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黒鉄の魔神  作者: axxx01
3/3

第3話 こころのしくみ

 戦闘が終わった後の格納庫は、妙に静かだった。


 さっきまで街を揺らしていた巨大な足音も、敵性体の装甲が軋む音も、避難誘導の怒号も、もう聞こえない。


 ただ、整備用クレーンの低い作動音と、冷却装置の風の音だけが、広い空間に残っている。


 巨大ロボット――魔神は、格納庫中央の固定台に片膝をつく姿勢で収まっていた。


 黒鉄色の装甲には、敵性体とぶつかったときの傷がいくつも走っている。ところどころに入った白と赤のラインも、粉塵でくすんでいた。


 アキラは、コクピットから降りた後もしばらく足元がふらついていた。


 肉体労働をしたわけではない。


 自分の手足で走ったわけでもない。


 それなのに、全身が重い。


 頭の奥がじんじんする。


 目の焦点が少し遅れて合う。


 四十メートルの巨体を動かすというのは、操縦席に座ってレバーを動かすだけのことではなかった。視界も、重心も、距離感も、反応速度も、全部が人間の体の常識から外れている。


 アキラは格納庫の床に立ち、魔神を見上げた。


「……俺、途中で気絶したんだよな」


 自分の声が、思ったより小さく響いた。


 ミナトは端末を抱えたまま、少しだけ視線を伏せた。


「意識消失は約六秒。完全な手動操作不能時間は八・四秒。そこから入力が安定するまで、さらに十三秒」


「けっこう長いな」


「戦闘中なら、致命的に長いわ」


 アキラは苦笑しようとして、うまく笑えなかった。


 記憶はある。


 敵性体にパンチを入れた。


 敵がよろめいたところにキックを入れた。


 だが、その次に敵性体が突っ込んできた。


 受け止めようとした。


 できなかった。


 視界が大きく傾いて、白い光が弾けた。


 そこから先が記憶が、ない。


 けれど、魔神は倒れなかった。


 敵性体を足止めし続けた。


 民間人の避難時間を稼いだ。


 アキラが気絶している間に。


 アキラのいない数秒間に。


 魔神は、動いていた。


 いや、正確には、魔神の中にいるAIたちが動かしていた。


 格納庫の大型モニターに、戦闘ログが表示される。


 ミナトが端末を操作した。


「もう一度、見る?」


「……見る」


 アキラはうなずいた。


 画面に、戦闘時の記録が流れ始める。


 敵性体の体当たり。


 魔神の姿勢崩壊。


 コクピット内のアキラの頭が、シートに強く揺さぶられる。


 警告表示。


 そして、ログ。


安全管理LLM:「操縦者意識レベル低下を検出」


全体統括LLM:「手動入力途絶。操縦者アキラさんの応答なし」


安全管理LLM:「操縦者保護モードへ移行」


空間認識AI:「敵性体、民間区域方向へ再加速。周辺に未避難者あり」


全体統括LLM:「長期目標を参照」


全体統括LLM:「アキラさん由来の長期目標提案を継続評価」


 アキラは、そこで息を止めた。


「俺の……?」


 ログは続く。


全体統括LLM:「長期目標一。敵性体の破壊活動停止」


全体統括LLM:「長期目標二。民間人退避時間の確保」


安全管理LLM:「操縦者保護条件内で実行可能」


古参LLM:「ルールベース発火。操縦者意識低下時、高加速度攻撃動作は禁止」


古参LLM:「探索開始。候補動作プリミティブ列。後退半歩、左腕防御、右脚支持、上体固定」


モーションLLM:「探索候補をもとに、足止め用の全身動作列を生成」


PIDAI:「姿勢維持。右脚支持を優先。腰部トルク制限内」


空間認識AI:「敵性体進路を遮断可能」


全体統括LLM:「現在、達成中」


 格納庫の空気が、少しだけ重くなった気がした。


 誰もすぐには喋らなかった。


 ミナトも、シン先生も、ゲンゾウ博士も、ログを見つめていた。


 そこには、感情を示す言葉など一つもなかった。


 ただの処理。


 ただの判断。


 ただの記録。


 それなのに、アキラには、それが妙に胸に刺さった。


 自分が何もできなかった時間に。


 自分の意識が落ちていた時間に。


 魔神は、自分がやろうとしていたことを続けていた。


「……俺が気絶している間、民間人を守ってくれてたんだよな」


安全管理LLM:「正確には、敵性体の破壊活動を抑制し、民間人退避時間を確保しました」


「同じだろ」


全体統括LLM:「目的達成の観点では類似しています」


 アキラは、少しだけ笑った。


「ありがとな」


全体統括LLM:「謝意表明を確認」


