥは続ける「だけど触媒が、対価が要るんです」
「……対価、か」ヤンシュフ先生が眉をひそめた。
「誰か、誰か他の人の生命力が必要なんです」
「だからちょっと落ち着きなさい」
「しかし先生!」父親が食い下がる。
もう夜だったが父親は飛び出していき、哀れな奴隷を買ってきた。奴隷狩りで狩られてきた異民族の少年だ。何も知らされていないが怯えていた。
寝たきりの母親は既に昏睡状態。ヒャルドゥは祭壇を築いて中庭いっぱいの魔法陣を描き、少年の命でエリクサーアレイズを使った。3つの中心が正三角形を描く珍奇な魔法陣で、一つに少年を縛り付け、もう一つに母親を寝かせ、そしてもう一つにヒャルドゥが立った。魔法式を起動すると物凄い魔力波動が高圧電流のように駆け巡り、青い稲妻のように激しく明滅した。近隣の住人も何事かと驚いた。少年が緊縛の鎖から逃れようとして、狂ったように暴れた。
「あ、ああああ、うああああああ!」
少年が叫び、ヒャルドゥも叫んだ。感覚と感情が同期して少年の命が吸い取られる感触、絶望と恐怖がヒャルドゥに流れ込んだ。膝をついた彼女の身体を、魔法陣に踏み込んだヤンシュフ先生が支えてくれた。先生の表情は凍り付いたようだった。
そしてあたりが平穏を取り戻した時、母親がきょとんと不思議そうな顔をして、何事もなかったように身体を起こした。
ヒャルドゥは安堵して皆を見る。しかし父親を始め召使い含む全員の表情が驚愕と畏怖に染まっていた。彼女は予期せぬ動揺に視線を泳がせ、小さな弟を見ると、彼は怯えて後ずさりした。犠牲にした奴隷の少年が弟と同年代だったことに初めて思いが到った。
ようやく彼女は理解した。自分がどれほど恐ろしいことを成し遂げたのかを。もう手放せない闇を抱え、重すぎる罪を背負ってしまったことを。自分の人生が、まるで変わってしまったということを。
少年の身体はボロボロの炭のようになった。やがて夜風に霧散して、粗末な衣服と鎖だけが残された。
ヤンシュフ先生は去った。
「魔法は強ければ良いというものではない。あまりにも強力な魔法は不幸を呼ぶことが多い。自然の摂理を強引に捻じ曲げるからだ。エリクサーアレイズはあまりにも強力すぎる。だから、もう、二度と使うな」と言い残して。
「そうだ、その本はまだ帝立図書館にあるんだな? ……封印するか、隠しておく」その顛末は今も知らない。
ヒャルドゥの名は、死病を癒やす凄腕の魔法使いとして知れ渡った。
もう普通の生活はできない。
誰もが彼女を特別扱いした。有象無象が近付いて来た。貧乏人からは恐れられ、貴族や豪商からは期待と欲望を集めた。彼女は全て断ったが、どうしようもなくエリクサーアレイズを使わされそうになり、結局、家族を置いて独り逃げだした。それが15才の春。名前を変えて、髪の色を変えて、瞳の色を変えた。
今も多くの者がヒャルドゥを探し求めているはずだ。例えば、シリアの貴族、その騎士団。ユダヤの神官、それが雇ったアサシンギルドの追跡者。早死にした息子を生き返らせたいと触媒の奴隷を用意した老人。助けてくれたが身元が知れるや皇帝に差し出そうとしたローマ帝国の兵士。そしてローマ帝国の皇室魔導院。
占星術をやってみたが大して稼げず、やはり魔法しか生計を立てる手段が無いことを思い知る。さっさと諦めて身体を売れば良かったのかもしれない。仕方なく一般的なライトヒールの魔法で稼いだが、それだけでも貴重なので利用しようとする者は後を絶たない。子供だから簡単に利用できると思う者ばかりで、親の有難みを痛感させられた。結局どうしようもなくなって逃げだす。
そんなことの繰り返し。
そんなふうに過ごしてきて20歳の今。
ローマ市民権を魔導特約で取得したし、昔よりは大人になったから、少しはうまく生きられるようになった。それでも、ふとした折に皇室魔導院など追跡者の気配を感じ、そうなったらすぐ逃げる。捕まっても殺されたりしないだろうが、エリクサーアレイズの使用を強制されるだろう。だから逃げる。あんな恐怖と絶望を何度も共有させられたら心が壊れてしまう。
今回アーガス家に追われているのも、魔法絡みのトラブルだ。
流れ流れて今はシャーハットから遥か遠いカダ王国。人生どうなるか全くわからない。
この村にいたあの修道女も多分魔法使いだ。いつものことだが警戒は怠らない。
ヒャルドゥ、いやルシールは、今の仲間たちが大好きだ。
魔法使いだからといって全く態度が変わらない。遠慮無く本音でぶつかってくる。くだらない雑談に付き合わされる。素の自分を出しても受け入れてくれる。それが周囲の人にも波及する。ささやかなそれが何よりも嬉しい。
多分シフの影響だ。
8割以上が馬鹿で下品でくだらない言動で占められた男だが、差別、偏見、因習からこれほど自由な人間に彼女は初めて出会った。その見返りを求めない陽気な優しさが胸を刺す。惹き付けられる気持ちに嘘をつけない。
しかし、だからこそ巻き込みたくないと思う。アーガス家から逃げるために無理やり巻き込んでしまい、シフには花嫁泥棒の汚名を着せてしまったが、これ以上は駄目だ。
彼の誘いを受け、このままアレクサンドリアまで同行して彼らの組、もしくはギルドに入れてもらうというのは、本当に夢のような話だが、多分上手くいかない。過去の経験から知っている。
アレクサンドリアに着く前に別れた方が良い。あの街には多分追手がいるから。
エリクサーアレイズのことはシフたちには当然秘密だ。こんなもの知らない方が良い。母親を治したことは後悔していないし、元気に長生きしてほしいという気持ちは今も変わらない。しかしそれでも、人はいつか死ぬ。それでいいと思う。
今ならヤンシュフ先生の教えに納得できる。
「魔法は万能ではない。物事はバランスが大切だ」
5分ほどでライトヒールが終わる。魔法の光が消えた。
少年が左腕を動かしてみる「うわあ治った! やった! あ、痛い、いたたた」
ルシールは笑って少年の頭を小突く。
「あと5日もすれば痛みも引いて完全に治るでしょ。あまりお母さんを心配させるんじゃないよ」
マリーダ「ポイントくれたら一発やらせてあげるから♪」
シフ「はいはい、約束ですよオーナー」
ようやく少しシリアス要素。物語の柱のひとつ




