001 自由(リベラル)の香り
「次、柳 偉!」
浮遊都市『フェルム』、第五区。
嬲嫐学院・男子校舎、大講堂内。
電子音のコールと共に、男子生徒だけで構成された列がノロノロと前へ動いた。
「手を置いて。深呼吸して、余計なことは考えるな」
検知器の傍らに立つ教師が、冷淡に言い放つ。
「は、はい……」
柳と呼ばれた生徒は、震える手でセンサーに触れた。
【ピッ――!】
ホログラムスクリーンにデータが浮かび上がる。
【男性ホルモン値:10】
【エロス識別度:3%】
教師は顔も上げずに手元の端末に記録し、手でシッシッと追い払う。
「合格だ! 次!!」
「ふぅ……」
柳は魂が抜けたような顔で台を降りた。
これは週に一度行われる『安全測定』。
不合格者は、見るも無残なペナルティを受けると噂されている。
「問題なし、次!」
「次!」
「……」
「次、阿部 寛大!」
卑屈そうな顔をした男子生徒が前に出る。
だが、彼が手を置いた瞬間、検知器が激しく赤光を放ち、耳をつんざく警報を鳴らした。
【ピーッ! ピーッ!】
【警告! 被験者に異常あり! 異常あり!】
数値が一気に跳ね上がる。
【男性ホルモン値:35】
【エロス識別度:11%】
「不合格だ!」
教師が顔を上げ、鋭い視線を突き刺す。
「貴様、数値が高すぎるぞ。今日は薬を飲んだのか?」
阿部は顔面蒼白になり、滝のような汗を流した。
「の、飲みました…朝イチで『消春寧』を二錠……」
「二錠じゃ足りん」
教師は鼻で笑い、タブレットを操作する。
「お年頃で血気盛んなのは理解してやる。今回は不問にしてやるが、次は薬の量を増やしてこい。……もし次も下がらなかったら、どうなるか分かっているな?」
阿部は股間を押さえながら、ガタガタと震えて逃げ出した。
教師は眉をひそめ、名簿をスクロールする。
「6組はこれで全員か……ん?」
「六道 飛鳥はどうした? なぜここにいない?」
下の生徒たちが顔を見合わせる中、クラス委員が弱々しく手を挙げた。
「せ、先生……六道君はまた厳主任に呼び出されました……」
……
教導主任室。
厳主任は額を押さえ、目の前の男子生徒に灰皿を投げつけたい衝動を必死に抑えていた。
「六道 飛鳥。説明しろ」
彼は震える手で、机の上に置かれた写真の束を指差した。
「お前……なぜグラウンドで、あんな無様な姿を晒して走り回っていた?」
写真には、鳥の巣のような黒髪に虚無的な瞳をした少年が、全裸でグラウンドを疾走する姿が写っていた。
その後ろには、呆然と立ち尽くす警備員たちの群れ。
飛鳥は椅子にふんぞり返り、足を組んだまま不敵な笑みを浮かべた。
「主任、その言い方はあまりにも浅薄ですよ」
飛鳥は悠然と口を開く。
「あれは露出狂じゃありません。俺は世界を感じ、真理を探究していたんです」
「真理の探究だと?」
厳主任は怒りのあまり失笑した。
「ケツを丸出しにして走ることで、どんな真理が見つかるってんだ!」
「『抵抗』ですよ」
飛鳥は一転して真剣な面持ちになり、瞳に深い憂いを宿した。
「『布切れ』という名の異物が、俺と宇宙の交流を阻害していたんです。それを脱ぎ捨てた瞬間、俺の全身の細胞は大気中の粒子と共鳴した。……あれこそが自由の香りだ。主任、分かりますか?」
「分かるかバカ野郎!!」
厳主任が机を叩いて立ち上がった。
「それはただの変態だ! 破廉恥だ! 『連邦克制法』に対する明白な挑発行為だ!」
飛鳥は「これだから凡人は……」と言わんばかりにため息をついた。
「浅い。浅すぎますよ、主任。そんな古臭い考えで、この世界を救えると思っているんですか? 異獣が侵攻してきてからどれだけ経ちます? 人類は引きこもる以外に何ができるんです? 俺は救世の準備をしてるんです。分かりますか?」
「ああ、救世な。なるほどな……って、なるか!!」
危うく丸め込まれそうになった主任が怒鳴る。
「常識を考えろ! お前のせいで学園の評判はガタ落ちだ! 外だったら今頃『克制局』に連行されてるぞ!!」
「俺は――」
「もういい! 屁理屈は聞き飽きた。戻って一万字の反省文を書け。明日までにだ。さっさと失せろ!」
「一万字!? 主任、それは俺の腎臓に悪いですよ……」
「失せろ!!!」
……
バタン!
教導室の重い扉が閉まる。
飛鳥は不服そうな顔で廊下を歩きながら、毒づいた。
「老いぼれめ。芸術のセンスがカケラもありゃしない。……ったく、こっちだって好きで野郎どもにサービスしてるわけじゃないってのに」
彼は歩きながら、虚空を指でなぞった。
次の瞬間、彼にしか見えない半透明のパネルが出現する。
【真理パネル】
【宿主:六道 飛鳥】
【現在のX染色体ストック:69】
【現在のY染色体ストック:69】
【……】
飛鳥の視線は、スキル欄にある一つのアイコンに釘付けになった。
それは、哲学的な光を放つ筋肉質の男のシルエット。
【スキル:自由の風】
【説明:他人に自らの自由な姿を晒すことで、XY染色体を獲得できる。獲得量は、宿主がいかに自由であるか、および目撃者の精神的ダメージ(トラウマ)の大きさに依存する】
数秒後、彼はステータス欄の項目に目を移し、眉を深くひそめた。
そこには、ピンク色の不気味な光を放つデバフが記されていた。
【特殊状態:♥『愛』という名の呪い♥】
【説明:聖獣『アフロディーテ』に魅入られた標的に下される愛。対象はSSS級以下の攻撃では死亡しない。ただし、過剰な愛は毒となる。この状態にある間、毎日ランダムに標的のXまたはY染色体を消滅させる。染色体がゼロになった瞬間、標的は完全に消滅する。SSS級以上の聖者または聖獣以外による解除は不可能】
そう。
これこそが、彼が変態扱いされるリスクを冒してまで、グラウンドで「真理」を探究し続ける理由だ。
愛? 笑わせるな。
これじゃただの死神のカウントダウンだ。
十年前。
転生者である彼はこのチート能力『真理パネル』を手に入れた。
だが、同時によりにもよって、このクソッタレな状態まで押し付けられたのだ……。
「ねえ、飛鳥」
突然、前方から冷ややかな声が響いた。
彼の思考は、そこで遮られた。
……