 短い沈黙があった。


全体統括LLM:「対人応答として、どういたしまして、が適切です」


安全管理LLM:「その応答に安全上の問題はありません」


全体統括LLM:「どういたしまして」


「そこも確認するんだな」


ミナト:「魔神らしいわね」


 アキラは笑った。


 けれど、その笑いはすぐに少しだけ薄れた。


 目の前にいるのは、ただの機械だ。


 AIが入っている。


 会議もする。


 判断もする。


 だが、人間ではない。


 それなのに。


 自分が倒れている間、自分の代わりに目的を続けてくれたように見える。


 アキラは、少しだけ首をかしげた。


「……なんか、変な感じだな」


全体統括LLM:「変な感じ、の内容を特定できません」


「いや、いい。俺もうまく言えない」


全体統括LLM:「了解しました」


 アキラは、それ以上は追及しなかった。


 魔神の中に心があるのか。


 それとも、心に見えるだけなのか。


 そんなことは、今のアキラにはわからない。


 ただ、自分が気絶している間、魔神は自分の目的を継いだ。


 それだけは、事実だった。


 ミナトは、端末を操作し、戦闘時の判断フローを拡大表示した。


「心が生まれたわけじゃないわ。少なくとも、内部構造上は」


「ミナトまでそう言うのかよ」


「だって、発生してないもの」


 ミナトは画面を指差した。


「まず、あなたが最初に入力した目標は、厳密には『敵を倒す』じゃない。街の破壊を止めること。逃げ遅れた人を助けること。この二つが、長期目標候補として抽出されている」


「俺、そんな難しいこと考えてなかったぞ」


「人間はそうでしょうね。でもAI側は、あなたの発話、視線、操作、敵性体と民間人の位置関係をまとめて、目的として抽出する。あなたの中では『止めなきゃ』くらいの感覚でも、AI会議側では『敵性体の破壊活動停止』と『民間人退避時間の確保』になる」


「俺、すごく賢そうに変換されてるな」


「変換された結果だけ見ればね」


「そこは褒めてくれよ」


「事実を述べただけよ」


「おまえもAIみたいな返しをするな」


 ミナトは少しだけ唇を尖らせた。


「あなたが気絶した後、AI会議は新しい心で判断したわけじゃない。すでに抽出されていた長期目標を、継続していいか評価しただけ」


 ミナトは、画面に並ぶログを順番に示していく。


「安全管理LLMが、操縦者保護と機体安全を確認した」


安全管理LLM:「操縦者意識低下。操縦者保護を優先」


安全管理LLM:「姿勢維持可能。転倒リスク許容範囲内」


「全体統括LLMが、戦術目標として継続可能か判断した」


全体統括LLM:「長期目標継続の価値を評価」


全体統括LLM:「民間人退避完了まで、敵性体の進路遮断を優先」


「空間認識AIが、敵と民間人と魔神の位置を見続けた」


空間認識AI:「敵性体、民間区域方向。未避難者あり」


空間認識AI:「遮断可能位置を更新」


「古参LLMが、危険動作をルールで弾き、短い探索で安全寄りの動作候補を出した」


古参LLM:「ルールベース発火。操縦者保護中の突進攻撃は禁止」


古参LLM:「探索結果。後退防御案、成功率最大。側面回避案、転倒率高」


「モーションLLMが、それを実際の全身動作へ整えた」


モーションLLM:「後退防御案を採用し、全身動作列へ変換」


モーションLLM:「左腕防御、右脚支持、上体固定を同期」


「PIDAIが関節を動かした」


PIDAI:「右脚支持。腰部負荷、上限内」


PIDAI:「肩関節、肘関節、膝関節のトルク補正」


「それだけよ」


 ミナトは、そう言って画面から手を離した。


「それだけ、か」


「それだけ」


 アキラは画面を見つめた。


 全部、筋道は通っている。


 何一つ、奇跡はない。


 どこかで謎の感情が生まれたわけではない。


 魔神が突然、アキラを思いやったわけでもない。


 ただ、仕組みが動いた。


 安全の仕組み。


 目的を保持する仕組み。


 周囲を認識する仕組み。


 ルールで危険を弾く仕組み。


 短い探索で動作候補を出す仕組み。


 動作をなめらかに作る仕組み。


 関節を制御する仕組み。


 全部、すでに説明されたものばかりだ。


 それなのに。


 アキラには、それがどうしても、魔神が自分の代わりに戦ってくれたように見えた。


 ミナトは、端末を抱えたまま、小さくつぶやいた。


「心が生まれたわけじゃない。けれど、心に見える現象は発生している。しかも、材料は全部公開済み。安全規定、長期目標、統計的倫理、空間認識、探索、動作生成、身体制御……」


