↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
負けたら王都が沈むので、嘘の通じない聖女選定を嘘つき幼馴染と頭脳戦で勝ち抜く  作者: 宵星 凪


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
55/55

第55話 鍵(後編)

 その日の夕方、伊吹は大聖堂の鐘楼の上にいた。


 王都が一望できた。屋根という屋根が夕日に赤く染まって、貧民街のほうからは、まだときどき歓声が聞こえてきた。明日の朝、聖女の誓いの儀がある。伊吹が聖女として、初めて誓いを立てる朝だった。


 隣に透がいた。石の欄干に腕を乗せて、伊吹と同じ景色を見ていた。


「約束、覚えてる?」


 伊吹が言うと、透は小さく笑った。


「言えないときは、最後に全部話す。……覚えてるよ。今が、最後だ」


 透は欄干から体を起こして、伊吹のほうを向いた。


「どこから話せばいい」


「最初から。全部」


「長くなるよ」


「いいよ。明日の朝まで、時間あるから」


 透は少しだけ目を伏せて、それから話し始めた。


「封泥を強く押せって言ったのは、杯を入れ替えられると思ったからだよ。評議で大神官様が伊吹の灯を残したとき、あの人は伊吹を消したくないんだって分かった。でも、聖女にもしたくない。だったら、九杯の儀で何かしてくるとしたら、杯しかない。杯に触れていいのは灯守だけ。神殿が一番手を出しやすいところだ」


「だから、印をつけさせた」


「うん。伊吹の親指の傷は、伊吹にしかない。封を切って盛り直したら、あの線は消える。誰にも真似できない署名だった」


 伊吹は自分の右手を見下ろした。湊を守ろうとして刃を掴んだ日の傷がこんなところで役に立つとは思わなかった。


「第五巡で線がないのを見て、確信した。誓わないでって言ったのは、外れたら五つ焼けるから。神託の問いをテオさんにさせたのは、すり替えを広間じゅうに知らせるためだよ。知らせなかったら、誰かがあの杯を取って、伊吹の灯を名指したかもしれない。ノラさんでも、イングリット殿下でも。善意で。そうしたら澱が十、伊吹に入って、終わってた」


「……それ、分かってて、何も言わなかったんだ」


「言ったら、伊吹の顔に出るから」


 透は申し訳なさそうに笑った。


「伊吹は嘘がつけない。顔にも出る。すり替えを知ってたら、セレスティアさんに九ですかって聞かれて、はいって言えなかったかもしれない。言えても、迷ったのが顔に出る。……伊吹が本気で九だと信じてたから、セレスティアさんも信じた」


 伊吹は眉を寄せた。


「待って。じゃあ、セレスティアさんが誓ったのは」


 透の顔から、笑みが消えた。


「止められなかった。……違うな。止めなかった」


 透は伊吹から目を逸らさなかった。


「神託の問いは、いつでもできた。セレスティアさんが誓う前にテオさんに問えば、セレスティアさんは誓わなかった。でも、そうしたらセレスティアさんの誓いは焼けない。夜明けに五つ減らない。……数えたんだ。あの五つがなかったら、伊吹は最後に一つ届かなかった」


 伊吹の胸の奥がすっと冷たくなった。


「わざと、誓わせたの」


「わざとだよ」


 透の瞬きは止まらなかった。本当のことを言っているときの透だった。


「セレスティアさんが伊吹を信じて誓うのを、俺は後ろで見てた。止められたのに、止めなかった。伊吹を勝たせるために」


「……ばか」


 伊吹は透の胸を、拳で叩いた。


「ばか。ばか。なんでそういうの、一人で決めるの。セレスティアさん、聖印焼かれたんだよ。私のこと信じたせいで。それ、私が知らないところで、透が決めたの?」


「うん」


「なんで、言ってくれなかったの」


「言ったら、伊吹は止めたでしょ」


 伊吹は言葉に詰まった。


 止めた。絶対に止めた。セレスティアが誓おうとした瞬間に、手を上げて神託の問いを使っていた。それで一目盛り届かなくても。


「……止めたよ」


「だから、言わなかった」


 透の声は静かだった。


「汚いところは、俺がやる。最初からそう決めてた。伊吹は嘘がつけない。だったら嘘も、汚い計算も、全部俺が引き受ける。……でも、最後に全部話すって約束したから、話してる。嫌われても、話すって決めてた」


 伊吹は透の胸に拳を当てたまま、しばらく動けなかった。


 怒っていた。本気で怒っていた。それなのに胸の奥のどこかがひどく痛かった。この人はずっとこうやって一人で抱えてきたのだ。召喚の夜から。いや、もっと前から。十歳の、あの日から。


「嫌わない」


 伊吹は顔を上げた。


「嫌わないけど、怒る。すごく怒る。セレスティアさんには、透が自分で謝って。私も一緒に行くから」


「……うん」


「それと、もう二度と、一人で決めないで。汚いことでも何でも、私に言って。私が止めるかどうかは、私が決める」


 透は少しのあいだ、伊吹を見ていた。それから困ったように眉を下げて、小さく頷いた。


「分かった。……約束する」


  *


 夕日が王都の屋根の向こうに沈みかけていた。


「第九巡で、何も言わなかったのは」


 伊吹が聞くと、透は欄干に肘をついた。


「俺の言葉は、神前で量れないから。俺が九だって言っても、誰も信じない。俺は誓えないし、灯もない。でも伊吹が誓えば、世界が裁く。あの広間で、みんなが信じられたのは、伊吹の言葉だけだった」


