21.この新しい世界で
「そうさな、イノリ殿。知らなかったとは言え、あの断罪の場では手酷いことをして本当に済まなかった」
「いえ、そんな……」
国王までもが謝罪してくれるので恐縮してしまう。自分も死にたくなくて必死だっただけだと伝えると、温かい笑みを浮かべた国のトップはこんなことを言ってくれた。
「そなたこそが本物の『光の聖女』なのやも知れぬな。あいわかった、これからの事はワシが責任もって取り計らおう。行く先はあるのか? 当てが無いのなら城で生活してよい、侍女も十分に付けよう。もしくは、有力貴族と養子縁組をするのも良いかもしれぬな」
「えっ、それは」
その言葉で、現在寝泊りしているネクロスの秘密研究所の様子を思い浮かべる。暗く落ち着いて静かだが、まるで巣ごもりしているような空間を。
きっと城に住めば、なに一つ不自由なく生活できるのだろう。疑いが晴れた今、わざわざあそこへ戻る必要もない。だが――、
「っ、ごめんなさい。その辺りも含めてまた今度!」
***
城の外に出ると、辺りはもうすっかり茜色に染まっていた。
北の塔へ辿る、ゆるやかな上り坂の丘を駆けていたイノリは、行く先に影のような背中を見つけた。ゆらりとマントを翻す姿は、コントラストのはっきりした世界で、正体不明の魔物のようにも見えてしまう。
「先生っ!」
それでもイノリは駆け寄った。呼びかけにピタリと足を止めたネクロスに追いつき、膝に手をつきながら息を整える。
「話し合いに、飽きたのか、知りませんけど……、勝手に帰らないで下さいよ。わたしまだ、この道一回しか通った事ないんですからね」
「……」
少し不満そうに言ってみたが、彼はこちらに背を向けたまま無言を貫いている。ようやく息も落ち着いてきた。背筋を伸ばしたイノリは、乱れた前髪をちょいちょいと直してから高い背中をまっすぐに見上げる。
「えっと……先生、改めて今回のことで協力してくれてありがとうございました。さっきも助けて貰っちゃったし。それで、その、今後のことなんですけど……」
「――元の、」
なぜ追いかけてきたのかと言われるかと思ったが、返ってきたのは意外な問いかけだった。
「元の乙女ゲームとやらでは、私はどういった立ち位置だったのですか?」
「えっ……」
急な流れにぎくりとしてしまう。まさか麗奈が『ラスボス』と呼んだことを気にしているのだろうか?
ネクロス・ルードはディアマイプレシャスにおける黒幕でラスボス。いずれはヒロインリーシャの手により、討ち果たされることが運命づけられている存在だ。
(黒幕でラスボス、今でもその片鱗はある……よね)
冷や汗がたらりと頬を伝うのを感じる。視線をあさっての方向に逃がしたイノリは、ごまかすように指先をいじり始めた。
「えーっと、王子たちの魔術のお師匠様で、便利なアイテムを売ってくれるお助けキャラというか」
「……」
「先生?」
マントが風で揺れている。不安になりかけたその時、ネクロスは首だけグリンッと振り向いた。
「じーつに興味深い! 俄然興味が湧いてきました。私たちがその創作物と単に似通っているだけなのか? この世界には創造主がいるのか? 実に探究のし甲斐がありますよこれは!」
「あ、はは……」
大きな口が三日月型に吊り上がっているのを見て、気が抜けて肩の力が抜けてしまう。茜色の空にパッと両手を広げる彼は、純粋に知的好奇心を満たそうとしているかのようだった。
だが急にこちらに手を伸ばして来たかと思うと、頬に触れるか触れないかという距離でそっと手のひらを添える。
「っ!?」
「そしてキミは間違いなくその中心。逃がしませんよ」
眼鏡の奥の金色の目が眇められ、イノリを一心に映している。落ち着いたはずだった鼓動が、坂を駆け上がった時よりも暴れ出した。