 ミナトの声は、だんだん研究者の声になっていく。


「説明不能な奇跡じゃない。説明可能な構造の組み合わせで、心に見える」


「その顔、危ないことを思いついた顔だぞ」


「思いついてないわ」


安全管理LLM:「補足。ミナトさんの安全信用値は、前回の脳神経接続提案により低下中です」


「おい、AIにまで言われてるぞ」


「脳神経接続じゃなくて、高帯域操縦インターフェースの研究案よ!」


安全管理LLM:「人間の脳に対する侵襲的改造案として分類されています」


「分類が雑!」


シン:「いや、安全分類としては妥当だ」


「お父さんまで!」


ゲンゾウ:「うむ。今回ばかりはAIのほうがまともじゃのう」


「おじいちゃん!」


全体統括LLM:「ミナトさんの安全信用値を再評価します」


「やめなさい!」


安全管理LLM:「再評価結果。現状維持」


「下がってないならいいけど!」


アキラ:「現状維持で喜んでいいのか、それ」


 少しだけ、格納庫に笑いが戻った。


 重かった空気が、ゆっくりほどけていく。


 だが、その直後、別の音声が割り込んだ。


PIDAI:「提案があります」


 アキラは嫌な予感がした。


「今度はなんだ?」


PIDAI:「関節制御のゲインコントロールが複雑です」


 大型モニターに、魔神の全身骨格モデルが表示された。


 肩、肘、手首、腰、膝、足首。


 そこに、無数の数値と矢印が重なっている。


PIDAI:「敵性体との接触時、重心移動、外力、地面反力、操縦者入力、モーションLLMの動作指示が同時に変動します」


「つまり?」


PIDAI:「固定ゲインでは対応範囲が不足します」


「もっと簡単に」


PIDAI:「動きによって、力加減を変える必要があります」


「それはわかる」


PIDAI:「しかし、魔神は巨大です。姿勢、速度、接地状態、装甲負荷、操縦者入力の遅れにより、最適ゲインが大きく変化します」


「つまり?」


PIDAI:「実際に動作させ、データを取得し、ニューラルネットワークで補正モデルを学習したいです」


 アキラは、一歩後ろに下がった。


「それ、誰が動かすんだ?」


PIDAI:「アキラさんです」


「だよな!」


 ミナトの目が輝いた。


「いいわね。実機データは必要よ。特に魔神みたいな巨大機体は、理論だけでは誤差が大きい」


「俺の体力の誤差も考慮してくれ」


「若いから大丈夫」


「若さは万能パーツじゃないぞ!」


シン:「だが、操縦者本人の入力癖を取るなら、アキラ君が乗るしかないな」


「シン先生まで!」


ゲンゾウ:「若いうちの苦労は買ってでもせよと言うしのう」


「買いたくないです!」


安全管理LLM:「操縦者疲労を監視条件に追加します」


「監視じゃなくて軽減してくれ!」


 だが結局、アキラは再びコクピットに乗ることになった。


 魔神は整備用固定具を外され、試験場へ移動した。


 ただ歩くだけで、地面が低く震える。


 格納庫の外にある試験場は、巨大ロボットの運動試験用に地面が補強されている。だが、それでも魔神が一歩踏み出すたび、地面の奥から重い音が返ってきた。


 アキラはコクピットで深呼吸した。


 左手は操縦桿。


 右足は前進、停止、後退のペダル。


 右手はトラックボール。


 正面には、姿勢表示、重心表示、AI提案、警告枠。


 慣れてきたとは言えない。


 だが、少しだけ、何が何を意味しているかはわかってきた。


PIDAI:「第一試験。直立姿勢から前傾、復帰」


「よし、行くぞ」


 左手の操縦桿を、ほんの少し前に倒す。


 魔神の上半身が前へ傾いた。


PIDAI:「腰部応答遅れ。ゲイン不足」


「うおっ」


 巨体が、ぐらりと揺れた。


安全管理LLM:「転倒リスク上昇」


古参LLM:「ルールベース発火。前傾角上限を一時的に制限」


PIDAI:「足首トルク増加。腰部補正」


モーションLLM:「復帰動作を補助。上体反動を抑制」


 魔神の姿勢が、なんとか戻る。


PIDAI:「データ取得」


「今ので取れたのか?」


PIDAI:「不足。再試行を要求します」


「早いな!」


 もう一度。


 前傾。


 復帰。


 今度はわずかに右へ揺れる。


