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010 赤頭巾と賢者の羊

 翌朝、ジェイクはユーリにつれられ、街から離れたところにある病院に行った。コンクリートがところどころはげ、ツタが壁に絡み付いている。病院の中には無精ひげを生やした中年の医者がいた。肌が褐色で、唇が厚い。建物とは違い、綺麗なスーツと白衣を着ている。黒い髪は綺麗に刈り上げられ、軍人のようだった。

「お久しぶりです。お嬢さんも元気そうで。」

「元気ならくるか。」

 ユーリは苦笑いをした。医師はにこっと微笑んだ。優しそうな顔だ。

「どうぞ、上着だけ脱いで。」

 ジェイクは診察室にある、丸い椅子に座らされた。医師の手がジェイクのこめかみをそっと触れる。

「痛みますか? 」

「昨日は脳みそかき回されるみたいに痛かった。今はぜんぜん痛くない。」

 医師の手がジェイクの頭をそっとなでた。

「少し、痛みます。我慢してください。」

 医師が言った瞬間、ジェイクの頭に激痛が走った。ジェイクの足が思わず上がる。手を引き剥がそうとしたが、びくともしない。

 ユーリが立ち上がってジェイクの両手を掴んだ。

 頭の左半分だけでなく、顔と目も熱く、痛かった。医師の手が離れたとき、ジェイクはぐったりと前のめりになり、ユーリに抱きついた。

「これは、ストレス性の頭痛ですね。」

「これだけ痛かったらストレスにもなるから。」

ジェイクがぶすっとした顔で言う。

「減らず口叩けりゃ大丈夫だと思うが、いきなり脳みそ破裂とかしないだろうな。」

 ユーリがジェイクの頭をなでた。

「あなたが思うようなことにはなりませんよ。あの状態からここまで元気になったのは奇跡だと思います。神の御加護が強いお嬢さんなんでしょう。」

 医師は手を洗いながら言った。

 ジェイクがユーリを振り返ると、ユーリは会計をすませるために財布を出していた。

「奇跡じゃない。俺が悪魔からぶんどったんだ。」

 会計にばんっと金を置く。

 医師は苦笑いをして可愛いゾウのイラスト入りの袋に薬を入れた。それをカバンにしまうと、ユーリと一緒にバス停に行った。

 ユーリが胸ポケットを探った。タバコを取り出すのかと思ったら、ロリポップキャンディーだった。ジェイクにも差出し、二人で飴を舐めながらバスを待つ。三分後バスが二人の前に止まり、後ろの席に乗り込んだ。

「大家が隣に越してきた奴がお前を介抱したっつってたけど、どんな奴なんだ? 礼を言いに行ってもいやしねぇ。」

 本当にお礼に行ったのかどうかはさておき、ユーリもアルに会っていないようだ。

「親切な人だよ。コーヒーも美味しいし。」

 けれどファミラだ。ジェイクはいつもそれを伝えられない。

 ユーリは心配する。けれど理由は、心配したユーリに会うなと言われることが怖いからだ。自分の我儘な部分が、いやらしくて、言葉に詰まった。

 ユーリは出かける用事があったのでアパートの前で別れた。ジェイクが喫茶店の前にいるとゲルニカがスープを上の階に持っていこうとしていた。

「ウーに? 」

 三階をジェイクがのぞいた。

「体調が悪いらしい。」

「私が持って行く。」

 ジェイクはゲルニカからトレーを受け取ると、階段を登った。ジェイクは部屋をノックした。声はしない。ジェイクは針金をドアノブにつっこんで、鍵を解除した。そして部屋の扉をそっと開けた。かび臭いにおいと生臭いにおいが混ざって吐き気が一瞬したが、入っていく。カーテンを開いてベッドを見ると、やせた顔が見えた。ジェイクは顔を覗き込んだ。

「ウー、食べれる? 」

 しわだらけの顔の眉が動き、ジェイクを見た。にごった目がジェイクを見た。起き上がるのを手伝って、トレーを置いた。

「申し訳ない。」

 やせた指がスプーンをつかむ。ジェイクは部屋に張り巡らされた呪文の書かれたカードを眺めた。

 ジェイクが貧血を起こして階段に倒れていたとき、ウーはチョコレートと牛乳を持ってきて、メッシャーといっしょに階段を登るのを手伝ってくれた。ハンモックを落としたとき、いっしょにつけるのを手伝ってくれた。あの時からほんの数ヶ月なのに、今はもう同じ人間には見えない。

