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「先輩先輩せんぱい」
「どうしたんだよ。ここ三年の教室だぞ」
四月の半ば、放課後。一人だらだらと居残り課題を広げていた俺の元に茨乃がやって来た。
「いえ、先輩はついでです。つるぎさんに用があったので」
我がもの顔で教室に入るばかりか上級生の椅子に腰掛ける茨乃の手には、バナナの絵が描かれたお菓子が握られていた。
「なにそれ」
「あれ、もらってないんですか。つるぎさんに」
「泡音が?」
「東京土産だそうですよ。春休みの」
「大分前だな」
「まあつるぎさんですので。お土産を買ってくるという発想があっただけものすごいですよ。買ったはいいものの持ってくるところで躓き続けたんでしょう」
春休み。半ば家出のように泡音は一人で遠くへ行って帰ってきた。電車に乗ることすらも危うかった彼女がなぜそんなことを敢行できたのかはわからないができてしまったものは仕方がない。
バスの手配は手伝ったけど、泡音の思い切りの良さは最近増すばかりで本当に彼女かと疑うほどだ。
美術館に行っていたようだけど感想は『大きかった』だけだったあたりが泡音なんだけど。
『なんとなく……?』で金髪にしてしまうような子だから、思い切りの良さは元々だったのかもしれない。
「俺ももらってこようかな」
泡音と俺は今度は同じクラスにはならなかった。
「もう美術部に行っちゃいましたよ」
だから俺のところに来たのか。
「茨乃、暇してるのな」
「暇じゃないですよ。なぜかうっかり図書委員なんて押し付けられて、しかもなんか図書委員会担当の担任があたしにウザ絡みしてくるんですよ! うざい! 腹立つ! 乙浦先輩みたい! 本の趣味が合うのが最高に腹立ちますね!!」
「なんだよそれ。ていうか、ちゃんと教室行ってるんだな」
「……まあ。今年は担任の先生がギリギリ及第点ですし。それに先輩もつるぎさんも三年生になりましたからね。あたしがしっかりしているところを見せないと心配するでしょう? いえ、いやになったらすぐに消える覚悟ですけど。……そうですね、今のところは。大丈夫かもしれないです」
なんででしょうね?と本人が不思議そうに首を傾げた。
俺が知るわけないだろ、と言えば茨乃は、それもそうですと納得した。
「つまり暇じゃあないって言いたかったんですけどー……」
茨乃はちらりと窓際の席を見やる。
空っぽの一度も使われていないかのような、埃のつもりそうな机だ。
俺は茨乃の目的を知り、苦笑した。
「来てませんか」
「うん」
なにも変わらなかった。
周りは平気で変わっていくことまで含めて、変わっちゃいない。
茨乃が教室から出ていくのを見送って、俺はシャープペンシルを投げ出した。
夜迷と俺は同じクラスになった。
けれどあれから、一度も顔を合わせていない。
消えてしまったわけではない。本来交わることのなかった道が、元に戻っただけのことだった。
薄情、なのかもしれない。
俺は夜迷のいない日常を寂しいだなんて思わなかった。
思えていなかった。
こういうところが駄目なんだな、といつかのようにため息を吐く。
『そういうところがいいところなのよ』と記憶の中で彼女が曖昧に笑った。
もう俺は夜迷を探さない。
『次はきっと、私から会いにいくから』
彼女はそう言ったから。
予言でも約束でもなくて、それは彼女の願望だと思ったから。
夜迷が夜迷のまま、この場所に来るのを俺は待っている。
◇
扉が開く。
そこにいるのは赤いリボンにブレザーの制服が驚くほどに似合わない一人の女子生徒。
息を殺しながら教室へと入って来る。
「おはよう」
見慣れた顔がまるで昨日の続きであるかのように出迎えて。
そして、少女は──




