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アルマの物語(後)

 フランチェスカは相変わらずのキラキラした顔で結婚の準備を始めた。アルマもそれを手伝った。


 フランチェスカは結婚式で着るドレスを用意した。ウェディングドレスではなく、ただの白いドレスだ。

 本来ならフランチェスカは王太子妃として誰もが羨むような豪華で美しいウェディングドレスを着るはずだったのに、それを惜しんでさえいない。いや、多分フランチェスカはそれを最初から自分のものだなどと考えていなかったのだ。

 フランチェスカにとっては結婚相手がロレンツォであることがすべてなのだろう。だが、アルマにもその気持ちは理解できた。

 エミリオにはウェディングドレスを作るよう言われていたが、フランチェスカに「アルマも着る?」と尋ねられ、アルマは思わず頷いてしまった。



 とある公爵家の夜会で婚約破棄は実行された。

 フランチェスカはロレンツォに連れられて会場を去って行った。いつも以上にフワフワしていて、せっかく準備していたトランクも忘れかけていた。


 フランチェスカにトランクを届けてから、アルマは王太子専用の馬車まで戻った。しばらく待っていると、エミリオがやって来た。アルマは神妙な顔で頭を下げた。


「申し訳ございません、王太子殿下」


「いや、アルマに罪はない。いつもどおり侯爵家まで送ろう」


 エミリオが馬車に乗り、アルマも後に続いた。馬車が走り出すとすぐにエミリオはアルマの手を取った。


「新しい婚約者様は送らなくてよかったの?」


「自分の家の馬車で帰らせた。本当の婚約者との大事な時間を邪魔されたくないからな」


「お嬢様も、とても婚約破棄されたとは見えない顔をしていたわ」


「それはそうだろうな。あの様子だとロレンツォがどう出るかわからないが、まあ、あとはフランチェスカ次第だ。それよりも、アルマのほうは大丈夫か?」


「ええ。予定どおり、お嬢様をお守りできなかった責任を取って明日お暇をいただくわ」


「屋敷はすぐに住めるようきちんと整えてある。わたしはしばらく行けないと思うが、何かあればすぐに連絡してくれ」


「わかってるから、心配しないで」



 翌日からアルマはエミリオが街に用意した小さな屋敷で暮らし始めた。侯爵家の使用人の娘に生まれ、お嬢様のメイドをしていたアルマが女主人になった。

 もちろん、すぐには慣れなかった。エミリオがアルマのために雇ってくれたメイドたちはきちんと仕事をする人たちだった。だが、アルマはできることは自分でやりたかった。フランチェスカにはそれでは駄目だと言われた。


 逆に自分ですべてやらなければならなくなったフランチェスカは、それでもやはり楽しそうだった。屋敷を訪れてはロレンツォのことをあれこれと話した。

 フランチェスカは彼女らしくもなく、なかなかロレンツォに本心や真相を打ち明けられずにウジウジしていた。だが話を聞く限り、遅かれ早かれ良い結末が訪れるだろうとアルマは思っていたし、エミリオも同じ意見だった。

 フランチェスカは他にもあれこれアルマを頼ってきた。フランチェスカに言われて呼び方を「お姉様」に変えたが、手間のかかる妹の世話をしている気分になることもあった。それは、あまり悪い気分ではなかった。



 予定どおりにエミリオは王宮を出され、同じ日にアルマとエミリオは結婚した。

 エミリオとの暮らしは幸せで、アルマは不安になった。エミリオを失う日が来たら、きっと自分は心を乱すくらいでは済まないだろう。


 フランチェスカはようやくロレンツォと想いを通じ合わせた。その後は屋敷を訪れるたびに惚気話をしては、エミリオに邪険にされていた。

 アルマは無邪気に夫を愛し、夫の愛を信じているフランチェスカが羨ましかった。



 国王陛下がエミリオを王太子に戻したがっていると、ロレンツォから伝えられた。

 エミリオが予想していた爵位をもらって貴族になる形なら、妻が平民の出でも問題なかった。しかし、王族に戻るなら平民出身の妻では認められない。アルマがエミリオの妃になるなら、侯爵の認知が必要だった。

