014 赤頭巾と猟師の敗北
「それは大変だったわね。」
のんびりとしたミセス・ブランカの声にジェイクはうなづいた。
「アパートの修理代はウーが出すけど、しばらくアインのとこのホテルにいるんだ。」
くすくすとミセス・ブランカは笑う。ジェイクはカゴに山盛り入った薬草を抱えた。
あの後ジェイクは、向かいのビルからライフルを持ったユーリに首根っこを捕まれて、アインの車に無理やり頭から詰め込まれた。バッシュを撃ち損ねたことに苛立っていた。
ウーはスミスが連れて行ったと、後でチヨから聞いた。
「私のところにはミスター・ウォーカーが来たわ。少し騒がしくなるけれど、ユーリがちゃんと後始末するから大目に見て欲しいって。」
ユーリがシャワーを浴びているときにアインが話してくれたのは、ユーリが怒っているのは可愛い愛娘を一瞬でも自分の嫌いな若造に預けなくてはいけない作戦しかたてられなかったという自己嫌悪だから、そっとしておいてやってくれということだった。
「ミセス・ブランカ。ウーのこと知っていた? 」
「ええ。グラスホッパーのミスター・スミスから話は聞いていたわ。ゲイシーのパズルを封印した息子の話。自分の命を使ってその子はパズルを封印したの。」
ミセス・ブランカはツタをするりとなでた。
「呪いを自分の力で徐々に打ち消そうとしたの。暴発しないように、少しずつ少しずつ、自分の命を削りながら。何十年とゆっくり行うつもりだったけれど、ゲイシーの死がそれに波紋を広げてしまった。そこでパズルが開かれずに済んだのは、その子と周りの魔法使いの力ね。」
ジェイクは眉間に皺を寄せた。
「なんか、それを聞くと、政府の尻拭いをグラスホッパー全体でしてたみたいですっごく嫌な話。」
ふふっとミセス・ブランカは微笑んだ。
「ジェイク、魔法使いは誇り高いのよ。グラスホッパーもそうだわ。あなたとは縁が悪かったけれど、今回は組織との縁ではなく、ゲイシーとの縁だった。現にあなたは、ゲイシーの息子とはお友達でしょう? 」
髪飾りをさしてミセス・ブランカは言う。
「でも……次は、敵になるかも。」
門の向こうでクラックションが鳴った。はっとジェイクは顔をあげる。
「時間だ。また明日来るね。」
「ありがとうジェイク。」
ミセス・ブランカの家の門を出ると、チヨの車が停まっていた。ミセス・ブランカがトマトを渡して、チヨがお礼を言った。助手席に座ると、ジーンズに黒いシャツを着ているせいかいつもよりも白い肌が目立った。金色の装飾は相変らずだ。アクセルを踏むと、ジェイクの首ががくんっと震えて車は発進した。
「サンドイッチは狼がデリバリーのついでに持ってきてくれる。」
チヨがサングラス越しに笑った。ジェイクは飛ぶように進む車の助手席で、周りの車がどんどん後ろに遠のくのを見た。
「ミスター・バロウズ怒ってなかった? ドレス少しぼろぼろになったし。」
「怪我がなくて全裸じゃなけりゃ怒らないよ。」
肩紐一本でバロウズの怒りが抑えられたのだと思うと、奇跡だとジェイクは思った。
車が空港で停まり、ジェイクは一緒に駆け足でロビーに向かう。そこで目撃したのは、アルとハートネットがつかみ合っている姿だった。それを端で見ている女性が一人いる。アンジェラとアルが呼んだ女性で、彼女はジェイクに親しげに手を振った。
「ジェイク、CWUにも知り合いが? 」
チヨが笑うが、ジェイクは何と答えていいのかわからず、ともかく女性に近づいた。
「そのせつはお世話になりました。」
ジェイクが礼儀正しく言うと、女性は深々と頭を下げた。
「こちらこそ、チーフの命の恩人にお礼も言わずに。大変失礼しました。」
「アン、頭下げることはないだろう。こいつファミラだぞ。」
ハートネットが毒づくと、アルが隙を突いて襟首をつかみ、背負い投げた。
「フランキー、アル、もうそこまでにしなさい。」
アンジェラはいたずらっ子を叱るようにたしなめると、ゲルニカのダイナーの紙袋をジェイクに渡した。アルがハートネットと取っ組み合っていたので、預かっていたのだろう。
「双子か。同じ顔なのに印象がずいぶん違うな。」
チヨがアルとハートネットを交互に見た。
「同じように育った一卵性のはずなのに、どこで間違ったんでしょうね。」
