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人喰-ヒトクライ-の子  作者: 鳥部 本太郎
第二章 セナとリネ

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15/15

15 決意

 山を下りたセナは、村の入口に差しかかったところで異変に気がついた。最初に目に入ったのは、荒れ果てた監視小屋だった。柵はへし折られ、地面には踏み荒らされた跡が残っている。


 そして──血。


 小屋の壁にも、地面にも。乾きかけた赤黒い血が、そこかしこにこびりついていた。


 監視小屋の向こうに目を向けると、村を囲む柵も一部が壊されている。


「…………」


 セナの足が止まる。


 嫌な予感が、胸の奥で膨れ上がっていく。


 背筋を冷たいものが伝った。


 ヨハルも険しい顔で周囲を見渡し、隣を歩くイリへ目を向ける。


「イリ……これは」


「ああ」


 イリは地面に残された跡を見ながら答えた。


「やられたな。さっきの人喰(ヒトクライ)の番(つがい)だ」


「村の中にまだいるのか?」


「んー……」


 イリは鼻先を持ち上げ、くん、くん、と匂いを嗅ぐ。


 何度か首を動かしたあと、眉間に皺を寄せた。


「いや。逃げたみたいだ。たぶん」


「たぶん?」


「血の匂いが強すぎて、嗅ぎ分けにくいんだよ。あちこちに混ざってる」


 そう言って、イリはもう一度鼻を鳴らす。


「おいおい……何人殺したんだ?」


「くっ……そんなにやられたか……」


 ヨハルが奥歯を噛み締める。


 あの人喰を仕留めることに時間を費やしている間に、別の一体がエルンを襲ったのだ。


 ヨハルは何も言わなかった。ただ、槍を握る手に力が入り、その節くれだった指が白くなっていた。


「き、牙討(きばうち)様……」


 か細い声がした。


 三人が顔を上げる。


 村の奥から、杖をついた老人がよろよろと歩いてきた。


「ガノイ爺……」


 村の長老、ガノイだった。


 いつもよりひどく背中が丸まって見える。その顔には、疲労と落胆が色濃く浮かんでいた。


「村の者が……何人も、殺されてしまった」


 ガノイが震える声で告げる。


「クランやロナは……持ち去られてしまった」


「持ち去られた……?」


 言葉の意味がわからず、セナは聞き返した。すると、イリが横から平然と口を挟む。


「備蓄になったってことだ」


「……備蓄?」


「死体を咥えて持って帰るんだよ。アイツらは」


「…………」


 セナは何も言えなかった。


 ガノイが額を押さえ、深く俯く。


「村人総出で、なんとか追い返したが……怪我人も多い。助かるかどうか、わからん者もおる」


 そこで、老人の声が詰まった。


「トアさんも……もう……」


「トア婆が!?」


 セナはガノイへ駆け寄り、その両肩を掴んだ。


「トア婆、どうしたんだよ!」


「……人喰にやられた」


「…………!」


「あの怪我では……もう助からん」


 頭の中が真っ白になった。いつもリネの隣にいた、トア婆の姿が浮かぶ。


「リネ……」


 セナの指に力が入る。


「リネは!?」


「…………リネか」


「生きてるよな!?」


 ガノイはすぐには答えなかった。その沈黙だけで、胸の奥が冷たくなる。


「おい……ガノイ爺ちゃん! 答えてくれよ!」


「それがな、わからんのだ」


「……え?」


「何人かで探しておる。だが……まだ姿が見つからん」


「なんだって……?」


「家も見たが、おらんかった。だが、喰われたという話もない。だから、まだ──」


 最後まで聞かなかった。セナはガノイから手を離すと、地面を蹴った。


「セナ!」


 背後からヨハルの声が飛んでくる。


 それでも止まらない。村の中を駆け抜ける。


 壊れた柵。

 踏み荒らされた畑。

 血のついた落ち葉。

 倒れた大人の前で、泣き叫ぶ子供。

 怪我人を運ぶ村人たち。


 そのすべてが視界の端を流れていく。


(リネ……!)


 トア婆とリネが、二人で暮らす家。


 そこだけを目指して、セナは走った。


 家の前まで駆けると、勢いよく戸を開けた。


「リネ!」


 返事はない。


 中へ飛び込み、辺りを見渡す。


 いつもリネとトア婆が向かい合っていた卓。壁際の棚。寝台。


 どこにも、リネの姿はなかった。


「リネ……!」


 一歩、奥へ踏み込む。


 床には、踏み荒らされたような跡が残っていた。


 セナの胸が、嫌な音を立てる。


「リネ!!」


 返事はなかった。


 まさか──そんなはずはない。


 セナが唇を噛み締めた、そのときだった。


「──セナ!?」


「…………!」


 返事があった。


 間違いない。


 リネの声だ。


「リネ……!」


 胸の奥に張りつめていたものが、一気にほどける。安堵で涙が出そうになった。


 だが──姿が見えない。


「ど、どこだ!?」


「ここ……」


「ここって? どこだよ!」


 その直後、部屋の隅からがさ、と微かな音がした。


「…………?」


 セナが目を凝らして暗闇を見つめていると、煤にまみれた手が縁にかかった。


 続いて頭が現れ、小さな身体がもぞもぞと這い出してくる。


「リネ!」


 煤(すす)だらけになったリネが、床に両手をついた。ゆっくりと顔を上げ、セナを見つめる。


「セナ……」


 その声は震えていた。


 かち、かち、かち、と、歯が何度も鳴っている。


 顔は真っ青で、肩も、腕も、指先までも震えていた。


 それでもリネは、セナの顔を見ると、ほんの少しだけ表情を緩めた。


「セナ……無事だった……」


「…………」


「よかった……」


「リネ……お前……」


 こんな状況で。自分がこんなになるほど怖い思いをしたくせに、人の心配なんかしている場合かよ。


 そう言おうとしたが、声にならなかった。


 ぽろり、と涙が頬を伝う。


 セナはしゃがみ込むと、そのままリネの身体を抱きしめた。


「セナ……」


「うん」


「怖かった……」


 リネの指が、セナの服をぎゅっと掴む。


「すごく……怖かった……」


「うん……」


 腕に力を込める。


「もう、大丈夫」


「…………」


「大丈夫だから」


 震える身体を抱きしめながら、セナは目を閉じた。


 父と母を奪われ、トア婆も、もう助からない。そして、リネまでも奪われるところだった。


 ──もう、嫌だ。


 誰かが喰われるのを、ただ待っているだけなんて。

 誰かを失ってから、泣くことしかできないなんて。

 そんなのは、もううんざりだ。


 リネを抱く腕に、ぎゅっと力を込める。


 そのとき、背後で戸が開いた。


「セナ……」


 イリの声だった。セナは勢いよく振り向いた。


 その目には、先ほどまでの涙とは違う、激しい怒りが宿っていた。


「イリ」


 イリは思わず足を止めた。


「僕が、人喰(ヤツ)を殺す!」


「…………!」


 その眼光に、イリですら背筋がぞくりと震えた。


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