 エミリオはアルマの手をしっかりと握って言った。


「アルマ、一緒に王宮に行こう」



 ロレンツォに案内されて屋敷にやって来た侯爵は、エミリオの妻として挨拶したアルマの姿を見て目を瞠った。


「アルマ?」


 侯爵が自分の名を呼ぶ声を、アルマは初めて聞いた。


 エミリオとの話し合いの後で、侯爵はアルマともふたりで話すことを望んだ。アルマはそれを受けた。


「おまえの行方がわからず心配していた。まさか、エミリオ様と一緒だったとは」


「……私の名前をご存知だったのですね」


 アルマが言うと、侯爵がわずかに眉を寄せた。


「当たり前だ。わたしがつけたのだからな」


 アルマは目を見開いた。


「そうだったのですか?」


「マリカが身籠ったと知って、わたしは生まれる子を認知しようと思ったし、ふたりの面倒もみるつもりだった。だが、マリカにすべて断られた。うちを辞めて他の仕事を探すと言うので、それだけは何とか思い留まらせた。マリカが唯一わたしに望んでくれたのが、娘の名前をつけることだった」


「母は、なぜ?」


「わたしにもわからんが、後悔していたのだろう。恋人やイレーネを裏切ったことを。おまえはわたしが父親だとマリカに聞いたのか?」


 イレーネというのは侯爵夫人のことだ。


「ええ、そうですが」


「マリカは話していないと思っていた。だから、おまえとは距離を置いていたのだ。フランチェスカがおまえをメイドにすると言い出した時、あの娘ならおまえが異母妹だと知ったとしても悪いようにはしないだろうと思って認めた。どちらにせよ、おまえはうちから嫁に出してやるつもりだったのだが……。おまえは本当にこれでいいのか?」


 侯爵からの唐突な問いに、思わずアルマは首を傾げた。


「は?」


「フランチェスカがロレンツォと結婚したいばかりにエミリオ様をおまえに無理矢理押しつけたわけではないな? エミリオ様と結婚して幸せなんだな?」


 侯爵の言葉にアルマは苦笑した。答えはアルマの口からスルリと出てきた。


「お姉様はそんな方ではありません。ずっと私のことを可愛いがってくださいました。エミリオも私を大事にしてくれます。私は幸せです」


「ならいい。おまえを認知しよう」


 侯爵は静かに告げた。


 アルマはずっと、母は愛した男を信じて身体を許し、その結果何も得られなかった愚かな人だと思っていた。だが実際には母は自分自身が大切な人を裏切ってしまったことで、他人を信頼することができなくなってしまったのかもしれない。

 アルマも誰かを信じたり頼ったりしないよう自分を戒めてきた。だけど、アルマは本当は父に気にかけてほしかった。


 父からは貰えなかったものを、代わりにアルマにくれたのは姉のフランチェスカだった。フランチェスカがアルマのことを父や誰かに訴えなかったのは、アルマを守るためだとわかっていた。下手に騒げばアルマやマリカが侯爵家にいられなくなってしまうから。

 自身に対して何かと言い訳をしながらも、アルマはまっすぐに自分を見つめてくれる姉を信頼したかった。


 エミリオから気持ちを向けられて嬉しかったが、彼を好きになることは怖かった。いつか母のように失って傷つくに違いなかったから。

 エミリオに令嬢が近づくと心が騒ついた。それなのに、姉がエミリオの隣にいてもアルマは気にならなかった。お似合いの婚約者と言われているのにまったく嫉妬しなかったと言えば嘘になるが、疑う気持ちは湧かなかった。

 ふたりが本音で言い合う姿は微笑ましくも羨ましかった。


 アルマとエミリオのことを応援してくれる姉にも、望む相手と幸せになってほしかった。姉にはいつも笑っていてほしかった。アルマは姉を愛していた。


 侯爵の言葉の真偽は、母が亡くなった今となっては確かめられない。と言って、初めて侯爵が見せた父親の顔をまったく信じられないと突っぱねることもアルマにはできなかった。