アンジェラがため息をつく。
「バリスタになって穏やかに暮らしてるって絵葉書が届いたときは嬉しかったわ。」
アンジェラが微笑んでから、アルの頭はたいた。
「それなのにこの嘘つき。なによあの装備は。どこから仕入れたのよ。」
今度はアンジェラがハートネットを押しのけてアルの襟首をつかむ。
「よくも私たちに銃を向けられたわよね。」
「そのせつは本当にごめん。」
アルが正直に謝った。
「アルはバリスタだよ。」
ジェイクが言うと、アンジェラが振り返る。
「本当に、バリスタ。私のボーイフレンドなだけで。」
ジェイクは、ユーリがここにいたら、心臓発作を起こしそうな顔をしただろうなと思った。チヨは嬉しそうに笑い、アルは鳩が豆鉄砲をくらったような顔をし、アンジェラとハートネットはアルとジェイクを交互に見た。
「なら仕方ない。恋人を守るために銃をとるのはよくあることだ。」
ジェイクは背筋がぞくっとし、チヨの後ろに隠れた。杖をついたバッシュがこっちに来る。
「大目に見てやれ、フランク。兄に恋人ができたことを弟として喜べ。」
ハートネットが何か言おうとしたが、バッシュが一睨みすると黙った。よくしつけてある。バッシュがジェイクを見る。ジェイクはチヨの後ろに隠れるのをやめ、バッシュと向き合った。
「ブラッディー・フットマークの娘とも愛人とも聞いた。実際のところは何者だ? グラスホッパーとも付き合いがあるらしいが。」
「尻拭いしてあげたのにその言い草? 」
ジェイクの言葉にチヨは噴出した。
「あんたにもやらなけりゃいけないことはあるんだろうけど、私にだってやらなけりゃいけない仕事があるんだから。とりあえず今はこのサンドイッチの配達とか。私みたいなギリギリグレーなのにかまってないで早く杖なしで動き回れるようになって仕事に戻ったら? 」
ジェイクは思わず早口でまくしたてた。
「あんたの仕事は世界を守ることでしょ。なら、国や馬鹿な上層部の尻拭いばっかりしないで、早く平和にしてよ。私も税金払ってるんだから。」
チヨが声を殺して笑う。
「ジェイク、もうそこまでに……。」
アルがそっと割り込むとジェイクは我に返った。
「だって、ほっといて欲しかったんだもん……。」
バッシュは目を細めてジェイクからアルに目を移して笑った。
「お前の恋人はミステリアスだな。」
そう言われて照れたアルの襟首をつかみ、壁にぶつけた。
「PTSD、重度の鬱病、職場復帰不可能と診断されておきながら三年年足らずでたいしたものだ。あれだけ戦火を共にした仲間に銃口を向けられるのだからな。」
「そのせつは本当に申し訳ありませんでした。」
バッシュは笑っていたが、目が笑っていなかった。
「次は恋人のためだろうが家族のためだろうが殺すぞ。貴様にはそれだけのものを叩き込んだ。」
「心得ています。」
突き放すようにアルを壁にぶつけ、バッシュは国内線乗り場の方向に向かって去る。ハートネットがついていき、アンジェラはジェイクの手にメールアドレスと携帯電話の番号を握らせた。
「アルの性癖に悩んだりひどいことされたら連絡ちょうだい。もちろん、結婚式のときにもね。」
まるで友達のように手を振って去るアンジェラを見て、ジェイクはメモをカバンにしまった。
「女の子同士の友情は恋愛が絡むと早いな。」
チヨがジェイクの頭をなでた。
サンドイッチを持ってジェイクが国際線ロビーに行くと、ウーの姿は見えなかったがグラスホッパーの一団を見つけた。スミスが金色の懐中時計を見ている。国内線と国際線に別れてはいるが、同じ空港内にCWUと魔法使い組織の一団がいるのは、奇妙なことだった。
「ごきげんよう、ミスター・スミス。」
ジェイクが声をかけると、スミスは微笑んで手を振った。
スミスの顔は初めて見たときより、緊張感がないせいか普通の優しそうな老人に見えた。ダイナーのオープン席でチェスをしている老人たちに似ている。
「ウーは? デリバリーに来たんだけど。」
「すぐ来るよ。おかけ。」
スミスが座るように言う。チヨを振り返ると、彼女が微笑んでうなづいたので座った。
「レッドフード、あの子はカルロスの話を? 」
尋ねられて、ジェイクはうなづいた。
「恨んではないみたい。疲れたって。」