 ジェイクは思い起こしながら壁を見ていた。いつもは机の上のライトで隠れている写真が見えた。ゲイシーと上品な身なりの少年がいっしょに写っている写真をみつけた。

 ジェイクはウーを振り返った。

「あの写真? 」

 ウーはちらりと見てから、寝巻きのすそをまくり、わき腹に掘られたグラスホッパーの刺青を見せた。ジェイクは刺青とウーを交互に見た。

「グラスホッパーなの? 」

 ウーがうなづいた。

「見てわかるだろうけど、元だね。呪いをもらって厄介払いされた。」

「なんで。」

 ジェイクが言うと、ウーはパンをむしってほおばった。

「ゲイシーがやったこと知ってるでしょう。あの人逮捕直前にはすっかり頭がはじけててね、面倒な呪いがつまったものを残したんだ。中途半端に呪いが漏れていて、私は呪いはもらったけどなんとか封印することができたんだ。それがグラスホッパーでの最後の仕事。」

 こほっとウーがむせた。ジェイクは背中をさする。呼吸の音が苦しげだった。

「ありがとう。」

 ウーが笑った。ジェイクは半分残っているスープとパンを見た。

「ウーは、グラスホッパーを恨んでないの? 」

 ウーはジェイクを見つめた。立ち上がってベッドから出ると、ウーはタンスを探る。

「ジェイクはグラスホッパーにひどい目に遭わされたの? 」

 ジェイクは言葉に詰まった。

 グラスホッパーに殺し屋として教育をうけていたときは、いっそ死んでしまいたいくらいつらかった。しかし、今はユーリのそばで安心して暮らせている。思い出して腹が立って、目の前から消えて欲しいと思うけれど、同じことをウーには言えなかった。

「私はもう、疲れた。」

 ウーが振り返る。手には桃色の蝶の形をしたバレッタを握っていた。櫛でジェイクの髪の毛を優しくといて、ぼさぼさに乱れていた髪を束ねてバレッタでとめた。

「ジェイク、せっかく綺麗な髪をしているんだから。大事にね。」

 ジェイクは写真を見る。金髪の女のつけているバレッタと同じだった。

「ウー、これ大事なものじゃないの? 」

 ウーはジェイクの頭をなでて言った。

「私はもうすぐ死ぬから。大家さんがこの部屋のものは処分してくれるけど、これはできれば誰かに使って欲しい。」

 ウーが立ち上がり、スープとパンの代金の紙幣をトレーの上に置いた。食器で飛ばないように押さえる。

「ごちそうさま。」

 ジェイクはトレーを受け取った。ウーを見る。

「ウーは、最後に会いたい人とかいないの? 」

 ウーは疲れたように笑った。

「もう死んでしまった。」

 最後にジェイクを励ますようにジェイクの頭をなでて、ウーは扉を閉めた。

 ジェイクは階段を下りながらウーのことを思い出した。初めて彼女がここに来た日、ジェイクは10ドルもらって彼女の部屋の片づけを手伝った。結局その10ドルはお昼にウーとジェイクのサンドイッチになった。ウーはそれを見て笑った。ジェイクは、ここのダイナーのサンドイッチの味をつたえるためなら10ドルなんか惜しくないといった。ウーは背中を丸めて笑っていた。

 ジェイクがトレーを返すと、ゲルニカは電話をしていた。ジェイクを見て一瞬保留にしてから、言った。

「ゴードンの仕事場わかるか? 」

「わかる。」

「ミートパイ宅配してくれないか? アルは今日遅番なんだよ。」

「わかった。」

 ゲルニカが準備を始めた。


  ゴードンはこの街で死体の解体をしている。この前ユーリをトランクに詰めた海賊も、ゴードンがばらばらにして処分してくれた。ゴードン自身は強面でもなければ、危険な印象を与える男ではない。目じりが下がっていて、温厚そうな雰囲気すらある。ストレスがたまると、ゲルニカの作るミートパイをおなかいっぱい食べたくなるらしい。いつもは徹夜明けでも来るのだが、今日はどうしても仕事場を出れないようだ。