「親指、見たよね」


「……見た。あれだけは、ちょっとずるかったかも」


 透は少しだけ笑った。


「でも、あれ以上は言えなかった。あの杯をどうするかは、伊吹が決めることだったから。自分の九を取り返すのに、自分では一目盛りも払えない。誰かが選んでくれるのを待つしかない。……そういう賭けを、俺が勝手に決めるわけにはいかなかった」


 伊吹は黙って頷いた。


「名前のほうは? 三日で、どうやって」


「みんなが、自分の足で来てくれたんだ」


 透の声が少しだけ柔らかくなった。


「最初は、ウィレムさんの礼の仕方だった。右手の指先を左の胸に添えて、浅く頭を下げる。召喚の夜から、ずっと引っかかってた。ルーヴェの人は誰もあんな礼をしない。あれはウィレムさんじゃなくて、中にいるものの癖なんじゃないかって」


「イングリット殿下の前で、真似してたやつ」


「うん。殿下とグレゴールさんの顔色が変わった。ヴァルディアの、古い宮廷の礼だった。五十年前の和平の使節は、ヴァルディアの人だ。……そこまでは分かった。でも、名前が分からない」


 透は指を一本ずつ折った。


「リコリスさんが、商会の伝手で使節の名前を買ってきてくれた。封書で。でも、開けてみたら、それは名前じゃなかった。官名だった。和平使節、っていう肩書き。それで俺、違うなって」


「あの夜の、違うな」


「そう。そしたら、イングリット殿下が教えてくれた。ヴァルディアでは、誓約には官名じゃなくて生まれの名で署名するんだって。じゃあ、誓約文があれば名前が分かる。大聖堂の文書庫に、五十年前の誓約文の写しが眠ってるはずだった」


「……リネットさんの鍵」


「リネットさんが、文書庫の鍵を持ち出してくれた。昔、ウィレムさんに古い言葉を習ってたときに、合鍵の場所を教わってたんだって。でも、鍵があっても、夜の文書庫には灯守の見回りが来る」


「じゃあ、どうやって」


「朔さんが、下働きのお爺さんに頼んで、見回りの順番と時刻を全部聞き出してくれた。告発の写しを取ってきてくれたときと同じ人だよ。それで、白蓮さんが文書庫の入口に立って、見張りをしてくれた。白蓮さんには、壁の向こうから近づいてくる人の灯が視えるから。誰かの灯が廊下の角を曲がるたびに、朔さんの袖を引いて知らせてくれたんだ」


 伊吹は目を丸くした。目の見えない白蓮が誰よりも確かな見張りになっていたのだ。


「写しは、見つかった。でも、署名のところだけ、削られてた」


 透は欄干の石を、指でなぞった。


「削った跡は、目では見えなかった。そしたら、シルヴィさんが夜中にミルを連れてきてくれて。ミルの光を、紙に斜めに当てたんだ。削られた溝に影ができて、字の形が浮かんだ。……でも、その写しはグレゴールさんの字だった。癖字で、真ん中の一字が、どっちにも読めた」


「フィデリオと、もう一つ」


「フィネリオ。グレゴールさんに聞いても、思い出せなかった。イングリット殿下が、思い出してって何度も頼んでた。……そこで、時間切れだった」


 伊吹は鐘楼から王都を見下ろした。


 リコリス。イングリット。グレゴール。リネット。朔と白蓮。シルヴィとミル。伊吹の知らないところで、透に手を貸してくれた人たちだった。告発の夜と同じように、誰一人、透が頼みこんで動かしたのではなかった。


「最後の一字は、大神官様だった」


「うん。五十年、名の意味だけを抱えてた人が、最後の一字を持ってた。……あの人がいなかったら、外してたかもしれない」


 透は少しだけ黙った。それから自分の両手を見下ろした。


「俺さ、小さいころから、人の嘘がよく見えたんだ。目が泳ぐとか、指が止まるとか、声が少し高くなるとか。それで、自分も嘘がうまくなった。嘘をつく人の真似をすれば、嘘はつけるから」


 透の声がかすかに揺れた。


「この目が嫌いだった。人を疑うためにしか使ったことがなかったから。……でも、今回は、封泥の線を見つけた。ウィレムさんの礼の癖に気づいた。グレゴールさんの癖字も、見比べられた」


 透は顔を上げて、伊吹を見た。


「俺の目が、誰かの役に立ったのは、たぶん初めてだ」


 伊吹は何も言えなかった。


 喉の奥が詰まって、目の奥が熱くなった。伊吹は透の袖を掴んだ。強く。指の関節が白くなるほど強く。


「……初めてじゃないよ」


「え」


「十歳のとき。お父さんの嘘に気づいて、夕飯のときに言ったんでしょ。お母さんが騙されたまま、お土産のお菓子もらって笑ってるの、放っておけなかったんでしょ」


 透は目を見開いた。


「あれも、誰かのために使った目だよ。壊したんじゃない。お母さんを、嘘の中に置いておかなかったの。……私は、そう思う」


 透は何も言わなかった。夕日の中で、透の耳の先が赤くなっていた。透は伊吹から目を逸らして、王都のほうを向いた。


「……ありがとう」


 小さな声だった。伊吹は袖を掴んだまま、同じ景色を見た。


  *


 夕日が沈むと、王都の灯が一つずつともり始めた。


 伊吹は胸に手を当てた。もう、冷たいものはどこにもなかった。明日の朝、聖女の誓いを立てる。ネネたちの誓いを解く。それから。


 異界の門を開く者は門のこちらに残る。


 伊吹は隣の透の横顔を見た。透は何も言わなかった。伊吹も何も言わなかった。


 灯の間で、透の足元に沈んでいった金色の欠片のことを思い出した。見間違いかもしれない。それでも胸の奥で、何かが小さく引っかかっていた。


 伊吹は欄干を握りしめた。明日の朝に言うことはもう決めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。