「今の話を聞いても、すぐに侯爵様のことを父とは呼べません。でも、エミリオのそばにいるために侯爵様の名前を使わせていただきます」


 アルマは侯爵をまっすぐに見てそう言った。侯爵は頷いた。


「それで構わん」



 アルマは王太子妃としてエミリオとともに王宮に入ることになった。

 それが正式に発表された夜、アルマはエミリオに正直に言った。


「私が本当に王太子妃になる日が来るなんて思っていなかったわ」


「確かに予想外だったな。まさか元に戻ることになるとは」


「そういう意味ではなくて……」


「ああ、わたしが他の女に心変わりすると思ってたってことか」


 エミリオにさらりと言われて、アルマは驚いた。


「何となく気づいてた。アルマがわたしを信用してくれていないと」


「それなのに、どうして?」


「わたしはアルマ以外に考えられなかったし、アルマを手放すつもりはなかった。ずっと一緒にいれば、いつか信じてくれるだろうと思ってた」


「そんなことで良かったの?」


「良かったさ。だって今は信じてくれてるから、そう言うんだろ?」


「ええ。もう、ここまで来たら信じるしかないもの」


 アルマが涙交じりに言うと、エミリオが抱き寄せた。その腕の中は初めて知った時より何倍も心地良かった。


「アルマ、愛してる」


「私もエミリオを愛しているわ。ずっと前から」


「ああ、もちろんそれも気づいてた」


 口づけを交わした後で、アルマは疑問を口にした。


「お姉様も気づいていたのかしら?」


「あいつは鈍いようでいて、野生の勘があるからな」


 それならば、姉もわだかまりがあるとわかっていてアルマを気にかけてくれていたのだろうか。

 だが、本人より先にアルマのエミリオへの想いに気づいたのはやはり野生の勘かもしれない。

 エミリオが続けた。


「それに、一度面倒を見ると決めたら途中で投げ出さない」


 姉が屋敷で飼っていた犬や猫たちを思い出した。それから、義兄のことも。


「確かに、必ず手懐けるわね」


「だが、アルマ、フランチェスカのことはもういいんじゃないか? そろそろ姉より夫を優先してほしい」


 エミリオが拗ねるように言った。アルマは微笑んだ。


「そうね。お姉様とお義兄様もすっかり落ち着いたし、これからはあなたを一番に考えるわ」


「まあ、王宮に入ってしまえばあいつもそうそう来れなくなるがな」


 エミリオは意地悪そうに笑った。



 しかし、王太子妃としての王宮での生活になかなか馴染めなかったアルマのために、エミリオはフランチェスカを相談役という形で招いてくれた。

 アルマが王太子妃になってもフランチェスカの態度が変わることはなく、アルマを安心させた。話すのもやはりロレンツォのことばかりだ。



 その日はフランチェスカの滞在中にエミリオがアルマの部屋を訪れた。


「ロレンツォ」


 エミリオについて来たロレンツォの姿を見て、フランチェスカはパッとソファから立ち上がり駆け寄った。

 一拍遅れて腰を上げようとしたアルマを、エミリオが制した。


「そろそろ会いに行こうと思っていたの」


 フランチェスカがロレンツォに言うと、アルマの隣に座ったエミリオが口を開いた。


「もう帰るんだろ。ロレンツォ、門まで送ってやれ。仕事中だってことは忘れるなよ」


 フランチェスカとロレンツォが出て行くと、すかさずエミリオがアルマの肩を抱いた。もう一方の手はドレス越しにアルマの腹に触れた。


「体はどうだ?」


「問題ないわ」


「それなら良かった」


 まだあまり目立たない腹を愛しそうに撫でているエミリオを見つめながら、アルマは一度言おうと思っていたことを口にした。


「ねえ、エミリオ、側妃を持っても構わないわよ」


 エミリオは顔を顰めてアルマを見た。


「何で急にそんなことを言い出すんだ。わたしを信じてないのか?」


「信じてるから言うのよ。私はそういうことを否定できない生まれだし、あなたが必要とするなら……」


「必要ない。おまえの父親と一緒にするな」


 侯爵にはアルマ以外にも隠し子がいるという疑惑が一時あった。アルマが本人に尋ねると「わたしが知る限りアルマだけだ」と答えたので、妻以外に関係を持った相手はひとりだけではなかったようだ。

 正直なのは悪いことではないが、雪解けは遠のいた気がする。


「そんなことを言ってわたしを試しただけなら大目に見るが、本気ならわたしに死ねと言ってるのと同じだぞ」


 エミリオの言葉にアルマは首を傾げた。


「側妃を置くなんて言ったらおまえの姉に殺される」


 エミリオが半ば本気で言ったので、アルマは吹き出しそうになった。


「きっとあなたの護衛が止めてくれるわよ」


「ロレンツォが止めるのはフランチェスカを罪人にしたくないからだろ。きっとあいつも軽蔑しきった目でわたしを見るに決まってる」


 アルマは今度こそ笑い出した。


「ごめんなさい、あなたを試したの。欲しかった答えをくれて嬉しいわ」


 エミリオはしばらくむっつりとしていたが、やがてアルマにつられたようにその顔に笑みを浮かべた。

お読みいただきありがとうございました。

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