 ジェイクは街の中にある肉屋の地下室にくだっていった。地下でゴードンが働いていることを知っている者は、決してこの肉屋で買い物をしない。ただ、肉屋の肉は評判がよくて、惣菜もおいしい。

「ありがとうレッドフード。今日は配達できないって言われてがっかりだったんだけど、君がいてくれてよかったよ。」

 ゴードンが血まみれの手袋とエプロン姿ででてきたので、ジェイクは伸ばされた手をよけた。ゴードンは自分の姿に気づいて、手を洗った。

「冷蔵庫の上に代金はおいてあるから。」

 いそいそと食事の準備をするゴードンの後ろで、ジェイクは赤いフードをかぶったまま、部屋の中を見渡した。独特の薬くささと、生活感漂うソファーと机、本棚と小さなテレビを見て、ゴードンはここでよく生活できると感じる。もっとも、ウーの部屋よりは片付いているし、ジェイクとユーリの部屋も無造作に重火器が転がっていることもあるので、人のことは言えない。

 冷蔵庫の上の紙幣にも謎の褐色の染みができていたが、ケチャップの匂いがしたので多分そうなのだろう。

「海賊の死体をミスター・ウォーカーに頼まれてね。ミセス・ブランカからも肝だけほしいって頼まれてて分けるの大変だ。」

 ゴードンがボトルに口をつけたとき、インターホンがした。ゴードンが手を拭きながらでると、数人の男が入ってきた。旅行用の大きなキャスターのついたカバンを持っていた。

「いつものだ。よろしく頼む。」

 真ん中にいたのは、派手なスーツを着た男だった。緑の目にクセのついた明るい色の髪、軽薄そうな顔。ジェイクと目があった瞬間、嬉しそうに笑った。ジェイクは逆に顔をしかめた。

「レッドフード。なにしてるんだ? これからブランカばあさんのところに行くのか? 」

 ジェイクはカバンをかけなおすと立ち上がった。相手は邪魔するように扉のまえにたつ。

「邪魔。」

「久しぶりに会ったのにつれないな。最近俺の店にこないじゃないか。」

「察してよ。あんたが嫌いだからに決まってるでしょ。」

 ジェイクはきっぱり言った。ゴードンがむせて、ボトルの水を飲んでごまかした。

「お前のためにチョコレートの滝を作ったんだぜ? 泳げるくらいでかいやつ。」

「頼んでない。どかないと殴る。」

 こぶしをぎゅっと握って見せると、その場にいた全員が噴出して顔を背けた。ジェイクは本気なのに、なんだこの温度さと思った。

「ミスター・ステファノ。小さな女の子をからかっちゃいけない。」

 ゴードンが笑っているのを誤魔化すために、咳払いをしながら言った。

 ステファノはこの近くで大きなバーを持っている魔法使いだ。顔立ちは整っているのだが、軽薄でジェイクは嫌いだ。うるさいところも嫌いだ。ジェイクをユーリの持っている珍しい飼い猫のように思っていて、見つけるとからかってくるのも嫌いだ。とにかく全部嫌いだ。

「ごめんください。」

 しわがれた声がして、ジェイクは扉の向こうを見た。

 ゴミ袋をかかえたアルが立っていた。ジェイクに気づいて、ぐるりとステファノたちを見渡してから部屋に入ってきた。

「お願いします。」

 ゴミ袋は、液体が入っているのかたぷんとゆれる。ゴードンがため息をついた。

「わかったわかった。さぁ、皆さん帰って。見てのとおり、忙しくてね。」

 アルはゴミ袋を置くと、ジェイクに頭を向けた。

「送っていくよ。」

 周りが噴出した。

「狼、死ぬ気か? ブラッディー・フットマークに腹に石を詰め込まれるまでもなく頭を撃ち抜かれるぞ。」

 ステファノが腹を抱えて笑っている。周りの嘲笑を気にも留めず、アルはジェイクに手をさしだした。ハートネットのように、周りに笑われても気にしない。そよ風が吹いたとでも思っているように小首をかしげた。

