22 束の間の温もり
エリス・オルドウィンという女性は、アルデン暦九二九年の春に修道院へ身を寄せ、同じ年の冬に亡くなった。
そしてクロウリー卿の多額の寄付も、この九二九年から始まっている。
もとより彼は多くの修道院や孤児院に寄付を行っていたが、セント・アシュウェル修道院だけ増額されたのがその年。
リリアン嬢が生まれたのも九二九年。――偶然にしては、出来すぎている。
――エリス・オルドウィンこそ、リリアン嬢の本当の母親なのではないか。
昨日から続く雨が、背後の窓を叩いていた。
立ち上がって窓硝子に触れると、ひんやりとした冷たさが指先に伝わる。
――エリス・オルドウィンは何者なのか。
――なぜクロウリー卿は婚約を破棄したのか。
――母の存在と、何か関わりがあるのだろうか。
「この部屋、寒いな!」
ノックもなく扉が開き、ルシアンがずかずかと入ってきた。
腕をさすりながら、手にした書類をエドガーに突き出す。
「昨日の修道院調査のまとめだ」
エドガーは受け取り、ふっと笑う。
「ありがとう。いつもなら人が回ってきてストーブをつけてくれるんだが、今日はまだ来ていないようだ」
ルシアンは避けてあった椅子を引き寄せながら、自分のマフラーを首にぐるぐる巻いた。
「自分でつければいいだろうが」
「……え?」
群青の瞳と琥珀の瞳がぶつかる。
「お前の部屋にも暖炉があるだろ。どうしてるんだ?」
「マッケンジー夫人がつけてくれる」
「……ずっと、か?」
「マッケンジー夫人には家賃を相場より多く払ってる。だから、あれこれ世話を焼いてくれるんだよ」
ルシアンは呆れたように息を吐き、黙ってストーブに火を入れ始めた。
「……これだから貴族は嫌いだ」
「僕は面倒見のいい調査官を好ましく思うよ」
エドガーが微笑むと、ルシアンは肩をすくめてため息をついた。
◇◇◇
裁定院での業務を終えた帰り道。
エドガーは法典の増補版を探しに、いつもの書店へ立ち寄った。
扉を押し開けると、ふわりと甘い香りが漂う。
ラベンダーの香り――そう思って顔を上げると、そこにラベンダー色のデイドレスを纏った少女の姿があった。
リリアン・グレイ。背後には本を二冊抱えた侍女が控えている。
視線が合う。エドガーは帽子を取り、軽く会釈した。
「こんにちは。お嬢さん」
その瞬間、リリアンの頬がぱっと赤く染まり、手にしていた本が滑り落ちた。
エドガーは反射的に腕を伸ばし、落ちる前に受け止める。
「……拾えてよかった。レディ、気をつけて」
本の表紙を軽く撫で、丁寧に彼女へ差し出す。
リリアンはそれを小さく震える手で受け取った。
「レイブンズさん……ありがとうございます」
胸に本を抱き、少し俯く。帽子の羽飾りが震えるように揺れていた。
「詩集ですか? 文学がお好きなんですね」
穏やかに問いかけると、彼女は上目遣いでエドガーを見上げ、染まった顔を隠すように手を頬に置く。
「祖父が勧めてくださったんです」
「そうですか。いい趣味をお持ちだ。
……では、僕はあちらの棚に探し物がありますので。どうぞごゆっくり」
エドガーは軽く手を上げ、奥の棚へと歩いていった。
リリアンはゆっくり息を吐く。
胸に抱えた詩集の表紙を見つめ、レースの手袋越しにそっと撫でた。
「この本にするわ」
頬が赤いままのリリアンを見て、侍女は優しく微笑む。
「かしこまりました、お嬢様」