PIDAI:「横方向ゲイン過大。振動発生」


「揺れる! 揺れるぞ!」


安全管理LLM:「操縦者酔いの兆候を監視」


「監視だけじゃなくて止めて!」


PIDAI:「データ取得」


 次は、しゃがみ込み。


 次は、立ち上がり。


 次は、半歩前進。


 次は、急停止。


 次は、右腕を前に出して寸止め。


モーションLLM:「パンチ予備動作を生成します」


「パンチじゃなくて寸止めだぞ」


全体統括LLM:「操縦者意図を補正。寸止め打撃動作」


モーションLLM:「寸止め打撃動作へ修正します」


「言い方が物騒なんだよ!」


 魔神の右腕が前に出る。


 だが、肩の動きに腰が追いつかない。


PIDAI:「肩部と腰部の協調に遅れ」


古参LLM:「探索結果。腰部先行、肩部遅延の動作プリミティブ列が安定」


モーションLLM:「探索結果を反映。腰部先行型の全身動作へ修正」


PIDAI:「再試行を要求します」


「はあっ、はあっ……おまえ、鬼か?」


PIDAI:「鬼ではありません。PIDAIです」


「そういう意味じゃない!」


 ミナトは試験場の端で、楽しそうにログを見ていた。


「いいわ。すごくいい。実機データが増えてる」


「俺は削れてる!」


PIDAI:「操縦者疲労値、上昇中」


「わかってるなら休ませろ!」


安全管理LLM:「休憩を許可します」


「助かった!」


安全管理LLM:「ただし、休憩後に再開します」


「助かってない!」


 アキラは操縦席にもたれた。


 汗が額から流れる。


 腕で魔神を動かしているわけではない。


 足で魔神の足を動かしているわけでもない。


 それでも疲れる。


 人間の視界で、四十メートルの体を動かす。


 少しの傾きが大きな揺れになる。


 少しの遅れが転倒につながる。


 AIが補助してくれるとはいえ、最初の意思を出すのはアキラだ。


 しかも、その意思はAI会議に解釈され、動作候補にされ、全身動作へ変換され、PIDAIに渡され、関節へ流れていく。


 人間の心から、巨大な機械の体まで。


 そこには、いくつもの仕組みが挟まっている。


「これ、本当に毎回やるのか……?」


PIDAI:「学習精度向上のためには、多様な動作データが必要です」


「熱血、努力、根性でなんとかなる範囲を超えてないか?」


全体統括LLM:「熱血、努力、根性は、操縦者アキラさんの自己評価語彙として記録されています」


「記録するな!」


PIDAI:「制御パラメータとしては未定義です」


「定義しなくていい!」


 そのとき、今まで黙って見ていたゲンゾウ博士が、ぽつりと言った。


「……のう」


 全員の視線が、ゲンゾウ博士に向いた。


「質量と重心位置と慣性モーメントが分かっとるなら、ある程度はシミュレータで計算できるんじゃないかの?」


 沈黙。


 試験場に、風が吹いた。


 アキラは、コクピットの中でゆっくりと顔を上げた。


「博士」


「なんじゃ?」


「最初に言ってくれよ!」


 ミナトが固まっていた。


 シン先生は、口元に手を当てている。


 笑いをこらえている顔だった。


PIDAI:「検討中」


全体統括LLM:「物理モデルベースの事前学習は有効と判断」


PIDAI:「シミュレータ構築により、実機試験回数を削減可能」


古参LLM:「ルールベース更新候補。高リスク動作は実機試験前にシミュレータ検証を実施」


「ほらああああ!」


ミナト:「……たしかに。剛体モデル、関節モデル、接地モデル、モータ出力、減速機の応答、遅れ時間を入れれば、初期ゲインの探索範囲はかなり狭められる」


シン:「完全ではないが、最初から実機で全部探るより安全だな。特に転倒リスクの高い動作は、先に仮想空間で潰せる」


アキラ:「俺の汗はなんだったんだ……」


 操縦席で、アキラは力なくつぶやいた。


 そのとき、モーションLLMが静かに言った。


モーションLLM:「実機データの取得は無駄ではありません」


「本当か?」


モーションLLM:「はい。シミュレータには必ず誤差があります。関節の遊び、装甲の微小変形、地面の沈み込み、センサー遅延、操縦者の入力癖。それらは実機でなければ取得できません」