「レッドフード、猟師に言われてるだろ。狼に近づくなって。」

 ジェイクはステファノを無視して手を取った。アルの腕に自分の腕を絡める。アルはトロリーの停留所まで送ってくれて、トロリーが来るまで待っていてくれた。

「ジェイク、ゴードンの店にはお父さん一緒の時に行ったほうがいい。魔法使いがくる店だ。」

 ぽつりとアルが言ったので、ジェイクはアルの横顔を見た。気遣ってくれてるんだと感じた。

「アルは、今日はダイナーじゃないバイトの方なんだ。」

「まぁ、時々。ダイナーよりも楽しくはないけどね。」

 茶化すように言われた。トロリーが来て、先に並んでいた人たちが乗り込む。最後の人が乗り込んだとき、ジェイクは一歩進めなかった。

「アル、グラスホッパーがこの街に来ている。」

 アルの手が動揺したように震えた。ジェイクはそれが何の動揺か分からなかったが、トロリーが去っても動こうとしなかった。

「何のために来ているか知ってる? 」

 アルは黙っていた。ジェイクは返事を待った。

「何が知りたい? 」

 ジェイクはゆっくりアルを見た。狼のマスクごしだが、アルが笑っている気がした。ジェイクはアルの手を離したほうがいいのではないかと思った。

「私、今50ドルしか持ってないけど、いい? 」

 アルが笑った。

「9ドルあれば。」

 アルが案内したのは裏通りの小さな店だった。

「いらっしゃい、今日はデート? 」

 カウンターに立った男が笑いかける。黒い髪の丸い顔の男だ。おそらく、東洋人だろう。だが流暢な発音だ。

 椅子に座りジェイクは自分が何をしているのかわからなくなった。結局コーヒーもアルが払い、ふわふわのスチームミルクにジェイクは狼が、アルには花がかかれていたカップを持ってきた。頼んでいないクッキーが添えられているのを見ると、ウィンクされた。

 またすぐ若い女性客が入ってきて声をかけていた。彼女たちも常連なのか、楽しげに会話をしている。

「お父さんもミスター・ウォーカーも何も教えてくれない? 」

 アルが尋ねてジェイクはうなづいた。

「それでも知りたい? 」

 アルの問いかけにジェイクは顔を上げた。

「知りたいのは、アルのこと。」

 ジェイクはカップを掴んだ。温かい優しい味のカフェオレだ。

「アルのこと、今父さんに話すと、きっと会うなって言われる。でも、私は今のダイナーにアルがいるのがとても好きだし。話し、するのも好きだし。」

 言っていて恥ずかしくなった。顔を上げるとアルは微動だにしない。狼のマスクに隠れていて、どんな顔をしているかわからない。

「ごめん、アルはこんなこと言われても、迷惑かもしれないけど。私、バリスタのアルが好きなんだ。だから、今、その……ファミラの仕事はあんまり受けないで、くれたらって……。」