スミスは少し悲しげに目線を落とした。しかしすぐにジェイクの顔を見た。
「今回はあの子を助けてもらったようだね。」
「ウーは友達だから。ウーだから助けたんだよ。そうじゃなきゃ私も一目散に逃げていた。そんな申し訳なさそうな顔しないで、グラスホッパーのためになにかしたなんて、まだ、お腹のそこがイライラするんだから。」
スミスは気を悪くした様子はなく、ふっと笑った。
「ゲイシーはウーがいたのになんで子供をさらっていたの? なにがしたかったの? 」
ジェイクの言葉に、スミスは顎を撫でた。
「レッドフード、魔法使いの代償を知っているかね? 」
ジェイクは少し考えてから言った。
「少子化? 」
「そう。魔法使いは子供を残せないことが多い。エリックもだ。」
「でもゲイシーはエリンを逃がしたじゃない。まさかエリンの妊娠を知らなかったの? 」
スミスはゆっくり首を横に振った。
「まともに産まれるはずがないと知っていた。もしかしたらと思い攫ってみたものの、あれは二人の子供ではなかった。」
「いい迷惑じゃない。」
スミスがジェイクを見たとき、その目は哀れみをひくような色はなかった。」
ジェイクの肩にぽんっと手が置かれた。ウーが立っている。バッシュのように杖をついていた。
「あまり、老人をいじめないであげて。」
苦笑いをしてよろめいたウーを、バンクマネージャーが受け止める。見ないと思ったらウーのそばにいたのか。
「お弁当。ライ麦パンにポテトサラダ。」
ウーが嬉しそうに笑って受け取った。
「後、これも返さないと。」
髪飾りを外してジェイクは渡した。
「私の髪の色より、ウーのほうが似合うもん。」
ウーが眼を見張って、それから微笑んだ。
ジェイクはその顔を見て、少し迷ったが、言った。
「ごめんね、ウー。パズル壊して。」
ウーが小首を傾げてジェイクを見た。
「私の呪いも解けたし、呪いもまかれなかった。ジェイクが謝ることはないだろう。」
ジェイクは首を横に振った。
ウーの細い指が、ジェイクの髪の毛をよける。耳たぶについた銀色の貝殻のピアスを指でつついた。
「これが中身でしょう。」
「中身は多分、ゲイシーの研究結果。」
スミス以外のグラスホッパーがざわめいた。
「ゲイシーがエリン・マゴットと一緒にこのパズルを埋葬したってことは、呪いを消滅させるつづりは、彼女の名前だと思った。」
チヨが手を挙げた。
「待ってくれ、ジェイク。なら、正しいつづりは? 」
ジェイクは驚いて固まっているウーから、スミスに目を移した。
「あなたは何だと思う? 一緒に研究をしてたんでしょう? 心当たりない? 」
スミスはウーを見た。
「エリック、パズルのピースはゲイシーがお前に渡したな。」
ウーが無言でうなづいた。
「私を理解したのはたった一人だと、カルロスは言った。Eは消滅の文字だが、あえてカルロスはお前に付けたな。二十六の中で唯一彼にとって特別だったんだ。」
ウーが倒れこんだので、バンクマネージャーが抱きとめる。ウーの指が震えていた。
「父に限って、この研究は大事なものだから、消滅させることはないと。開けるか、呪いをまくかどちらかしかないと。」
ウーが声を荒げた。
「父にとって特別だったのは、エリンだけだ。彼女だけだったんだ。彼女の残したジェイコブだけが特別だったから、パズルを守る形にした。」
「違うんじゃない? 」
ジェイクは水を差すようで悪いと思いながら、言った。
「エリンのことが大事だったのは間違いないだろうけど、自分のことを理解して、自分の研究結果を引き継ぐのに一番相応しいものの名前にしたんだと思う。」
なんで、生きてるうちにそれを伝えなかったのだろう。その言葉だけは飲み込んだ。スミスが懐中時計で時間を確認した。バンクマネージャーも懐中時計を出した。スミスとおそろいの時計だとジェイクが見ていると、ウーがバンクマネージャーの手をつかんだ。バンクマネージャーが驚いて見る。
「ミスター・スミス。その時計素敵だね。」
ジェイクが言うと、スミスがふたを閉じた。
「バンクマネージャーがずいぶん前に譲ってくれたものだよ。保証書、箱付でね。エリックから同じ物を贈られたと喜んでいた。」