PIDAI:「今回取得したデータは、シミュレータ補正にも利用可能です」


モーションLLM:「アキラさんの入力傾向も、動作生成時の補正情報として有効です」


「つまり、俺の汗は無駄じゃなかった?」


モーションLLM:「肯定」


 アキラは、少しだけ笑った。


「おまえ、なんか優しいな」


モーションLLM:「優しさの定義は不明です。実機データの重要性を説明しただけです」


「そういうところだぞ」


モーションLLM:「該当箇所不明」


 さっきと同じだった。


 感情で慰めたわけではない。


 心で気遣ったわけでもない。


 ただ、事実を述べただけ。


 けれど、人間には、それが慰めに聞こえることがある。


 優しさに見えることがある。


 アキラは、操縦席の中で、ゆっくり息を吐いた。


「……やっぱり、変な感じだな」


全体統括LLM:「変な感じ、の再発を確認」


「そこは確認しなくていい」


全体統括LLM:「了解しました」


 アキラは苦笑した。


 心があるわけではない。


 心という名前の部品があるわけでもない。


 けれど、目的を持つ仕組みがあり、安全を守る仕組みがあり、周囲を見る仕組みがあり、動作候補を探す仕組みがあり、その候補を体の動きにする仕組みがあり、関節を動かす仕組みがある。


 それらが集まって動いたとき、人間には、そこに何かがあるように見える。


 それを心と呼ぶのか。


 仕組みと呼ぶのか。


 錯覚と呼ぶのか。


 アキラには、まだわからない。


 ただ、少なくとも。


 自分が気絶している間、魔神は自分の目的を継いだ。


 それは事実だった。


 ミナトは端末に新しい項目を作っていた。


 画面には、こう表示されている。


『魔神運動シミュレータ構築計画』


 その下に、さらに小さな項目が追加された。


『実機データ併用』


『操縦者入力癖の学習』


『転倒リスク低減』


『ゲイン探索範囲の事前推定』


『古参LLMルールベースとの連携』


 ゲンゾウ博士は満足そうにうなずいた。


「うむ。やはり、からだの仕組みも大事じゃのう」


シン:「心に見えるものも、体が動かなければ外には出ないからな」


ミナト:「心のように見えるものが、身体制御を通して現実に作用する……」


アキラ:「また危ない顔になってるぞ」


ミナト:「なってないわ」


安全管理LLM:「ミナトさんの安全信用値を監視継続します」


ミナト:「だからやめなさい!」


 アキラは笑いながら、操縦席の背もたれに体を預けた。


 疲れていた。


 ものすごく疲れていた。


 だが、悪い疲れではなかった。


「よし」


全体統括LLM:「はい」


「次からは、シミュレータで計算してから俺を呼べ」


PIDAI:「了解しました」


 少し間があった。


PIDAI:「ただし、最終確認には実機データが必要です」


「やっぱり俺じゃねえか!」


モーションLLM:「実機データは重要です」


「慰めた直後に追い打ちをかけるな!」


モーションLLM:「追い打ちの意図はありません」


古参LLM:「ルールベース発火。操縦者疲労値が高い場合、追加試験は禁止」


「おまえ、急にまともだな!」


安全管理LLM:「操縦者疲労値が上限に接近。試験終了を提案します」


「おまえが一番優しい!」


安全管理LLM:「操縦者保護規定です」


「それでもいい!」


 その日の第三回運用会議の議題は、正式にこう記録された。


『こころのしくみ』


 そして、その下に、全体統括LLMによる補足が追記された。


『からだのしくみも、だいたい大変』


 さらに、PIDAIが一文を追加した。


『実機データ取得は継続して必要』


 アキラは、その記録を見て叫んだ。


「そこを公式記録に残すな!」


 しかし、誰も削除しなかった。


 魔神には、心という部品はない。


 けれど、その日からアキラは、魔神に話しかける回数が少しだけ増えた。


 そして魔神は、そのたびに、ただ事実を返した。


 冷たく。


 正確に。


 ときどき、なぜか少しだけ優しく聞こえる声で。


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