 机の上で握ったジェイクの手に、アルが手を重ねた。無意識に震えていて、アルの手が触れて、震えが止まった。

アルの青い目がジェイクを見ている。心臓が周りに聞こえるんじゃないかと思うほど、ドキドキと大きな音が響く。

ジェイクが口を開きかけたとき、アルの顔に銃口が近づけられ頭を机に押し付けられた。

「俺の娘を舐め回すような目で見るな。」

 ユーリがアルの頭に銃口を突きつける。カフェのバリスタが笑った。ジェイクはユーリとアルを交互に見る。

「どこから? 」

 ジェイクの口から出たのはその一言だった。

「あの生意気なトマト頭が俺にちくった。最近この辺をうろつく狼がお前をナンパしていったってな。」

 アルが動いたのでユーリは銃で殴った。

「お前らしくない。こんな見るからに怪しげな男と二人っきりでデート? 何を脅されたんだ? 」

「脅されていない。私が誘った。」

 ユーリが二度見した。

「恋をしちゃだめ? 」

 アルが起き上がってジェイクを見た。ユーリが銃でアルを殴った。

「殺し屋はやめろ。」

 アルを掴んで銃口を開いた眼の中につっこんだ。

「バリスタだよ。バリスタならいいでしょ? 」

 ユーリの後ろからアインが現れた。彼のスーツは汚れていて、ユーリもよく見るとあちこち服が焦げている。どこの戦場から駆けつけたのだろう。

アインはアルを見てからジェイクを見た。アインはアルのマスクの口から顔をのぞいて、顔を背けた。悪いものを見たというような顔だった。

「これのどこがいい? 」

 指差してアインが言う。何を見たのだろう。

「頑丈そうなところ。」

 ジェイクがきっぱり言うと、ユーリが絶句して、アルを離した。ごんっとアルの頭が机の上に落ちた。

アインはユーリの肩をたたいた。それをふりほどいてユーリがアルの襟首をつかんで引きずり出す。ジェイクが止めようとしたが、アインが間に立った。

「ジェイク、他のにしないか? 」

 ジェイクは外を見た。ユーリがアルを車に押し付けて、トランクに突っ込もうとしている。通りすがる通行人たちが見ているが、関わらないほうが良さそうなので見るだけで立ち去る。指をさした子供の手をひっぱって母親が走り去る。ジェイクはアルを見ながら言った。

 ジェイクはアルが抵抗しないのを見て、不安になって止めようと外にでた。アルは脱げないようにマスクをぎゅっと握っていた。

 ジェイクはユーリとトランクに入ったアルの間に立った。

「やめて。これ以上殴ったらさすがにアルでも死んじゃうよ。」

「こいつはやめておけ。お前の言うとおり頑丈だが、嘘をつくのが俺よりうまい。」

 ユーリに言われ、ジェイクはアルを見た。

「嘘つきにはなれてる。私も一人で好きな人くらい選べる歳だよ。」

 ジェイクが言うとアインはユーリの死角でうなづいていた。

「ジャックリーン、こいつブサイクだぞ。」

 ユーリが叫んだ。

「私が人の美醜をとやかく言える? フランケンシュタインの怪物みたいにツギハギだらけだし、頭だって左半分吹き飛んでいるんでしょ? 」

 ユーリはアルを見ていた。その表情は都合の悪いものを見られたときの顔に似ていた。ふと背後に奇妙な気配を感じた。それはこれから仕事をする魔法使いや、殺し屋が同じ部屋に入ってきたときと似ていた。

「ジェイク、落ち着け。お前らしくない。」

 ジェイクはトランクから顔をわずかに覗かせるアルを見た。青い目がジェイクと合ったとき、笑った気がした。ユーリがジェイクの肩をつかんだ。ジェイクをひっぱっていく。ジェイクは自分が軽はずみな行動で、とんでもない大惨事を引き起こしてしまったように感じた。

 アパートまでずっと無言。早歩きで進んでいく。ジェイクは無言でユーリの手を握っていた。ユーリが突然手を振り払って、もういらないと捨てるのではないかと考えると、涙がこぼれそうだった。

 ユーリの足がとまった。ジェイクの手をぎゅっと握る。ジェイクが顔を上げると、丸い後姿が見えた。チョコレートをほおばっている横顔がアパートをじっと見ている。彼の目線の先にはメッシャーがいた。昼寝をしているメッシャーの頭には、お気に入りのクッションがあった。

 男がこっちを見る。ユーリの手が震えているように感じて、ジェイクは男を見た。男もジェイクを見る。男の目がぎょろりと動いて口からチョコレートを落とした。

 男の手がゾンビみたいに前に出てくる。こっちに向かって歩いていたが、老人が腕をつかんだ。外国語で何かを言った。ユーリの手が離れた。ジェイクが顔を上げると老人は見た目から信じられないほどすばやく動いて杖でユーリのナイフを受けた。

 ユーリは男の手をつかんだ。男は目がうつろだが、手を握り返した。

「相変わらず子供をおもちゃにしてるのか。」

ユーリが言うと老人はにこりともせず言った。

「ファミラが慈善事業のつもりか。笑わせないでくれ。」

 老人の背後にスーツの男たちが立つ。全員銃を構えてユーリに向ける。老人の隣で全員立ち止まったが、一人は前に進み出た。白髪をした丸いサングラスの男はジェイクを睨んだ。火達磨になったはずのジェイクここにいるという驚きよりも、仕留めたゴキブリがまた出てきた時のような顔だ。

