キサラギ警部
そのころ。
研究所にかけつけてきたキサラギ警部が、警備の警官たちを集めてどなりつけていた。
「睡眠薬が、どうもこのコップに……」
廊下で警備をしていた警官が、手にした紙コップをさし出して見せる。
「睡眠薬だと?」
「はい、コーヒーに。文月博士の娘さんが差し入れしてくれたものなんですが」
「ヤヨイさんが? なんでヤヨイさんがそんなことをするんだ」
「それはわたしにも。ただ飲んだ直後、すごい眠気におそわれたものですから」
「警部殿、わたしもです」
部屋にいた刑事が追うように言う。
「コーヒーを飲んだ者が、そろいもそろって眠ったってわけか」
紙コップに残っている成分を調べるよう、キサラギ警部はすぐさま鑑識官に指示をした。
「こんなまっ昼間に、それも厳重な警備が破られるとは……」
キサラギ警部は悔しさを満面に浮かべ、震えそうになるくちびるを強くかみしめたのだった。
一時間後。
紙コップの鑑識結果が出て、コーヒーに睡眠薬が混入していたことが判明した。
「今回の件に、どうもヤヨイさんが一枚かんでるんではないかと」
キサラギ警部は話しにくそうに切り出した。
「やはりそうか」
博士が声を落としてうなずく。
「では、博士はわかっていたんですか?」
「うすうすとな。オリのカギは、ヤヨイがずっと管理していたんでな」
「では、まちがいなさそうですね」
「恐竜の子がなにも食べず、かなり衰弱しておったんだ。あのままでは死ぬほどにな。それでヤヨイは、なんとかしなければと……」
「それで、なにを?」
「親がそばにおれば、恐竜の子も食べてくれるんではないかとな。で、親を探しに」
「親ですって?」
「ああ、母親だ」
「しかしですね。あの恐竜はダチョウのタマゴから作ったものでは? いまさらタマゴを産んだダチョウを探しても……」
「そうではないんだよ。たとえばアヒルのヒナが、どうやって自分の親を決めるのか、君は知っておるかね?」
「ええ。生まれて初めて見る、それも動くものを親だとする習性が。そうか! あの夜、恐竜を連れ出したヤツが親ってことに」
「そういうことだ。だからワシは、れいの二人組に会ってみろ、そうヤヨイに言ったんだよ」
「ご存知のとおり、ヤツらは恐竜を盗んだ犯人じゃありません。たしかなアリバイがあったんです。いまさらどうしてそんなことを?」
「ワシらは警察じゃないんだぞ。盗んだヤツといったって、なんの手がかりもない。とりあえずそうするしかないではないか」
「そういうことであれば、まずわたしたちに相談してくだされば」
「それがわかっているから、ヤヨイは警察に相談に行ったはずなんだがね。あの二人の居場所を教えてもらうためにな」
博士が小首をかしげる。
「キサラギ警部殿。じつは昨日の朝、ヤヨイさんがうちの署に来て、れいの二人組の……」
そばにいた刑事があわてて教えた。
「なんだと! なんで、それを早く言わんのだ」
「申しわけありません。まさかこんなことになるとは思ってもみなかったものですから」
「そうかあ、ガンタンのヤツが……」
キサラギ警部が視線を宙にはわせる。
「そのガンタンとはいったいだれなんだね?」
「れいの二人組のアニキ分です。仲間うちじゃ、怪盗ガンタンと呼ばれている男なんですが。姿をめったに見せない、なかなか手ごわいヤツでして。盗んだのはヤツにちがいありません」
キサラギ警部の目は、しゃべるほどに輝きを増していった。
「なぜ、その男だと?」
「ヤヨイさんは二人に会って、ガンタンのことを耳にしたんですよ。あの二人、仕事仲間はヤツだけですので、おのずとガンタンということに」
「それがわかっておるなら、どうして警察は、もっと早いうちに動かなかったんだ」
「目はつけていたんですが、たしかな証拠がなければ逮捕状はとれませんので。それにヘタに動いて、トンズラされたらオシマイですからね」
「では、ヤヨイはその男に会って……」
「たぶん巻きこまれたのでは。それに今度の件は、ガンタンが仕組んだことでしょう。こうもたやすく警備を破るヤツは、そうはいませんので」
「それで、ヤヨイはだいじょうぶなのか?」
「ご心配なく。ヤツは人を傷つけるようなことはやりませんので。そこがまた、ヤツが怪盗と呼ばれるゆえんでもあるのです」
ひとつとして証拠を残さない。なにより人を傷つけない。こうしたことからキサラギ警部も、ガンタンを超一流のプロ――怪盗だと一目置いていたのだ。
「それを聞いて安心したよ。で、その男、どこにおるのかわかってるのかね?」
「あの二人組。釈放したあと、念のために部下に尾行させました。すると、あるマンションに入ったことがわかっています。おそらくそこに……」
「ならそのマンションに、恐竜の子はおるってことなんだな?」
「そこがヤツのかくれ家ならですね。それに恐竜がいれば、今度こそたしかな証拠になります」
キサラギ警部は部下たちを引き連れ、早々とオーガスト研究所をあとにした。
――ガンタンめ!
胸の内にフツフツと、熱く燃えたぎるものがこみあげてくる。
これまでの長い刑事生活。
いく度となくガンタンを追いつめ、あと一歩のところで捕り逃がしてきた。その悔しい思いは、常に心の奥底で、おき火のごとく燃えていたのだった。