バンクマネージャーが外国語で何か言った。スミスは同じ言葉で返す。言葉はわからないが、好きな女の子をばらされた少年のような顔をしていた。
「何故言わなかった。」
ウーがバンクマネージャーの襟首をつかんで言った。
「懐中時計の一つでも持てと言ったのはお前だろう。」
ジェイクは震えるウーの後頭部を見て、つぶやいた。
「大体の悲劇って、間の悪さで起きるよね。」
ウーはバンクマネージャーから離れると、うなるように言った。
「帰る。」
多分実家ではなくてダイナーの上にあるアパートの部屋のことだろうとジェイクは思った。
「ウー、こればっかりはウーが悪いと思うよ。」
ジェイクは気の毒そうに言った。
「そうだぞ、私の頼んだワインはどうなるんだ? 」
チヨが逃げないようにぎゅっと抱きしめた。
「楽しみにしてるぞ。」
そう言ってひょいっと抱えるとそのままバンクマネージャーに渡した。
「さて、そろそろ行こうかね。」
スミスの言葉を合図にバンクマネージャーが荷物のようにウーを抱えて歩き出す。ジェイクは、足の傷はもう治ったのだろうかと思った。ウーが抵抗していたが、最後は観念して自分で歩くからと半泣きの声で言っていたのが可愛かった。
チヨは携帯電話でメールを返してから、こっちを見てにっこり笑った。
「ジェイク、狼とデートをしておいで。私もモーゼスと今からデートだ。」
チヨは手を振って軽やかにジェイクを置き去りにした。
「レイマリア、まぶしい人だね。」
アルが瞬きをして呟いた。
「仲良いよねあの夫婦。昔殺しあったって信じられない。」
ジェイクが言うと、アルがその手をとった。
「午後から休みをもらったんだ。どこに行く? 」
笑いかけられて、ジェイクは顔が赤くなるのをフードで隠しながら言った。
「静かなところがいい。話さなきゃいけないことがある。」
こんなところをユーリに見られたら、アルが狙撃されるとジェイクは思った。
アルがバイクに跨ってヘルメットを渡した。ジェイクが被って後ろに乗ると海沿いを走った。しばらく走り続けて、着いた場所には軍の施設に隣接した大きな公園があった。
家族連れがはしゃいでいて、子供たちがアイスクリームを食べる。くばっているのは狼の着グルミを着た店員だ。子供に背中に抱きつかれて、あたふたと慌てている。
ハートネットの動きはもっと滑らかで、俊敏で、子供が抱き付いてもそのまま機敏にアイスを配り終えて、くるりと一周して子供を捕まえた。
「ここのアイス、美味しいんだ。マカダミアンナッツがオススメだけど、どれが好きだい? 」
アルと一緒にショーケースを見ると、迷うくらいたくさんある。
迷って結局マカダミアンナッツにした。くすりと笑ってアルはバニラにした。ベンチに座ってジェイクはアイスクリームを食べる。
バスケをした後も、ハートネットと並んで一緒にアイスクリームを食べた。
「アルは、私が大好きだった人にそっくりだね。」
ジェイクは言った。
「昔、私の世話をしてくれて、勉強を教えてくれたり、遊んでくれたりした人。帰ったらお礼を言おうとしたのに、一言も言えなかったの。」
アルの青い眼が瞬きをしてジェイクを見た。
「その人のこと、初恋だったんだ。大好きだったんだ。家族以外を初めて、あんなに、好きになった。」
素顔も知らないのに、大好きだった。
「……大好きだったのに、な。」
口の中のアイスクリームが突然塩辛く感じた。アルがジェイクの眼に浮かんだ涙に触った。それからゆっくり、左の頭を撫でた。
「顔を見たら気が変わるかも。」
アルが茶化したが、ジェイクは笑った。
「何から話そうか迷ったけど、とりあえずあまりジェイクを焦らすのも俺が凹みそうなので、種明かしから。」
アイスクリームを買った白髪の男がこっちにやってきた。青い目に右の顔には切り裂かれた傷跡がある。けれど顔のしわが全部優しい柔らかい印象を与える顔だ。
彼が持っているのはチョコレートのアイスクリームだった。
ジェイクとアルの前で立ち止まった。
「やぁ、デートかい? 」
話しかけられてアルが苦笑いする。
柔らかい口調にジェイクはアイスのカップを落とした。思わず近づいて手を伸ばしかけて、止まった。
逆に男がジェイクの手を掴んで、自分の胸に当てた。