「勘違いは困る。それは人間じゃないんだ。」

 老人が言いながらメッシャーを見た。メッシャーは眠っている。耳をパタパタ動かしたが起きる気配はなかった。

「乱暴な触り方をしないでくれ。刺激を与えると、君たちにとっても都合の悪いことになる。」

 次の瞬間黄色のカマロがつっこんできた。そこから降りてきたのはチヨだった。白いスーツ姿で両手を振る。

「ブラッディー・フットマーク、落ち着いてくれ。」

 チヨはメッシャーを見た。

「レイマリア。どういうことだ。なんでここにこいつらがいる。」

 ユーリの言葉にチヨが笑った。

「そうか、話を聞いてくれるかブラッディー・フットマーク。なら場所を変えよう。さすがに私も彼の前で戦う気はない。」

 チヨはメッシャーを親指で指した。

「うちは今それどころじゃない。娘にろくでもない虫がよりついているんだ。」

 ユーリが苛立って叫んだ

「ボーイフレンドができたのか? 素敵じゃないか。」

 チヨが微笑んだが、今はそんなのんきなことを話す場合じゃない。

「レイマリア。この男を何とかしてくれ。突然絡んできた、この街の魔法使いはこんなのばかりか? 」

 老人が言うと、チヨは素手のこぶしを合わせた。

「ブラッディー・フットマーク。今はいったん離してくれ。」

「またバッタのところに戻ったのか、レイマリア。」

 ユーリがチヨを睨んだ。

「ブラッディー・フットマーク。そういう問題じゃないんだ。」

 ユーリは男の頭に手を置いた。男はチョコレートをほおばるのをやめない。老人が口を開いて何か言いかけたとき、メッシャーがむくりと起き上がった。老人が後ずさる。彼の周りにいた男たちも皆警戒してメッシャーを見る。メッシャーはユーリを見た。

 一歩メッシャーが踏み出すと、全員が一歩下る。今にも爆発しそうな爆弾が目の前にあるような緊張感があった。

「トラブルかい? 」

メッシャーの目が金色にきらりと光った。

「俺はこの形が気に入らない。こいつらはこれを返して欲しい。それだけだ。」

ユーリが男の頭をつかんで言う。メッシャーはジェイクをちらりと見てふむっと口を動かした。

「メッシャー殿、これは彼らにとってとても大切なものなのだ。彼らが望んでブラッディー・フットマークを不愉快にさせているわけではない。」

チヨが言うとメッシャーはまたふむっとあごを動かして、ユーリに近づいた。すると男が突然光の塵になって崩れ始めた。

ユーリが思わず手を離すと、男の姿は真っ白になって消えた。かと思うと徐々に足元からまた人の形を取り始めた。今度は黒いスーツの男になった。ヘーゼルグリーンの目をした、ウーの部屋に飾られた写真の男だ。男は生気のない顔をして立つ。老人が震えて手を伸ばすと、その手をつかんだ。

「どうかな。これなら解決かい? 」

 メッシャーが言うとユーリがうなづいた。

「エリックをご存知で? 」

 チヨが言うと、メッシャーは微笑んだ。

「君たちが探しているものを目の前に出しただけだよ。これなら問題ないだろう? 」

 チヨが苦笑いをした。

「さすが、大賢者殿。」

 メッシャーは足踏みしてゆっくり背中を向けた。

「ただの看板羊だよ。トラブルは、控えてね。」

 にこりとメッシャーは笑うとダイナーの扉をくぐった。

 魔法使いに限らず、人は賢者を畏敬する。賢者は一般的に穏やかで平穏を好み、争いごとを嫌い、他人への深い干渉は避ける。我慢強く滅多に力を使わない。だが、彼らには独自の信念や価値観があり、それに反することが起きたときには遠慮なく力を発揮する。

 メッシャーの場合は平穏だ。彼が自分のそばで、自分の生活環境が脅かされる範囲でトラブルが起きたとき、それを消す。文字通り消す。解決ではなくトラブルそのものを無くしてしまう。