「キミを歪ませた先がどうなるかも、とても興味がある」
「え、あの、」
手を取られ、踊るように引き寄せられる。ザァとふきすさぶ風が、二人の髪を溶かすように混ぜ合わせた。視線を絡めたまま、息の触れる近さで彼は言葉を落とす。
「私と……堕ちてみませんか」
甘いと錯覚しそうな吐息は、風にさらわれ夕闇の空に溶けていく。
どう答えたら良いか分からず、イノリはただ相手の顔を見つめてパクパクと口を開くしかできない。その頬は夕陽など言い訳にできないほど鮮やかに染まっていた。それを見て微かに笑ったネクロスは、気まぐれな霞のようにスルリと手をほどく。
「なーんて」
からかわれたのか何なのか。ハッと我に返った時にはもう、黒い背中は塔に向けて歩き出していた。喉元までこみ上げた様々な感情を、一度に吐き出したら何か違うものに変質してしまいそうな気がしてイノリはパニックになる。それでもよろめきながら一歩を踏み出した。
「せんせ、待っ……なに、今の」
「時に、キミはこれから誰かを攻略しに行くのですか。誰狙いでした?」
「ン゛ッ」
追い打ちのように、軽く投げられた問いかけにブン殴られる。奇妙なうめき声におや、と振り向いたネクロスの顔を直視できない。
完全に歩みを止めて俯いたイノリの口から、かすかな言葉が零れ落ちる。
「そんなの……わたしは最初から……」
「はい?」
チラリと見上げた先で視線が合う。ギュッと目をつむったイノリは、妙にへちゃげた顔のまま低くこう答えた。
「ひ、秘匿します」
「ほほーう? 結ばれるといいですねェ、応援しますよ?」
その返しにますます眉間の皺が濃くなる。眉を吊り上げながら小走りで追いかけた。
「うそ、ぜっったい思ってない!」
ぜったいに言えない。
「いえいえ、そんなことは。幸せ絶頂のところを絶望に染まらせるのもさぞ……」
「だからどうしてそう、破滅主義なんですかっ」
――言えるものか。この、物騒なラスボスが前世からの推しだったなんて。
有り体に言うと、新山いのりはキラキラ王子系イケメンよりも、若干ズレた危険球が好きだった。
そのブキミさにときめいて、他の攻略対象そっちのけで足しげくアイテムショップに通っていたのは、ネクロスに会いたかったからに他ならない。
(どうしよう、元から好きだったけど、実際に目の前に居て、助けて貰っただけでもあれなのに、あんな風に触れられたらわたし……!)
ルートに無いこの気持ちは隠し通すべきなのだろうか? 彼から見えない位置で頬に手を添える。熱く熱を持ったそこはしばらく冷めなそうだ。
(それでも、わたしは……)
『ディアプレ』の世界で、ネクロスの背景は描写されなかった。ファンの間では、隠しキャラとして後々実装されるのではと噂されていたが……。今となってはどうなるのかを知る由はない。――この目で確かめる以外は。
そこまで思い当たったイノリは、頬から手を落とし、まっすぐに前を見つめる。
(……うん、わたしの意識がここにある以上、たとえゲームの中だとしてもここは現実。そう思うことにしよう)
密かな決意を胸に大地を蹴ると、手の届く距離にいる彼を追いかける。
(ネクロス・ルードがここに居る。たとえシナリオの強制力が襲い掛かって来たとしても、わたしはできる限り足掻いて見せる)
そっと手を伸ばし、彼の手を掴もうとして――やめた。一度引きグッと胸元で握り込む。
(堕ちない。逆に引き上げる。ラスボスになんてさせない。わたしはこの世界で生きていくんだ)
暮れなずむ空が北の塔を呑み込んでいく。
光と闇が混じり合う美しい光景は、自分たちの今を表しているようで――胸の奥にかすかな予感を灯した。
第1部 おわり
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