傷だらけの手だった。銃創もあった。けれど温かい胸をしていて、耳で触れると心臓の音がした。
「驚いた。アルから写真をもらったときはとても綺麗な女の子だったから、魔法にかかったのかと思った。」
ジェイクは離れた。サングラスを外して見えた、青い優しい目の形は、アルに似ている。
「私、ハートネットの胸に何度も、何度も……。」
震えた手をハートネットがそっと握った。
「僕の体は丈夫なんだ。僕の子供たちも。」
ハートネットの手も震えていた。
「君の約束を守れなかった。ごめんなさい。」
ジェイクは握り返した。
「大丈夫。もう、大丈夫なの。」
ジェイクは手を握り締めて笑った。
「父さんが助けてくれたから、もう大丈夫なの。」
抱きついてジェイクは言った。温かい、昔抱きついた時と同じように優しいぬくもりがする。
「でも、どうして私が? 」
「あの後ジェイクの手紙をお父さんに渡そうと思って、アルと一緒に君のお父さんを探したんだ。アルが必死になって探してくれたんだけど、僕のことを書いてくれた手紙を、手放せなくてアルがもし許してもらえたら、それだけもらって来てくれると言ってくれたんだけど……君が生きているって。」
ジェイクはユーリの言っていたことを思い出した。アルを見た。
ハートネットが笑った。二人の間に携帯電話が鳴って、ハートネットが手を離す。
「あぁ、残念だ。急用が出来た。」
ジェイクの額にキスをしてハートネットは言った。
「またね。」
ハートネットが慌しく駆け出して戻ってきて溶けていたがアイスクリームを持っていった。
アルが手を拭いた。
「手紙。」
ジェイクが言うとアルは苦笑した。
「えーと、ごめん。言っても絶対くれなさそうだったから。」
ジェイクが言うと、アルは言った。
「手紙に、ダニーのことが書いてあった。ダニーのことが本当に好きなんだと思った。日付が書いてないし、どうせわからないだろうと思って。でも二日後くらいに帰る支度をしていたら、君のお父さんが突然現れて、殴られて、手紙を出せと怒られた。」
アルはイタズラがばれた子供のような顔だった。
「しらばっくれようとした瞬間銃口を喉の奥まで押し込んで。返したらまた殴られた。だから考えたんだ。なんで分かったか。見えない日付が書かれていたのか、それもと暗号か。そんなものはなかったし、十歳の子供が何の目的でそんなことをするのかも分からなかったけれど、単純に、本人が足りないって言ったんじゃないかって。」
アルと眼が会った時、ジェイクはドキリとした。
それだけのために自分を探しに来てくれたのかと、胸が痛かった。痛いほど嬉しかった。
「生きて動いている君を見て、嬉しくてたまらなくて。君が、女の子だったのは驚いたけど。何度かすれ違ったけど声もかけられなかった。勇気がずっと出なかった。」
そんなふうには見えなかった。本を拾ってもらったジェイクの方が緊張していた。
「本物のジェイコブは、産まれてまもなく死んだんだって。母さんは兄さんを抱えて橋から飛び降りようとしたところ、父さんに出会って、私を預かったんだって。兄さんは、母さんと一緒に温かい場所で眠ってる。」
数日前ユーリから聞いた話だ。
母さんがずっと大事にしていた真っ白な粉の入った瓶。あれがジェイコブだった。ユーリが母さんの遺灰と一緒に、町外れの高台のそばにあるお墓に埋葬してくれた。
「兄さん、私がずっと母さんのこと取り上げて、怒ってたかも。」
「そんなことないよ。彼女が生きていたのは、君がそばにいたからだ。」
ジェイクは小さくうなづいた。アルの手に自分の手を重ねる。
「アルは、私が憎くないの? ハートネット、アルにとって大事な人でしょう? 家族じゃないの? 」
アルは少し顔を伏せて腕をまくった。皮膚を叩くと、じわりと数字が浮かぎあがる。
「ライカンスロープチルドレン。俺はその第三世代なんだ。第一世代は一割が、第二世代は二割が生き残って、その中でも優れた遺伝子を抽出して作られた。ダニーはその一人で、今は第一世代唯一の生き残りなんだ。俺とフランクは彼の遺伝子から作られているから、息子だとも言えるし、彼のクローンにもなる。」
ジェイクはアルの腕に手を伸ばした。アルが驚いて腕を引こうとしたが、躊躇わず触った。