 老人やまわりの男は驚いて男の頬や手に触れる。

「いや、かわりない。パズルのままだ。ただ、外見だけが変わっている。」

 チヨはユーリに向き直った。

「ブラッディ・フットマーク。今夜ステファノの店で会議がある。」

「なんであのトマト野郎の店に行かなきゃならないんだ。」

「あなたにこれ以上グラスホッパーを襲わせないためだ。」

 チヨは腰に手をあてて笑うと、ジェイクを見た。

「ごめん。不愉快にさせたね。」

 首を横に振った。白髪が睨んでいるので睨み返した。

「大丈夫。癇癪の虫は治まってる。チヨは外に出て大丈夫なの? 」

「うん、ちょこっとね。」

 ユーリがジェイクの肩を掴んで自分に寄せる。

「重要な話なんだ。できればあなたの意見を聞きたい。」

 細い杖をもった男が嘲笑した。

「お前の頭は相変わらず愉快だな。」

「そういうな。彼は私たちよりずっと物知りだし、世界を何度か救ってる。」

 チヨは微笑むとユーリをまっすぐに見た。

「お願いだ。」

 白いハマーが入ってくる。アインの車だった。ユーリはその車体を蹴った。

「遅い。」

 自分で置いていったくせにと、アインは言わなかった。当たり前のように扉を開く。チヨが笑うと、アインは会釈をした。

「レイマリア、お一人で? 」

「時間厳守だけど。久しぶりだな、ダーマー・ジュニア。」

 そう言って両手を広げて抱きつこうとしたチヨを、アインは素早く避けた。代わりにいたジェイクにふわふわの胸が当たった。これを避けるのは男としてどうなのだろう。

「やめてください。兄さんにあなたの胸と同じくらいの大きさに膨れ上がるまで顔を殴られます。」

 切実なことを言われてジェイクは納得した。

「りんごほっぺで可愛かったころは、モーゼスも文句言わなかった。」

「今は撲殺されます。」

 ユーリがさっさと車に乗る。ジェイクも後を追おうとしたとき、チヨがジェイクのフードを掴んでかぶせた。

「ジェイク、CWUが入り込んでいる。あまり外にでちゃだめだ。」

 耳に囁かれて、振り返るとチヨがそっと人さし指を唇に当てた。

「ユーリの言うことをよく聞いて、身を守るんだよ。」

うなづいてジェイクはユーリと一緒に後部座席に乗った。車が進みだし、ふとアルのことが気になった。

「アルはどこ? 」

ユーリが葉巻をくわえた。

「トランクの中に。」

 ジェイクはユーリを見た。ユーリの吐く煙を見ていると、ユーリが眉間にしわを寄せた。

「あいつに逃げられると厄介だ。」

 ジェイクはじっと見続けるとユーリがため息をついた。

「あいつはCWUだ。」

 ジェイクは息を呑んだ。ユーリがこっちを見た。

「魔法使いの情報をさぐるためにあんななりをしているが、何人も殺してるぞ。」

 ジェイクはうなづいた。ユーリは葉巻を吸って吐いた。

「後悔したか。あいつは、魔法使いを潰すためならなんでもやる。子供の残した親への手紙でもな。」

 ユーリが苦々しく言った。

「手紙? 」

「お前が俺に書いた手紙だ。被害者の遺留品は遺族に返すが、エリンの親は受け取らなかった。だから俺に返しに来た奴がいた。」

 ジェイクの胸の奥がズキッと痛んだ。

 手紙を書いていたことは、ハートネットにしか伝えていなかった。

「どこをどう探したか、俺に渡しにきやがった。まだ若い金髪の男だった。」

 ハートネットではない。職員のだれかなのだろうか。

「だがな、手紙は全部じゃなかった。何の目的か、何枚かくすねていやがった。俺はそいつを見つけて殴って取り返した。」

 窓の外に灰を落として、忌々しげにユーリは言った。

「笑ってやがった。あんなのが国が飼っている犬かと思うと、反吐が出る。」

「それが、アル? 」

 ジェイクは指先が震えていたので、手を組んだ。それから目を閉じた。一人だけよぎったものがある。ジェイクは唇をかんで落ち着こうと深呼吸をした。

「なんで、取りに行ったの? CWUの罠かもしれないのに。」

「俺のもんを取り返しただけだ。罠だろうがかまうか。」

 確かに、届いていればユーリのものだ。

 こっそりと綴ったあの手紙が、そんな経緯でユーリの手元に行ったのかと、あの時の自分を思い起こした。

「私が、ジェイコブだって、アルは気付いた? 」

 ジェイクが自分の膝を見つめて言うと、ユーリはそれを見て、目を細めて、つぶやいた。

「多分な。このままじゃやばいだろうから、殺す。」

 ジェイクはユーリを見た。ユーリは無表情に葉巻を吸った。


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