数字の羅列の意味はジェイクには分からない。
ハートネットにも同じものがあるのだろうか。いつも着グルミなので分からなかった。
アルの手が震えた。ぎゅっと手を重ね合わせて、口を開いた。
「俺が、君を撃ったんだ。」
アルが声を絞り出して言った。
「君がいた。ダニーに何度もナイフを振り下ろしていた。痩せていて、華奢で、小さな子供なのに素早くて、でも、ダニーに気付いて止まったんだ。止まったから俺は撃てたんだ。」
ジェイクはアルに指を伸ばし、アルの顔を見た。
「君は気付いていたんだ。ダニーだって気付いたから、止まったんだ。」
涙が金色の睫毛にかかった。ジェイクは手を伸ばしてそっと触れた。抱きしめてジェイクは深呼吸した。
「俺が君を殺したんだ。」
ジェイクの眼に涙がこぼれた。
「君の事をダニーから聞いていたんだ。お父さんの所に帰してあげなきゃいけないって、俺も思った。きっと、絶対、君を家に帰すんだって。でも、俺は、引き金を引いた。」
腕の中にジェイクを抱きしめ、アルは言った。
「君が生きていて、話しかけてくれて、一緒に手を繋いで、早く言わないといけなかったのに、ごめん。」
首を横に振って言葉が出なかった。
胸が痛い。悲しい。こんな気持ちは初めてだ。
「痛かったけど、アルも痛かったでしょう? 」
ジェイクはアルの胸を撫でた。
「私はもう、痛くないよ。アルはずっと痛かったでしょう。今も、痛い? 」
アルの指がジェイクの手に触れた。唇が近づいた瞬間、携帯電話が鳴った。ジェイクのだった。
「……ごめん。」
アインからだ。まさかどこかから見られているのか、ジェイクは周りを見た。見通しのいい場所なのに特定できない。恐る恐る出た。
「えーと、ジェイク、本当に申し訳ない。」
アインの声が聞こえた瞬間、ふっと影が入った。
ジェイクが顔を上げるとアルが倒れた。ユーリに蹴られて倒れた。いつから見られていたのか分からないが、倒れたアルをアインの部下が羽交い絞めにしていた。
「ちょっと、まだ何もしていないのに。」
ユーリがタバコに火をつけて吸った。
「何かあってからじゃ遅いだろ。」
「だからってアインの部下まで……。」
一番若い部下二人がアルを連行している。
「休みのくせにボランティアで出動したんだ。」
受話器から申し訳なさそうな声がした。
「知り合いの職場がけが人が出すぎて、メンバーが足りないらしい。ちょうどここに鬱病もPTSDも感じさせない元エースがいるんで今から送り返してやるところだ。」
ジェイクは驚いて叫んだ。
「なんで、バッシュと、連絡取り合ってるの。」
ユーリの手の中でライターが折れた。
「っざけんな。あんな犬と誰が連絡取り合うか。」
通り過ぎる子連れの親子がこっちを見ながらも駆け足で通り過ぎる。
「あんなのが隣に住んでいて家を空けられるか。あいつの特定能力甘く見るな。お前の下着のローテーションも把握してるぞ。」
ユーリが言った瞬間アインの部下が聞き出そうとしたのでユーリがトカレフの柄で部下たちを殴った。
「バリスタいなくなるじゃない。困るよ。」
ジェイクが言うとユーリは煙草の煙を吸い込んで吐いた。
「それがな、コーヒーをいれるのが上手い上着グルミを持参した子供受けのいいバリスタが見つかったんでこいつはお払い箱、だ。」
またねと言ったハートネットの言葉がこんなに早く実現するのは嬉しい。嬉しいが、喜んでいる場合でもない。とどめを刺すようにユーリが膝を蹴ってアルは膝をついた。
「若いもんは働け。年寄りの仕事を奪うな。」
薄ら笑いを浮かべたユーリは久しぶりに見たことのないほど嬉しそうだった。そのまま連れて行かれそうになるアルにジェイクは駆け寄った。アルが膝をついているのでジェイクもしゃがんだ。
「バリスタじゃない俺でも、嫌いにならないでくれる? 」
理不尽な暴力に合わされながらも、アルは微笑んだ。ユーリがまた蹴りを入れた。
「ジェイク、十五秒ですませろ。」
ユーリがカウントする前に、ジェイクはアルの唇にキスをした。
「アルも、ファミラの私を嫌いにならないでね。」
アインの部下が頭を掴んで連れて行く。ユーリに睨まれた。
「しゃがんでいたからしやすかったんだもん。」
ジェイクは涼しげな顔で言った。




